TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

八月の石にすがりて 伊藤静雄 戦争詩 (3)

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり。

見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木陰をつくれ。
われも亦、

雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。

昭和11年 1936年9月 「文藝懇話会」9月号初出
「詩集夏花」 昭和15年3月刊 収録

雑誌「文藝懇話会」は、一種の政府外郭団体として、昭和9年1月に内務官僚である元警保局長松本学が提唱し、菊池寛・直木三十五の文壇の重鎮の協力を得て作られた官民合同の文化団体文藝懇話会から、11年1月に創刊された雑誌である。政府支援の文藝・思想をコントロールする柔構造の政策であった。
その創刊号の「宣言」には「文藝懇話会は、思想団体でもなければ、社交倶楽部でもない。忠実且つ熱心に、日本帝国の文化を文藝方面から進めていかうとする一団体である」とうたっている・・・。
・・・
2・26事件を契機に、時代は急速に右傾化していく。2年前からその発刊を準備されていた「文藝懇話会」が、このクーデターの年に創刊されていることを、昭和文学史の上からやはり注目せねばなるまい。その第一巻第九号にあたる9月号は室生犀星の編集で、同誌最初の詩の特集号であった。・・・
「八月の石にすがりて」はこの号の巻頭詩であった。
・・・
作者としての詩人伊藤静雄の意思に全く関わらぬところで、昭和十年代の文学的ナショナリズムを担う詩として、広く時代の詩的共感を得たことは確かであろう。
・・・
この生活の次元から静雄の人と文学が語られることは少なく、多くの場合、昭和十年代という時代の思想としてのナショナリズムに於いて、その文学が裁断され、あるいは賞賛されてきたことは、静雄の文学の不幸といわねばなるまい。
(以上、「詩の読み方」小川和佑近現代史 笠間書院刊 P.152~P.163より抜粋)

「八月の石にすがりて」も有名な詩なので、ネット上にもかなり紹介されている。が、現在、初出誌「文藝懇話会」に触れたものも、時代背景として昭和11年に触れたものも他には見当たらない。
太平洋戦争を日本史の視点に限定してみる場合、やはり2・26はゾルゲ事件同様決して軽視してはならぬものだろう。
////////////////

私の祖母は「忠臣蔵と2・26は毎年やってくる」とTVをみながら言っていたが、邦楽と古典と相撲と日本史が好きな平均的日本人は、そして右傾向が多少ある日本人はたいていこの両方が好きである。何故なのかはわからない。好きならば、もっと突き詰めればよいと思うのだが、あまり何も考えない。もはや映画やTVの題材でしかない。
私にとっては、2・26とそれが起こった昭和11年(1936年)は、祖父がなくなった年だと記憶されている。
「2・26について詳しく知りたいから、新聞を取り残しておいて欲しい」と病床の祖父が祖母に言ったらしい。そしてそれを読まないまま祖父は亡くなった。その記憶があるから祖父がなくなったのは昭和11年だ、ということだけは私の知るところである。昭和11年はどんな流れの中の一年であったのか、そして「新聞を取り置きしておいて欲しい」と言った祖父の心情を時々想像してみる。
満州やシナにおける日本に不吉なものを感じていたのか、あるいは日米関係の心配をすでにしていたのか?
祖父はハイスクールから大学まで、ほとんどの教育をアメリカで受けてきている。おまけに仕事は貿易、対米貿易である。
この辺のことをすでに知っていて、遠くない将来の日米決戦を予感していたのではないか、そんな気がする。激突すれば、米国に12年間も留学して学んだことは、個人史のなかの大きなマイナスにしかならない。活躍の場も無くなってしまう。既に喘息は悪化、体力もなくしている。仕事も行き詰っている。とりおきしていた新聞を読まずに亡くなったのは、すでに状況的に心情的に、そんな新聞を読む気力もなくしていたのではなかったか。祖父の亡くなったのは1936年の4月11日だし、まさか原爆やB29の空襲による丸焼けや日本の敗戦の夏まで予想していたとは思えないが、結局新聞を読まなかったということは、生きる体力も気力もすでに失せていたと確信する。人が病に倒れ、死んでゆくとは、そういうことなのだと思う。

八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき
夏の陽光のなかに生きむ。

落下傘部隊! 三好達治 戦争詩 2回目

「落下傘部隊!」

落下傘部隊!
落下傘部隊!
見よこの日忽然として碧落彼らの頭上に破れ
神州の精鋭随所に彼らの陣頭に下る
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
うべこそ九天の外より到れ 神州の精鋭
我ら天孫民族の裔の男の子ら
我ら天外の理想を負ひ
我ら亜細亜の支柱をささへ
東海の国を樹つ二千六百載
この役国運を一挙に賭す

↑(「落下傘部隊!」部分)
部分になったのは、どこをどう探しても、この作品の全体を入手することは、不可能だったからだ。

何のことかわからぬ人のために(前ペイジの真珠湾ほど有名ではないので)Tel Quel の過去記事を参照に出しておこう。
Tel Quel Japon 過去記事: 映画「空の神兵」
詩人 伊藤静雄も「つはものの祈」という作品に、パレンバン降下作戦を取り上げている。
↑「詩の読み方 小川和佑近現代詩史」より。

私事だが、6月から湯治のために北白川に通っている(ホルミシス治療)。お湯がぬるいので、長時間を要する。退屈するほど湯の中ではすることが無い。それで呼吸鍛錬のために時々歌を歌っている。毎回繰り返して歌うのがこの「空の神兵」である。高木東六作曲なのは石井好子氏から伺っている。

三好達治は学校の教科書にも登場する有名な詩人なので、さすがにネット上にも参照すべきペイジが多い。
三好達治に関する参照ペイジ
その(1) & その(2) & その(3) :

取り上げた詩作品に関して、私見を全く述べていないが、「政治と文学」に関してTel Quel Japonの過去記事をある種の見解として出しておきたい。小川和佑先生もこの対談に強く共感してくださっていた。この時代の意見としては「詩と思想」の読者からは、酷くバッシングを受けたが...。

探していた「政治と文学」に関する座談会のペイジはこちらだったが、
Tel Quel Japon過去記事でそれに触れている部分、そしてさらに展開している部分はこちらだった。
過去記事「詩と思想 40周年 詩は政治的現実の下僕か」 ←参照

