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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

William " Intrepid" Stephenson

Intrepid-1
William Stephenson: Wikipedia
上の美男子はご存知007 James Bondのモデルといわれている、スパイの範疇を超えたスパイ William " Intrepid" Stephensonだ。以前文庫本で「Intrepidと呼ばれた男」を読んでみたが、たいして興味を抱けなかった。日本との関連が無いように感じた。ところが(今の段階では)単なる推量に過ぎないが、大いに日本と関わりあったスパイだと思っている。今日はまず紹介を。なにしろ007になるくらいのもはや伝説上の人物なので。(それらしく銅像もある)
Intrepid-2
William " Intrepid" Stephenson-1
William " Intrepid" Stephenson-2
William " Intrepid" Stephenson-3
William " Intrepid" Stephenson-4
William Stephenson,
British Spy Known as Intrepid, Is Dead at 93

以下はWikipediaより抜粋

Stephenson was soon a very close advisor to FDR, and suggested to Roosevelt that he put Stephenson's good friend William J. 'Wild Bill' Donovan in charge of all U.S. intelligence services. Donovan founded the U.S. wartime Office of Strategic Services (OSS) which eventually became the Central Intelligence Agency (CIA).

つまりDonovan(William Joseph Donovan)はStephensonに教育されその指導のもとにOSSという組織を創設した。OSSはCIAの前身なので、時にCIAは元々イギリスが作った組織である、と言う人がいるのはそのためだ。

Under Stephenson, the BSC directly influenced U.S. media (including the writing of American newspaper columnists Walter Winchell and Drew Pearson) and other media in the hemisphere towards pro-British and anti-Axis viewpoints.

ここにさりげなく出てくるDrew Pearsonに前から注目している。Drew PearsonはJoseph R. McCarthyやJames Forrestalに関連して登場する見過ごせない(嫌な)ジャーナリストだ。いつかまな板にぜひとも乗せてみたいと思っている。(参照:Drew Pearson

Controversial historian David Irving, in Churchill’s War, reveals evidence of a secret communications link between Roosevelt and Churchill that was run by the FBI but controlled through Stephenson’s office.

StephensonがChurchillとRooseveltのコミニュケイションを引き受けていたことは、多くの資料に出ている。そこでこのシーンを思い出していただきたい。(蒋介石とRooseveltの通信をLattimoreが担当したように、ChurchillとRooseveltの通信はStephensonが担当している。) 参照:日米開戦を回避せよ

11月25日の夜、イギリス首相チャーチルからルーズベルトに、1本の電報が届く。「もし中国が崩壊すれば、私たち共通の脅威は著しく増大するでしょう。アメリカは中国の立場を十分考慮した上で、政策を実行することをイギリスは期待します」。

ChurchillからRooseveltへの電報は1通や2通ではない。しかも驚くべきことに蒋介石からの電報と同じ内容である。蒋介石もChurchillもアメリカの対日参戦を強引に望んでいた結果である。Stephensonはイギリスのスパイである。Churchillの意を汲まないわけが無い。

William " Intrepid" Stephensonは活動・行動範囲が特に広域で、核心までなかなか辿り着けない。何度も何度もとり上げることになるかもしれない。今日はとりあえず紹介のみ。Churchillの為に動いたと言うより、むしろChurchillより上にいたかもしれない。(つづく)

・・・・・追記:2011年11月19日・・・・・
Intrepid.com:

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「永遠のゼロ」 百田尚樹作 講談社文庫



if I had to do the same again
I would my friend, Fernando
(FERNANDO by ABBA) Musique avant toutより
「もし同じことをしなければならない時がきたら、
私もまたそうするだろう」
祖国のために命をなくした英霊達に捧げる言葉はこれしかない。
Profile欄の写真はそのささやかな意思表明である。
(以上、2009年7月19日記)
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上は2009年1月12日のエントリーを移動したものです。
(素晴らしいメロディー&歌唱なのだが、私の理解不足か、この歌詞の主語がいまひとつわからない。またClose your eyes.のyourもよく分からない。どなたか教えていただけたら有り難いのですが)

