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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

Allen Dulles 3 : His talk

The Role of Intelligence in Policy Making by Dulles
こう言うものが手に入るとは思わなかった。54分52秒
うとうとしながら聞いていたら、第一次大戦中、スイスにいる時に、スイスに亡命中のレーニンが革命の起きたロシアに戻るためにアメリカの協力を求めて来たが、風采があがらない男だったのでDullesはテニスにいくために断った、というエピソードを紹介している。Dullesは大きな力強い声の持ち主で、性格も明るく闊達なようだ。Kennedyに絡んでの暗いイメージは吹き飛ぶ講演だ。
さらに他でもないこのDulles氏、23分~26分にかけての部分で、特に秦氏の耳に届けたいことを言っている!パール・ハーバーに関しては、情報が不足していたのではなく、情報を活用できなかったのだと。われわれは全部とは言わないまでも大部分の日本のコードを読み取っていた、と大きな声で明言している。日時と場所をピンポイントで把握していたわけではないが、奇襲に慌てふためかないだけの準備をするに十分な情報は読み取れていたが、それを活かせなかったと。勿論米兵に対する裏切りなどはなかったが(当然そういうだろう。他にどう言えというのか)情報をまとめて活用し実行に移すCIAのような組織がなかったので、みすみす解読した情報を活かせなかったと、繰り返し述べている!元CIA長官の発言に「自分の専門に戻りなさい」と言う度胸があれば、話は別だが。
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テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Allen Dulles 2: Operation Paperclilp

Conspiracy: The CIA and the Nazis 44:24
文章タイトルよりもはるかに内容が深く広くなっているfilm.
両頬をビシバシと打たれた思いがする、よくできた2004年のfilmだ。下線部をクリックして御覧下さい。あちこちで読み漁ってきたもののある部分がここにまとめられている気がする。3月にJosef Mengeleの物語を読んだが、ナチの残党が何故逃げ遂せたか、の謎が解けた。このfilmに出てくる人名に関して時間があれば、一人一人検証を加えたいのだが、何時になるか定かでない。filmの内容を完全に咀嚼するまで、時間と集中力が必要だ。このまとまりは様々な歴史の流れに拡散してリンクしていくことになるだろう。

Allen Welsh Dulles -
Lawyer; OSS Top Officer; First Head of the CIA
これを読み始めると視力を極端に低下させるか体調を崩すだろう。それほど整理されていてしかも拡散してゆき、結果興味が止まらなくなってしまうからだ。

○ UK 'fears' over German scientists
○ Project Paperclip: Dark side of the Moon
○ Operation Paperclip

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Allen Welsh Dulles 1 : OSS

JFK & Allen Dulles
上の写真は1961年11月28日 JFK&Allen Dulles
OSSAllen Welsh Dullesを調査中に以下の映画を見つけた。

(1).The Good Shepherd
映画評 YUKAの気ままな有閑日記
内容が詳しいWikipedia: The Good Shepherd:
Edward Wilson, the character played by Matt Damon, is based at least in part on James Jesus Angleton, the long-serving director of the CIA's counter-intelligence staff who also fell victim to intense paranoia during his career, and covert operations specialist Richard Bissell. Bill Sullivan, the character played by Robert De Niro, is based on William Stephenson and William Joseph Donovan. William Hurt's character Phillip Allen is likely based on former CIA Director Allen Dulles.High-ranking British operative turned Soviet mole, Arch Cummings, bears some similarities to Kim Philby
Charlie Roseの番組に登場した映画関係者たち:
The good shepherdの歴史上の整合性に関する座談会:
映画の背景にもなっているBay of Pigs Invasion
その奥に隠れているBay of Pigs leak
簡潔かつ正確なAllen Dullesの紹介