「ハワイ爆撃行」 (詩人) 田中克己

「ハワイ爆撃行」 田中克己

宛然一個の驕慢児
力を恃みて非理を唱導し
物に倚りて正義を圧服せんと欲す
空しく蒐め得たり艦と機と砲と
海外に盤踞して神州を呑むと想へり
一億国民みな切歯せしが
聖詔 既に下りて秋霜より烈し
時は維れ昭和十六年十二月八日
颶風未だ収まらず全天闇(くら)し
母艦々上 司令 命を伝へ
言々壮んにして復た厳を極む
紅顔の健児 目眦(もくし)裂け
吾が生は皇国に享く 死は布哇(ハワイ)
醜敵を屠り得て鴻恩に報ぜんと
挙手して機に上ればまた後顧せず
爆音轟々 敵空を圧し
金鯱(きんこ)一たび巨鯨に臨むと見しが
須臾に摧破し去る巨大艦
雲煙散じ去つて再(ま)た影を見ず
真珠湾頭 星条旗低し
捷報連(しき)りに故国に到り
山川歓呼して草木揺(ゆら)ぐ
盟邦また瞠目し 醜小狼狽す
吾れ国史の此の瞬間に生きたるを喜び
仰いで霊峰富士を望み見るに
暗雲一拭されて皓として白し

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昭和16年12月日本讀賣新聞           
昭和17年5月 所載詩集『神軍』
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引用元ペイジ
↑紹介する本とは内容的には無関係のサイト
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詩集より一編の詩を引用掲載しているだけなので、歴史検証サイトとしてのTel Quel Japonにふさわしくないかもしれない。そう判断した場合は、後日他の文学関連のBlogに移行させるかも知れない。

実は「詩の読み方」 小川和佑現代詩史 (風間書院刊)というタイトルの新刊本を小川氏の奥様からお送りいただいた。この本の中でこの詩作品に出会った。編集は御子息の小川靖彦氏、お父上と同じく、国文学者の道を歩まれておられる方のようだ。編者あとがきに「亡父生誕85年の日に」とあるように、お父上の評論家としての仕事の全容を収集整理し、斬新に編集の手を加え、一周忌を記念してご子息が一冊の本として世に問われたもののようだ。
小川和佑氏に関して、Tel Quel Japonでは過去に2度関連記事を書いている。参照として、以下にリンクを貼っておく。
問うべき戦後とはなにか
江藤淳の「閉ざされた言語空間」は1982年、「帰ろう愛の天使達」は1975年出版、すでにGHQの占領政策としての罪悪感の植え込みを指摘している。四城亜儀あっぱれと自画自賛したいところだが、出版よりさらに数年前の執筆時から、そんなことは誰でも知っていると思っていた。
「唱歌・賛美歌・軍歌の始源」 小川和佑著

Mao, Stalin, and the United States

_______mao.gif_______

この本を紹介したいのだが、持ち時間の関係で、ずっと後になると思う。とりあえずは表紙だけ

「正論」5月6月7月号に発表された福井義高氏の連載記事がずっと気になっていたのだが、余裕が無くて手がつけられなかった。内容に関しては「正論」をお読みになれば、ここに書かなくてもご理解いただけると思う。問題はそこからこの先何を引っ張り出すかだと思う。

今日は5月号に関して、本文よりも先に参照をひとつ提出したい
参照:Was an alliance between the PRC and The Soviet Union inevitable? まずこの辺から踏み込むのが妥当だと思う。「正論」と平行して読まれたい。

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6月号の<主な参考文献>には、表紙写真上記掲載の本のほかに、
Maochun Yu OSS in China と 同氏のThe Dragon's War: Allied operations and the Fate of China という書名があがっている。OSS in Chinaは既にTel Quel Japonで取り上げている
The Dragon's Warの方は、まず表紙を出すが、なんだかMichael Shengの本の表紙デザインをパクったみたいだ。
そしてこれはちょっと視点が違うが、時系列でしっかりととらえる意味で、以下のペイジを参照として出しておきたい。
参照:The United States and China During World War II: An Operational Outline

福井氏の連載記事に注目したのは実は7月号に「The Dixie Mission」がやや詳しく紹介されていたからだ。つまりTel Quel Japonの過去記事とかなりダブル部分が出てきたので、これは珍しいことなので嬉しくなってしまったのが、そもそもの発端だ。
Tel Quel Japon過去記事より:
John Service by Lynne Joiner (1)
John Service by Lynne Joiner (2)
DIXIE MISSION & SUSUMU OKANO

   (つづく)

GHQ焚書図書開封9  腐ったか日本人!

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三島が死ぬ1,2年前だったかまだ学生の頃「腐ったか日本人、今こそ理想像を」という原稿を産経新聞に投稿して掲載された。学生運動真っ最中の頃だったと思う。「腐ったか」と言う語は新聞社が勝手につけた。考えてみればきつい言葉だ。その言葉を直前の記事に初めて自分で使用した。

なぜならそんな捏造資料こそが、現在の日本の日本人の歪な腐りきった精神構造を作り上げてきたからだ。

「歪な腐りきった精神構造」とは一体何を指すのか、明確にせねばなるまい。
簡単に言うと発想の根源が既に犯されているということだ。発想がやられているから、いくら論じても鼻先で吹き飛ばされてしまう。経験された方はよくご存知だと思うが、アルファベットをごちゃ混ぜにした泥のようなものが、またしても頻繁にコメント欄に流し込まれるようになってきた。一方記事に関するコメントはなりを潜めている。保守しかTel Quel Japonには近づかないから、明らかにTel Quelに不満を持つ(発想が犯されている)保守陣営から攻撃である。

ふたつ前の記事には、このように書いた。

この本をせめて3,4ヶ月早く手にすることができていたら、どれだけストレスから解放されることができただろう、と思うと、また少し残念でもある。

「GHQ焚書図書開封9」の中に保守のストレスを解放できる鍵をみつけた。西尾先生がこの本の中で指摘されている。このご指摘は万能薬となる。この本を数ヶ月前に手にできていたら、ここまでストレスに押しつぶされることもなかっただろう、と思うと、確かに残念ではあるが。他の方々にはまだ間に合う。
「歪な腐りきった精神構造」とは即ち、完全に犯されて柔軟性を失くした「発想」のことである。