講談社文庫「永遠のゼロ」を読みながら、この動画のことをしきりに思い出した。
「生きて必ず帰る。妻のそばへ、娘の元へ」-涙を流さずにはいられない、男の絆、家族の絆。という帯がまず目に入った。コピーとしたら、0点に近い。「こんなコピーで、読む人がいるのか」と、思わず手にした。ゼロとはゼロ戦のこと。児玉清氏が解説で絶賛しておられる。著者の百田尚樹氏はゼロ戦を書くには若すぎる。しかも分厚い小説だ。あまりフィクションに時間を取られたくない。少し迷ったが児玉清氏を信頼して購入した。
福本和也氏の航空小説のように、読むだけで、操縦感覚を味わえるのかと期待していた。リアリスティックな空中戦がかなり続くが、パイロットの腕がよすぎて、ついてゆけない。想像を絶する超人パイロットなのだ。前半はゼロ戦の性能のよさと日本人パイロットのレベルの高さばかりが強調される。児玉氏の指摘する号泣するほどの感動がなかなか出てこない。帯のコピーが頭にあるから、脱走兵になるか、反戦活動するために地下に潜るのか、という不安もある。後ろから読むことにした。
「プロローグ」と「エピローグ」の内容と配置に脱帽した。そして後半部の人物描写・ストーリーの展開にも唸ってしまった。姉と弟が若くして死んだ実祖父の人生をたずね歩く、という設定もよく出来ている。テーマという点から、私がよく書いてくれたと感謝して選びたいのは、第九章、カミカゼアタックだ。しかしこれがこの本のテーマかどうかは分からない。長い時間をかけて全部読み通して、作者のテーマが、視点が、最後まで鮮明にならなかった。いや、テーマはやはり帯にあるように「男の妻子に対する愛」なのだろう。国に対する想いはどこにもかかれていない。作者の年齢からすると、書きようが無いのだろう。むしろそれを否定することが、テーマだったのかもしれない。
それでも、この本が多くの人に読まれることを望みたい。実体験者の話を聞くという筋の運びなのだが、それらしく日本の戦った太平洋戦争が資料に基づいてよく書けている。もうひとつはその設定だ。これを読んで、この設定のように今年の夏、多くの日本人が顔もしらない祖父たちの戦った戦争を、その祖父の人生をこの小説の姉と弟のように、訪ね歩いて調べることをしてくれたらどんなにいいかと思う。その結果、家族の絆は深まるだろうし、その行為は、人生の悩みにも何かを示してくれるだろう。声高に叫ばなくても、国家とは何か、昔の人はどう生きたのか、そしてまた日本の未来はどうあるべきか、少しだけ、けれどもその本質の部分をそっと開示してくれるだろう。
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追記:2009年7月26日
第九章「カミカゼアタック」を再度読みかけて、武田という人物の中に、ふとある方を思い出した。戦後の経済復興の第一線で仕事をし、その分野で人に知られるようになった元特攻隊員。長身でダンディー。念のために後ろの主要参考文献のペイジを見たらその方(森本忠夫氏)の著「特攻」が記載されていた。
私は昔2年ほど小さな貿易会社でコレポンを担当していたが、そのときの社長N氏が(と言っても、他には社長の兄がいるだけの3人の会社だった)特攻隊以来の森本氏の親友だった。私の記憶に間違いが無ければだが、N氏と森本氏と中国で捕虜になり、二人で脱走したというスリリングな話を聞いた事がある。ペレストロイカの頃、突然ソ連の専門家としてTVに出演されるようになるが、その少し前、ロシア経済に関する文章を雑誌などに盛んに書かれている頃、私も小説を発表したりプロペラ機に乗ったりしていたからか、社長のN氏が「よかったら、一席もうけて、森本氏を紹介しよう」と声をかけて下さった。森本氏の専門書はとても歯が立たなくて、紹介されても話について行けないからと、遊び呆けていた私はせっかくのチャンスを断ってしまった。特攻のことも、崩壊前のソ連の内部も、国際経済のことも、お会いしてしっかり聞いておけばよかった。これならどうだと、N氏が一冊の森本氏の単行本を差し出された。意外なことにその専門書の巻頭には、死んでいった仲間の特攻隊員たちに捧げる、愛と情熱がほとばしるような詩作品が躍動していた。(「FERNANDO」 again)
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追記:2009年7月27日
森本忠夫氏をnet上であたってみた。森本氏のことを東レを引っ張る現役企業戦士兼ロシア通の経済評論家だとばかり思っていたが、それは過去のことで、今はどちらかと言うと太平洋戦争戦史研究家なのだということに、初めて気付いた。上に「作者のテーマが、視点が、最後まで鮮明にならなかった。」と書いているが、森本氏の資料を読むと、テーマがよく分かる。「永遠のゼロ」の根幹は、森本氏の著作そのもので、これは小説化された、森本氏の「特攻論」だと思った。
If I had to do the same again, I would ,my friends,...等と歌っていたら、あの巨大な森本氏に張り倒される、と言うことにも気付いてしまった!ガビーン!森本氏には亡くなった多くのパイロット達への深い連帯感と熱情があるからこそ、作戦としての特攻がどうしても許せないのだ。人命軽視の、闘い敗れた大日本帝国に対する、鋭い分析に基づいた大批判が展開する。
「国家有事の際には、特攻の後に続く」と言う想いから、飛行機の操縦訓練を開始した私を見て、元特攻隊員の社長のN氏が「これは、危ない」と察知し「森本氏と対峙させなければ」と思われたのが、例の「幻の一席」に繋がった、ということが分かる。
参照:森本忠夫on the web No.1
参照:森本忠夫on the web No.2
参照:森本忠夫on the web No.3
参照:森本忠夫on the web No.4
N社長の葬儀の時にちらりとお顔を拝見した。それだけだ。データーと数字を縦横無尽に活用した高度な分析的経済論は、近寄りがたいだけでなく、なにかしら違和感があった。森本氏の特攻論も、あたかも企業経営分析のように数字が何よりも明確に論理を構築する。「永遠のゼロ」の中の森本発言と思われるものに、反論する気持ちは全く無い。事実に基づいているからだ。人命軽視だけでなく軍隊と言う組織そのものも、矛盾だらけで、作戦も場当たり的で稚拙だ。けれどもそれは、データーと数字があるからこそ、今になってわかると言うものではないだろうか。経営工学のような戦史分析が明らかにするのは、後の祭りの事実でしかない。全体を把握し、ゲイムプレイヤーのようにすべての駒を自在に動かせる司令官など存在し得なかった。出撃を命じた上官殿も、命じられた特攻隊員も、時代と場所と、その閉じ込められた風景の中の、小さな部分でしかなかったのではないか。命令系統の中の個人に対し名指しで憎悪を向けるのは間違ってはいないか?戦闘行為の中に於いては、個は埋没しているのだ。しかし。
若い命を無意味に死に向かわせる、特に特攻隊末期の現状の中で「こんな国などいっそ滅びてしまえ!」と言う叫びが小説の中でこだまするシーンがある。これが森本氏の叫びだとして、私はそれに反論するつもりは全く無い。大きなテーマだと思う。

