TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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the Hoover administration:The Manchurian Crisis

U.S.A.Hooverの時代:外から見たThe Manchurian Crisis 1931-32
 AND:Lytton Report:October 4, 1932

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THE LEAGUE OF NATIONS IS A LEAGUE OF ROBBERS!
October 6, 1932
国際連盟を強盗集団と糾弾しているのは、日本ではない。
Extracted from. a telegram of the Chinese Soviet Government. Dated 6 October 1932
中華ソヴィエト共和国の毛沢東氏である。こちらが本文以下は本文からの抜粋

Workers, peasants, and soldiers of all China! Exploited masses of the whole country! ・・・
The Lytton Report is the bill of sale by which imperialism reduced the Chinese people to slavery! The Soviet Government calls on the popular masses of the whole country to participate in an armed uprising under the direction of the Soviet Government, to wage a national revolutionary war in order to tear to shreds the Lytton Report, and to oppose all the new projects of the imperialists for dismembering China, repressing the Chinese revolution, and attacking the Soviet regions and the Soviet union.
The Lytton Reportに腸が煮えくり返っているご様子。The Lytton Report で窮地に立たされたのは、日本なのですけどね。
あの時代の満州をしっかり理解しないと、この辺の複雑さはわからないのでご注意あれ。毛沢東が満州国に踏みとどまろうと頑張った日本に感謝しているのも事実なんです。明らかな。I hope you understand this complicated situation then and there.
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Pacific War

簡潔にしてアウトラインが好くまとまったペイジを見つけたので、ここに掲載します。Pacific War

このペイジには以下の文章が読み取れる。引用。
The attack to the Pearl Harbor is said to be "The attack without a declaration"but the declaration is said to be delayed only by the slacked official works.
But,the secret Japanese radio code had been broken by American intelligence,and America had learned much about Japan's plan.

玉音放送

玉音放送
粛々と聞く

柳条湖事件

面白いサイトを発見したので紹介します。
今までの20世紀が詰まっています。こちら


国益.COM.というサイトも発見しました。充実しています

Harry S Truman


原爆投下をほのめかすTRUMANの声
July 26, 1945 :The U.S., Great Britain, and China issue the Potsdam Declaration, calling for the complete surrender of Japan

・・・・・・
ゆっくり見たいサイト。ここでは、原爆投下の起因をパール・ハーバーに求めている。まったくの詭弁だ。
しかしそれなりによくまとめているサイト。こちらです
・・・・・
この画像は戦意をかきたてている、憎しみがかきたてられる。まともな報道と呼べるものではない。
Cries of War-monger.
This announcer is intentionally inciting the poeple of the United States to continuously go to war with Japan by passing extremely derogatory remarks on the Japanese.

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「日本に第一弾を発射させよ」というルーズベルトのセオリーは、戦後真珠湾査問委員会報告等によって、今では太平洋戦争史の常識なのだが、残念ながらまだ日米両国でも常識になっていない。
戦争の常道は先制攻撃にあるが、アメリカがそれをやると反対党の抵抗もあって世論は分裂し、戦争遂行に必要な挙国体制が望めぬから、この際は不利を承知で日本に「第一弾を発射させる」よう、策略を用いたのだ。
参照:「松岡洋右ー悲劇の外交官(下)」
(豊田穣著)P.326~P.328

いずれ欧米のメディアにもこのことを書き込んでいくつもりである。常識を真の常識にするために。名誉回復のためにである。

日米開戦

日米開戦

臨時NEWS::BGM JAPAN::BGM USA

Radio Address Delivered by President Roosevelt From Washington, December 9, 1941 :
Voice of Roosevelt

HIDEKI TOJO

Prime Minister Hideki Tojo addresses the Japanese people. December 1941.
東京裁判における東條

Pearl Harbor

凄く貴重なFILMなのだが、1時間9分17秒つづく。
全部見る時間がない。とりあえずUPしておく。
かなり詳しい。このFILM:Sacrifice Of Pearl Harbor1940年からすべての無線を傍受していたといっている。Pearl Harborの犠牲、というタイトルからして、アメリカがいかに奇襲を待ち受けていたかがわかる。
今日(9月11日)資料を発見した。これがPearl Harborに関するアメリカのTOP SECRETだ。Top Secret Report of Army Pearl Harbor Board [October 20, 1944].