GHQ焚書図書開封9、第4章、小見出し「現代日本にこそ「松岡的」政治家が必要だ」から、少し引用する。

P.120 外務大臣というのはこういう人物でないといけません。たとえば、野田内閣が尖閣列島を国有化した。そうしたら中国国内が荒れに荒れ、日本人のデパートや工場が焼き討ちされ、日本に激しい拒絶感情を巻き起こすほどの騒乱が大陸全土に広がりました。われわれはこの騒動をたいへん遺憾とします。
そうした中国の対応に対して、北京に乗り込み、賠償と謝罪を求めてテーブルを叩く外務大臣がいましたか?日本の外務大臣は中国に出かけていって、テーブルを叩いて訴えるべきなのです。

この発想も行動も現代の日本人政治家には既にできない。

外務省がやったことは何かと言うと「石原都知事に変なことをさせないために国有化したのです。民主党政権が領土問題をふたたび”棚上げ”するためにやったことです」と官僚を派遣して弁解させるだけだった。そうして事なきを得ようとしたのです。

何も民主党だけのことではない。今回の慰安婦問題踏襲発言の安倍内閣にしても、どこにしても、相手の顔色を窺い、その場をしのぐ着眼以外になにもできない。ごくごく常識的なきわめて普通の発想がもはやできなくなっているのだ。

「歪な腐りきった精神構造」の意味するものをご理解いただけただろうか?GHQ焚書図書開封9の中に第4章があることはきわめて重要だと、Tel Quel Japonでは特に訴えたい。このあたりはやはり現代日本人の理解が最も及ばないところであるような気がする。
西尾幹二氏のBlogにはこの本の非常に優れたアマゾン・ブック・レヴューが2本掲載されているが、予想通り第4章の存在自体は一切忘却されている。
『GHQ焚書図書開封 9』の刊行(一)
『GHQ焚書図書開封 9』の刊行(二)
このあたりはやはり現代日本人の理解や関心が最も及ばないところなのだろう。「歪な発想」では「発想の歪さ」にもはや気づけないだろうと察して、敢えて記事にしてみた。西尾幹二氏がこの本に第4章、松岡洋右の大演説の役割、を挿入された大きな意図にお気づきあれ。

・・・・・追記・・・・・
参照:Tel Quel Japon過去記事
中西輝政氏の松岡洋右理解の変化

GHQ焚書図書開封9 第4章 国際連盟脱退

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GHQに焚書されたのか、GHQと日本政府が共謀して焚書したのか定かではないが、国際連盟脱退に関しても、当時の真実を語る日本語資料はあまりにも少ない。敢えて撒かれた誤解だらけである。松岡の演説の一部と、日本代表団の会場退出だけしか日本人の記憶には入っていないのではないか、と思われる。すなわち、一人いきった松岡の暴走、イメージの捏造である。
P.107に「そして、同年3月27日、正式に国際連盟を脱退しています」とある。こまかいことを言うようだが、連盟の規約で脱会申し出から、事実上の脱会まで2年の歳月を必要としたので、実際の国際連盟脱会は1935年3月が正しい。
ここに日本政府の国際連盟脱会申出書の資料があるのでお見せしたい。
Withdrawal from the League of Nations
どこへ出しても恥じない立派な文章である。これを公にすれば「国際連盟脱退」→「国際秩序からの離脱」→「軍部による軍国主義、そして侵略戦争まっしぐら」などというストーリーが嘘だと言うことがわかってしまう。この資料を今まで目にした日本人はほとんどいないのではないかと思われる。そして署名欄をよくご覧あれ。松岡が一人いきって、見得を切り代表団を引き連れて退席したために、日本が連盟を脱退する羽目になった、のではないことがよくわかるだろう。もう一度言う。署名欄をとくとご覧あれ。しかも実は採決次第では、全員が一斉に引き上げて日本国のやるかたなき不満を表明する演出も出発前からあらかじめ決められていたのだ。
参照:Tel Quel Japon過去記事

もうひとつ。P.107にー松岡全権が「もはや日本政府は国際連盟と協力する努力の限界に達した」と表明して退席したことはよく知られています。とあるが、これはnews filmがここでちょん切られているせいであって、実は続きがあるのだ。
・・・
NEWSはここで終わっているが実際はあまり知られていない以下の発言が続いている。
「日本政府が人類の福祉に貢献し世界平和に寄与する事業のために誠意を持ってこれから諸国と提携しー不幸なる報告書採択の結果による諸事情の許す範囲内において、可能なる限り、諸国との提携を採る政策を今後ともに固執するであろうことは、余がこれを付言するまでもない所である("The Japanese government will, however, make their utmost efforts for the establishment of peace in the Far East and the maintenance and strengthening of cordial relations with other powers.I need hardly add that the Japanese government will persist in their desire to contribute to human welfare, and will continue their policy of co-operating in all sincerity in the work dedicated to world peace,")」
赤字をよくお読みいただきたい。席を蹴って喧嘩腰に退出したわけでは決してないのだ。
参照:Tel Quel Japon過去記事

一般の日本人が知っている昭和史においては、戦前、戦中に活躍した日本人を貶め、辱め、愚か者扱いし、特にターゲットに定めた日本人をスケープゴートにして、切り刻んで徹底的に悪人扱いする。それによって大日本帝国の国体を「お守りできる」とでも思っていたのだろうか?そこには何の根拠もない。実は大日本帝国には途方もない大罪があり、それを隠蔽するために諸悪の根源をあれやこれやの個人に押し付けて、最後には東京裁判では戦争犯罪人まで輩出させて、処刑ショーまで共同演出した、と諸外国が密かに妄想したとしても、日本国には返す言葉もない。
真実を明らかにするためには資料の発掘しかない。そのためには事実の捏造に利用されてきた、手垢の付いたこれまでの昭和史の日本語資料は、すべて破棄だ。なぜならそんな捏造資料こそが、現在の日本の日本人の歪な腐りきった精神構造を作り上げてきたからだ。悪を暴かれ延々と来る日も来る日も媚びて謝罪し続ける日本など見たくもない。戦後日本人が守り通した輝ける日本史などどこにもないではないか?あるのはただ、日本人自らの手になるどろどろのプライドのかけらもない、捏造史の、非常に強い生命力だけだ。

