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TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

The Royal Visit June 1939

King of England
上の写真はBritain's King George VI and Queen Elizabeth。もう一組の夫婦はアメリカ合衆国大統領夫妻。1939年6月。(元サイトはこちら)
アメリカには大統領しかいないが大英帝国には国王と王妃が存在した。しかも行動する人間で、アメリカ合衆国にお出ましになられたのだ。アメリカが参戦を表明した1941年8月の大西洋会談に気をとられていたが、この写真を見ると米国と英国は、二国と言うより同化した一国のように見える。それをうっかり忘れていたような気がする。親戚訪問を連想させる。大英帝国の国王と王妃がインドを訪問しているのとは、明らかに政治的意味が違う。そして時代背景はこんなところだ。四人の男女が交わした手紙や電報の資料が上の元サイトをクリックすると沢山読める。意思の疎通がどれだけ重要かということが良く分かる。合衆国建国以来今日にいたるまで米国と英国がこれほどお互いを身近に必要とし親戚の結束力を感じ合えたのはこの時が歴史に残るその絶頂だと言えるだろう。この事件は(敢えて事件と言うが)日本でどのように報道され、どのような感性で受け止められたのだろうか。また歴史解釈に於いてこの事件の意味は充分に問われてきたのだろうか?

Letter from the King Acknowledging FDR's Request
King George VI's handwritten notes for a memorandum on his conversations with President Roosevelt on June10 and 11, 1939.: Hot Dogsを食しピクニックをするためにわざわざ来たのではないことがよーく分かる。

King George & Queen Elizabeth, Canadian Tour 1939/5/22:
King George & Queen Elizabeth, American Tour 1939/5/15:
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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

Charles Lindbergh vs Franklin Roosevelt 

two couples
珍しい写真ではないだろうか。上の写真はChiang Kai Shek夫婦とCharles Lindbergh夫婦in Nanking, September 1931。毛沢東と並んで映っているOwen Lattimoreの場合のような、政治的意味を考えない方がいいだろう。Charles Lindbergh夫婦は世界中を飛びまわり世界中の首脳に歓迎されている、そのうちの単なる一枚と見たほうがいい(雑誌TIME Lifeの創刊者ヘンリー・ルースあたりの紹介があったかもしれないが、せいぜいその程度だろう)。珍しいので掲載しただけ。Charles Lindberghの場合、迂闊に写真を掲載すると、明後日の方向に意味を誘導しかねない。
たとえばこの写真:Hermann Goering gives Charles Lindbergh a Nazi medal.後々まで疑惑を呼んだ。
Lindberghと言えばどうしても欠かせないのがまずこちら。
Charles Lindbergh and Spirit of Saint Louis:貴重なfilm

