TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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大日本帝国ほか軍歌 &Jacques Doriot

大日本帝国 軍歌 :
Music of the Imperial Japan(1868-1945) with English translations
フランス 軍歌
ナチス関連曲 1
ナチス関連曲 2

参った参った。1942年初期 アメリカの曲で「東京を爆撃せよ」などという歌がある。なかなか軽快な曲だ。
こちらは「真珠湾を思い出せ」と言う歌。mp3をクリックして聞いてみよう。
Farewell, the League of Nations! (聯盟よさらば!) 1933.もクリックしたい。聯盟よさらば、の日本語歌詞:これは聞けない。ー参照ーぜひクリックしていただきたいTel Quel Japon過去記事
出陣学徒壮行会 答辞 1943年10月21日: 読んで聞ける
出陣学徒壮行式 演説 1943年10月21日: 読んで聞ける

元サイトはこちら: 西洋軍歌蒐集館に 感謝!

ジャック・ドリオ:フランス人民党集会における演説:1941年7月11日、パリ
Jacques Doriot at an important party rally in Paris, July 11th 1941.

Doriot adresses the audience reminding Great Britain's recent defeats and repeating the committment of the party to rebuild the position of France in Europe.

Jacques Doriotを調べている過程でこの西洋軍歌蒐集館に出会った。(Jacques Doriot写真集
各国音声資料のなかにはその他興味ある音声資料が沢山ある。
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テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Charles Andrew Willoughby (1)

Tel Quel Japon過去記事

過去記事からの引用1
日本が60日以内に真珠湾(Bruxelles注:真珠湾と言う言葉が本当にあったかどうかでこのゾルゲ情報の価値は決定する。もし無かったのなら、記録から削除する必要など無い、という見解も成り立つ)を攻撃するとの内容が、Sorgeからクレムリンに、そしてクレムリンからルーズベルトに伝わっていた!と言うのがO'Donnell記者の記事だ・・・。
過去記事からの引用2
1951年8月、元マッカーサー総司令部諜報部長チャールス・ウィロビー陸軍少佐が米国上院の国内治安分科委員会に出席しゾルゲに関する記録書類を提出した上で、ゾルゲのスパイ活動の目的は日本を駆り立て太平洋戦争に突入させることであったと重大証言をして注目されたとある。・・・
過去記事からの引用3
(Bruxelles 注:Charles A. Willoughby氏も証言は下院非米活動調査委員会に於いてであり日時は1951年8月22,23日:証言内容はこちらの最初から4分の1辺りから現れる)


以前から非常に気になっていた部分だ。画面から直に小さな文字を速読して首を痛めたことがある。視力を損なったこともある。故にこの部分をまだ検証していない。ゾルゲに関しては日本の対ソ戦に関する情報をソ連に流したことはよく知られているが、真珠湾攻撃をアメリカに流したことは、多少知られてはいるが検証されてはいない。ゾルゲに関してはthe House Un-American Activities Committee(下院非米活動調査委員会)において日本の吉川光貞とこのCharles Andrew Willoughby が証言している。吉川光貞の証言を筆者(Bruxelles)は既に読んだが、Willoughbyの方はまだ読んでいない。したがってどれくらいの情報をそこから汲み取れるかまるでわからない。視力を損ねてしまったので以前ほどの速度では読めない。何も出てこないかも知れないが、それでも分割ファイルにして、保存しながらゆっくり検討してみようと思っている。
なを、94年から99年まで東海大学平和戦略国際研究所教授だった白井久也氏が2007年社会評論社から【米国公文書】ゾルゲ事件資料集を出版されている。ここに「真珠湾奇襲攻撃作戦計画を知らなかったゾルゲ諜報団 23」の文字列が見えるから、Willoughbyの証言を読んでもたいした内容は見つかりそうに無い。それでも一応読んでみようと思う。なぜなら資料は他人の視点を鵜呑みにするためにあるのではないからだ。たとえば、白井久也編著の『国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命』について加藤哲郎氏がこのような書評を書いておられる。篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」を見ていれば、加藤哲郎氏や白井久也氏の視点・解釈による編集本を鵜呑みにするくらいなら、たとえ骨折り損でも自分で資料に当たろうと言う気持ちを、きっとご理解いただけるだろう。

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Il nous faut regarder... Videos

Japanese Sign Final Surrender 1945 :
San Francisco Conference Moves Ahead [Etc.] 1945 :
U.S. Bombers Blast Jap Bases [Etc.] 1942:
U.S. Forces Blast Japanese from Attu [Etc.] 1943
United Nations Leaders Confer With Roosevelt [Etc.] 1943
U.S. Reveals Armed Might For Churchill [Etc.] 1942
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ARC Gallery: Japanese American Experiences during World War II
40's era Propoganda film about Internment Camps
40年代前半在米日本人がどのように扱われたかと言う貴重なfilm。プロパガンダに惑わされてはいけない。強制収容所であり、祖国に銃を向けて戦闘で死ぬことであり、運が良くても異国に於ける下放である。 (隠されている過去を掘り起こしてでも見なければならない
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Take a rest: ちょっと一休み
Jacques brel - il nous faut regarder
Barbara Il nous faut regarder:
歌詞解説:Du Soleil Levant :Il nous faut regarder