GHQ焚書図書開封9 徳間書店刊

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おそらく著者である西尾幹二先生のお口添えの賜物とは思うが、先日徳間書房の書籍編集部の方から、GHQ焚書図書開封9「アメリカからの『宣戦布告』」が送られてきた。感謝!
第4章には、松岡洋右の大演説の役割 という章もあり、興味は尽きない。この本をせめて3,4ヶ月早く手にすることができていたら、どれだけストレスから解放されることができただろう、と思うと、また少し残念でもある。このTel QUEL JAPONは、そもそもは松岡洋右の大演説あたりがきっかけとなって、保守の論壇に於けるあまりにも酷い松岡洋右評価、というか松岡洋右大罵倒を見て、このまま放置すれば日本の太平洋戦争史は永遠に迷走するだろうと、決して真実にたどり着くことはないだろうと、判断して、「富田メモ」をきっかけにスタートさせた。
まだ未定だが、Bruxellesは近月中に一旦Tel QUEL JAPONを立ち去る。その前にこのGHQ焚書図書開封9や松岡洋右に関して触れて、短い記事を何本か書くことができたら、本望だと思っている。

(つづく)


WILL 「四方の海」 加藤康男 2月号追記

以前「引っ張りすぎ」と書いたのは加藤氏の連載に対する期待と、時を急ぐ焦りの気持ちが既にあったのだろう。
今回も長々と引用する時間はないので、とりあえず2月号のこの記事をお読みいただきたい。P292からP.307まで。
気づいてほしい文章だけをとにかくピックアップすると...

天皇を利用する「昭和史研究家」の思惑とは。(P.292)
東京裁判と同じ方程式(P.298)
共通しているのは、彼らはひたすら天皇が「反戦主義者」だったと言い募る点だ。それは、陸軍が暴走して日本を戦争に駆り立てた、と証明するのに都合がいいからであろう。言うまでもないが、東京裁判と同じ方程式を現在でも繰り返している。(P.299&P300)
P.300では加藤陽子氏の歴史観に触れー「不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆく」に至っては、天皇の知見を軽んじ、それゆえに戦争に巻き込まれたと愚弄するものではないか。-
P.301.また水野 廣德を誤解している方がいらっしゃるので、ついでに書いておくと、ここに加藤康夫氏が書いておられるように、彼には戦時における「反日運動家」の側面がある。
P.303 侮辱を受けたら戦いも辞さず、と言う気概をもつ国家の形を示したかったのが、9月6日の御前会議だったのではないか。
P.305では半藤氏の歴史観に触れー「日本は軍部独走で間違った戦争をやったのだから、平和を愛した天皇に責任はありません」という飴玉が用意してある。この飴玉でたいがいの読者を安心させることができるらしい。←読者というより自称保守の8割以上がいまだにこの飴玉を口に入れて昭和史を思考している。
P.305 天皇陛下に名指しで非難された松岡洋右や「自分に都合のいいことを言っているね」「弱いね」とやはり名指しで言われた近衛文麿などは、保守の大半に徹底的に嫌われスパイ扱いまでされる。その根源は半藤史観にあるのだ。venonaが出るまでは保守の9割以上が、この偏見の上でしか先の大戦の歴史を考えようともしなかったのは事実である。
P.307 結論部ー「開戦は軍部独走」「天皇は戦争反対の平和主義者」という単純な歴史観を押し付けてきた欺瞞の昭和史に、疑問符を投げかけざるを得ないゆえんである。-

Tel Quel Japon過去記事で「四方の海」の解釈が間違いであり捏造であることを指摘した。では何故偽解釈の必要があったかというと、東京裁判を予定通りに進行させるためである。捏造を定着させたのがGHQのだれそれで、それに協力したのが日本人の「昭和史研究家」のだれそれである、というのが加藤康男氏のこの記事の内容である。実名や具体的解説内容を読むためには、WILL1月号&2月号をぜひ手にとられて、実際にお読みになることをお勧めします。ここに目を伏せたご都合主義のままでは、東京裁判の払拭も戦後レジームからの脱却も、有り得ないのですよ。歴史の核に捏造を持っている昭和史では、どう転んでもまた何年たとうとも日本の近現代史は嘘にまみれ腰折れて、この先も永遠に腐敗するばかりでしょう。

WILL 2014年1月 新年超特大号

このところ読む本や資料に埋もれて、書店に行く暇がなかった。今頃「WILL」新年超特大号を買った。勿論「巨弾歴史スクープ!」昭和天皇「七つの謎」加藤康男、がこの号の目玉だろう。今回のタイトルは(1)「よもの海」は替え歌だった。知る人ぞ知る「四方の海」である。「波風」とされる部分は実は「あだ波」とよまれたという発見をテーマにして、以下のような結論を導いている。
明治天皇の御製を引いたゆえに昭和天皇は「平和主義者だった」と、近年、一部の昭和史研究者から意図的に「政治利用」されているのだ。ー
近衛、杉山の資料などは、全て戦後になって公になったもので「明治天皇の御製「四方の海」の御歌を御引用」と記した「木戸幸一日記」だけが、東京裁判に証拠として提出された。
最後は昭和史をミスリードする「昭和史研究家」の発言について、引き続き検証したい、で終わっている。詳しくは雑誌をお読みいただきたい。加藤氏の説は、やはり推量に依存している部分が多く、両手を挙げて賛成というわけにはいかないが、「昭和天皇は平和主義者だった」という際に、いつもいつも「四方の海」が引き合いに出されて、正直うんざりしていたことも確かだ。マッカーサーは天皇陛下のご発言や人間性に心を打たれて、外部からの多くの要求をはねのけて天皇陛下の処刑や東京裁判への出廷を、全力で阻止した、というワンパターン保守のワンパターン記述と同様だからだ。OSSの日本計画やVenonaやGHQの今まで隠されてきた資料を読めばどうとも対策は取れるので、もうそろそろいくらなんでもこのワンパターンはやめたほうがいい。なぜならいつまでもこのままだと、いつまでも相手の思う壺にはまり続けることになるからだ。天皇陛下の免罪を取り繕い続けなくても、そもそも大日本帝国に戦争犯罪などないからだ。もう終戦直後ではない。男は全員奴隷にされ女は全員レイプされ、天皇陛下は処刑されるなどと、怯えて震え続ける必要も何もない。繰り返す、東京裁判史観にいつまでもすがりつかなくても良い。自虐史観を葬り去る準備は実はとうにできている。悪の軍閥どもの暴走を止められなかった、平和主義者のお気の毒な天皇陛下のストーリも不要だ。日本人は日本の歴史を全力で肯定しなければいけない。屁理屈などではなく、世界を相手に極めて論理的に実証的に。それだけが急務である。みえみえの、作り話はもういい。
これまでの説に対抗するには加藤氏の「仇浪」パロディー説で充分だと思うが、私はもう一つ別の対抗情報をもっている。そもそも明治天皇の元歌はどのような状況で、どういうお心が歌われたのか。それを考えると「仇浪」説への大変有力な助っ人になると思う。明治の心は明治が知る。
参照:天皇は日露戦争にあたって次の御製を詠んだ
戦争反対のお歌だなどという理解そのものこそが歪曲されていたのだ。

