TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

Churchill: We Shall Fight On

Churchill: We Shall Fight On

In May, 1940, after the outbreak of the Second World War, Winston Churchill became Prime Minister and Minister of Defense and remained in office until 1945. During this time, he worked to develop a military strategy that would ensure Hitler's defeat



New Japanese PM wants better china ties

New Japanese P.M. By China View

Mr.Abe will set up a government task force to resolve the issue of abductions of Japanese nationals by North Korea.(Very good!!)
Mr.Abe will also step up efforts toward United Nations reform, with an eye toward gaining Japan a permanent seat on the U.N. Security Council.(More than 60 years have passsed. It is too late to hope for the seat. Is it worth while aspiring to? Question Mark to the U.N. itself.)

歴史をさかのぼって説明責任を果たさなくては。

張作霖爆死事件の如き、満蒙の当時の事情を知っている人には、故田中総理大臣初め当時の内閣諸公が何ら感知したことではない、と言うことは、これは申すまでも無く明白であるにかかわらず、民政党のある者はあたかもこれについて、何か故き田中首相が、関係でもあるかのごとき宣伝を敢えてしたのである。(「東亜全局の動揺ー我が国是と日支露の関係、満蒙の現状」松岡洋右著 P.76& P.77)

世論がおかしいと、松岡は気づいていたし、そんなこと(日本の関与は無い)は当たり前だと考えている人たちも多かったように思える。事件はでっち上げだとでっち上げられたのだ。流説の流布のまま、教科書は書かれてきた。いったいどこから?誰から?

仮に東方諸民族に限ってこれを言えば、現に満蒙における20万の大和民族が移民であるなら、2千数百万の漢民族もまた同じく移民である。清朝時代の漢民族に対する満州移住の禁令は、やっと26年前初めて全部の撤回を見たのである。一体ある特定の小地域を割し又は時を限っての除外例はあろうが、およそ一般的に原則的に、自国民の居住往来を許さない自国の領土と言うものの存在を想像し得るか。(P.136 &P.137)

この後松岡は5民族の満蒙における自由、平等を説いている。溥儀は、後に傀儡と言っているが、皇帝の地位を与えられている。領土奪還をしてもらい、インフラ整備をしてもらい、治安維持をしてもらい、産業興隆のための良質な労働力を提供してもらい、教育をしてもらい、独立まで与えられて、傀儡も何よりも、そもそも真の皇帝ではどう考えてもありえない。傀儡以外の何者でもありえなかったのは、自らの実力の結果、事実の結果以外の何物でもない。日本が植民地主義を肯定する国家であったならば、もっとすっきりしたやり方があった筈だ。(大東亜共栄圏にしても、共栄と言うのがVisionであって、領土拡大主義、植民地主義が根底にあるのではない、ことを証明していかねばならない。西洋の列強には考えの及ばぬところ、理解の届かぬところなので、証明に時間はかかるが、ここは一番大事なところだと思う。)

:(西洋人にはどうしても理解できないこの、お人よしぶりはどこから来たのか、考えてみた。薩長連合は新幕府を造らなかった。維新は革命ではないのだ。日本には転覆し支配し植民地化する西洋的あるいは古来以来の中国的意思はなかったのだ。だから易々と皇帝を迎えたのだ。この発想は維新の発想だ。列強に啄ばまれさらに”滅満興漢”の言わば完全死に体の清国を、再興しラストエンペラーに大政奉還しようとしたのではなかったか。そこにアジアの五族協和の、これ以上、民族間で争いあうことのない豊かな国を造ろうとしたのではなかったか。植民地支配とは根本的に異なる”共栄圏”をこれから建設しようとしたのだ。日本政府にあったのは、維新(薩長連合)の発想の延長だったのではないか。死に体の混乱の中国をアジアの仲間として救おうという誠の発露ではなかったか。):

満州が傀儡でしかなかったのは、日本の真に望むところではなかった。(領土奪還力、治安維持力、危機に際しての防衛力の無い独立国はありあえない、と言うこと、はいつの時代においても確固たる事実なのだから。日本に非があるとすれば、早々と独立を認めたところだろう。)