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The Doolittle Raid 日本本土空爆

以下の記事はTel Quel Japon2009年2月22日のものです。The B-29's on their way to Saipan.
1945年3月のB29の空襲で祖母と父が大阪市内の家から焼け出された。最新のYouTubeの記録Film

B29-2B29爆撃機は特に初期の頃、充分テスト爆撃する時間的余裕がなかったため、構造上問題を抱えており、このように操縦不能から自ら墜落自爆することも多かった。
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アメリカ軍による最初の日本本土の空爆は、早くも1942年4月18日に始まった。
The Doolittle Tokyo Raidersと言われるPilotのひとり、Richard O.Joyce氏の子息が、資料満載のSiteを誇り高く公開しておられる。Clickして見ないわけにはいくまい。
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上の2枚の写真はあるアメリカ女性のサイトから許可を得て転載したものである。空爆による戦果は一般には(関係した軍人の家族を除けば)故意に過小評価されているという。非戦闘員や民家に対する空爆をできるだけ表面化させないためだ。
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Doolittle Raid on Japan, 18 April 1942
April 18, 1942 raid on Tokyo. Video
The Birth and Naval origins of the Raid on Japan
The Doolittle Raid : Eaglefield.netより
The Doolittle Raid Remembered:
Doolittle Raiders Official Site:
WW II : RARE COLOR FILM : B-25'S TAKE OFF FROM CARRIER (Doolittle Raid)

航空母艦Hornetから離陸するB-25爆撃機を見て、まず頭をかすめるのは、一体何機Hornet上に待機し、先頭の爆撃機の前にはどれくらいの離陸距離があったのかということ。そして搭載爆弾の総重量である。
1941年12月21日、真珠湾の2週間後に、Rooseveltの強い希望で日本本土空爆計画が具体的に動き出した。最初の案はCaptain Francis Loweから出た。1942年1月16日Captain Donald Duncanは飛行資料などを分析してB-25爆撃機と航空母艦Hornetを用いればこの作戦は可能だと報告した。1942年2月3日海上に於ける実験に成功。B-25は2000ポンドの爆弾を搭載して、燃料タンクを増設すれば2000マイルの飛行が可能で、しかも滑走距離はわずか500フィートで離陸可能という結論が出た。
Short Runwayのための離陸技術というものはある。それにしても500フィートとは。 再度filmを見て考えた。海上に於いてはエンジン出力のほとんどすべてを推力にまわすことができる。通常の離陸のように高度を獲得するため、揚力にパワーを消耗する必要が無いためだと思われる。

「Will」2009年2月号P.194に、1941年の3年後、B29が出現するまで、米軍の日本本土空爆は夢物語に過ぎない、と秦郁彦氏が書いておられる。「当時の米空軍には往復爆撃できる航続力を持つ爆撃機は存在しなかったから」という理由付けがある。秦氏はたとえば1942年4月18日のThe Doolittle Raidersの存在を失念されておられるのだろうか?
(追記:2009年2月22日)
秦氏、そして多くの日本人にはこの記事が頭にインプットされているのだろう。B29による帝都初空襲、1944年12月6日、を報じるアサヒグラフ
本土初空襲(ドゥリットル空襲)を詳しく検証するペイジにリンク。読み落としてはならないのは以下の部分だ。(「空母が爆撃機を搭載して日本本土を攻撃してくるとの思考を持ち合わせていなかった」)発案者のFrancis Loweの名が歴史に残るのもそのためだ。航空戦史におけるまさにコロンブスの卵だった。
また朝日、読売、毎日のこの報道の酷さはどうだ。戦後、時に冷静さを欠き感情に走るのは、責任転嫁と戦前の国家攻撃によってこそ自己釈明しえる、又は過去を隠蔽できると勘違いしているためだろう。
ただこのリンクペイジに明らかな間違いがひとつある。「奇襲に成功したドゥリットル隊は、ほとんど日本軍の反撃を受けることなく(当然損失もなく)、中国大陸に着陸する。」の部分だ。日本の捕虜になり、その後「民間人殺戮」のため日本で処刑されている米兵が数人いたはずだ。そして一人はロシアに着陸して捕虜になっている。中国大陸に着陸した者達だけが、厚遇され無事帰国し再度任務に着いている。参照:鳥飼研究室 真珠湾攻撃の報復

1944年終戦前だ。アメリカではこのThe Doolittle Raidersの映画が製作されている。タイトルはThirty Seconds Over Tokyoという。下線部をクリックして少し御覧下さい。すでに合衆国は戦勝気分だ。アメリカはいつ頃、その勝利を確信したのだろうか。1942年4月18日?あるいは1942年2月3日、実験成功の日なのか。