・・・・・追記:2013年11月28日・・・・・
「両手を挙げて賛成というわけにはいかないが」と書きながら「これまでの説に対抗するには加藤氏の「仇浪」パロディー説で充分だと思う」と書いている。この辺を説明しなければならないと気づいた。簡単だ。「四方の海」を「戦争反対」発言ととる根拠そのものもないからだ。こんなものを持ってきて、工作しなくても、「戦争反対」のご発言がひとつでもあれば、それを使えるわけで、過去の記録にないから、こういう真逆のものを、解釈を180度歪曲してまで、虚像を作らなければならないのだ。昭和天皇は大日本帝国(戦争犯罪者によって暴走した悪人たちの国家)の前に屈服しておられ、戦争を止める術もなかった、と。そんなことを、この明治天皇の御製から引き出せるだろうか?日露戦争は勝ったから戦争を肯定、第二次世界大戦では敗北したから否定、根拠はそれ以外に何もない。言ってみれば司馬史観(ネット上の保守の8割は多かれ少なかれ司馬史観論者、どういうわけか隔世遺伝しているようで、活動的な若い新参者がその中の過半数を占める。従っていまだに増殖中)である。まるっきり後出しジャンケンのこじつけ解釈にすぎない。

四方の海
日露戦争 〜前編〜:戦わずして屈するか、立ち上がって国家の存続を計るかの瀬戸際で、開戦決意表明として読まれた歌である。
参照:日露戦争の歴史的意義
昭和天皇があのタイミングであの場面で「反戦平和」のために「四方の海」を持ち出されたとしたら、それはとりもなおさず明治帝が勝利された日露戦争への「否定・断罪」にしかならない。

・・・過去記事(2013年11月26日)を都合によりTopに上げました・・・
・・・・・追記:2013年12月20日・・・・・
WILL 2014年2月号が発売になった。今回は「四方の海」の後編となってた。これだけで、引っ張り過ぎだ。
・・・・・追記:2014年4月15日・・・・・
2013年12月2日の場所にあった記事を今回上にあげます。
上に「引っ張りすぎだ」と書いていますが、2月号の内容を再度読んで非常に重要なことが書かれていると判断しました。


WILL 2014年2月号 予告&予告違反

WILL 2014年2月号 予告によると、「現代史を見直す」は田中上奏文から始まるらしい。
そこで、以前から持っているこの資料を取り出してみた。面白いことに気づいた。
Leon Trotsky The “Tanaka Memorial”
On Japan’s Plans for Expansion : Leon Trotsky:

I will now prove in the big press that the document whose origins I know very well is authentic 
自分は田中上奏文の発端を知っている、と言っている。但し、16、7年前の記憶なので確かめて欲しい、と。
思うに誰か日本人のスパイがそれらしき文書を持ち出して売りつけたのだろう。勿論内容は大幅に改ざんされ、工作利用された。日本は否定し、時期が早すぎたので、そこから意味を汲み出して騒ぐほどの内容にはなり得なかった。今よりものちのちに役立つと一旦は沈められた。(記憶は不確かだが、以前いくらで売りつけたか、までどこかで聞いたような気がする。時間があれば探し出そう。意外に安かった記憶があるのだ。)

the fate of the document in the American press: the date and the place of the first appearance; the reaction provoked by the document in the press and public opinion; the discussions about its authenticity, etc. I would even need the English text of the document itself.
列挙したようなことを知りたい。英文のものも入手したい、と。
重要な工作書類を思い出したのだろう。あれは、その後どうなったのだろうかと。

which would, in my opinion, be very useful to you, introducing you to Japanese-American relations and preparing you for the coming great events in the Pacific? 
近々太平洋で起こる大事件、とは何を指すのか?今回気づいたのはこの太字の語句である。1940年5月に書かれたものである。日米戦争勃発の確信以外の何物でもない。そして、最後にはよってこっての日本たたきの理由・原因を、合作の偽書「田中上奏文」で片付けるつもりが、読み取れる。世界征服の意思、日本に有り、として東京裁判のバックボーンとして活用された。が、そんなことはどうでもいい。今日問題にしたいのは太字部分である。これは何を意味するのか?
・・・・・・・・・
あんまり反応がないみたいだけど、この手紙はTrotskyの手になるものだから、特に重要なんですけど。
the coming great events in the Pacific=PEARL HARBOR 重要 これだけ出揃っている


・・・・・追記:2013年12月20日・・・・・
2月号発売の広告を見て書店にダッシュしたが、もう「ポシャッテいる」。シリーズが見当たらない。外部からWILLに圧力がかかったのか、WILLが自制したのか、読者がまったくついてこれなかったのかこと大陸に関しては関東軍の暴走でなければ、まずい、と思っている保守は多い。しかしこのシリーズを深めていかなくては、なんやらかんやら拡散したところで、拡散は鬱陶しい騒音にしかならない。宴会の下手なカラオケ同様迷惑な自己満足にしかならない。収録はすでに済んでいるはずなのだが。来年もきっとよい年になるだろう(←これはいやみ)。
・・・・・追記:2013年12月24日・・・・・
西尾先生が日録にこう書いておられる。「WiLL1月号の六人座談会の「柳条湖事件の日本軍犯行説を疑う」後篇が当然2月号に期待されたはずですが、出ていません。私にもまだ不掲載の編集部からの理由説明は届いていません。残念ながら「遺憾」としか申し上げられないのが現段階です。」座談会出席者にも何の連絡もなく中断とは?ますますおかしい。(こと大陸に関しては関東軍の暴走でなければ、まずい)ということだろうか?
・・・・・追記:2014年1月3日・・・・・
西尾先生が元旦の日録に正論2011年7月号で加藤氏とされた張作霖爆殺事件対談(一)を登場させておられる。WILLが2月号に予告し予定した6人の討論の続編を唐突に無断不掲載にしたため、それを補う資料提供であろう。数回に分けてとあるので、今後つづきも掲載されるはずだ。お正月があけるとコメントもたくさん入るだろう。
こちらは前編しかなく後編は手続きが必要とあるが、とりあえず前編だけ出しておこう。堤尭氏と加藤氏の動画対談である。
堤堯:著者に聞く:謎解き張作霖爆殺事件
こうして予備知識を習得すれば、学校の教科書に(たいそうなだまくらかし)があることに、そしてそれをもはや放置できないことに、多くの日本人が気づくだろう。日本語で書かれた日本の歴史の日本の教科書の欺瞞である。多くの人が声を上げて、まず大いに議論を沸騰させようではないか?
・・・2014年1月8日・・・
西尾先生の日録には現在(四)まで掲載されているが今日8日であるが、コメントが入らない。「読者がまったくついてこなかった」つまり「読者が喜ばない」という3番目の推測が無断不掲載の真の原因なのかもしれない。産経新聞元旦の記事にしても同じことが言える。報道に対して「だから、河野談話を一日も早く破棄しろ」というコメントは一切見当たらない。上に「多くの人が声を上げて、まず大いに議論を沸騰させようではないか?」と書いたが、議論のギ、どころか「何の反応もない」。産経新聞の読者、WILLや正論の読者は、東京裁判、自虐史観、軍国主義侵略国家大日本帝国が頭にこびりついていて「そのイメージをしっかり保持し続け、守り通すこと」こそ、保守の使命だと心得ているのだろう。これが(70年どころかおそらく100年たっても変わらない)「保守の現実、保守の正体」である。