森本氏に関しては、氏の特攻論及び百田氏の「永遠のゼロ」の及ぶ範囲に限定しています。彼の他の著作、及び特攻体験から波及したと思える太平洋戦争解釈は、別の機会に時間があれば触れたいと思っています。今森本氏の「貧国強兵ー特攻への道」を手にしていますが、今書き出すと大事(おおごと)になりそうなので。
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参照:Tel Quel Japon過去記事:
ガダルカナルの激戦 Film&資料

百田尚樹さんが語る 永遠のゼロ You Tube

・・・・・追記:2011年4月22日・・・・・
「永遠のゼロ」の人気に驚いている。これだけ古い記事なのに、この記事へのヒットが最近一番多いような気がする。

・・・・・追記:2011年11月13日・・・・・
最近でもやはり引き続きこの記事へのヒットが一番多い。
そこで、誇り~伝えよう日本のあゆみ~をここにリンクすることにしました。初めて日本の近現代史に興味をもった若者たちに心を込めて贈ります。誇り~伝えよう日本のあゆみ~この国に生まれて

・・・・・追記:2012年7月24日・・・・・
Japanese kamikaze squad (WW2) "Tokkotai"
【靖国神社】特攻隊員の遺書【太平洋戦争】

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Owen Lattimore-3 中国と私

Owen Lattimore
(L to R) Claire L. Chennault, Professor Owen Lattimore and Generalissimo Chiang Kai-Shek leisurly talking and relaxing at Chiang Kai-Shek's home. February 1941, Chungking, China.
シェンノートと蒋介石にはさまれて、何をお話でござるか、Owen Lattimoreセンセ。
Owen Lattimoe-1に置いたOwen Lattimoreの2本のVideo、YouTubeで見つかったので、ここに再度置くことにします。
Owen Lattimore-1 : Owen Lattimore-2 Interview
かなり高齢(1983)できわどい話はしていないが。
これも再度:参照:Notes on Owen Lattimore:
怪しげな人物をたどるとしばしばここに到るJOHNS HOPKINS大学。Lattimoreもここで教えていた。その大学のmagazineにLattimoreのことが出ていたのでリンクします。スパイ容疑や偽証罪に問われた事件に触れている。
Owen LattimorerにふれたペイジにTrackbackしてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1966年から1989年のLattimoreの死まで、Lattimoreと共にモンゴル研究を行った日本人女性、磯野富士子氏の存在を知った。1992年9月20日みすず書房刊「ラティモア 中国と私」を今手にしている。この本はラティモアが自分で書いたのではなく、口述したのですらない。「オーエン・ラティモアが何をどのように覚えていたか」の記録に過ぎない、と訳者あとがきにあるように、編集、翻訳、企画、出版何から何まで一手に引き受けた磯野富士子氏の労力の結集である。英文の原本「CHINA MEMOIRS-Chiang Kai-shek and the War Against Japan」もCompiled by Fujiko Isonoとなっていて,東京大学出版会から出版されている。1963年~70年までLattimoreはリーズ大学中国学部学部長であり、磯野氏はリーズ大学で講師をされていたので、お互いモンゴル研究家としての出会いがあったのだろう。つまり66歳以降のLattimore氏だけが、磯野氏の頭の中にあるのだろう。IPRやらゾルゲ事件やらOWI(戦時情報局)やら日中戦争やら、日本の戦後処理やら、マッカーシーやらマッカランやら、のLattimoreがLattimore自身にも他人事のように感じる頃に、磯野氏はLattimoreに偏見なく出会われたのだろう。Lattimoreが強い反日論者だったともしご存知なら、とてもこのような労は取れないと思うからだ。

追記:2009年7月24日
Owen Lattimore のお仲間風人物の紹介
1.Anna Louise Strong
資料1. 資料2. 資料3. 資料4.. 資料5
Witness to Revolution:
The Story of Anna Louise Strong 4:40
2.Nym Wales(Helen Foster Snow)
資料1

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James Forrestal (8): MJ 12

We are not alone. 44:57 =We are not alone. 44:57
左右好きな方で御覧下さい。Forrestalの死に関連して。

Forrestal & Mj12

First Victim of the Cover-up: James Forrestal
From Truman to Forrestal: Please read this paper.
Majestic Twelve: Perfect Page:
The Majestic Documents:
The death of James Forrestal & MJ12 :

そんな馬鹿なと思っていたのは、単なる情報不足-1?
追記:2009年9月13日
やはり怪しいForrestalの自殺説

/////追記:2011年9月2日/////
参照:MJ12 UFO 地球外生物 :

/////追記:2012年1月10日/////
MJ12は雑誌「ムー」のような世界、つまり子供の読み物と思われがちだが、地球外生物及びUFOに関して、国連で調査機関を立ち上げようと真剣に検討されたことがある。
The United Nations and UFOs
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 &

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James Forrestal (7) Operation Artichoke