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追記:2009年3月21日
親善野球にきたスパイ事件
これがもし本当だとすると、真珠湾を遡ること7年も前から日本本土空襲計画があったということ?それとも野球と戦史は別物扱い?過剰反応は止めた方がいいかも。でもねぇ。
Morris "Moe" Berg: ありえる。(あると思います!)
BBC News : もう否定のしようがない。
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追記:2009年3月24日
大物スパイだったMorris "Moe" Berg
野球選手として東京に来た時は、まだ目立った活動はしていない。1942年引退しOSS(CIAの前身)に正式に採用された時に、以前自分が東京で撮影したmovieを提供した。それが早速Doolittleの東京空爆に活用されたわけだ。ドイツ原子爆弾開発チームの最高責任者となっていたWerner Heisenberg暗殺計画の一員としてWerner Heisenbergの近辺に接触、ドイツに於けるその実用化はまだまだ程遠いとBergの知識でBerg自身が学術的に判断し、その結果暗殺計画は破棄された、という事実がある。ソ連に於いてもスパイとして活躍している。ロシア語、ドイツ語そして日本語(7ヶ国語)まで完全にこなし、先端の原子物理学までドイツ語で理解できたとは、エリート集団のスパイの中にあっても超の付く優秀なアメリカ人スパイだったと言えるだろう。生涯独身、自伝も執筆していない。

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Whittaker Chambers : Witness 

Chambers家のかぼちゃ
西木正明氏の「ウェルカム トゥ パールハーバー」(上)を時間が足りなくて読めなかった。返却する前に少しペラペラめくってみたらWhittaker Chambers が結構登場している。そのほんの15分前に偶然彼の著作を調べていたところだった。(Whittaker Chambers の簡単な紹介は第六章P.403に出ている)。この人はエリザベス・ベントレーと共に「ルーズベルト秘録」(産経新聞)にも登場している、ルーズベルト時代の米連邦政府内ソ連スパイ網の告発者でもある。(連絡要員をしていたが、この小説によるとNKVDとGRU(赤軍第四部)との争いに巻き込まれてGRU代表ボリス・バイコフによってFBIに正体を密告されてしまう。そこでFBI長官エドガー・フーバーに「逆スパイになりますので、お目こぼしを」と転向したことになっている。節操のない話だけれど、これとは別に「ソ連の粛清に嫌気がさして」という真っ当な説もある。)
「ルーズベルト秘録」(下)によるとWhittaker Chambersはスパイ網離脱の前にHarry Dexter Whiteに会って、一緒に離脱しないかと誘っている。そのことからもわかるようにHarry Dxter Whiteに非常に近い所にいた人物だ。同書には長年にわたってWhite疑惑を調査してきた歴史家としてBruce Craigの名前もでてくる。
日本に於いてはWhittaker Chambers はHarry Dexter White程には知られていない。Whittaker Chambers が知られているとしたら、ソ連のスパイAlger Hissとの裁判に於ける攻防が一番有名だろう。これに関しては途方にくれるほどに資料がある。何しろ後の合衆国大統領Richard Nixonまで絡んでくる。上にかぼちゃの写真が置いてあるが、このかぼちゃも二人の裁判の重要な参加者である。興味のある方は各自調べられることをお勧めします。
そんなわけで(どんなわけ?)Whittaker Chambersには以前からとても興味を持っていた。
そして昨日、Whittaker Chambersに関して思いもかけない資料に出くわして、くたくたになってしまった。もし興味がある方がいらっしゃれば、ぜひお目にかけたい。Filmだ、TV番組、全部見るとなんと5時間半もかかる!いろんな資料を集めたが、まずはここからと思い、真っ先に置くことにした。ただ内容を理解するにはある程度の(かぼちゃの意味がわかる程度の)予備知識が必要かもしれない。先に「各自調べられることを・・・」と書いたのはそのためだ。ルーズベルトの近辺にいたソ連のスパイ網に関する告発をしたWhittaker Chambersをよりよく知ることは、日本人にとってとても重要だと考えている。故に「諜者必衰 」のカテゴリーに真っ先にWhittaker Chambersをとり上げた。
紹介するペイジ、そしてまたfilmは20世紀を代表する書物としてWhittaker Chambersの「Witness」を扱うものである。どうやらアメリカ人の教養のようだ。

資料1:Whittaker Chambers: Witness
資料2:Whittaker Chambers : Witness
左のWatchをクリックする。最初のFilmにHarry Dexter Whiteの研究家であるBruce Craigが登場する。そしてかぼちゃも。

追記:2009年3月22日:(今後さらに重要になる資料)
参照:Treasonable Doubt-The Harry Dexter White Spy Case by R. Bruce Craig
参照:R. Bruce Craig: Author
参照R. Bruce Craig: プロローグ:
参照:R. Bruce Craig :Photo Pages
R. Bruce Craigは信頼のおける歴史家だと思うが、彼の目と心には日本関連は入っていないことを忘れないでいたい。