この「東亜全局の動揺」と言う本は岡山県総合文化センターからお借りした。今日が返却日。読む時間が無かったので、所々拾い読みした。円マーク.35と書いてあり、35円かと思ったら、定価35銭。出版は先進社。多くの方にお読みいただきたいので、やや乱丁がありますが、紹介しておきます。昭和6年9月25日発行。

満州国WIKIPEDIA

もうひとつ、中国人、たとえば、蒋介石、孫文、はたまたロシア革命のときのスターリンに資金協力をした、理念に燃えた、純粋な日本人も何人かは存在したし、彼らもまた日本の知と財力と人情に縋った。日本人は策に欠けるが太っ腹で理想に燃えていたのだ。
最近「三国緩衝地帯論(朝鮮・東シベリア・満州を合わせた地域をまとめて、武力を持たない緩衝地帯とし、紛争を未然に防ごうと言う東アジア広域圏構想)」をもって、実際スターリンに直談判をした日本の政治家の存在 (追記:2012年7月7日:『惑星が行く 久原房之助伝』に詳しく書いてある。私はこの本を久原房之介氏の孫、シャンソン歌手の石井好子さんから贈呈していただいた)を知った。機会があれば、紹介したいと思っている。
日本は西洋列強のような、獰猛な、東洋人を人とも思わないような、帝国主義者、植民地主義者ではなかった、ことのひとつの証明になればと願っている


桜魂の同趣旨の記事にTRACKBACK
させていただきました

TORA TORA TORA

TORA TORA TORA- Operation Magic 
Only 54 seconds with a commercial film
真珠湾攻撃前に、米軍が暗号を解読している場面
日本大使館に届くより
米軍が入手するほうが早いと言っている

大東亜戦争とスターリンの謀略

大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義
三田村 武夫著
NET上で随分語られているこの本。こちらのサイトで紹介されていたので(「歴史道楽」)リンクさせていただきました。
この本のことはこのペイジの105番をクリックしてください
同じ本でも読み手によってさまざまな解釈が可能かもしれない。できれば、お読みになった方々の感想など、お寄せいただけたら嬉しいのですが・・・
参照:SPY SORGE: MOVIE by MASAHIRO SHINODA (I myself have not seen this film yet. I don't know on what point of view this was made by him.)

他に「反日ワクチン」と言う面白い名前のBLOGを発見しました。リンクした部分にこの本のことがでています。

IRELAND : Nine News

Nine News:アイルランドのNEWSを聞いてみる。
Prime Time: アイルランドのNEWSを見てみる

Trial at the Int'l Military Tribunal for the Far East

China Movie 「東京裁判」の英語タイトルが「Trial at the Int'l Military Tribunal for the Far East」。現在中国で上映されているらしい。中国人が主人公。日本人役は、日本人の俳優が演じていると言う。どんな内容なのだろう?  

映画「プライドー運命の瞬間」

昨夜映画「プライドー運命の瞬間」を見た。一部の米国人及び過半数の日本人までもが何故War Criminalとか戦争犯罪者とか言う言葉を使うにいたったか、原因はここにある。
小堀桂一郎氏の「富田メモ」に関する記事を、私が一番素晴らしいと思った原因もわかった。そこには「東京裁判のやり直し」が言及されていたからだ。ここまで遡らなければ多くの日本人も世界の人々も洗脳から解き放たれることは決してありえない。

「この私が将門なのか」と東條がもがき苦しむシーンが圧巻だった。国家のため、そして死んでいった兵士に詫びるため、死に向かえるなら、どんなに嬉々として旅立てたことだろうか。

一人東條が将門になったのではない。日本国政府・軍人・国民全員が将門になった瞬間である。
仕組まれた東京裁判の罠に見事に嵌まった瞬間である。日本の歴史が恥辱に塗れた瞬間である。
東京裁判には筋書きがあり、あなたはセリフと演技を強要され、清廉なる自己犠牲のはずが、歴史解釈の正史になってしまったのです。日本の、世界の正史が捏造された瞬間です。

映画は映画に過ぎないけれど、そこまでと思うほど、勇気のある映画だった。
「東京裁判」の見直しには動かせそうもない重い障害がある。それを乗り超えるためには、多くの優れた勇気のある覚醒した真の日本人と100年の歳月が必要だろう。