Charles Lindbergh: Wikipedia:
On Lindbergh : Q&A
America First:
America First:Charles Augustus Lindbergh:
上のWikipediaを読めばよく分かるがLindberghは飛行機乗りとしてだけでなく多方面で話題を提供している人物だ。政治的にもどの角度で焦点を当てるかによって結果としてそれぞれ全く異なった判定が下されることになる。一般的な紹介としてこの辺りが妥当と思われるものをひとつだけ目に負担をかけないために音声でリンクしておく。
Author A. Scott Berg talks with Terry Gross, Fresh Air, about the Lindbergh and his American First activities-
Lindberghの主張を検討すると、世界を飛び回り多くの国の首脳と言葉を交わし、その国の人々と多少なりとも触れあってきている、当時としては数少ない人物なので、後の世の視点で見ても、洞察は鋭く正しい。しかも判断j力の基礎となるバランス感覚が殊のほか優れていると思われる。
今回Lindberghをとり上げたのは、「翼よ!あれが巴里の灯だ」に触れるためではない。太洋を超えての戦争に意欲満々なRooseveltに,非戦論者としてのLindberghを対峙してみせることによって、Rooseveltのおぞましいほどの特に対日悪意を、明確に浮かび上がらせようと思ったからだ。
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Roosevelt音声資料
1.1940年10月4日大統領執務室における合衆国大統領Rooseveltと国務長官Cordell Hullの電話による会話。録音はRooseveltの声のみ。内容は予測を超えている(主語が入れ替わっている?)のでなんともいえない。聞かれた方々各自の解釈をお聞かせ願えたら幸いである。
!!!思いもかけない録音が出てきたので、裏付けに難航している。「おぞましいほどの対日悪意」もさも有りなむ、と思えるほどの日本側からのハルノートを思わせる存在の発覚である。Roy Howardに近い日本のプレス関係者の誰かが捏造して悪意で流したのもなのだろうか。RooseveltとHullが誰の口から出た何を議論しているのか、突き止めなければならない。尾崎秀実が関連しているのだろうか。それとも?!!!
追記1.会話に登場するRoy Howardは資料によると日本の天皇にインタビューした最初のアメリカ人ジャーナリストらしい。Roy Howardはまた1936年にはStalinとのInterviewにも成功している。1936年、これがなかなかスリリングでvividなInterviewだ。その内容も見つけた。読んでいるとStalinの声が聞こえてきそうな気がする。 Interview Between J. Stalin and Roy Howard
2. FDR's speech to Congress asking to declare war on Japan, December 8, 1941 : Text a lire
追記 2: Roosevelt元ペイジ:Site: Audio: Speech

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Mers-el-Kebir : Churchill悪玉論(2)

Oran
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Wikipedia
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Article
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Article
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Article
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Photos

MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 :Film
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : film
MERS EL KEBIR 1940 : Film
MERS EL KEBIR 1940 : Site : Blog :

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Owen Lattimore (2) Pat McCarran

Owen Lattimore and the "Loss" of China
by Robert P. Newman
Chapter Twenty-One : McCarran :
Owen Lattimore : 日本語 China Memoirs

Senator Pat McCarran
The Great American Communist Hunt
SISS=Senator McCarran’s Senate Internal Security Subcommittee.

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Owen Lattimore(1)

Owen Lattimore
上の写真:Owen Lattimore, Mao Zedong, Zhou Enlai, and Bo Gu, Yanan, 1937
貴重な写真と思われませんか?真ん中が若い毛沢東。
Owen Lattimoreに関してはPatrick A. McCarranと彼の「国内安全保障問題小委員会」を取り上げる時にIPR(太平洋問題調査会)と共に取り上げようと前から思っていた。彼のInterview Videoを見つけたので早速UPしたくなった。何れにせよOwen Lattimoreの人物紹介はこのBLOGには必須だ。
Owen Lattimore interviewed by Caroline Humphrey 1983 :Interviewと記事がある。Part-1 : Part-2 :
それぞれ50分近くある長いInterviewだ。(途中から音声のみ)
クリックしてからVideoが始まるまで10分ほどかかった。それでも興味ある方はどうぞクリックして下さい。老いたOwen Lattimore が顔出しで現れます。

参照:Notes on Owen Lattimore:

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Tokyo Trial

Tokyo Trial : なくさないうちにとりあえずUpしておく。
リンクも色々あるので、詳細、感想は時間のあるときに。

Another Country 1984

Another Country
Another Country (1984) Text : Film-1 : Film-2
Writer Julian Mitchell adapted Another Country from his successful stage play. Its main character, Guy Bennett (Rupert Everett), is loosely based on real-life traitor Guy Burgess, while Bennett's friend Tommy Judd (Colin Firth) resembles other members of the Cambridge 'ring of five' spies.:25年近く前になる?のだろうか。日本でも大ヒットした映画で実は私も見ている。そう言えば一方はスパイとなり老いてソ連で暮らしていた。主人公がCambridge fiveの一人 Guy Burgessがモデルだとは今の今まで知らなかった。そういうことは当時話題にもならなかった。この映画をベイスに考えると、スパイになった動機の大部分は同性愛による社会的挫折?と言うことになる。イギリス上流階級の少年達のそれにしても美しい映画だった。