(2)ヒトラー暗殺計画に関するTel Quel Japon過去記事
少し振り返ってみよう。List of members of the 20 July plot
GのところのHans Bernd Gisevius (1904-1974) に注目していただきたい。Wikipedia : Hans Bernd Gisevius:
反ナチで、ワルキューレ作戦の実行犯でもあったギゼヴィウスはZürichにいるOSSのDullesにヒトラー暗殺計画の支援を求めてきた。ナチの中の反ナチ勢力はアメリカに計画を打ち明け支援を求めていたと言うわけだ。記憶に留めていただきたいのはDullesがそういう立場にいたと言うことと、GiseviusであれDullesであれ、諜報活動(諜報員)とはある意味超国家的であるということだ。それを容認しまた協力し合う。二重スパイが驚くほど多いのも、内部告発や寝返りが多いのもそのためだ。そこにスリルとサスペンス、ドラマが生まれ、歴史が展開する。大作家の中にもスパイを兼業した人物がいるものそのためだ。思いつくままに名前を挙げると、Ian Lancaster FlemingWilliam Somerset Maugham Graham (Henry) Green等など。そしてまた、優秀な重要なスパイは、驚くべきことに必ずと言っていいほど、スパイ活動告白手記を残している。凡人には計り知れない、麻薬のような強烈なプライドと高揚感を伴う職業なのだろう。ところでワルキューレ作戦に関して言えば、結果は大失敗に終わる。Giseviusに協力すると言うよりも、実はDullesの方にも、反ナチに協力してなるべく廃墟にせずにドイツの戦争を内部から終結させたい意図があったのだが。

(3)実際顔もよく似ている。Allen Welsh Dullesの兄は日本人の耳には政治家としてはKennedyの名よりも深く残っている国務長官ダレス、John Foster Dullesなのだ。日本の戦後を語る際吉田茂を外せないように、吉田茂を語る際、John Foster Dullesに触れないわけにはいかない。この人物はアメリカの政治家として大活躍したので、彼の資料の中では日本の復興・独立・戦後に関しては重要視する余白がないくらいだ。従って日本のBlogとしては、John Foster Dullesの存在は吉田茂との関連で見るのが最善と判断した。
吉田茂 ~「日本独立」 その光と影 全6話55分36秒
その後の年月を含めて再考することを厭わなければ、現在・未来の日米関係を考えるにあたって、この戦後の復興の旅立ちを見るのに55分36秒を今費やすことは、決して時間の無駄にはならないだろう。Kennedy家も名家ならば、Dulles家も名家である。上の写真からも分かるように両家の関係は代々密接にして良好である。興味のある方は、その方向から光を当てて切り込むのも面白いだろう。

(4)Dulles日本語Wikipedia :
Kennedy大統領暗殺の日本語Wikipedia :
上の後者にDullesの名前が出てくる。日本のサイトではこのイメージが強いが、すべて同じ間違いが同じ文章でかかれている。複数の人間が同じ本を丸写ししたものだと思われる。アメリカのサイトを総合判断すると、この説にはほとんど根拠がないことがわかる。この説とは「解任されたことを根に持った元CIA長官のアレン・ダレス主犯説」のことである。

(5). Allen Dullesに関する疑惑 : 残念ながら途切れている。

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Kim Philby (2)

Kim Philby
Kim Philby file : No.1
Betrayal and a masterspy's son
Kim Philby's son talks for the first time about life in the shadow of his traitor father's defection to Moscow :
時間があれば訳出してみたい、Philbyの息子が語るスパイの父。遁走した父に何度か会いに行っている。
Harold (Kim) Philby : No.2
Kim Philby : No.3
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追記:2009年5月28日
上の写真の場面のFilm版を入手した。
Kim Philby 1955 The Third Man
TV番組:Charlie Rose: July 22, 1994 75:34中13:37から28:04までが
Kim Philbyについて(内容的には古い)
New York Times Magazine reporter Ron Rosenbaum talks about the enigma of Kim Philby, the British double agent who provided classified information to the Soviet Union that resulted in the deaths of scores of agents.

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James Forrestal (2) Nightingale

Nightingale
2-Nightingale: The Last Days of James Forrestal :
A new chamber opera by Evan Hause
James Forrestalの死は2002年新作オペラとしてかなり忠実に舞台化されている。
Forrestal's last written statement was part of a poem from Sophocles' tragedy Ajax
James Forrestalは死の少し前にソフォクレスの「アイアス」を書き写していたとされる。
...No quiet murmur like the tremulous wail
Of the lone bird, the querulous nightingale...
その遺書とみなされるものはNightingaleの単語を記すところで突然に終わっている。このオペラのタイトルはそこから来ている。
ソ連国内で独立運動をするOUN(ウクライナ民族主義者組織)は、後にナチス・ドイツがソ連に攻め込んだ時、ソ連からの独立を目指してナチス・ドイツと共闘した。戦後立場をなくしたOUNにCIAは資金・武器を提供しアメリカで軍事訓練を施した。そして反共の戦士として反政府活動をさせるためにOUNを密かにソ連に送り込んだ。この計画のコード・ネイムがNightingaleであった為に、Nightingaleの文字を見てForrestalが心理的に動揺し、死を決意したと言うのが自殺論者の意見である。このOUNは共産主義者のレッテルを貼って数千人のユダヤ人の虐殺に加担したと言われている。だとしても、このこじつけはあまりにも説得力がないと言わざるを得ない。
さて、いまからその2002年の舞台を見てみようと思う。病室に閉じ込められたForrestalを見舞うつもりでご一緒にいかがですか?
なを、上のポスターの中で大きなライターのように見えるものは、彼が飛び降りた病院の建物のつもりだと思われる。
Nightingale 1 - Opening
N'gale 2 - Bethesda
N'gale 3 - Pauline 1
N'gale 4 - Mr. Short
N'gale 5 - Raines (1)
N'gale 6 - Raines (2)
N'gale 7 - Souers
N'gale 8 - Raines (3)
N'gale 9 - Bikini Atoll
N'gale 10 - Act Two
N'gale 11 - Truman 1
N'gale 12 - Truman 2
N'gale 13 - Pauline 2
N'gale 14 - Ajax