Code Name Artichoke
(CIA Secret Experiments On Humans)
Operation Artichoke: Dr. Frank Olson and the CIA
52分24秒の映像を見つけた。クリックして御覧下さい。
Dr. Frank OlsonはJames Forrestalと同じ死に方、殺され方をした人物として、どちらか一方の死が話題になると必ずもう一方の死が登場する。それほど状況が似ている。何故殺されたか、一方を探れば、もう一方の死が解明できるのではないかと、考えられている。
(Operation ArtichokeとJames Forrestalとの直接の関係は無い)
飛び降り

参照:ビルから飛び降り、に関する疑惑ペイジ
参照:The Defenestration Trilogy 
Frank Olsonが主人公のオペラ
参照:Timeline of A Mysterious Universe
参照:Mind Controllers
参照:マインド・コントロール
参照:THE CIA MEMORY HOLE
参照:Monarch One 45min

知っておいたほうがいいプロジェクトの名前の一部:
Project BLUEBIRD : 映画制作
Project ARTICHOKE 
Project MKULTRAVideoMKULTRA 1950's (#7)
・・・・・・・・・・・・・
Tel Quel Japon 過去記事: Forrestalの死に関連して
Tel Quel Japon 過去記事: Forrestalの死に関連して
Tel Quel Japon 過去記事: Forrestalの死に関連して

・・・・・追記:2011年2月1日・・・・・
上の最初の映像と重なるかもしれないが,今日改めてCIA: Secret ExperimentsをYou Tubeで見てFrank Olsonの死がJames Forrestalの死とあまりにも似ているので驚いている。これを見る限り、James Forrestal他殺説が俄然真実味をおびてきた。Forrestalは口封じのために殺された、と思ってほぼ間違いないだろう。
CIA: Secret Experiments Part 1/5
CIA: Secret Experiments Part 2/5
CIA: Secret Experiments Part 3/5
CIA: Secret Experiments Part 4/5
CIA: Secret Experiments Part 5/5
げに恐ろしいものを見てしまった。


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田中上奏文(3) 関連プロパガンダ映画3本

百歩譲って仮に田中上奏文の原文に近いものが、日本政府内の役人の引き出しにあったとして「それがどうした。何か用か、9日10日」と言う類のものだと私は思う。その扱い、どう膨らますか、公表のタイミングを何時にするか、どの国にするか、どのように利用するか、どの方向で騒ぎ出すか、時間をかけて作戦が練られたものだと思う。仮にうまく紙媒体で公表しても、読むのはインテリだけだ。日本軍凶悪説の世論を世界的に喚起するには、否もっと深読みすれば、開発中の原子爆弾を使用するに際して、良心が痛まないほどに人種的劣等かつ凶悪であると言うところまで仕上げる為に、田中上奏文の利用が検討されたのではないか。残念なことにアメリカのこの刷り込みは、階層を問わず貧富を問わず、他の何国人でもない、多くの日本人にこそ現在もなお、行き渡ってしまっている。従ってプロパガンダ映画として、しっかり分析的に読み取ることの出来る覚醒した方達に、出来たら見て頂きたい。田中上奏文そのものを核として扱っているPropaganga Films3本を今日は丸々お届けします。

Propaganda Film 1
The Battle of China : 1時間4分31秒 : Wikipedia :
参照Blog : 国際金融家:The Battle of China :
参照Blog : 国際金融家:アメリカ軍の戦争犯罪 :
参照You Tube: なぜ南京大虐殺は捏造されたのか? :

Propaganda Film 2
Prelude to War (1943) : 52分21秒 : Wikipedia :

Propaganda Film 3
Blood on the Sun  :1時間31分51秒 : Wikipedia :

特にある種のアジア人の前に出ると、日本人であることにおどおどする人がいるが、そんな人たちはこれらの映画を見て、やっぱり学校で習ってきたこととそっくり同じだと感じるだろう。何かを確信・追認するかもしれない。でもよく考えて欲しい。これは何年ごろのどんな時代の話なのかと。こうも時代が離れているのに、アメリカのプロパガンダ映画自分の頭の中身がしっかり同調しているのは何故なのかと。

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日本を扱った映画で思い出した。1961年に「Bridge to the Sun」と言う映画があった。Gwen Harold Terasakiの1957 の自伝「Bridge to the Sun」をベイスにしている。
参照:Bridge to the Sun
参照:Gwen Harold Terasaki, Author, 84
1980 新潮社から出た柳田邦男の「マリコ」と言う本がベストセラーになった。ご記憶されている方も多いと思われる。マリコは真珠湾攻撃の時ワシントンにいたあの有名な外交官寺崎英成とその妻Gwenの娘である。そして上の映画は彼ら家族の物語だ。
参照:マリコ 1マリコ 2マリコ 3
参照:Tel Quel Japon過去記事:追記の部分にある「ルーズベルトから天皇陛下への親書」の中で寺崎英成とそのアメリカ人の妻Gwenが活躍したのを思い出した。

2009年7月26日:追記
それにしても宣戦布告遅延問題のひとつに挙げられる寺崎英成の送別会、納得できない。日米両国ピリピリものなのに、在米日本大使館だけ、なぜ気が抜けたサイダー状態だったのか。写真を見ても全員催眠術にでもかけられているかのような、緩んだ顔である。FBIに寺崎はマークされていて、いまだ未公開の「寺崎ファイル」なるものがあるらしい。大失態なのに、大問題になっていないのも不思議だ。

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田中上奏文(2)