Guy Burgess: file
Maclean, Burgess, Philbyは祖国を離れソ連に逃走した
: 経過file

2003年にはズバリCambridge SpiesというTVドラマも作られた。
Cambridge Spies :Film部分 : 探せば他にも沢山ある。

2009年7月3日:追記
参照:ゲイ映画ベストテン

2009年7月10日:追記
Another Country (1984)でケンブリッジ・ファイブのひとりGuy Burgessを演じた俳優Rupert Everettは自らカミングアウトしたゲイだというだけでなく、なんとケンブリッジ・ファイブのひとりDonald Duart Macleanの子孫であることが分かった。スパイ行為が発覚した際、BurgessとMacleanは二人してソヴィエトに逃亡した。俳優Rupert Everettが「真夜中のカウボーイ」のJohn Richard Schlesinger 監督と二人でTVのTalk番組に出演しているFilmを見つけた。参照:Charlierose 31:30: クリックして御覧下さい。またJohn Richard Schlesinger監督の胸の痛む最後に関してはwikipedia:John Richard Schlesingerを参照してください。

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Kim Philby

Kim Philbyには前から興味があったが、少ししか手をつけていない。たった今ソ連製の54分にわたるFilmを見つけた。一人のスパイに関してこれだけ完全な驚くべきfilmは初めてだ(まだ半分しか見ていないが)。ケンブリッジのイギリス人エリート集団のスパイの中でも最重要人物だ。これだけKGBのスパイとしてオープンに手厚く葬られたイギリス人スパイも珍しいのではないだろうか。(確か二重スパイだった)これでRudolf Hessの記事の参照7はほぼ確定した。つまりRudolf Hessは誘き寄せられ罠に嵌められたのだと言うことがわかる。時間も遅い。続きは明日残り半分を見てから。

KIM PHILBY : Comrade-Philby 54分
Comrade Philby is the fascinating story of a British agent who turned spy for the Russians. Harold Adrian Russell Philby, known to his Muscovite companions as Comrade Kim, defected to the Soviet Union in 1963, working as a British affairs consultant until his death in the late 1980s. He was buried with the military honours normally reserved for a KGB agent.

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Alger Hiss (3) The United Nations

The United Nations : 国際連合の成立過程
出典:THE FEARFUL MASTER 
This and similar official records reveal that the following men were key government figures in UN planning within the U.S. State Department and Treasury Department: Alger Hiss, Harry Dexter White, Virginius Frank Coe, Dean Acheson, Noel Field, Laurence Duggan, Henry Julian Wadleigh, John Carter Vincent, David Weintraub, Nathan Gregory Silvermaster, Harold Glasser, Victor Perlo, Irving Kaplan, Solomon Adler, Abraham George Silverman, William L. Ullman and William H. Taylor. With the single exception of Dean Acheson, all of these men have since been identified in sworn testimony as secret Communist agents!
アメリカ合衆国、国務省、財務省にいた人材の中で国際連合構築計画に参加した人物の名前を太文字にした。列挙した名前の中でDean Acheson一名を除くすべてが後にコミュニストのスパイだと判明している!(そのうち時間があるときに一人一人を詳しく検証してみたいと思っている。)
The United Nations' 60th Anniversary Celebration in San Francisco on June 25, 2005
国際連合創設丸60周年記念式典の報告。招待にも関わらず国家の要人は誰一人現れず、というレポートがなされている。そもそもこのサンフランシスコの60年前を振り返ると...
San Francisco 1945 The United Nations
The photo exhibit started to become unnerving halfway through. In this picture, Alger Hiss -- who was Secretary General of the founding charter conference -- presides over the founding of the United Nations. Why unnerving? Because we now know that Alger Hiss was a Soviet spy before and during the founding of the U.N., and that he was working to promote the global Communist movement. Hmmmm. むべなるかな。正体が見えてしまったんですよ。誰かのこんなセリフ「I don't think that now is the time for celebrating the UN. It is time to talk about either disbanding the UN or radically reforming it.」傾聴に価します。日本人の耳にも届けばいいんだけれど。