2010年1月26日 追記
この人物をあなたはどう評価するのだろうか?
田中隆吉 (1)
田中隆吉 (2)
田中隆吉 (3)
田中隆吉 (4)
田中隆吉 (5)

「東京裁判」の見直しには動かせそうもない重い障害がある。それを乗り超えるためには、多くの優れた勇気のある覚醒した真の日本人と100年の歳月が必要だろう。
しばらく休筆します。

・・・・・追記:2010年12月22日・・・・・
映画「PRIDE」You Tube
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5 & No.6 :
No.7 & No.8 & No. 9 & No.10 & No.11 & No.12 :
プライド・運命の瞬間 東京裁判の検閲
(追記:2014年1月17日)クリックしたが全部消されている。全くつながらない。

/////追記:2014年1月17日/////
元は8年も前の記事である。この映画も弾圧にあい後に上映禁止になったとかならない?とか。そのせいでもないだろうが、この映画を見てもその意味内容が全く理解できない保守の賢者が思いのほかたくさんいらっしゃる。これは東條が前言を翻し強いられて偽証を決断する場面である。当然それは最後には東條も納得、GHQも日本政府も一安心したのではあるが。いわゆる東京裁判日米合作の合作クライマックスである。
(前言)1947年12月31日
「日本国の臣民が、陛下の意思に反してかれこれするということはあり得ぬことであります。いわんや、日本の高官においてをや」
これでは、大東亜戦争の開戦は天皇の意思だったということになってしまう。とGHQも日本側もあわてた。そこで東條の証言を撤回させようとまずキーナン首席検察官が行動を起こす。キーナン→田中隆吉→松平康昌→木戸幸一、ここに実際は米内光政や寺崎も入っている、この映画では直接東條を説得(恐喝?)するのは清瀬弁護人であった。
(再証言)1948年1月6日
「私の開戦の決断に陛下は渋々同意された」と再度の尋問で前言を翻した。(日米合作)逆臣陸軍の暴走による大日本帝国悪の枢軸物語の完成である。中韓は堂々とこの上に糞を重ね続けているのである。敵に教えをこうて合作した作戦など、へらへらと自国を辱め続ける結果しか生まない。
参照:天皇訴追を跳ね除けた資料作成 (2)






テーマ:映画の感想 - ジャンル:映画

今日のNEWS: アメリカ様

今度はアメリカ様がこんなことを。
日本が説明責任を果たさないから、こんな認識で次元で話すアメリカ人の政治家が出現する。この雪崩現象(リンクが切れてしまいました。コメントをいただいたので、このまま記事を残します。)

U.N. General Assembly 中継録画

U.N. General Assembly 中継録画14 September 06

U.N. General Assembly 中継録画 20 July 06

U.N. General Assembly 中継録画 02 June 06
Mrs.Laura Bush The First Lady of the U.S.A.

The United Nations

途方もない資料の山に圧倒されて、視力と体力の限界が来て、一休みしたいと思ったのだけれど、例のTOP SECRETを見つけて引き返してしまった。
Pearl Harbor こちらにそのTOP SECRETとRadio Address Delivered by President Roosevelt を並べてみた。Rooseveltのこの2重人格さはどこから来るのだろう。アメリカの普通の人はどういう歴史を学んでいるのだろう。と思い、本棚から少し古いSAT用の「American History and Social Stadies」(Barron's出版)を取り出して、ヤルタ会談を開けてみた。