前ペイジに書いた、ハーバート・ロマーシュタイン氏を通した前田徹記者の間接取材により判明した、トロツキーの証言は、Wikipediaにも出ているが「なったというものである」「ほとんど取上げられることはない」等と書かれている。トロツキーの記述そのものを、見た上での記事ではないためだ。Trotsky自身が暗殺された1940年に、自分が15年前に関わった田中上奏文の重要性を思い出し命が狙われる中で意を決して書き記したものを、それではお見せしよう。
3,2,1、これだ!
この直接資料から判断すると産経新聞の「田中上奏文は、盗み出した文書を土台に27年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している」という結論を導くのはかなりの無理がある。Dzerzhinskyが持ち込んだ上奏文そのものにTrotskyは当初幾ばくかの疑念を感じてはいるが、クレムリンに於ける捏造はTrotskyの文章からは微塵も感じられない。
暗殺未遂のあった1940年5月田中上奏文について触れたTrotskyが書いた手紙も付しておこう。
3,2,1、これだ!
I need an investigation of the fate of the document in the American press: the date and the place of the first appearance; the reaction provoked by the document in the press and public opinion; the discussions about its authenticity, etc. I would even need the English text of the document itself.
15年前自分が誰よりも最初に計画したアメリカでの公開が、その後実際何時、どのようになされ、どのような反響を引き起こしたのかを知りたがっている。
参照:Art Blog: Ceci n'est pas une pipe:Trotsky暗殺の記事 
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参照:田中上奏文に関して現在受け入れられている様々な見解をまとめたペイジを紹介しておく。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion07b.htm#_第1章_日本悪玉説のもと、『田中上奏文』_1
参照:田中上奏文とリットン調査団:
http://www.world-reader.ne.jp/renasci/history/okazaki-060120.html
アドレスをアドレス欄に入れて御覧下さい。
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Carl Crowを知るCarl Crowをより良く知る
Carl Crowの手になる田中上奏文 そのⅠ
さらにもう一人の手が加わった田中上奏文 その2
Trotskyが手にしてから、再び思い出すまで15年の年月が流れている。その間もぐら叩きのように顔を出しては、引っ込んでいた上奏文がそれなりの解説と意味を付加され、繰り返されるチャイナ・ハンドのプロパガンダにより恐ろしいまでに成長してしまった過程は、南京大虐殺と呼ばれるものに類似している。むしろ二つの悪のイメージは相乗効果をもって、世界の人々の脳にウイルス的に繁殖してしまった。
その結果が2009年の今日、アメリカでも日本でも中国でもロシアでもない、ヨーロッパで、ドイツで、ドイツ語のエンタテインメントとなってこんな形で表出している。John Rabeが英雄だなんて、全くいい加減にして欲しい。Shame on you! You Producer!
John Rabe1 : John Rabe2 : John Rabe3 : John Rabe4
John Rabe5 : John Rabe6 : John Rabe7
暇つぶしの娯楽映画として見る分には、面白そうなんだけど。困ったものだ!Merde!

追記:2009年5月10日
この映画に関してちょっと日本のBlogを クリックしてみたが、John Rabeは南京のシンドラー様という扱いで、村山談話をお守りのように懐にしのばせる、の図、みたいな、内容ばかりだ。
せめて、こちらを読んでバランスのとれた視点を持ってから(背景を考慮してから)映画を見るべし、映画について書くべし。
参照:桜井よしこ Blog この内容は「諸君」廃刊号の大型座談会に於いても、しっかり発言しておられる。
日中戦争とは単なる日本とシナの戦争ではなく、(見えない部分に於いては)シナを争いの場とした、列強各国総出の、勢いのある日本に対する集団虐待だと言うことを、日本の子供の教科書に明記して教える必要がある。
田中上奏文や南京大虐殺云々は、未だに100%機能している諜報戦によるその虐待の残骸なのだ、と言うことをこのBlogでも少しづつ証明していこうと思っている。
そうすれば、1932年12月8日松岡洋右がジュネーヴでした「十字架上のイエス」の演説が、その演説の本意が、現代の日本人にも理解されるようになるだろう。この演説は当時の国際社会における日本の立場を理解するには最重要の資料だと考えている。私は英文和文両方のFull Textを所持している。長い演説ではあるが、その資料を分析・検討して、その辺りをいつの日か今一度明確にしたいと思っている。
参照:あしたね年表
参照:日本近代史勉強メモ
・・・・

記事をまとめるために2009年5月10日の記事をBlogTopに移動したものです。

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Owen Lattimore(4) : 宗家の3姉妹

Lattimore & MacArthy
Lattimore(左下)McCarthy(右上) お互い口をきく事も眼を向けることも無く。Lattimore、人生の正念場だったSeeing Red 誤解だとして、誤解を受けるに充分な行動・体験をしたことにはじめて気づいたOwen Lattimore
日本人の眼から見れば、最後の最後にスパイの身分があばかれて南米に逃走したロークリン・カリーの発言・行動とほとんど双子のようなOwen Lattimoreなのだけれど。どこが違うのだろうか。
日本人の眼から引用: 冷戦