参照:MaCcarthyの国際連合観:元ペイジ
he was well aware that the U.N. Charter had been drawn up by the Communists, pro-Communists, Socialists and the like. He knew the Charter did not guarantee protection of private property, nor religious freedom, and in fact under the United Nations there is no God. Senator McCarthy suggested that we give Red China our seat in the United Nations, and that would get us out from under the jurisdiction of that dangerous organization."
参照:MaCcarthyのAlger Hiss観:元ペイジ
Hiss sat behind President Franklin Roosevelt at his Yalta meeting with Stalin and managed the conferences that created the United Nations.
参照McCarthy was essentially right
参照THE TRUE HISTORY OF A GREAT PATRIOT: The Late Senator Joseph R McCarthy, by Mrs Larry Lawrence Lent, his secretary:納得させられる話だった。説得力があるし、内情が良くわかる。MaCcarthyの秘書だったMrs Larry Lawrence Lentの発言だからか、もやもやとしていた部分が明らかになった。MaCcarthyがあの時期に登場しなかったら、無自覚のままアメリカはその他の多くの国々のように赤化していたかもしれない。
要点1:赤狩りのマッカーシー、と言う最悪のイメージは敵対的マスコミに(大部分)によって意図的に捏造されたものである。
要点2:ドイツの半分、ベルリンの半分のみならず、それまで独立国だった国々(Poland , Romania , Czechoslovakia, Lithuania , Latvia等など)をソ連の支配下におくことで平和が保たれると、スターリンに言いくるめられていた。(スパイ達またはPinko達に中枢部が洗脳されていた!)正気の沙汰とは思えない。

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Alger Hiss (2) UN Charter

もう何日もAlger Hissの資料を読み漁っている。
Alger Hiss On Venona Files
これももう一度全部読んだ。THE ALGER HISS CASE
視聴覚完璧サイトだ。The Alger Hiss Trials
こちらは貴重なReal Time資料だ
The timeliness of the Alger Hiss case
Spartacus school net:Alger Hiss
warbler
映画よりも凄まじいドラマチックなどんでん返しが頻発する。そしてこれだけ資料が溢れているのはVenonaによって近年最後の逆転がなされたからだ。HissとChambersの対決は大きな意味を持つことになる。しかし何日もかけて私が探していたのはこれらの資料ではない。1945年2月から4月にかけてのAlger Hissのこの動きだ。
1945 February - Hiss is a junior member of the U.S. delegation to the Yalta conference as an adviser to Secretary of State Edward R. Stettinius, Jr.
1945 March - Chambers meets with Raymond Murphy, a State Department security officer. He names Hiss and 26 others as being affiliated with an underground communist group. Chambers again says he left the Party in 1937. Chambers repeats this to the FBI later in the year.
1945. April 12 - F.D.R. dies. Harry S Truman becomes the 33rd President of the United States. For Alger and Donald Hiss, Roosevelt was the preeminent world leader of the 20th Century.
1945. April - At the age of 40, Hiss becomes Director of the Office of Political Affairs. Shortly thereafter, he serves as Secretary General of the San Francisco Conference, which drafts the United Nations Charter. After the conference, Hiss is chosen to fly the charter to Washington in a special military airplane for President Truman's signature.
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2006年5月「反日勢力を斬る」の記事にあるNHKのこの番組をNet Cafeの部屋からちょうど出たところのロビーで偶然見て卒倒しそうになった。こんな事務総長のいる国連、なんと偏向しているのかと。
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Harry Dexter Whiteはハルノートで有名だが、忘れてはいけない、彼はWorld BankとIMF設立の父なのだ。(無視してはいけない資料 : Harry Dexter White :Elizabeth Bentley を書くときにおそらく再びHarry Dexter Whiteに触れるだろう) 同じようにAlger Hissは国連憲章を起草し、国連創立の中心メンバーでしかも事実上初代の国連事務総長なのだ。後に偽証罪で服役しそれでもまだ灰色だった部分もVenonaによって真っ黒なことが判明したソ連のスパイなのだ。
Alger Hissに関してはAlger HissやWhittaker Chambersの記事にすでに詳しく書いているので過去記事ともどもゆっくりと目を通していただきたい。
ヤルタ会談がすべての発端だ(構想は太平洋戦争開戦前の大西洋会談から具体的に立ち現れ、Alger Hissの登場するヤルタ会談からコンクリート化していく。大西洋憲章については後日とり上げたい)。ヤルタ会談がどういうハゲタカ会談だったか思い出せば、日本が60数年ハゲタカドモのえさ扱いでありつづけたことがわかるというものだ。国際連合の存在意図とは?存続するとすればZeroからの再構築が必要だろう。サービスです。覗いてみますか?
The United Nations Charter
上の写真は(UN Charter signing ceremony) 国連憲章調印式
場所: San Francisco, United States
起草日 June 26, 1945・・・・・・・・・・・ 
(日本に原爆投下:August 1945)・・
批准日 October 24, 1945・・・・・・・・・
参照:国際連合憲章:日本語:英語
悲惨な戦争を体験した国際社会が反省をこめて構築した戦後の平和のため国際機構ではないことがよくわかるだろう。国際連合とはまだ戦時中だった日本にとっては、複数の敵対国の悪意に満ちた勝利の先取り、勝利支配の永遠化機構に過ぎない。連合国側にとっては目と鼻の先の勝利の結実であり、それは真珠湾に引きずり込むより以前の1941年8月からの4年にわたるシナリオの夢にまで見た実現に他ならなかったのではないだろうか。
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参照:The Yalta Conference :February 1945
参照:Atlantic Charter:AUGUST 14, 1941
参照:The Atlantic Conference