1945(February)-The Yalta Conference in the Crimea found Roosevelt, Churchill,and Stalin considering plans to attempt a quick end to the war they were obviously winning. Russia promised to set up a front against Japan, a pledge which Roosevelt thought, by having Russia share the burden of attack, would save a great many American lives. The three powers agreed to see that the liberated states had representative governments chosen by free elections. The date was set for the San Francisco Conference on April 25.1945.
The Yalta Conference has long been a controversial issue in America. The Russians did set up a front in Manchuria and occupy northern Korea as agreed at Yalta, but the atomic bomb made the presence of Russian forces unnecessary for victory. Stalin broke his promise to promote, or at least allow, free elections and representative government in the nations adjacent to the Soviet Union. At the time, Roosevelt was especially pleased with the Yalta meeting because he had a definite pledge of help against Japan and definite assurance that Russia would attend the San Francisco meeting to help form the United Nations.
ヤルタ会談はアメリカでも問題あり。やっぱり勝手な分け前相談に気が引けるのかと、思ったら違った。振り返ると原爆を落とせたのだから、ソ連などの力を借りる必要はなかったのだと悔やんでいるらしい。原爆投下の人道に関する罪など、欠片もない。なにこれ。ソ連の参戦の最後に書いた言葉を思い出していただきたい。続いて
1945(April to June)- The San Francisco Conference, which drew up the United Nations charter, was attended by delegates from 50 nations. The main organs of the United Nations were(...)
San Franciscoで国際連合憲章が調印された。軍事参謀委員会があり、共同制裁行動のために武力の行使が認められている。こんな状況でできた国際連合、初めから国際連盟ほどの理念が理想がどうも感じられない。
そこへ「正論」10月号の以下の記事が目に入った。

国連に巣食った共産主義/ 日本外交よ,この危険組織を重視するな/国際問題研究家 瀧澤一郎

なになにあのHarry Dexter Whiteが国際連合成立に深く関わっていると!「Pearl Harbor」の記事の中で「ハルノートはハルが書いたものではなく、アメリカ軍に籍を置くソ連のスパイが書いたもの」と私は書いたがこのハルノートを致命的に改竄したソ連のスパイとはこのHarry Dexter Whiteのことなのだ。
日本を戦争に追い詰めた人物その人が国際連合の成立者の一人とは!

国際連合がどうもおかしいと思うことは最近体験した。9月14日になっているがこれは5月22日に私の別のサイトのDiaryにかいたものだ。「田舎の信用組合、に失礼」とは産経新聞の記事のタイトルで、国際連合を田舎の信用組合にたとえた人がいたらしい。しかしそれでは「田舎の信用組合、に失礼」と言うことだ。
公正な判断のできる人物なら決していわないようなことを日本に来て言っていた。瀧澤一郎氏の文章でアナン氏のオバカな発言の謎も解消した。しかしこれは、”国際連合”をいま少し検証してみる価値はありそうだ。
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UNのWEBTVを見る限りはさすがの組織なのだけれど。UNのWEBTVは勉強になりそう

After 13 years of exile in Tanzania, Alphonse’s family came back home, in other words, where they had a house once upon time, in Burundi.
Alphonse left his native country when he was one year old. Burundi was an imaginary country, a country of dream.
ALPHONSE RETURNS
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Soyons Vigilants

当Blogは戦前戦中の日本を賛美し回帰しようと叫んでいるBlogではない。連帯(否、正確に言えば付和雷同)して不幸に突進していく危うさは、今も昔も何一つ変わりはしない。レディーメイドの価値観や思想や制度に依存して思考を停止してはいけない。
皆と同じようにする無思考、長いものに巻かれる無気力を、正義とか安全とか平和だと勘違いしてはいけない。正義も安全も平和も自由も平等も、充分な気力、健全な(洗脳を超脱した)思考力、公的視野に立つ価値観・判断力・行動力などによってしか、支え続けることはできない。
そのためにはSoyons Vigilants,肉体的にも、精神的にも、頭脳的にも常に活性化していなくてはならない。
時という永遠の未知を目の前にして、その闇と光の混在に怯え、あろう筈もない道標や、意図的洗脳に縋ろうとしてはならない。
Soyons Vigilants,時と言う永遠の未知に自らの意志と勇気と覚悟を持って胸を張って踏み込むためには、常に毅然と覚醒していなければならない。

ソ連の参戦

Please Read, ** Difficulties in accepting these definitions
:FROM Thanks to this page
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We must remember that the USSR and the Netherlands are some of the prosecuting nations in this case and both declared war against Japan first. So far as the USSR is concerned, even if self-defense be taken as admitting of initiation of war under certain conditions, the circumstances in which that state declared war against Japan would hardly justify it as war necessitated by any consideration of defense. It would perhaps be difficult to read "an instant and overwhelming necessity for self-defense, leaving no choice of means, and no moment of deliberation" in a war against already defeated Japan.