 オーエン・ラティモアは1941年11月~12月の時期、ルーズベルト大統領の個人代表として、重慶政府の蒋介石のもとに顧問として派遣されていた。そこで彼と共に日米開戦に向けて大きな役割を果たすのが、コミンテルンのスパイ・エージェントであった中国担当大統領補佐官のロークリン・カリーである。カリ-は、第二次大戦中から戦後にかけてアメリカ国内で活躍していたKGBやGRUの工作員とモスクワ本部の電信を傍受した記録、通称「VENONA文書」が1995年に公開され、ソ連のエージェントであったことが確証された。
 開戦直前の昭和16年11月、日米交渉は、日本が開戦回避の為に提案した「Z案」の条件で合意する可能性が出てきていた。交渉状況を逐一知る立場のカリ-は「このままでは日米戦争にならない」と慌て、日米交渉妥結の流れを消す為に重慶のラティモアに電信を打つ。カリーの秘密指令に基づいてラティモアは蒋介石に「日米合意が実現すれば、中国の戦線は一瞬にして崩壊し、中国人は二度とアメリカ人を信頼しなくなるだろう」と強い調子でルーズベルトに交渉を妥結しないように迫る電文をホワイトハウスに送らせたのである。 蒋介石からルーズベルトへの電信は最低でも二通が送られたことが明らかになっている。その日付は11月24日、25日。アメリカから日本に向けての最後通牒となった「ハル・ノート」が出されたのが26日であるから、ギリギリのタイミングであった。
 もしもラティモアが重慶におらず、蒋介石にリアルタイムで日米交渉の状況が知らされなければ、日米交渉はギリギリのタイミングで妥結していた可能性は大きかったと思われる。中国共産党と繋がるラティモア、コミンテルンと繋がるカリーの連繋こそ、「日本滅亡」への引き金を引いた恐るべき対日謀略の工作線だったのである。


ラティモア自身の報告はルーズベルトに届けられる前にすべてロークリン・カリーひとりの独占となったと、ラティモアも「中国と私」に書いている。二人は2国間のパイプの両端であった。

2009年7月13日:追記
Lattimore「中国と私」P.186&P.187
「私からカリーに宛てた電報の実際の機能は、私自身の意見を表明するものではなく、蒋介石の見解がどうであるかを、カリーを通してルーズベルト大統領に伝えることであったのだ」と上の引用部分の自分に対する疑惑を否定、弁明している、が。
Lattimore「中国と私」P.187
「日本の陸海軍内部の強引な分子が、今こそ、ヨーロッパの戦争とナチスのソ連攻撃に乗じて、太平洋地区の英国・オランダ・アメリカの所有する植民地や半植民地に対して、日本自身が乗り出すときであるとした、と考える方が妥当であろう。日本は既に1941年7月以来、仏領インドシナに強固な地位を築いていたのであった。」という自身の考えを述べている。この考えがカリーによって増幅されルーズベルト大統領に伝えられた、とする上の引用部分にこそ理があると思える。上の引用に書かれている蒋介石からルーズベルトへの電信は作Lattimore,脚色カリー、だと言うことを、自ら断言し、結果として上の引用文の主張が、どんぴしゃり的を得ていることを、いみじくも証明する結果となっている。
またLattimore「中国と私」P.81では編集していたIPRの機関誌「Pacific Affairs」に関して「親日的な論文より反日的なものをずっと多く掲載していた。北京を日本がコントロールする体制の下では、編集の仕事ももう長く続けられないのは目に見えていた。」と反日ではないと言いながらも反日的態度を露にしている。何故そこまで、と思うほどにである。松方三郎や近衛文麿をはじめとして「日本のインテリの中には、マルクス主義について豊富な知識をもつ、影響力のある重要な人物が少なくない。P.82」と言う確信が彼にはあり、むしろ彼の知る多くの日本人との共感を強めるために、こういう態度を固めたのではないかとも思えるくらいだ。

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宗靄齢、宗慶齢、宗美齢の三姉妹 長女は大財閥の御曹司・孔祥煕と、次女は革命家・孫文と三女は若き軍司令官蒋介石と結婚。
映画「宗家の3姉妹」:
参照:The Soong Sisters No.1: No.2 : No.3
参照:Wikipedia 孔祥熙 : 宋子文 :

追記:2009年7月13日
Lattimore「中国と私」p.264

1949年の12月、遂に蒋介石と国民党員達が台湾に避難しなければなら無くなった時、「アメリカをして中国を失わしめたのは誰だ」と言う問いが、熱を帯びた議論の的となった。まるで中国がアメリカに属していたことがあったかのように。


唸ってしまうほどの鋭い指摘である。Lattimoreならではの鋭さを感じたが果たしてそうだろうか。Lattimoreは蒋介石の私的顧問ではあったが、Lattimoreにとって国民党とは終始日本と闘うための組織でしかなく、彼の敬愛するChinaは紛れも無く中国共産党であることは、この本を読んでいると強く感じる。だからこそ、この鋭い指摘がLattimoreには可能なのだ。宗家の3姉妹のなかで、彼が好意的に書くのはただひとり宗慶齢のみである。Smedleyを初め彼の筆で好意的に描かれるのは中国共産党側の人物ばかりである。
Lattimore「中国と私」p.240
ゾルゲ事件に関してウィロビーに公聴会に引っ張り出されたことにも、p.240でほんの少し触れている。Lattimoreは憤慨しているが彼の言動、人的接触、そしてその成果から判断して、ウィロビーの着眼こそむしろ理の当然である。
参照:Tel Quel Japon過去記事:陳翰笙