: Alger Hiss Fallout on Politics :

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Alger Hiss (1)

参照1Alger Hiss:Alger Hissに付いてWikipediaでもすでにこれだけ詳しく書かれている。1945年のヤルタ会談に出席しているほどの重要人物である。ヤルタ会談においては主に戦後の国際連合の構築に関わった。
参照2The fearful master-a second look at the United Nations by G. Edward Griffin(1964)という本がある。第2部で国際連合という機関がいかにCommunist達の手により構築され支配運営されていたかが書かれている。第9章に於いてはAlger HissとHarry Dexter Whiteの正体が暴かれている。
参照3:打ち込みが非常に手間取るので、こちらの文章をお借りする。ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報と言うサイトのこの記事に私と同じ視点とらえたAlger Hissのことが紹介されている。Clickをお願いします。
また話題が逸れてしまうがこの文章の中の「それが米国上院のジョゼフ・マッカーシー上院議員であり、彼の「アカ狩り」の矛先は根本的にはどうもマーシャルに向けられていたようだった。」は見逃してはならない部分だ。ジョゼフ・マッカーシー上院議員の急激な消滅はここに始まるからである。
さらに話題がずれるが「このアルジャー・ヒスとデヴィッド・ロックフェラーは後者が若い頃はカーネギー国際平和財団で理事会の席を一緒にした間がらであり、関係は非常に良好だった。デヴィッドの回顧録『メモワール』にもそれが書かれている。」この部分も実は、私がいつかまとめたいと思っている内容と関連している。日露戦争の高橋是清の外債と「ウェルカムトゥパールハーバー」のクーン・レーヴ商会と昨年破綻したリーマン・ブラザースが一直線に繋がって、しかも論理のパラダイムを超え、記事にまとめるのに四苦八苦しているところだ。《追記:四苦八苦してまでこの部分を書く必要がなくなった。『「日露戦争」と「日米対立」と日中戦争」の舞台裏』というトータルで明快なペイジをみつけた。ここにこのテーマは少々場違いだけれど、重要で説得力のある裏舞台が整理・整頓されているのでリンクさせていただいた。》
当時の金融資本家はとかく統制的・寡占的なビジネスを好んでいた。共産主義のシンパも多数いた。...国際金融資本家の間では共産主義は一種のトレンドだった。」の部分の確証がとれれば、絡んだ糸はほぐれ、明快になるだけでなく、細面のAlger Hissが幾多の証言・証拠に動揺もせず老いて死ぬ最後の最後までシラを切り通したことも納得できると言うものだが。(Bruxelles注:一種のトレンドだった、で割り切ってしまえば明快なのだが、それではあまりにも説得力がない。資本家の間で共産主義が何故、どのようにトレンド足りえたのか、具体的な原因解説が必要だろう。)
参照4:こういう詳しい比較的最近の資料もある。"The Alger Hiss Case; A Half-Century of Controversy" by Ehrman, John (2007). 二転三転するAlger HissとWhittaker Chambresの裁判抗争について詳しく書かれている。地位的に外見的にAlger Hissの方が信用される人物だった。Chambersに加担したNixonもAlger Hissほど善良には見えない不利な顔相をしている。Whittaker Chambresに味方したのはかぼちゃと、Venona Filesの登場だった。
参照5Alger Hiss discusses why he and other New Dealers became political targets following the death of FDR. (Audio Only)Hissの声が届くが短い。
参照6This newsreel clip sets the stage for "the trial of the century."
参照7The Alger Hiss Story : The Time Line:
参照8: Alger Hiss : Venona and the Russian Files
参照8The Alger Hiss Story: Watch and Listen :実写films:
参照9The Alger Hiss Story: The Bookshelf:
参照10Alger Hiss : As a spy
参照11The Alger Hiss Story : The Cast:
参照12The Alger Hiss Story : The Coutroom:
参照13The Alger Hiss Story 元サイト
参照14The Alger Hiss Case :詳しい!
参照15Alger Hiss: Time 1978