追記:2009年3月23日
参照:A Visit to the Farm of Whittaker Chambers
参照:Sam TanenhausによるWhittaker ChambersのBio及びBook Review
参照:Whittaler Chambers Witness: Book Reviews

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Telegram from Joseph McCarthy to Harry S.Truman

Telegram from Senator Joseph McCarthy to President Harry S. Truman
No.1 : No.2 : No.3 : No.4 : No.5 : No.6 :
Reply from President Harry S. Truman to Senator Joseph McCarthy
Telegram (Probably Unsent)
Joseph McCarthy の働きかけもHarry S. Trumanには相手にされなかったことがわかる。嫌悪感さへ感じている文面である。この返事の草稿は出されていない。無視されたSenator Joseph McCarthy 。しかしここからTrumanに無視されたままMacCarthyの活躍が始まる。
大否定され大肯定され大否定されたMacCarthy、そして今日本人こそが日本人の視点でMacCarthyを再検証すべき時が来ている。

参照:Background of the telegrams :
参照:JFKのサイトのMacCarthyに関する部分:

テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

The Unnecessary War by Pat Buchanan

Patrickv Buchanan
日本人にはおそらく想像し難いChurchill悪玉説というのがちらほらと日本人の耳にも風の便りで届けられるようになった。昨年5月に発売になったPatrick J. BuchananのChurchill, Hitler and "The Unnecessary War": How Britain Lost Its Empire and the West Lost the World (Kindle Edition)がその一翼をになっていると思われる。この本に関してはTel Quel Japon過去記事で既に紹介している。今日は出来るだけ詳しく賛否両論を巻き起こしたこの本を紹介したいと思っている。

○まずTV出演しているBuchanan氏自身の解説を聞いてみよう。(May 26 2008: MSNBC senior political analyst Pat Buchanan discusses his new book “Churchill, Hitler and the unnecessary war” and the presidential race.)
○Thursday, June 5, 2008 (Pat Buchanan believes World War II was the easiest war to avoid in all of history 6:21)
Pat Buchanan: Hitler wasn't a threat to U.S.
○You Tube The Unnecessary War
No.1 : No.2 : No.3 : No.4 :
○Book Review No.1 : No.2 : No.3 :

歴史にもしもは無いけれど、Buchanan氏の発言はひとつの見方として正しい。イギリスが大陸に、アメリカが太平洋を越えて戦争に参戦しなければ、ヨーロッパ全体があれだけ疲弊し、ソ連があれほどの大国になることも無かっただろう。スターリンや毛沢東が自国民を含めてあれほどの人類を殺戮することも無かっただろう。そしてHitlerもユダヤ人の大虐殺などという狂気に走ることも無かっただろう。特にChurchillに、英国に強い介入参戦意思が無かったならば、第二次世界大戦は充分回避できただろうしその後の大英帝国の凋落も無かっただろう、というのがBuchanan氏の(史実の裏付けのある)主張である。まさに「第二次世界大戦に勝者なし」である。

最近また、原爆投下も本土爆撃も郵便ポストが赤いもの、何もかも日本国が悪いのだと言わんばかりの元読売新聞記者が書いた自虐史観文章を見た。加えて田母神氏批判である。はっきり言うと、史観などと言えるものではなく、その正体の99.9%は、凝固した単なる無知だ。

以上の記事は2009年2月5日のものである。今日2009年3月17日少し付け加える。
Pat Buchanan Interview : Anti War Com
May 31st, 2008 : July 23rd, 2008 :August 16th, 2008 :

テーマ:洋書 - ジャンル:本・雑誌

Joseph R. McCarthy (1) (資料)