1945年8月6日 日本は米軍による人類史上初の原子爆弾投下により、すでに疲弊の極みにあった。
戦闘行為が侵略のそしりを免れるのは、そこに防衛の必要が認められる場合のみであるが、すでに死に体の日本は何の脅威にもならない。したがってソ連の参戦は明らかに侵略に当てはまる。

The USSR declared war against Japan on 8th August 1945. The Potsdam Declaration demanding unconditional surrender of Japan was issued on July 26, 1945. Japan had requested the Soviet Union to mediate in the early part of June 1945, and ultimately offered to surrender on August 10, 1945.

広島に原子爆弾が投下された翌々日の8月8日、ソ連は日本に宣戦布告した。3方面6ヵ所から「満州国」とソ連国境をこえた。関東軍将校及び民間人も含めて57万人が(64万人とも言われる)が、シベリアに抑留された。一方27万人ともいわれる満州開拓団は、ソ連進行と同時に着の身着のままで南を目指して逃避行を余儀なくされた。
(図解「太平洋戦争」太平洋戦争研究会著 河出書房新社刊 P.134)

日本が藁をもすがる思いでソ連に和平仲介をたのもうとしていたときに、スターリンはポツダム会談をしていた。メンバーはスターリン、トルーマン、(チャーチル後)アトリーである。

ヤルタ協定:(松山大学のHPにリンクさせていただきました)
ヤルタ協定こそ共同謀議以外の何者でもない。この写真が歴史の表面に堂々と現れることこそおかしい。強盗たちのひそひそとすべき山分けの話し合いとしか思えない

1960年:日米安保闘争

1960年:日米安保闘争:少し時間がかかります

VIDEO: Culutural Revolution

文化大革命:海外宣伝用か こちら そしてこちらも
Kill a Sparrow Campaign in China
すずめを殺す大キャンペーン、虫による作物被害が増大しただけ
紅衛兵とマオの全盛:造反有理という言葉は日本の大学の看板にも頻繁に登場したこちら
MAOの死によって混乱の文革もついに終わる。こちら

問うべき戦後とはなにか

 僕らは生まれた直後から「敗戦」というものの”無機質の言語”を感知し続けてきた筈だ。「敗戦後の国民」という”無音のシラブルの意志”を誰が一体心地よく感知するだろうか。肌に植え込まれそうな多くの言葉をひたすら押しのけようとした僕らは、外部が僕らに引き受けさせようとした諸々を、かたくなに拒んできた。突如として転覆させられた(風土の生命)を、否定された(流れつづけてきた過去)を、断絶した対岸のものとして見つめながら「ちがう、ちがうんだ」「嫌だ、いやなんだ」と叫ぼうとしながらも、引き継いだ生命の重みから逃れられなくなる時、僕らは豹変せざるを得なかった前世代の不安と混沌の残響を、どう救いあげればよいかを考えあぐねなければならぬのが常だった。途切れた糸を途切れない糸でどう補うかに戸惑わなければならなかった。打ち崩された「精神文化の方向性」を、ただ持続する(生命の流れ)で、どこへどう運び切るか。少なくとも僕は、僕たちの時間帯の志向を、供え物ではない、僕たちの体質からにじみ出る欲求に指揮させたいと願ってはいた。
 けれど対岸に新しい橋を架けることも出来ず、ついには、対岸からの種子を風が運んでくれるのを期待する気力もないまま、荒れた大地の上に各々の仮住まいを建てなければならない季節を迎える羽目になっていた。(...)