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Music About The Atom Bomb: 1944-1964

「原爆を落とされて、ようやく日本が負けて、新しい国になって良かった」と平気で口にする人に嫌ほど出会うが、困ったものだ。たとえ国家意識がなくても、人間として言っていいことと悪いことがある、その境目がもうわからなくなっている人たちだ。アメリカ人だって良識のある人は、そんなことは言わない。但し良識のある人は、どこの国でも少数のようだ。

"When The Atom Bomb Fell" by Karl and Harty:
1945年の歌だ。勝って嬉しいのは良くわかるが。「負けて良かった」という日本人は一緒に歌うのかなぁ。
"Hiroshima" by Albert Ammons
1947年の曲だ。アメリカ様の天下だけれど、このタイトルは、どういうつもりなんだろう。これで踊りまくっていたのかなぁ。
"Atomic Power" by the Buchanan Brothers
1946年の歌だ。「結果として原爆を落とされたのも、結局日本が間違った戦争をしたからだ」という日本人がまた嫌ほどいる。その破壊力は神様の御手のなすわざ?アメリカ人が言うのはともかくとして、真正日本人だとしたら、どこまで狂ったら気がすむのだろうか。
"Atomic Did It" by Maylon Clark Sextette
1945年の曲「原爆がやってくれた」。「なんでそこまで憎いのですか?」「黄色人種のクセに生意気だ」と言うこと?戦争をいろいろ調べて、何が酷い、何が悪かといって、原爆ほど理不尽なものはない。日本人から怒る気力を殺ぎ落としてしまった?
Music About The Atom Bomb: 1944-1964
こちらが元サイト。まだまだずらりと並んでいる。

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番外編:Les 15 ans du génocide des Tutsi