新聞を読むJoseph R. McCarthy。 McCarthyの歴史に於いて果たした役割について検証したいと思っている。360度から見なければならない。まだまだ資料集めの前段階だ。客観的評価もできるだけ考慮してみたい。(これは、単なる予告で、小さな記事にするまでどれくらいかかるかもまだわからない)
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US Anti-Communism (3:06): Documents the US response to the Soviet detonation of an atomic bomb in 1949, complete with anti-communist music, scenes from Congressional Trials during the Joseph McCarthy period, and an FBI film on how to combat communism. (Source: PBS People's Century Series Brave New World episode).
I have found a very interesting film to show you. Le voila
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参照:The Hollywood Ten - McCarthyism Communist HuntsーMacCarthyismとMacCarthyを混同してはならない。
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参照:Committee On Un-American Activities 1962 43分52秒 ;Words :(MacCarthyは上院なのでHUACとは直接の関係は無いが、MacCarthyismと一括されるのでよく混同される。)(The House Un-American Activities Committeeに関する資料の宝庫に出会ったのは、私のArt Blog「Ceci n'est pas une pipe」でDavid Behrmanの記事を書いている時だった。今年の1月22日のことだ。文学、音楽を含めてArt全般にわたって深く広くMacCarthyismを乗り越えて赤い血液が浸透していた時代があったことを知った。宝庫の扉を開いて歴史を検証するのはまだこれからだ。)
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参照:American Propaganda Films -Anti Communism 1952
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参照:The Investigation of William Mandel by Sen. Joseph McCarthy : WordsWilliam Mandel
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参照:MacCarthyのSite
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Timeの表紙になったMacCarthy:1951-10-22 : Cover Story:
この記事とは何の関係も無いが1940年代前半に、Time Magazineの表紙を飾った日本人を調べてみた。 アメリカ人が注目しアメリカ人が描いた日本人の顔、顔、顔、、
Prince Konoye - July 22, 1940 :Cover Story:
Yosuke Matsuoka - July 7, 1941 :Cover Story:
Kichisaburo Nomura - Sep. 22, 1941 :
Admiral Yamamoto - Dec. 22, 1941 :Cover Story:
General Yamashita - Mar. 2, 1942 :
General Itagaki - Aug. 3, 1942 :
Osami Nagano - Feb. 15, 1943 :Cover Story:
Admiral Mineichi Koga - Nov. 8, 1943 :Cover Story:
Admiral Shimada - July 3, 1944 :
Emperor Hirohito - May 21, 1945 :Cover Story:
Fall of Japan - Aug. 20, 1945 :
とここまで書いてCover Storyを読みたくなった。読むだけでなく、ここに取り出すとなると時間がかかるので、半分だけにしておく。今から右側に追加していこうと思っている。
画面から直接読もうとするとかなり目に負担がかかる。それでもBack Numberを全部読みたい気がする。新しい視点をそれぞれに獲得できるからだ。Timeはやはり調査力の凄い一流誌だと改めて思う。

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2010年2月9日:追記:重要
Jack Anderson's role in the destruction of Joe McCarthy
Drew Pearson
Douglas MacArthur:(Bonus Marchers):

テーマ:政治家 - ジャンル:政治・経済

The Bretton Woods conference in June 1944

Bretton Woods
Harry Dexter White, of the US Treasury (left), and the British economist John Maynard Keynes at the Bretton Woods conference in June 1944
経済学の2大巨匠。よーく御覧あれ、左が話題のHarry Dexter White氏、右が紹介するまでも無いあのJohn Maynard Keynes氏。1944年6月すでに戦後の世界経済システムの構築をにこやかに語り合っておられるの図。
John Maynard Keynes氏のご紹介。 Harry Dexter White氏のご紹介。今までここかしこで読み調べてきたHarry Dexter White氏に関して、思わず「ウッッ」と声を漏らしてしまうほど、完璧に最新の資料の統合がなされている、見事な紹介文だ。

参照: ブレトン・ウッズ体制: Electronic Journal:

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米国プロパガンダFilm : 敵国ジャップの正体

米国プロパガンダFilm : 敵国ジャップの正体(1)
米国プロパガンダFilm : 敵国ジャップの正体(2)
上の2本は米国政府が米海軍の士気高揚のために制作したFilmである。Narrationは、初めてお顔を拝見する前駐日大使Joseph C. Grew氏。「憎っくき日本はこんな国だぞ!」と教育しているつもりなのだけれど、自虐史観の日本人が見たら卒倒するほど(一部Narrationを除けば)日本人及び日本国賛歌とも受け取れる内容である。(但しNarrationを全部しっかり聞けば、これは又驚いたことに自虐史観の現代の日本人の方々の心と頭の中の内容と、これほどの時を経ていると言うのに、ピッタリ一致するではないか!)
映像に表れる日本人は、勤勉で秩序だち協力的で奉仕精神に富み、清潔で誠意に満ちかつ頼もしく凛々しい。日本国は、現代の日本人が見たら、こんな国があれば、この国の国民になりたいと思うほど、国力の充実した立派な国に映っている。プロパガンダFilmなのになんという皮肉だろうか。

ENTERTAINMENT for you who are living abroad :
Thank you for visiting TEL QUEL JAPON:(←にリンクしていたのは西尾幹二氏のTel Quel Japonの紹介ペイジだったのですが。追記:2010年12月29日)

Narrationを担当しているJoseph C. Grew氏について。
(追記:2009年3月18日)
32年から駐日大使を務め、42年日米開戦に伴う外交官交換で帰国。44年までコーデル・ハル国務長官の特別補佐官。国務次官、国務長官代行などの要職にも就き、戦後日本の天皇制擁護などで尽力。戦後すぐに退職。著書『滞日10年』(1944)。-「ルーズベルト秘録」(産経新聞社)下巻内人名録よりー
この『滞日10年』という著作が知りたくて探してみた。
32年東京に到着してインタビューを受けるくだりがある。The Japan Timesのそのインタビューにはこう紹介されている。「Grew夫人の母は黒船のPerry提督の娘である」と。おやまあ!と思って調べてみた。Grew夫人はPerry提督のgrandnieceだということがわかった。Grew氏の『滞日10年』をそもそもBruxellesは一体何処で読んだのだ!?と言われそうだが、(こちら)で読みました。物凄く価値のある資料だと思います。興味のある方はクリックして下さい。どうぞ。