命を懸けて真実だと信じきっていたものが目のあたりに崩壊するとき、人は次の一瞬からの時刻をどう生きるのだろうか。
「日本軍閥の侵略主義」という、結果から照応された規定から★「精神風土の破壊と無力化」を目的とした占領政策★が約束した「罪悪感」という次からの時間のためのパスポートを持って、前の世代は僕たちを産んだ。深い謝罪によって現在を肯定することができると思った。
 僕は晃という生命の継承を否定する他者から「裏切りと背徳と快楽」を得ることによって、反自然あるいは虚構という裏返しのパスポートを持って新しい真実を生きようとしている。
「似たようなもんじゃないか」
時間は突然止まりはしない。人間を超越して絶対的に流れ続けている。
 僕は名大の芝生の上で僕の身体を回転させた。
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四城亜儀著「帰ろう愛の天使たちーまたは無音のシラブルの意志について」より2箇所抜粋
1975年 社会思想社刊 現代教養文庫 863
小川和佑編 「わが1945年ー青春の記録(1)」収録

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このような形で、昭和精神史における戦後、あるいは昭和精神史の青春像にみられる精神の形成を広く読者一般に、戦後を考察する核として提出したい。したがって、この一冊は文学的アンソロジーであると同時に、精神史的アンソロジーといった性格を備えているものである。
(...)1975年初秋 小川和佑「編集ノート」より(...)

小川和佑氏編集の社会思想社刊、青春の記録3冊は
「無名者にとっての修羅」青春の記録(2)
「埋没した青春」青春の記録(3)と続いて1975年に刊行された。

Macarthurの証言

最高司令官マッカーサーは解任されてアメリカに戻り、昭和26年5月3日米上院軍事外交委員会で証言を行った。

STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR TWO

Senator Hickenlooper. Question No.5:
Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General Macarthur:
Yes,sir. In the Pacific we bypassed them. We closed in. You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands. It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.
Potentially the labor pool in Japan , both in quantity and quality ,is as good as anthing that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on. They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.
There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton,they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 20 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要から出たのであります。

上の文は矢崎好夫著「大東亜戦争の大義」P.279,P.281からの引用である。これは小堀桂一郎氏の「東京裁判・日本の弁明」からの要約らしい。(小堀桂一郎氏は『富田メモ』に関しても、最近『正論』上に素晴らしい文章を書かれている)

上の引用文の真の意味は下の引用によって明らかにされる。
Please Read, Self-defense is the only justification of war & The right of self-defense
:FROM Thanks to this page
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To deprive a nation of those necessary commodities which enable its citizens and subjects exist is surely a method of warfare not dissimilar to the violent taking of lives through explosives and force because it reduces opposition by delayed action resulting in defeat just as surely as through other means of conventional hostilities. It can even be said to be of a more drastic nature than the blasting to life by physical force, for it aims at the slow depletion of the morale and well being of the entire civilian population through the medium of slow starvation.
国家及び国民が生存するに必要な物資の流通を阻止することは、武力を持って戦闘行為に及ぶことに等しい、いやむしろより惨いと言うべきだ。
ABCD包囲網に対してあるいはハルノートに対して日本の選び取った行動は、侵略行為ではなく、生存権の防衛と解釈されうる。言われてみると、そうだ、自明のことだ。
自明のことを自明のこととして解釈できるのが真の国際法学者なのだ。日本にとって、列強が突きつけたものは、単なるいわゆる経済制裁などというやわいものではなく、まさに生存権の剥奪と解釈されるに充分な、息の根を止めるに等しいものだった。事実息の根を止めようとしたのだ。譲歩に譲歩を重ね、どれだけ戦争を回避する努力を日本はしたことか。思い出していただきたい。

盧溝橋事件:Marco Polo Bridge Incident

盧溝橋事件Marco Polo Bridge Incident
:貴重なFilm


敗戦:VIDEO

言葉もない

1931年9月19日朝

1931年9月19日、青山の自宅にいた松岡は朝刊で柳条湖事件の勃発を知った。そのころ「東亜全局の動揺」という著作に打ち込み、完成寸前だった。事件を知った時の衝撃を「東亜の全局の動揺」の校正後記に記している。
「松岡洋右ー悲劇の外交官(上)」P.110&111より抜粋

朝刊が来た。目を見張った。が、次の瞬間力なく校正の赤鉛筆を放り出して、我知らずうなじを垂れた。外交は完全に破綻した。威力は全く地に落ちた。世界を挙げて我が勢力の存在を認めていた筈の満蒙で、このていたらくは何事であるか。(中略)こんなことを防ごうと思えばこそ筆を執った。もう校正する勇気もない。砲火剣光の下に外交はない。東亜の大局を繋ぐ力もない。やんぬるかな、ああ。
9月19日朝、奉天付近における日支兵衝突の報道を読みて。
著者識す