Les 15 ans du génocide des Tutsi(音声)」:番組内容
2時間数分のFrance Cultureの番組だがFrance Cultureの番組の常として始まる前に11分少々の通常のNewsが入る。(番組中にも短いが通常Newsが数回入る)。
あの1994年4月6日から15年が経過した。France Cultureはこの日丸一日をRwanda Genocideの検証にあてた(数日間に分散された番組を含む。)数多くの番組の中から現地時間4月6日7時から9時にかけて放送された「Les Matins de France Culture」をとりあえず選び出し丸々転載することにした。France Cultureの検証番組は物凄く徹底したもので、このTel Quel Japonにその全部の番組を取り込むことは、避けた。興味のある方は他の番組もクリックして下さい。
Rwanda Genocideは後年映画にもなったので、ご存知の方もいらっしゃると思うが、日本ではさほど報道されなかった。Tel Quel Japon staffの一人が、2005年2月にある音楽サイトのDiaryに書いた2本の記事を整理したものに、Rwanda Genocide紹介編参照として、以下にリンクを貼っておきます。
参照1:ルワンダ(国際政治):  参照2:Corneille(歌手)

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Charles A. Willoughby (2) 制作中

1951年8月22,23日、下院非米活動調査委員会に於けるCharles A. Willoughby氏の証言を首を痛めずにじっくり読めるように編集しファイルにした。部分分けして少しづつUploadしていきたい。真珠湾にSorgeが関係したかどうかではなく、Charles A. Willoughby氏の証言を通してアメリカが何を知り何をどう判断したのか、私達日本人が今初めて何を知り何をどう判断するのか、虚心坦懐に検証するための資料として提出したい。緑色に色づけた部分は、単に私が重要だと判断した部分にすぎない。
判断や感想はコメントに書き込んでいこうと思っている。読者諸氏の判断や感想のコメント欄への寄稿も大いに期待している。

1.Charles A. Willoughby証言 No.1
2. Charles A. Willoughby証言 No. 2

拡張子rtfのファイルfはBlogにUpload出来なくて、しかたなく私Bruxellesが既に所有しているGeocitiesのサイト「Si on chantait」の内部を借りhtmlのファイルにしリンクすることにした。

参照:国会図書館 Charles Willoughby :
参照:Charles Andrew Willoughby :important!
Major General,United States Army
参照:The Story Of General Willoughby:

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Berlin Paris Vichy 1940 フランスの敗北

○You Tube : 対仏勝利を祝うベルリン市民: この熱狂をどう解するか?
1940- wehrmacht parade celebrating the fall of france
○You Tube : ドイツ軍のパリ入城 :あなたがフランス人ならどう思うだろう。
Les Allemands défilent à Paris (juin 1940) :
○You Tube : 休戦という選択の意味と意義: Régime de Vichyを検証する要あり。
Maréchal Pétain - Discours du 17 juin 1940
Armistice avec l'Allemagne Nazie
Régime de Vichy: Wikipedia:仏人にとってのMaréchal Pétain
仏領インドシナ):ヴィシー政権による日本の南部仏印進駐承認
Wikipediaに参考文献として出ている渡辺和行著『ナチ占領下のフランス 沈黙・抵抗・協力』(講談社選書メチエ、1994年)を偶然だけれども今手にしている。
Marechal Nous Voila
Maréchal,nous voilà ! par André Dassary
「Marechal Nous Voila」がVichy Franceの国歌とは知らなかった。一瞬冗談だと思った。Marechalとは言うまでもなくMaréchal Pétainのことである。それほどに圧倒的人気があったのだ。このヴェルダンの英雄は。
Jacques Isorniの口頭弁論:Marechal Pétain 単純に感動してしまう。
Marechal Pétainのsite:フランスを売ったのか、フランスを守ったのか。国家のために最善をつくしたのではないだろうか。しかし紛れもない対独協力者なのだ。
欧州情勢と日本(1938-1940): (1940):日本太平洋戦争へ (1940-1941): 新しいナレーションが五月蝿いけれど

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Take a rest :ちょっと一休み
Gottingenを聞く 作詞・作曲・歌唱:Barbara :ドイツ語で聞く
ドイツによるフランス占領時代を生きたユダヤ系フランス人歌手Barbaraに対して1986年この曲を通してドイツ連邦から国家間友好功労勲章が贈られた。
参照 : Gottingenの成立過程 by Bruxelles

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