参照1:
Forrestalが詩句を写し取っていたと言う証言にたいする疑惑資料
参照2:
筆跡がForrestalのものではないと言う検証: (Forrestalの筆跡
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追記:2009年5月23日
今、2009年3月10日原書房刊「ヒトラーのスパイたち」と言う本を手にしている。上に「ソ連国内で独立運動をするOUN(ウクライナ民族主義者組織)は、後にナチス・ドイツがソ連に攻め込んだ時、ソ連からの独立を目指してナチス・ドイツと共闘した」と書いているが、この本のp.187~P.191にその辺りのことが詳しく書いてある。p.191には「1941年8月、スターリンの残忍な支配から解放してくれたドイツ人を暖かく熱狂的に迎えるウクライナ人」という説明と共に写真も掲載されている。この本によると反ソ組織はウクライナに限らず戦前から各地にありソ連を敵とした独立活動をしており、しかもドイツから資金や訓練を受けていた。しかし1939年8月の独ソ不可侵条約締結の翌月にはヒトラーがウクライナ人の秘密の訓練を中止するよう命じた。「しかしながら国防軍情報部はウクライナ人区をあっさりと日本へ手渡し、その後は日本が訓練所に資金を供給した」P.188とあるではないか!同じペイジに「ソヴィエト連邦を共通の敵とし、満州にも多くのウクライナ人が居住していたことから、日本は国防軍情報部第2部のウクライナ活動に資金と情報技術を提供して支援した」とも書いてある。(それだけの余力と作戦力が日本にあったのなら、もっと他に闘いようがあったのではないか、と考えてしまう。但しソ連側のスパイ関連の書物によると、このOUNには既にソ連側のスパイも侵入しているのであるが。)またp.190にはナイチンゲール隊というウクライナ部隊が登場する。利用されるだけ利用され、あげくウクライナはポーランドに合併され、ナイチンゲール隊はドイツ軍によって解散させられてしまう。戦後反共の目的の為にOUNを再び利用する時、米国がその作戦名にナイチンゲールを用いたのは、おそらくこの部隊名を継承したためなのだろう。話を元に戻すが、それにしてもNightingaleにForrestalの良心が過剰反応する理由はどこにもない。

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時の風の音を聞く悦び

参照:Daily Motion:第二次大戦後の名言:
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本の紹介
安彦良和 『虹色のトロツキー』全8巻
書評等: No.1 : No.2 : No.3 :

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James Forrestal (1)

最近記事を最後まで書ききらないで放置したまま次の原稿に取り掛かる傾向が出来てしまった。このところ資料の海に溺れかけているので、何がどの資料なのか混乱をきたす前にタイトルをつけてとにかく書き始めたい気持ちに押されてしまっている。

日本をどのように降伏させるか、その後どのような占領政策をとるか、アメリカ国内ではかなりの綱引きがあったようだ。ドイツに対しても意見が分かれている。戦後世界をどうまとめるか、有体に言えば分け前をどう分割するか、戦勝国の駆け引きも凄まじい。結果としてどちらかに転んだわけだが、思惑通りというより、偶然の成り行きに帰着したようだ。今から見れば、何もかもがドサクサの帰着である。アメリカは終戦数年後に日本が中国でアジアで何のためにふんばっていたか、ようやく気付く有り様だ。(この点でも私は松岡のあの演説を思い出す)
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1-The Death of James Forrestal