///////追記:2011年1月26日///////
参照: Tel Quel Japon 後記事:

テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

The Final Secret of Pearl Harbor

The Final Secret of Pearl Harbor
Tel Quel Japon過去記事で真珠湾関連の本を何冊か紹介しているが、本当はこれ一冊で充分だとも思っている。
The Final Secret of Pearl Harbor: The Washington Contribution to the Japanese Attack (1954)、著者はRobert A.Theobald、訳者は中野五郎氏である。邦題を「真珠湾の審判」と言う。発行は株式会社大日本雄弁会講談社、発行日は昭和29年8月15日、定価は180円。帯の背中には「真珠湾奇襲は米国の書いた筋書きだった」とある。この本はある方に提供していただいた資料であるが、実はもう一冊所持している。こちらは昭和58年4月20日、株式会社講談社発行、定価850円で伊藤桂一氏の新版解説が付加されている。
最初の日本版は「出版社のThe Devin-Adair Companyから訳者の許に直送された原著の改訂版に拠り」と訳者あとがきにあるように、原著と訳書のタイムラグは極めて少ないと思われる。
訳者の中野五郎氏は東京帝国大学法学部政治科卒業、朝日新聞社記者として在職18年、元ニューヨーク特派員、戦時中交換船にて(1942年、昭和17年、野村、来栖両大使一行と共に)米国より帰国。その後同社研究室勤務、米国問題の調査研究に当たる。昭和23年秋退社。その後第二次世界大戦の調査、研究、執筆に専心され著訳書多数。訳者はしがき、と東京上目黒にて、昭和29年8月という訳者あとがきがあるのは言うまでも無い。
訳者はしがき、の次には元米国太平洋艦隊司令長官キンメル元海軍大将の序文と元連合国南太平洋艦隊司令長官、元米国第三艦隊司令長官ハルゼー海軍元帥の序文がある。その後に真珠湾攻撃当時米国太平洋艦隊駆逐艦部隊司令官であった、著者Robert A. Theobald氏の言葉がつづく。日本でではない。米国での出版である。相当の非難を覚悟した上での執筆であったと思われる。まず最初に事件を陳述し、次に証拠資料を並べてこれを討議するという、法廷で事件を検討する時の運び方を用いたと書かれている。
参照1(要約) :
参照2(全文) :全文を読める
参照3(読者感想) :興味深い 
参照4(IHR) :
参照5(Robert B.Stinnett: Interview :2005-01-29 mp3) :
参照6(FDR Sacandal) :あっと驚くこと間違いなし 
参照7(Communism at Pearl Harbor)当然Whiteが登場する。
参照8(Roosevelt関連本&リンク) : 
参照9(anti war com) : 
・・・・・・・・・
この書物の中から一箇所だけ引用したい部分がある。以下はO'Donnell記者が、1951年5月17日の the New York Daily News に発表した記事からの引用である。

"When the spy's confession was sent here, somebody in the Pentagon deleted from the original the damning statement by Sorge that he had informed the Kremlin in October, 1941, that the Japs intended to attack Pearl Harbor within 60 days and that he had received thanks for his report and the notice that Washington — Roosevelt, Marshall, Adm. Stark, et al — had been advised of the Japanese intentions. There is no record that this information was acknowledged here. But the (Japanese) police documents make it clear that Stalin & Co. had this accurate information and passed it back to us in return for our information about the impending attack by Germany on Russia."

その前にこの記事に関して、Robert A. Theobald氏の以下の記述がある。

On May 17, 1951, the New York Daily News and many other papers, to which the column is syndicated, carried a feature article by its Washington reporter, Mr. John O'Donnell, which told of various Far Eastern police and intelligence reports which were then reposing under close guard on Capitol Hill in Washington. Among these documents were the Japanese secret police reports which were surrendered to General MacArthur in Tokyo in September, 1945, and the confession of the famous Russian spy, Dr. Richard Sorge, who had organized and directed the operations of a widespread spy ring in Japan, until his arrest by the Japanese on October 18, 1941.