昨夜読んでみた(9月11日)これがPearl Harborの再検証に役立った資料だろうと言うことはわかった。がさしたる新しい発見はなかった。
Therefore, Washington was in possession of essential facts as to the enemy's intentions. (アメリカは敵の動向を知っていた)
The messages actually sent to Hawaii by either the Army or Navy gave only a small fraction of this information.(ハワイにはたいした情報は伝えられなかった)
The disaster of Pearl Harbor would have been eliminated to the extent that its defenses were available on December 7 if alerted in time.(傍受した内容がハワイに伝わっていれば、防御の方法はあっただろう)
It was no surprise that the Japanese would reject the Ten points on November 26.(ハルノートが日本に拒否されても驚きではなかった)
The Ten Pointsというのが、ハルノートのこと。10項目からできていたから。ここに書かれていたことではないが、ハルノートはハルが書いたものではなく、アメリカ軍に籍を置くソ連のスパイが書いたもの。
Up to the morning of December 7, 1941, everything that the Japanese were planning to do was known to the United States except the final message instructing the Japanese Embassy to present the 14th part together with the preceding 13 parts of the long message at one o'clock on December 7, or the very hour and minute when bombs were falling on Pearl Harbor.
日本は14回に分けて宣言文を打った。その全部が傍受されていた。14番目が打たれたとき、アメリカはようやく来たな、と思った。これまでの13回分に14回分を添えて、12月7日午後1時に届けるよう、指示があった。アメリカ側はのらりくらりと、最初の攻撃の一報が入るまでまち、それを確認した後受け取って、大げさに驚いてみせたのだった。パールハーバーで沈んだ軍艦、兵士たちはおとりの捨石だった。日本は嵌められたのだった。
今でもアメリカのマスコミは9.11などをパールハーバーにたとえる。それを未だに納得している日本人がいるのが悲しい。

この資料を読んでから、Radio Address Delivered by President Roosevelt From Washington, December 9, 1941、を読むと、白々しさにやり切れぬものを感じる。

Pearl Harborについての考察

The Death Of ARIZONA

追記:2009年5月6日
1941年12月7日、米国のNo.1ヒット曲はなんだろうと調べてみたらこれだった。
そう言えば敗戦後に父が買ったレコードの中にこの曲があった。アメリカ、7―12―1941:No.1 Hit


・・・・・追記:2011年3月5日・・・・・

上の初回記事は2006年8月29日、かなり古いのでリンクも切れているものもある。

上に、日本は14回に分けて宣言文を打った、と書いているがその14回分の電報内容

太平洋戦争開戦ラジオ放送radio critique

Pearl Harbor Address to the Nation
delivered 8 December 1941 by Franklin Delano Roosevelt
上にあるのはDecember 9, 1941、比較してみるのもよい。


Manchuria

Japan takes over Manchuria, renames it Manchukuo, and installs Chinese Emperor Pu-Yi on the Throne. 1931.
Short Film Important

中国は紀元前数世紀から北方の異民族に苦しめられてきた。古代トルコ族と言われる遊牧騎馬民族の匈奴しかり、突厥しかりである。そして北方民族は何百年かの周期をおいて大きく南下し、中国を征服し、王国を作っている。始皇帝の秦や成吉思汗の元、そして愛新覚羅氏の清などはその代表的なものである。
清は支那を代表して日本とも戦ったが、元来は支那の東北に古くから住むツングース族で、民族的に漢民族とは異なる。むしろ昔から漢民族を悩ましてきた北方民族の遼、金、女真などの末裔にあたると説明したほうがわかりやすかろう。...
満州国は満人すなわちツングースの国であって、朝鮮人が韓国を作るのと意味は変わらない。ツングースの清国が中国全土を征服していたが原領土の満州に引きこもったと考えれば、満州国成立も全くおかしくはない。
参照:松岡洋介ー悲劇の外交官(上)豊田譲著P.95~96
別に参照しなくても、この辺は中国史を少し学んだ者には容易く理解できる筈だ。
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以下の分は「マオ(上)」(Jung Chang著)P.31からの引用である。
清朝は立憲君主国への移行を約束したが、革命勢力は清朝による支配を完全に排斥するする方向へ動いた。人口の大半(約94%)を占める漢民族にとって満州族の清朝による支配は「外国」統治だったのである。
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以下は「松岡洋右ー悲劇の外交官(上)」(豊田穣著)P.314からの引用である。
欧米人は一口に”チャイナ”と呼んで、清が満州を領していたので、満州も当然中華民国の領土であると考えている。従って日本が満州に利権を持ち、満州国を建てたのを、中華民国の主権を侵害したかのように信じ込んでいる。

HIROSHIMA-NAGASAKI 1945

Never Never Forget It.
Don't Cover Your Eyes From The Fact.