さて、戦後処理に関して米国内での綱引きを眺めている過程で、最初に私の興味を引いた人物がJames Forrestalである。
参照:Forrestal日記の概要:入手方法:ある編集者の紹介文
Wikipedia : James Forrestal:
今偶然だが、村田晃嗣著、中央新書1486「米国初代国務長官フォレスタルー冷戦の闘士はなぜ自殺したか」を手にしている。序章のタイトルが「自殺ーペンタゴンの殉教者」となっている。私の記憶では他殺説もあり、UFOが絡んできたりで、後に検証しなければとても書けない?の死に方だったのだが、この本ではあっさり自殺と断定されている。故に今回(のテーマ)に関してはこの本を閉じておくことにする。暗殺説やUFO云々は上のWikipediaの中でも触れられている。
参照1:You Tube: 知りすぎた男James Forrestal:
参照2:Who Killed James Forrestal? 読み応えがありすぎる。
参照3:盛大なForrestalの軍葬に関する記事
参照4:James Forrestal Biography: 自殺と仮定すれば、このBioでその原因はなかば判定できる。(深く調べる過程で、TrumanによるDouglas MacArthurの更迭、Joe MacCarthyの米マスコミに於ける急激な人気失墜、John及びRobert Kennedyの暗殺等の詳細・真相に各資料がどんどんリンクしていった。引き込められると筆が暴走するだけなので、興味津々のワクワクものの資料だが、そのすべてを無視することにする。戦争の揺り戻しのような混沌とした時代背景であったということだけを書くに留めておく。いつか書くときは縺れた糸を解きテーマを細分化して各々独立した光をあてるつもりでいる。)
参照5:MJ12 the Strange Death of James Forrestal :UFOs (続きがないのは残念なことだ)
参照6:日本ではほとんど語られることはないがJames Forrestalは日本でもよく知られているMJ12のメンバーだった。極秘UFO研究組織MJ12.

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James Forrestal (6) Forrestal Disaster

Forrestal
6-Forrestal Aircraft Carrier Explosion
Watch1 : Forrestal Disaster-Aircraft Carrier Explosion
Watch2 : Forrestal Disaster-Aircraft Carrier Explosion
The tragic fire: July 29, 1967: Text 1 : Text2
James Forrestalの名を冠した空母の大惨事を見ていただいた。一般人には想像も出来ないカタストロフィーだ。James Forrestalの無念が引き起こした大惨事なのか、メッセージなのか?
James Forrestalの名を冠した空母に関して日本語英語の解説を読んでみよう。(10:50ごろ、電気回路のショートで F-4 ファントム IIから発射されたズーニー・ロケット弾がジョン・マケイン海軍少佐のA-4 スカイホークに当たった)とあるがこのマケイン海軍少佐こそ、2008年の大統領選挙でオバマに敗れた共和党の大統領候補だったJohn McCainである。余談になるが彼はこの後北ベトナムで5年半に渡って虐待を含む捕虜生活を体験している。
( John McCain Vietnam War POW )
James Forrestalの名はフォレスタル級航空母艦という言葉の中にも残っている。どんなものか日本語英語の解説を見てみよう。

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James Forrestal (4) Photo

James Forrestal
Fleet Admiral Ernest J. King, USN, Secretary of the Navy James Forrestal, and Fleet Admiral Chester W. Nimitz, USN (left to right)
The Navy Department, Washington, D.C., on 21 November 1945, as it was announced that FAdm. Nimitz would succeed FAdm. King as Chief of Naval Operations.

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James Forrestal (3)

Iwo Jima James Forrestal
3-James Forrestal travelled to the Iwo Jima.
3-1945年2月James Forrestal海軍長官硫黄島実戦視察(驚くべきことだ!よりによって硫黄島とは!)ForrestalはD-Dayにも現場に赴いている。

You Tube: Iwo Jima :
You Tube : Flags Over Iwo Jima : Text:
参照:Clint Eastwood’s Flags of Our Fathers Text1Text2

The significance of the Iwo Jima operation, the first US ground assault on Japanese soil, was widely recognized in advance. Secretary of the Navy James Forrestal had travelled to the Pacific from Washington to watch the unfolding of the largest operation in United States Naval history.
On the morning of February 23rd, Forrestal was accompanying V Amphibious Corps Commander Lieutenant General Holland M. “Howlin’ Mad” Smith to the beachead. Their landing craft had just touched shore, when the first flag went up atop the volcano. As the Marines around them cheered, Forrestal turned to General Smith, and observed: “Holland, the raising of that flag on Suribachi means a Marine Corps for the next five hundred years.”
Recognizing the historical significance of the colors waving in the distance, Forrestal also asked General Smith to see to it that the flag then flying atop Mount Suribachi be replaced, and the original brought back to him for preservation in the nation’s capital.
と言うわけで、3時間後にスリバチ山にはためいたのは、やや大きめの2番目の取り替えられた星条旗で、最初に掲げられた記念すべきアメリカ国旗はForrestalの命令で持ち帰られその後ワシントンに大切に保存されている。