ゾルゲは1942年(昭和17年)の初めに死刑にされる前に、自身のスパイ活動の実情を物語る32,000語の告白文を書き上げて日本警察に渡した。(日本でゾルゲを取り調べた吉川光貞検事が下院非米活動調査委員会に於いて1951年8月9日(木曜日)証言している資料を私は以前に読んだ。その時に知って驚いたのだが、Sorgeの調書は、確かにここにあるようにSorge自身がタイプしたと証言されていた)O'Donnell記者はアメリカに渡ってから削除された、Sorgeに関する部分を削除前に読んで記事を書いたのだった。日本が60日以内に真珠湾(Bruxelles注:真珠湾と言う言葉が本当にあったかどうかでこのゾルゲ情報の価値は決定する。もし無かったのなら、記録から削除する必要など無い、という見解も成り立つ)を攻撃するとの内容が、Sorgeからクレムリンに、そしてクレムリンからルーズベルトに伝わっていた!と言うのがO'Donnell記者の記事だ。(詳しくは「真珠湾の審判」第七章)そして真上の引用の後に訳者注として、1951年8月、元マッカーサー総司令部諜報部長チャールス・ウィロビー陸軍少佐が米国上院の国内治安分科委員会に出席しゾルゲに関する記録書類を提出した上で、ゾルゲのスパイ活動の目的は日本を駆り立て太平洋戦争に突入させることであったと重大証言をして注目されたとある。(Bruxelles 注:Charles A. Willoughby氏も証言は下院非米活動調査委員会に於いてであり日時は1951年8月22,23日:証言内容はこちらの最初から4分の1辺りから現れる)
O'Donnell記者の記事を引用したが、ゾルゲと真珠湾に関してのこの部分は勿論メインではない。ルーズベルトが真珠湾攻撃を知っていたと言う主題からすれば、末節のひとつの(検証の価値が充分ある)異論だ。他の部分は既に他の書籍で知っているので、心底驚いたこの本のこの部分をちょっと取上げてみた。(ゾルゲのゾルゲ自身の調書を読んでも、日本の公安は、こんなことはあり得なかった筈だと、気にも留めなかったのだろう。真珠湾が筒抜けだったことさへ、1954年までは、ほとんど気付いていなかったのではないだろうか。(もっとも戦後60年以上経った今でも気付いていない人もいるようだが)邦訳初版本の帯に元連合艦隊司令長官小沢治三郎氏が言葉を寄せておられる。-真珠湾奇襲が、米国の策謀だと言う話は初耳だが(以下省略)ー半世紀以上も前のことだ、不思議ではない。

テーマ:歴史関係書籍覚書 - ジャンル:本・雑誌

「諸君」4月号:重鎮・直接対決(2)

参照1:「真珠湾の審判」ロバート・A・シオボールド著(The Final Secret of Pearl Harbor)
参照2:「真珠湾の真実」ロバート・E・スティネット著ールーズベルト欺瞞の日々ー(DAY OF DECEIT-the Truth about FDR and Pearl Harbor-)
参照3:「真珠湾」G・モーゲンスターン著ー日米開戦の真実とルーズベルトの責任ー(PEARL HARBOR-The Secret War-)
参照4:「真珠湾の裏切り」ジェイムズ・ラスブリッジャー&エリック・ネイヴ著(Betrayal at Pearl Harbor-How Churchill lured Roosevelt into WWⅡ-)
参照5Tel Quel Japon過去記事:Pearl Harbor

第4ラウンドは西尾氏のジャブがたまたま秦氏の鼻頭にあたり秦氏出血、ドクターチェックがはいった。「太平洋艦隊へ出航命令を出しておけば、日本の空撃ちになる。犠牲も出さず大義名分も成り立つ」という秦氏のお得意のセリフが来た。これを切り札のセリフにしていると前にも書いておられた。「真実の大被害だけが巨大な政治的効果を生むのです」と西尾氏があきれかえって反論されている。秦氏は、子供でもあるまいに、本当にこの切り札で議論が通ると思っておられるのだろうか。
たとえば1940年11月14日のCoventryの空爆をお忘れだろうか。One Night in November(資料1資料2資料3:)という舞台でも見て、噂されるその政治的意味を思い出していただきたい。どれほどの空爆であったか、Film資料の方も御覧下さい。RooseveltはCoventryのChurchillをそっくり真珠湾で自演したのかもしれない。
またイラン・コントラ事件の下地にもなったイランアメリカ大使館人質事件を思い出していただきたい。新しい大統領が華々しくデビューするために、その演出のために、人質の解放を敵対国と裏取引してわざと遅らせる、アメリカとはそういう国なのだと言いたい。アメリカやイギリスの政治的権力者は、個人的にも国家的にもいざと言う時の発想が日本人とはかけ離れている。
ドクターチェックで改めて驚いたのだが、秦氏は、真珠湾攻撃が敵方のシナリオ誘導であったことを未だに否定されている。上の参照の1~4までは私が最近手にした書籍である。すでに秦氏はお読みと思うが、どうやら書き手の虚言だと思われているようだ。第6,7ラウンドで西尾氏が取り出された幾多のVenona filesにしても、秦氏は都合の悪い資料には、正否を判断する前に、読み込む意思を閉ざされておられるように思えてならない。歴史家の歴史に対する姿勢が特別なのはよくわかるが、相手のパンチの前に顔を突き出すような、視野の硬直化が気になったラウンドであった。