これを読むと柳条湖事件について、陸軍からは松岡になんらの事前通報がなかったことがよくわかる。・・・
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言われていたような企みが、元々なかったとしたら、陸軍自身、事前通報など、そもそもしようがないのではないのか。柳条湖事件は、本当に突発的な事件だったのではないか。あるいは逆に嵌められたものではないか。
I am mentioning this at this stage not to say which side was right and which wrong. I am simply pointing out, in support of the hypothesis advanced by the Japanese that Mukden incident was engineered by the Chinese, that even by the absence of military preparedness on the part of China the hypothesis is not altogether excluded. (Pal判事もこう記している)さらに
Further, if we are to build on this apparent military preparedness of the Japanese side, we must not ignore any possible preparedness on the Chinese side in some other respects. Preparedness, after all, depends upon what the party may be preparing for. The Chinese side might have been conscious of their relative weakness in military strength and therefore instead of counting upon their own military recourse, might have counted upon international intervention for the solution of their Japanese difficulties in Manchuria. They might not have been inadequately prepared for securing such international intervention.(Pal判事はこうも記している)
この衝突は日本軍が戦闘行為拡大の口実に引き起こした、と一般にはされてきたが、ならば、逆に武力に劣る中国側が国際連盟に泣きつくための口実にすることも出来た衝突だった、という見解も成り立つと言うことだ。結果から見れば、後者が成功して、日本は孤立していったのだった。
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PAL判事のことを知らなかった方は以下のリンクをご覧ください。
ラダ・ビノード・パール
Radhabinod Pal
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闇の夜を照らすひかりのふみ仰ぎ こころ安けく逝くぞうれ志き
東京裁判で絞首刑になった木村兵太郎が、PALに感激して詠んだ歌である
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New York City,March,1933:Yosuke Matsuoka

ジュネーヴでの演説をまとめた小冊子をMr.MatsuokaはNew Yorkで配布している。以下はその序文からの抜粋である。

Japan wants no war. She seeks to prevent the development of war. Her actions in Manchuria have been taken with this object in view, and therefore in conformity with the purpose of the League of Nations. It is because there is in Europe and America so little understanding of Japan and China, and their relations with Russia, that the Western World has permitted itself to be misled with regard to the policies of my country. These policies, the disordered condition of China,and the potentialities with regard to the Union of Socialist Soviet Republics, I have endeavoured to explain.

With regard to the U.S.S.R. there are two trends of thought in Japan at the present moment. One is that that country is a menace to Japan, because of efforts to spread Sovietism over the Far East and because of the militaly development within the Soviet Union. Those Japanese who are anxious over this combined development and propaganda think that our country should strike at the U.S.S.R. before the potential menace fully materializes. The other opinion is that the issues conflicting between the two countries can be peacefully settled by means of diplomacy. The writer shares this latter view.

平成の一般的日本人は満州を語るとき、このU.S.S.R.の存在を何故か忘れている。否、昭和の戦後の日本人でさえ、戦争を語るときU.S.S.R.はわずかに日本敗戦後のソ連侵攻と”シベリア抑留”に記憶されるのみのように思える。一方日本には、あるいは日本のみではなく、あらゆる分野の知識人の過半数がロシア憧憬者によって占められていた時代があった。スターリン批判が出るまでは特に。そしてその後は毛沢東憧憬者によって。
ゆえに松岡の上記の発言は一顧だにされたことがない。洗脳をといて、この時代(当時)に立ち返って松岡の言葉に耳を傾けていただきたい。松岡の真意と不安の的中に気づかないだろうか。
それともJuan Changの「MAO」のような、ロシア人の手になる「Stalin」が出版されるまで、あるいは、待たねばならないのだろうか。
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団塊の世代のあなた、あなたの引き出しの奥に、ひょっとして「毛沢東語録」がありはしませんか
「ち、違う、これは『赤尾の豆単』だ」って?
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あなたの心の中に(貴方が、又は貴方に)ずっと石を投げ続けた「日本の過去」はありませんか?