memorial Iwo Jima
At 8 a.m., on Feb. 23, a patrol of 40 men from 3rd Platoon, E Company, 2nd Battalion, 28th Marines, led by 1st Lieutenant Harold G. Schrier, assembled at the base of Mount Suribachi. The platoon's mission was to take the crater at Suribachi's peak and raise the U.S. flag.
The platoon slowly climbed the steep trails to the summit, but encountered no enemy fire. As they reached the top, the patrol members took positions around the crater watching for pockets of enemy resistance as other members of the patrol looked for something on which to raise the flag.
At 10:20 a.m., the flag was hoisted on a steel pipe above the island. This symbol of victory sent a wave of strength to the battle-weary fighting men below, and struck a further mental blow against the island's defenders.
Marine Corps photographer Sergeant Lou Lowery captured this first flag raising on film just as the enemy hurled a grenade in his direction. Dodging the grenade, Lowery hurled his body over the edge of the crater and tumbled 50 feet. His camera lens was shattered, but he and his film were safe.
Three hours later another patrol was dispatched to raise another, larger flag. The battle for Iwo Jima is encapsulated by this historic flag raising atop Suribachi, which was captured on film by Associated Press photographer Joe Rosenthal. His photo, seen around the world as a symbol of American values, would earn him many awards including the 1945 Pulitzer Prize.
Over the years, the flag raising has come to symbolize the spirit of the Corps to all Marines. On Nov. 19, 1954, a bronze monument of the flag raising, sculpted by Felix de Weldon and located near Arlington National Cemetery, was dedicated to all Marines who have given their lives in defense of their country.
と言うわけで、Iwo Jimaはすべてのアメリカ海軍の戦闘の象徴となっている。海軍長官James Forrestalが自ら赴き、その現場でこう発言したからだ。 “Holland, the raising of that flag on Suribachi means a Marine Corps for the next five hundred years.”(あの旗は向こう500年間の海兵隊の象徴だ)

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The Coventry Blitz: Churchill 悪玉論(3)

参照:「諜報ー第2次世界大戦秘史(上) フジ出版社刊
第一部 2.「コヴェントリー市壊滅の陰に」 P.50~P.66
約554名の市民が死亡し、そのうち150名は誰であるか識別が困難であったために共同墓地に埋葬された。重傷を負ったものは865名であった。市民のうち約4000人が傷を負ったり、火傷したりした。そして、彼らの街は破壊し尽くされた。これがウルトラの為に支払われた代価であった。(上記本P.66より)
Bruxelles注:ウルトラ Ultraとはドイツのエニグマによる暗号無線通信文を解読して得た情報の秘匿名称のこと。つまり「ウルトラのために支払われた代価」というのは、エニグマ解読を悟られないためにウルトラを敢えて無視し、コヴェントリーの街を、恰も真珠湾の米国艦隊のようにむざむざと爆撃させた(見殺し)ということだ。
Ultra: ドイツのエニグマによる暗号無線通信文を解読して得た情報の秘匿名称。
Enigma: ドイツの国防軍全般および国防軍情報部、枢軸国において広く用いられた暗号機械の名称。

The Coventry Blitz(読む):
資料Ⅰ : 資料2 資料3 :Wikipedia Coventry
In his 1974 book The Ultra Secret, Group Captain F. W. Winterbotham asserted that the British government had advance warning of the attack from Ultra: intercepted German radio messages encrypted with the Enigma cipher machine and decoded by British cryptanalysts at Bletchley Park. He further claimed that Winston Churchill ordered that no defensive measures should be taken to protect Coventry, lest the Germans suspect that their cipher had been broken.[8] Winterbotham was a key figure for Ultra; he supervised the "Special Liaison Officers" who delivered Ultra material to field commanders.

The Coventry Blitz(見る)資料
You Tube 1 : You Tube 2 :

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Joseph R. McCarthy (2) 資料整理

LONGINES CHRONOSCOPE WITH SEN. JOSEPH R. MC CARTHY
時間がないが、とりあえず後に検証するためにおいておく。
Public Resource Org  & Longines Chronoscope
National Archives 2 & National Archives 1:You Tube

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