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BBC MacArthur's Baby 2003

BBC Radio 4 MacArthur's Baby :
Originally broadcast in the UK on March 14 and 21, 2003, this acclaimed radio documentary written and hosted by Ian Buruma takes a look at "a vivid cast of characters from the Occupation years: among them jazz singers, filmmakers, idealistic reformers, secret revolutionaries and ruthless gangsters."
2本で1時間弱の放送。野坂昭如、ペギー・葉山, Masumi Muramatsuサイマル出版社と関連の深い人だ)、安藤昇、篠田正浩、加瀬英明(貴重なリンクをはりました。御覧下さい)ほか多くの日本人が登場する。敗戦によって日本がどのように変化していったのか、どの方向から聞いても、何かしらの発見があるのではないだろうか。戦後生まれには映画や本でしか知らない日本の敗戦後の一部をBBCがBBC流につまみとってみせた、貴重な番組だ。
番組の中でCharles Willoughbyの名がマイナスのイメージで出てくる。日本占領時にCharles Willoughby がいなかったら、恐ろしいことになっていた気がするのだけれど。朝鮮戦争勃発はそう言った意味でも、占領軍及びアメリカ合衆国を覚醒させた。
ところで一昨日「ウィロビー回顧録ー知られざる日本占領」昭和48年8月番町書房刊を入手した。「GHQの内戦」という章があって、p.160-左翼主義者の浸透、p.183-ホイットニーとの対立、P.186-あいつぐ不当な干渉、という小見出しからなっている。この章だけでなく全般的に、敵が多くて正しく理解されなかったCharles Willoughby の悪戦苦闘ぶりや屈辱的体験に心を打たれた。
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参照:Ian Buruma : site:
平均的西洋人Journalistというところか。
参照:Ian Buruma discusses A Murder in Amsterdam
Read the Page : Watch the Video 56:18:
この事件は知らないが、有名な画家の名前があったので置いてみた。子孫らしい。Ian Buruma氏のまずはお顔拝見というところ。中国、日本、そしてイスラム関連が得意分野のJournalist。これからもどこかで再会するだろう。
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このペイジの制作過程で大変参考になるVideoを見つけた。日本の現状を考察すれば、まさに正論だと言うことが分かる。
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」1/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」2/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」3/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」4/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」5/6(H19.1.27)
討論「日本と国際インテリジェンス戦争」6/6(H19.1.27)

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松方乙彦・松方三郎 系図3

参照:系図3
   牛場友彦、松本重治はゾルゲ事件の朝飯会の人たちでは。
参照:History of the Japanese at Harvard

Among these students was Matsukata Otohiko '06, known by his classmates as "Oto," who was a member of the Delphic Club along with Franklin Delano Roosevelt '04. 

   産経新聞の「ルーズベルト秘録(上)」P.242からの章に「わが友オトヒコ」として詳しく紹介されている松方乙彦はルーズベルトの従姉妹ローラ・デラノと一時は結婚を約束するほどの親密な関係だった。松方家の名家ぶりは上の系図3をクリックして下さい。

参照:SAMURAI AND SILK
By Haru Matsukata Reischauer、の書評

We meet, for example, Matsukata's sixth son, Otohiko, a gregarious member of the Hasty Pudding Club at Harvard, where he became friendly with Franklin Delano Roosevelt. ''Oto,'' as Roosevelt and other friends called him, later tried to plead for peace over tea at the White House, when all his Government in Tokyo was thinking of was war.

We also meet Matsukata's third son, Kojiro, who made a fortune during World War I selling battleships from his Kawasaki shipyards to the British.

It would have been interesting to know, for instance, just how Saburo, the young admirer of Marx and Engels, made the transition to being a food-loving propagandist in wartime China. Perhaps he was forced. Perhaps he found it quite easy, like many Japanese intellectuals, to switch from left to right and, after 1945, back to left again, because both the Marx boys and the ''guardians'' of China were essentially anti-Western.

   今読んでいるOwen Lattimoreの「中国と私」のIPRに触れた部分に松方三郎がIPRの日本評議会のなかで特に記憶に残る「三銃士」の一人として名前が出てくる。他の2名は松本重治、浦松佐美太郎となっている。また「中国農民と日本の侵略」の項目では、Owen Lattimoreは松方三郎の取り計らいで近衛文麿公爵に会っている。その場に岸信介が登場してLattimoreと意見を衝突させる場面がある。近衛文麿公爵は、この場に於いてLattimore側に立ち、ほとんど尾崎秀美を連想させる態度を示す。だからと言って、ここまでは認めるがここまで結論を出すつもりはない。(参照:近衛文麿) 共産主義にかぶれスパイと議論・同調・接触していたとしても、スパイ活動をしていたわけではないのだから。

The book ends with another illustrious relative, Nobuhiko Ushiba, former Ambassador in Washington and Minister of External Economic Affairs. In the late 1970's and early 80's he became well known as the chief Japanese negotiator in trade delegations.    

PRINCE MATSUKATA was presumably not one of those militarists. In fact, Mrs. Reischauer says his views on international affairs in 1916 were ''relatively enlightened and perspicacious.'' While indeed criticizing the Japanese for exploiting China, he also said that ''the problem is how Japan, as the leader of the yellow race, can execute her heaven-bestowed duty. . . . Japan will become the leader of East Asia, first guarding China and then the other countries of East Asia, gradually letting East Asia govern East Asia and making unnecessary the interference and pressures of the white race.''