VIDEOを見る

戦争は人類が集団でなすもっとも愚かな行為である。人間は殺戮に暴走する悪魔とならざるを得ない。一旦ベクトルが発生すると、平和も正義も進歩もそして愛さへも、言葉は紙切れのように無力になり、思考は壊れたロボットの中に収納される。いかなる民族であれ、いかなる国の国民であれ、人よ、この映像が黙示する事実に決して目を覆ってはならない。

World War Two: The last day approaches

Look at this
::one more:: one more
:: one more: : one more: : one more
: : one more: : one more

Kellogg-Briand Pact

Kellogg-Briand Pact

YASUKUNI SHRINE: English Site

YASUKUNI SHRINE ENGLISH SITE
I ask people who have come to this site to click and read the English explanation to understand this shrine better

News Abroad: This journalist is to be enlightened somehow..


A級戦犯とは:
東京裁判は副次的に天皇制を守る役割を果たしたが、天皇陛下の意思に沿って行われたわけではない。あくまでも戦勝国が敗戦国を統治するに際しての”みせしめ””つるしあげ”の役割をその第一義としている。法的正義にのっとってなされたわけではない。
「富田メモ」を大上段に構える分祀論者の方々には、この点を特に御留意いただきたい。急がれるのは誠実で忠実な史実の再・細検証だ。

Japan Guide Com 発見

今までの一般的な西洋人の日本史観
必要知識なのでとりあえず読んでおこう。
このサイト自体は物凄いサイト。HOMEに行って全体を見てみることをお勧めします

Japan Surrenders 1945

This is one of the points of view.
Look at Japan from outside.

CLICK HERE

Paris レジスタンス

Combats dans le centre de Paris
FILMS DOCUMENTAIRES
AF - 01/09/1944 - 00h05m02s

三国同盟

SIGNATURE DU PACTE TRIPARTITE ENTRE L'ALLEMAGNE L'ITALIE ET LE JAPON,POUR LA PAIX MONDIALE
16/10/1940 - 00h01m39s
Arrivée du Comte Ciano à Berlin
- PP du fanion des jeunesses fascistes féminines Italiennes
- Foule sur le parcours agitant des petits drapeaux à croix gammée
- À son entrée à la chancellerie du Reich,le Comte Ciano est reçu par M.Von Ribbentrop
- A la chancellerie,Hitler serre la main du Comte Ciano
- PP de Von Ribbentrop signant le pacte pour l'Allemagne
- PP du Comte Ciano signant pour l'Italie
- PP de l'ambassadeur Kurusu signant pour Le japon

昭和15年9月27日、日独伊三国条約はベルリンのヒットラー総統官邸閣議室でドイツ時間午後一時に調印された。来栖三郎駐独日本大使リッベントロップ、チアノ各外相が調印、その後現れたヒットラーと三人は握手を交わした。
東京永田町の外相官邸の祝賀会はこれまた熱狂的なものだった。万歳万歳の声が響いた
1941年 Tokyo
・・・・・2011年2月16日・・・・・
日本ニュース第17号 日独伊三国同盟

・・・・・・・・・

こちらをご覧ください。
「私は独伊と同盟は結んだが、ユダヤ人を殺す約束まではしていない」としてユダヤ避難民を保護ーと言う1行が読み取れる。
出典:「統合戦争辞典」というサイトから

FETE EN L'HONNEUR DU PACTE TRIPARTITE

FETE EN L'HONNEUR DU PACTE TRIPARTITE
Monsieur Matsuoka,ministre des affaires étrangères,assiste aux fêtes qui marquent la signature du Pacte tripartite
08/01/1941/56秒間:映像を見る

日ソ中立条約

02/05/1941/40秒間

Ratification d'un traité de neutralité entre l'URSS et le Japon par MOLOTOV et MATSUOKA en présence de Staline.
- Deux PM de Monsieur MATSUOKA, Ministre japonais des Affaires Etrangères, descendant de voiture et entrant au Commissariat du peuple aux affaires étrangères
- VG de Monsieur MOLOTOV signant le traité - Derrière lui, debout STALINE , MATSUOKA et d'autres personnalités russes et japonaises
- GP de Monsieur MOLOTOV assis
- VG de Monsieur MOLOTOV se levant et cédant sa place à Monsieur MATSUOKA
- GP de deux officiers supérieurs japonais
- PM de Monsieur MATSUOKA signant - Derrière lui, STALINE, MOLOTOV et les personnalités sourient
- GP d'une personnalité russe et d'un officier japonais
- PM d'une main apposant un sceaux sur le traité
- GP de Messieurs MOLOTOV et MATSUOKA, échangeant une poignée de mains devant STALINE - Tous trois sourient.

NEWSを見る(40秒)しかし濃厚な40秒だ。こちらです

調印式は昭和16年4月13日午後2時(日本時間午後10時)からクレムリンのモロトフ外務人民委員(外相)事務室で行われた。四か条からなる日ソ中立条約の本文に調印署名した。署名者は松岡と建川美次大使とヴヤチェスウラ・ミハイロヴィッチ・モロトフである

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