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The Mukden Incident:柳条湖事件

http://homepage3.nifty.com/kadzuwo/history/Hall-content.htm
こちらのサイトからリンクさせていただきました。

The Mukden Incident:柳条湖事件
 by Radhabinod Pal (India)
I am saying this only to show the difficulty in drawing any conclusion against Japan from the mere circumstance of her relative preparedness.
日本の戦闘行為が迅速だったからという理由で、日本側が仕掛けた行為だと言う証拠にはならない。結局それだけが証拠だったのか。
それにしてもPal判事の文章を読んで大変感動した。松岡が国際連盟で述べたことと、その視点と非常に類似しる。松岡の文章かと、勘違いするくらいに。
The military operations of the Japanese troops during this night, which have been described above, cannot be regarded as measures of legitimate self-defense. In saying this, the Commission does not exclude the hypothesis that the officers on the spot may have thought they were acting in self-defense."
この部分は特に松岡の連盟での指摘と同じである。

The Manchurian Incident and self-defense
I am however inclined to the view that there existed sufficient objective condition so as to entitle Japan to plead that she bona fide decided upon this measure as necessitated by self-defense, and consequently, even if I could accept the view that aggressive war became crime in international law at the date of the Manchurian Incident I would not have held this to be such an aggressive war at all. ここで感動は極限に達した。日本人全員がこのPal判事の文章を暗記するほど読むべきだと思う。

The attitude of the League
If Japan had yielded to intimidation and withdrawn her troops, Manchuria would have been delivered over to a more horrible state of anarchy and misrule even than before." The League had no means to step in and restore order in Manchuria. The League equally had no means to guarantee security to the Japanese Force.
この部分も松岡が連盟で訴えたポイントと同じだ。

真珠湾攻撃の検証 :サイトの紹介

Pearl Harbor Attacked 1941/12/07
Torikai Lab Network
Peace and War OnLine
を紹介します。こちらです

STALIN VIDEO

貴重だと思うのですが。動くStalin
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Fifty Years After His Death

Bolsheviks vs Mensheviks

Study Room: Let's Watch

CULTURAL REVOLUTION TV in China

CLICK:CULTURAL REVOLUTION TV

Then click「WATCH TV」、and Click 1,2,3,4,5,6,
You will be able to see the outline of The Cultural Revolution

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Click here. And Click 「Smash The Old World」
You will be able to see a lot of photos of 「The Cultural Revolution」

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I am happy to introduce you; An Article by Yosuke Naito
30 years after Mao'death: a post stamp

国民党VS共産党 MAO

I will show you a part of THE HISTORY of CHINA.
I believe that you will find it very interesting.
MAO's China, growing quickly

張作霖事件

福井先輩に教えてもらった「マオ」(「ワイルド・スワン」の著作者ーJung Chang著)の中(P.301)に、それこそ日本のマスコミがこぞって報道しなければならない、歴史的大発言が記されていた。

★張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連の情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エンティンゴン(のちトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだと言う。★

日本人自らが探求・探究し告知すべき記述である。
日本人歴史家は与えられた史実を書き写し浸透させることしかできないのだろうか。・・・
張作霖事件の真実究明を起点として、今後次々とドミノ倒しのように日本の近現代史、特に中国における、(今月号の「正論」には早速、『盧溝橋「当事者」が重大証言!』と言う記事がある)が撤回されていくだろう。ただし、日本人自らが真剣に史実解明にとりくめば、という条件付ではあるけれど。
講談社刊、Jung Changの「マオ(上・下)」の読書をお勧めします

1917年に成立したロシア・ソヴィエト連合社会主義共和国(ソヴィエト社会主義共和国連邦)、1931年に瑞金に成立した中華ソヴィエト共和国、そして1949年北京に成立した中華人民共和国、それら熱狂の中で、その歴史的賞賛のなかで見落とされてしまったものがある。元紅衛兵のJung Changは自ら洗脳を解いてそれを書き出した。覚醒しなければならない。気づいたら着せられていた悪役の衣服を、説明責任を果たしながら脱ぐ時がきたのだ。

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