・・・・・追記:2014年1月4日・・・・・
参照:「満州某重大事件」の真相を追う
Bruxellesの見解は「しばやんの日々」コメント欄に
参照:David Alfaro Siqueiros :
Nahum Eitingon
The assassination of Leon Trotsky
David Alfaro Siqueiros
The Attempted Assassination of May 24 and the Communist Party of Mexico
参照:ソ連工作員の指導の下、日本人が爆弾を仕掛けた
参照:ドミトリー・プロホロフ記者会見

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いずれ必要となる情報なので置いておきます。この手のものは資料分類では(さん)と呼ぶことにします。
Who financed Lenin and Trotsky?
・・・・・・・・・・・・・・・・
By Way of Deception, We Shall do War
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ウォール街とボルシェビキ
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WILL 2014年1月 新年超特大号- (2)

2014年新年号。番号は付されていないが「シリーズ・現代史を見直す」が始まっていて今回のタイトルは「柳条湖事件 日本軍犯行説を疑う」詳しくは本誌を手にとって192ペイジからをご判読ください。
最初に話されるのは加藤康男氏の「謎解き張作霖爆破事件」。この本について書いているBlogの中から「しばやんの日々」にリンクを張る。WILLでは「河本大佐主犯説・実行犯説は、加藤さんの論証で完全に覆されたと言ってもよいと思います」と書いてあった。私は「実行犯が河本大佐であるというのは、可能ではありませんか?河本大佐がエイチンゴンの手先となったという説は不可能でしょうか?」と書いて「しばやんの日々」にコメントを入れた。何故そう思うのかに関しては、コメント欄をご覧ください。河本大佐が実は、たとえば野坂と通じていたと断定できれば、関東軍の濡れ衣は晴れるわけだ。さらに議論を重ねるとそのうち明らかになる筈、WILLの今後を期待したい。
・・・・・・・
私が一番驚いたのは「柳条湖事件において(略)明白な証言として残っているのは秦郁彦氏が記録した花谷証言以上のものはないわけです」(西尾P.199) 花山談を整理してまとめ、補充ヒアリングと校閲を受けた後花谷正の名で「満州事変はこうして計画された」を書いたのは、実は秦氏だった。(西尾P197)
P.198には加藤氏の発言でこうある。「満州事変は関東郡の陰謀だと頭から決め付けていた23歳の東大生である秦青年が取材し、ゴーストライターをやって掲載したという点です。信憑性が非常に疑わしい」
こんなものは証拠にも証言にもならない。これだけで、日本軍犯行説は否定できると私は思う。私は思う、といったところで、すでに教科書に書かれている説が裏返るわけではないが、証拠不十分で振り出しに戻すことはできるのではないだろうか。ーーー
以下無関係な私事になるが実は15年前に出たBarbaraの自伝を今年日本語に翻訳した人がいた。そのひとはたった3年前にTVで近親相姦の議論をしているのを聞いて、その背景にBarbaraの本が写っているのを見て、15年も経っているがまだ翻訳されていないと知り、これをテーマに翻訳すればテーマの衝撃度も加算され日本のBarbaraファンやシャンソンファンが訳本に飛びつくだろうと出版社と交渉、翻訳を開始された。本の帯もテーマも「近親相姦」でまとめられたが、実際読んでみるとBarbaraは本の中でそういうことはホンの少し匂わせただけで、それは中心テーマでもなんでもない。そこで元の本にない「訳者解題」なる文章をあとがきの何倍も書いて、思いの丈勝手にBarbaraの人生を創作、解説した。無知無学からきたものなのか、売らんがための捏造なのかはわからない。東洋で唯一Barbaraサイトを運営するBruxellesとしては、見逃すわけにはいかない。「訳者解題」がでっち上げ捏造だったばかりか、翻訳そのものがテーマに沿うように改竄されていたのだ。私は15年前に原書を読んでいるが、日本では評論家さえ原書を読まずに、このトンデモ本の販売に加担して紹介文を書いていた。今年の夏は怒りに震えながらこの翻訳本の誤訳・捏造の摘発・検証・校正にあてた。
参照:Il etait un piano noir...ーー
加藤氏がおっしゃるように、秦氏には最初からテーマが偏見が、信念があった。人の話を聞き取ったにせよ、検閲を受けたにせよ、翻訳の捏造、原書の改竄、に似たようなことは、充分あり得る。取調官が調書をでっち上げて、それを押し切ってしまうのと同じだ。訳本の翻訳者が「出版したモン勝ちー」という態度をとるのと同じで、歴史を自分の思い通りに書く、という特権的立場が、彼から公平性・中立性を奪ったのだろう。秦氏の場合はそう考える、という説として本に書き下ろすのは構わないが、歴史学会がそんなものを根拠となる資料として教科書に書かせることは断じて間違いである。
ただこの時代、こういう歴史をでっち上げたのは秦氏だけの責任ではない。大勢の日本人が連合国側に与して日本を貶めるような記録を、歴史を書き上げている。P.207の小見出しにも出ている「田中隆吉の証言」にしても、全く同じで、GHQの動く通りに尻を振って尾を振って付き従うことが、ある種の最高「正義」だったのかもしれない。日本人としてそうとしか動けなかった田中隆吉氏は実にお気の毒である。田中隆吉は一般人のあいだでは尾崎秀美よりはるかに国賊扱いされてはいるが、田中隆吉をして、何故そういう証言をしたのかと正面から徹底追求した論文を未だ読んだことがない。証拠たりえない証拠を元に教科書が書かれ、もはや今後は改悪の可能性しか残されていない状況と、それは根底でリンクしている。タイトル「WILL 2014年1月 新年超特大号-1」で「もうそろそろいくらなんでもこのワンパターンはやめたほうがいい」と書いたが、それにも繋がる。