参照: 西尾幹二氏Blog
News: 今2ヵ月後の「諸君」廃刊のNewsがはいった。新聞も雑誌も生き残りが厳しくなってきている。製造業や金融業に続いて競合を避けるための統合段階に入るのだろう。日本国に関する秦氏の言を借りれば「能う限りの衰亡を遅らせていくという立派な戦略」?が新聞にも雑誌にもまだあるぞと、笑っていていいのだろうけれども。
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追記:3月10日:「諸君」4月号:重鎮・直接対決(3)
7ラウンド以後も双方に疲れは見えず、特に秦氏が数多い大きなパンチを繰り出されたが、ほとんどが空を切った。西尾氏はカウンターをあわせるチャンスをみすみす見逃されてしまった。それでもカウンターは8ラウンドに一度決まった。「現在の目で過去を見る専門家の視野では、正しい歴史が見えない」というパンチである。効いたのか効かなかったのか秦氏の回復は速かった。二人の重鎮に判定をするのは無礼だと判断し試合はドローと決定された。感想としてはお二人の立ち位置の違いが浮き彫りになった試合と言える。歩み寄る気配は永遠に無いだろう。
秦氏が最後に-これからの日本は世界の覇権争いに首を突っ込むのではなく、石橋湛山流の小日本主義の道を行くと言う手もある。博打は打たないで、大英帝国のように『能う限り衰亡を遅らせていくというのは、立派な国家戦略だと思います』ーと発言された。そのような日本の未来を立派な戦略だと思われる秦氏と、それが国家戦略としたらおぞましくかつ最低だと思われる西尾氏側と(実は私自身の意見です)、その点にこそ論点の相違が集約されているように感じた。歴史の真実とか、歴史家の領域とかとは、全く何の関係も無い。

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「諸君」4月号:重鎮・直接対決(1)

「諸君」4月号:重鎮 直接対決、とは田母神論文をめぐる秦郁彦氏と西尾幹二氏との対決である。昨夜立ち読みして、どちらも堂々とした対決ぶりであったので、今日新に「諸君」4月号を購入した。

まず西尾幹二のインターネット日録にリンクしておく。
参照:Tel Quel Japon過去記事1
参照:Tel Quel Japon過去記事2
参照:Tel Quel Japon過去記事3
参照:Tel Quel Japon過去記事4

第3ラウンドあたりに秦氏のストレートが入っている。なぜなら西尾氏が全く反論を(ディフェンスを)されていないからだ。Tel Quel Japon過去記事1の感想.7に書いているポイントだ。
「真珠湾攻撃に先立つ一ヵ月半も前から、中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである」が田母神氏の記憶の変形だと指摘された。前にも書いたようにこれは秦氏の揚げ足取りだ。「中国大陸に於いて、日本に対し」という文章は成り立たない。文章ミスなのだ。「隠密に航空爆撃」など出来る筈が無い。文章ミスなのだ。前に書いたように「日本に対し航空攻撃(準備)を開始していた、とするのが校正の出来た文章だ。」
第4ラウンド早々に西尾氏の右が秦氏のボディーをとらえた。田母神氏をお笑いタレント扱いしようとした秦氏に「田母神さんを侮辱するのはやめて頂きたい。軍人には名誉が大事なのです」ときっぱりとかえしておられる。田母神論文を否定したい一心で、書き手の人格誹謗まで発言するのは、恥ずかしいことだと認識しなければなるまい。
第2第3ラウンドと、西尾氏のストレートが2度空を切った。Nicolson Bakerの話題が出ているのに秦氏の「どういう結論を引き出しているのですか」の問いにこれといった回答がなされていない。Tel Quel Japon過去記事2をクリックしていただきたい。このBook Reviewを読むだけでも著者の意図は充分理解できる。Tel Quel Japon過去記事1の後半にあるThe Political Cesspoolのラジオ番組を聞いてもそれはわかる。(前から10分の4から5の辺りでその発言がある)Nicolson Baker氏は平和主義者なのだ。その著書にJames O. RichardsonやJeannette Rankinの名前が出てくるのは、どうしても日本に戦争させたかったRooseveltと対比させて、Rooseveltの日本に対する戦争意欲を立証するためだ。Tel Quel Japon過去記事4の映画の中でも、Rooseveltが日本を戦争に巻き込んだと言うセリフがはっきりと聞き取れた。歴史や政治に興味のある人間なら、アメリカ人であろうと日本人であろうと、太平洋戦争がどのように勃発したか、裏の経緯はずっと昔から誰でも知っている、と言うことだ。(つづく)

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日華満協助天下太平

January 2, 1932: Japanese forces rename Manchuria Manchukuo (land of the Manchus) and set up the Manchukuo puppet government.
こういう解説が入っているが、作者不明。興味深い資料だ。
一般的日本人の気持ちがよく現れている構図。

日華満天下泰平

参照:
満州国皇帝陛下奉迎歌
参照:Video:
参照:昭和10年 昭和天皇、溥儀お出迎え。東京駅
参照:満州国国家
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参照:夜來香 :李香蘭 山口淑子:

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