参照:松方家参考資料:(松本重治
参照:これの関連記事にあちこちで時々出会うようになった。名家が接触すると結果的に外交になると言うことは充分ありえる。なにもフリーメイスン説で取りまとめる必要は無い。としてもこれらの事実関係は先入観なしに検証し押さえておく必要がある。国家間の動きがよく見えるからだ。ただ一族にしても一個人に於いてさえ、思想や嗜好で全体の方向性を固定したり、統一結束されたものとして解説を試みようとするのは、面白いことは面白いが、所詮不可能かつ無意味なことなのだ。 
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参照: By order of the President :
FRANKLIN ROOSEVELT が日本人・日本国をどう取り扱ってきたかが、よく分かる。FRANKLIN ROOSEVELT 悪玉論である。

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Evans Carlson & Guadalcanal

Carlson & Smedley
「Tel Quel Japon」の「Agnes Smedley-資料室」にEvans Carlsonが初めて登場した。上の写真はAgnes Smedley speaking at a memorial service for Evans Carlson in New York on 25th January 1948. という説明にある通りAgnes SmedleyとEvans Carlsonのポジションの近さを物語っている。もうひとつAgnes Smedleyのリンクの中にDepressed by the smear stories and the early deaths of her close friends, Joseph Stilwell and Evans Carlson,( Agnes Smedley)とあるようにこちらでも両者の位置の接近を教えている。(追加情報:二人は恋人関係にあった)
そこでEvans Carlsonを調べてみた。
Evans Carlson 1& Evans Carlson 2
そしてMarine RaidersGung Ho! (1943 film)が関連記事として繋がった。
You Tubeでこの映画を少し見る」ことにした。
Gung Ho! film 1943 No.1 : No.2 : No.3 :
このCarlsonはSmedleyのようなスパイではなくて、あのガダルカナルの戦場であちら側から日本兵を殺戮していたのだ。

参照:アメリカ合衆国海兵隊研究サイト
参照:Guadalcanal Campaign:
以下はガダルカナル激戦ドキュメンタリーである。国の為に闘う真の英雄達の姿である。感動で言葉も出ない。特に日米両国のご遺族の方々に深い誇りを届けるfilmであると信じたい。

Lost Evidence "Guadalcanal"  1
Lost Evidence "Guadalcanal"  2
Lost Evidence "Guadalcanal"  3
Lost Evidence "Guadalcanal"  4
Lost Evidence "Guadalcanal"  5

以下もまたガダルカナルに関する大変貴重な資料だ。
The Japanese Ships of the Guadalcanal Campaign
Naval Action photos of the Guadalcanal Campaign
Guadalcanal Photo Gallery - The Leaders
Guadalcanal Air War Photo Gallery

追記:2009年7月3日
その1.上に紹介した映画のタイトルにもなっているGung hoという英単語、80年代に普通名詞になっていて、忠誠を尽くす、と言うような意味で、本来は中国語の工合から来ている、と言うことは学んで知っていたが、そもそもはEvans Carlsonが海兵隊で使用し始めた標語だとは、知らなかった。
その2. 産経新聞の「ルーズベルト秘録」のルーズベルト政権の相関図で大統領個人代表のところに、日中戦争視察特使として、Evans Carlsonの名が出ている。この辺でスメドレーやロークリン・カリーと接触しているのだ。ただ、この本に於いて大統領個人代表のところにOwen Lattimoreの名前が無いのはどうしてだろう。なぜなら後に詳しく書くが、Owen Lattimore自身が「中国と私」の中で、、ホワイトハウスから直接電話があり、カリーやらルーズベルトとの面接の後、ルーズベルトの指名により、蒋介石の私的顧問に選ばれた経緯を詳しく書いている。スメドレーをスティルウェルの私的顧問に派遣したのと同じような感覚で、蒋介石の為にOwen Lattimoreを派遣したのだろう。皮肉なことに派遣された二人はともに、シナの現状に憎悪を示し、毛沢東側に肩入れしていく。Evans Carlsonの名高いCarlson Raiders作戦も毛沢東側の共産軍のゲリラ戦法にほとんどそのアイデアを依存していると言う。
いまここで書くのはまだ時期尚早だが、日中戦争当時中国に派遣された欧米のジャーナリストや知識人たちの多くは、国民党によりその地位の安全優遇のみならず多くの金品とマンツーマンで(個人的に専用の)女をあてがわれている。深いところでは、極論すると蒋介石の中国の上層部はルーズベルトの出先機関のようなもので、半分近くの利害関係は合衆国と一体化していた。残りの半分の利害関係の離反のために、命令系統や行為目的に混乱対立が生じ、それを乗り越えるため共通の敵、幻想のファシスト国家、悪魔のような大日本帝国のイメージを必要な憎悪の対象として創作していくのだ。その過程で、シナ人民の悲惨な生活現状を見聞し、行為の自己矛盾に直面し、Smedleyのようなジャーナリストやラティモアのような中国の専門家達は仲間達とともに幻想の中で覚醒し、巨大な理想と理論的根拠をもとめて、蒋介石を踏み越えた向こうに毛沢東を、スターリンを見出し、極端な貧困からの全人類の解放を求めて、認知錯乱のまま何でもかんでも人民解放軍と名のつくものに向かって心ときめかせ、手を振りながら、気づかぬままに祖国さえ裏切って駆け寄って行ってしまうのだ。国境を越えた仲間達とともに。

・・・・・追記:2012年11月5日・・・・・
なかなか意味深い写真だ。何を読み取りますか?
Edgar Snow(left)and Evans Carlson - Phillippines - 1940
Edgar_Snow_Evans_Carlson_Philippines_1940.jpg

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