WILLの「シリーズ 日本史を見直す」、が張作霖爆破事件と柳条湖事件でスタートしたことに、なにか非常に期待できる意気込みを感じている。時にテーマが振り出しに戻っても繰り返し繰り返し議論を重ねて日本の歴史に日本晴れの明るさを取り戻していただきたい。
なをこの議論の中で柏原竜一氏が、聞き慣れないロシア人の名前を様々に挙げておられるが、私の持っているロシア側の資料と付き合わせて、できるならば個々人のイメージを具体的に認識できるようにしておきたいと思っている。諜報戦とそれに与した者たちの数は、想像を絶する時空間に広がっているように思えてきた。大東亜や太平洋だけではない。

・・・・・追記:2013年12月・・・・・
イメージ操作の一例になるかどうわからないが、写真を一枚探し出した。映画「ゾルゲ」ではモックンが尾崎秀美、そして映画「PRIDE」では津川雅彦が東條英機を演じた。その「PRIDE」で田中隆吉を演じたのは、私の記憶では、吉本喜劇のパチパチパンチ。川島芳子の恋人と噂されたほどの日本軍人が、パチパチパンチでは情けない。しかし日本に残っている写真ではたしかに似ている、むしろそっくりだ。それで日本製ではないもの、東京裁判ではないものを探してみた。↓ 左から川島芳子、川島浪速、田中隆吉。昔なら三船敏郎あたりが演じてもおかしくない。写真元ペイジ確認のためもう一枚
東條に発言を変えさせる役割は「PRIDE」では奥田瑛二演じる清瀬弁護人だったと思うが、実際には何人かがこの役割をリレーしている。Bonner Fellersの資料だったか、田中隆吉もそのなかに名前が出てきた。昨日から出典を探しているが見つからない。見つけたら追記したい。(ここにも既にその記述はある)田中隆吉がBonner Fellers同様、天皇陛下をお救いした方々のお一人であることに変わりはない。また東條に事実上干されていたので、軍部批判者(東京裁判筋書き)としては最適人者だったことも事実だ。
200px-Y_Kawashima_wN_K2.jpg
参照:東京裁判 田中隆吉 :

陸軍のために手も足も出なかったお気の毒な天皇の無罪を立証するために全力をそそいだつもりだ。
罪の裁きを受けた人々は、もちろんすでに覚悟はしていたことと思うが、その服罪によって、将来の平和確立の理想達成にいささかでも貢献できるとしたら、それで満足すべきであろう。(田中隆吉を蛇蝎のごとく嫌う保守が、なんの矛盾も感じることなくこれと全く同じことを平然と主張する!)



MARIKO 柳田邦男 新潮社 (2)

P.123 昭和22年5月、奥村が天皇・マッカーサー会見の内容を新聞記者にしゃべりすぎたという理由で、免職になり、英成がその後任を務めるよう命じられた。(略)会見の内容は、形式的なあいさつに止まるものではなく、内外の情勢について、かなり率直な意見の交換が行われたものと見られていたが、その内容はほとんど公開されなかった。
(少しでも外部に漏らすと免職、になるような内容が話されていた)
P.124 英成は会見内容をメモにまとめて、宮内庁長官に報告していた。マッカーサー側は記録を残していないから、日本の戦後史の中で重要な意味を持つ天皇・マッカーサー会見の内容は、奥村や英成など御用掛の報告書でしか明らかにすることはできないが、宮内庁はその報告書をいまだ公表していない。
奥村一等書記官について
奥村勝蔵

・・・・・追記:2013年11月23日・・・・・
P.125 :英成がいつクエーカー教徒になったのか、グエンの記憶では、はっきりしない...もともと天皇の希望で皇太子殿下の家庭教師の選考が行われたとき、英成とグエンは、学習院長長山梨勝之進らとともに候補者の中からバイニング夫人を積極的に推薦したいきさつがあった
(戦後寺崎はクエーカー教徒に突然なっている。ちなみにグエンは一貫して長老教会派(プレスピテリアン)である。この急激な信仰は少し謎を含んでいる。
参照:クエーカー教徒 & 参照:クエーカー教徒フェラーズ
参照:クエーカー人脈と新渡戸稲造
ボナー・F・フェラーズ、寺崎英成、関屋貞三郎、バイニング夫人、等クエーカー教徒、ここに貞明皇太后、秩父宮勢津子妃殿下を含む資料もある。
その他:クエーカー人脈ー1クエーカー人脈ー2
・・・・・・・・・
P.60 来栖は、英成のルートとは別に、アメリカの有力財界人を通じて大統領に話を持って行く案も考え、三井物産ニューヨーク支店長宮崎清にその仲介(ルーズベルト親電)を依頼していた。当然来栖の工作は、陸海軍の武官には内密にされた。(少しペイジを戻って。来栖が寺崎に親電工作を依頼している記述部分。すでに11月の末または12月の初め)
p.61 ジョーンズ(スタンレー)博士がルーズベルトと密かに会談したのは12月3日だった...親電工作そのものは本省には内密のうちに進めていたものだから、報告するはずもない。
参照:日米交渉
野村も来栖も寺崎も含めて、在米大使館は、本省の指示とは全く別の行動をとっていて、これではまるで、米国専属の対日本工作機関のようだ。すでに彼らは日本政府とは心理的に決裂しているかに見える。この日米交渉を見ても、単なる米国の時間稼ぎに協力しているようにしか見えない。そして開戦の直前には、「ルーズベルト親電」というスタンドプレーに集中している。来栖は何のためにダブル大使として追加派遣されたのか、意味不明だ。しかし戦後の平和、平和の金科玉条のなかでは、彼らは勝者の側の人間となり、開戦前の逆臣行為は、むしろ平和主義者の戦争回避として賞賛される。平和主義者の戦争回避は結構なのだけれど、内容が内容だけに、ルーズベルト平和主義者アリバイ工作みえみえ、東京裁判でさえ、東條に一蹴された、内容はその程度なのだ。朝河の試案の方なら多少効果的だが、所詮朝河はルーズベルトではないのだから、ルーズベルトの署名も認可も得ることができなかった、ルーズベルトは開戦回避など端から願っていないのだから。
ところで来栖も寺崎もなぜルーズベルトに開戦回避意思などがあると、勝手に思い込んでいたのだろうか?むしろ戦争回避を徹底して望まれたのが天皇陛下だとして、ならば天皇陛下のお言葉をルーズベルトに届けるのが日本人大使の役割ではないのだろうか。開戦に暴走する血に飢えた悪の軍閥に苦しんでおられる天皇陛下をお助けする意味でも。同じ反政府工作をするなら、これならたとえ失敗しても敗戦後には「救国に奔走したもの」として正真正銘の名誉を獲得できただろう。またなによりルーズベルトにとっては真珠湾以上の大きなダメージになっただろう。
大使も大使館員も、自分が派遣されている国で、日頃接している交渉相手と「対峙する」能力がなかったのだろうか、自分のいる場所で周囲に大事にされたいという自己防衛本能からか、一般的に日本人には交渉相手ととことん対峙する、という能力がない。堤堯氏はこれを、丹羽字一郎氏も例に上げ「ミイラ取りがミイラになる」(月刊WILL100号記念特大号)と表現されている。公平を期して以下に参照を二つ付記する。
参照:真珠湾への7日間 外交官たちの苦闘
参照:寺崎太郎(寺崎英成兄)
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MARIKO 柳田邦男 新潮社

