東郷茂徳:Wikipedia
はどう見てもお粗末である。知的視力が失礼ながら欠落している。東郷は、当時はまだ完全に連合国側に組している訳ではなかったソ連を仲介して和平交渉を探るという方策を提案し
また「その時歴史が動いた」をベイスにしたこの記事によると
とあるが、本当に暗号を解読できていれば、逆にどう譲歩しても、アメリカの戦争意欲に蓋をすることが出来ないと、分かっていた筈だ。事実関係云々よりもこの文章の「つまり」以下に論理性が見えないのだ。つまり日本は、アメリカがやったように、開戦直前までアメリカ、中国などの暗号電報を解読していたことが明らかになった。東郷は暗号文に自ら目を通していた。東郷は、アメリカが妥協案さえ出せば、戦争は回避できる。東郷はアメリカを刺激しない道を選んだ可能性が高い。
また上記のWikipediaには
とあるが、流れに抵抗しきれない世界大戦を前にして自分個人の力が機能すると考えていたとしたら、やはりお粗末と言うしかない。「早期講和」は聞こえはいいが、具体的にどういう早期講和を考えていたのだろうか。私は勿論個人を非難するつもりは、全くない。ただ、他の人物を極悪人に仕立てるために、「戦争回避」「早期講和」という言葉を東郷茂徳に出任せ的に貼り付けて、後世の人間が後世の価値観で「東郷茂徳」なる人物像を捏造しているのではないかと、思うのだ。東郷は開戦後も「早期講和」の機会を探るために外務大臣を留任したが
実際の演説を冷静に読めば、ご理解いただけると思う。
東郷茂徳の演説 :英語版: 日本語版:
2009年11月26日:追記
今朝目が覚めて、ふと思ったのだが、東郷茂徳は、何のためにこんな演説をしたのだろうか??上にあるように1941年11月18日のNew York Timesに記事が出てしまう、ということを考えての演説だったとしたら。スパイ行為と疑われてもしかたがない。必死になって外交による平和的解決(戦争回避)の交渉中に、いくらなんでもこの演説はマズイだろう。と言うより非常識極まりない。演説の中に以下の一行がある。戦争回避どころか、交渉決裂、宣戦布告にむしろ近い。
Should an occasion arise such as might menace the very existence of the empire or compromise the prestige of Japan as a great power, it goes without saying that Japan must face it with a firm and resolute attitude.
(2009年12月1日追記:またこういう一行もある)
Since the outbreak of the China affair Japanese-American relations have progressively deteriorated, steadily gathering force, so that if they were left to drift without timely check there was no knowing whether the situation would not ultimately end in catastrophe.
この演説を先に「日本の現状を、日本のポジションを伝えている素直な内容だ」と書いたが、内容に於いては「宣戦の詔書」のまさに先ぶれだと言える。以下に提示するので内容を比較されよ。もしこの演説が「戦争回避」のための演説だとしたら、「宣戦の詔書」もまた、戦争回避のための「宣戦の詔書」という支離滅裂な話になってしまう。
参照:日米開戦 西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり
上のリンクペイジの一番下に日本語、分かりやすい日本語、英語で「宣戦の詔書」が読める。
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