MARIKO 柳田邦男 新潮社 昭和55年7月5日 発行
25刷 昭和56年9月25日

その頃私は3Fの英会話学校で仕事をしていた。親しい友達が遠くに去っていくことが決まっていて、その人は私の授業が終わるのを2Fの書店で待つことが多くなった。その人が平積みにされた新刊本の前で立ち止まった。「何を見ているの? あの本ね、大ベストセラみたいね。興味あるの?あの本に」「タイトルみて。」「あの本、読みたいの?買いたいの?」「タイトルみて(微笑)!」「タイトルだけで買いたいの(微笑)?」そんな会話をした。私の興味は他にあったが、そんな記憶のせいでよく覚えている。この本は飛ぶように売れていた。今その本を手にしている。
期待しないで読み始めたが、非常に貴重な本だと気づく。ところどころメモしながら読んでみようと思う。

P.51 野村は松岡の訓電のうちアメリカ側の感情を刺激する恐れのあるものについては、伝達を控えたり、一部を削除して伝えたりし、さらにアメリカ側からのステートメントについても、しばしば手許に控えおいたために、松岡を激怒させた。
:このあたりは私がマジックからとった情報と完全に一致する。野村は職務違反である。野村はルーズベルトと個人的に親しく、あちら側についていたのだろう。野村の辞表願い(職場放棄)も書かれている。この本では、戦争回避派、尾崎秀美が戦後そう呼ばれている、いわゆる非戦派と同じ範疇なのがわかる。どちらが良い悪いはこの際控えるが、開戦時に反戦主義者が公然と居て、しかも戦後彼らは讃えられ賞賛される側に回ったことも確かである。この本のMARIKOは寺崎の娘で、宣戦布告が遅れた原因と一説に言われている大使館の「送別会」は、寺崎の送別会であることがわかる。だいたい交換船で帰国した人間はほとんどが共産主義者か親米派であるが、これを読むと大使館の人間はほとんど全部、反戦主義者ということになっている。遅れて持って行って、ハルやルーズベルトが激怒するのも、全部出来レースかもしれない。どうでもいいことかもしれないが、MARIKOの名付け親は重光葵である。近年山本五十六についても新解釈が出てきているが、この本でも山本五十六は、むしろ米国寄りの人物である。私の祖父も2・26の少しあとに亡くなったが、日米開戦は極端に嫌ったはずで生きていれば親米の非戦派だっただろうから、だからどうだと言うつもりはない。この本はMARIKOのBiographyのような本なので、読んでいてこの一家に情が移っていくのも当然で、そのへんのことをなるべく割り引いて客観的に記述しようとは思っている。書き出しは、オヤッと思ったところに限定する。判断は控える。

P.71 「大統領が天皇陛下に送った親電のことだけれど、あの親電のために僕が何をしたか、日本の外務省や軍部にはもうわかっているかもしれない。もしわかっていたら、僕たち家族の命はないものと思わなければならない」
:寺崎が妻グエンに言うセリフである。親電とはこのような性格のものだったのだろうか。つまり「ルーズベルトは平和主義者だという、工作」か。親電の関係者はたくさんいる。Tel Quel Japonでも既に何人か関係者の名前を上げている。これは在米の日本人から提案したことで、米人の策略ではない。そんなことで戦争が回避できると思っていたのか、米国に魂を売った日本人が「ルーズベルトにへつらうために考え出したことか」なんとも言えない。東京裁判でも問題視されたが、東條が取り合わなかったので、助かった。実際ほとんど何の意味もないないようであった。Tel Quel Japonでは既に内容も紹介済。朝河だけでなく、寺崎も、親電には深く関わったということは、事実と見ていいだろう。

・・・・・追記:2013年11月10日・・・・・
この本の内容にもぴったり一致する。この論考も素晴らしいと思う。
ルーズベルトから天皇への親書、生成過程 杉原誠四郎
何故これ(Tel Quel Japn過去記事より)を探し出したかといえば、あの電報を差し止めたのは瀬島龍三だとか、あの電報がもっと早く天皇陛下に届いていれば、真珠湾はなかった、とかいう「お話じいさん二世」のような人たちの文章をネット上で見たからである。元は産経の記事らしいが、そこから派生した無茶苦茶なBlog記事が多い。瀬島憎しとしておけば、ワンパターン保守が飛びつくのはよくわかるが、電報そのものの生成課程に触れもみで「電報を差し止めたのは瀬島らしい」という情報だけで歴史原稿を一本仕上げるのは、紙芝居じいさん、と言わざるを得ない。何故ならこれでは「ルーズベルトがチャーチルと苦労して仕組んだ日本の真珠湾攻撃」に関して端から無知、そしてその無知の露呈と言わざるを得ないからだ。すでに資料は山のようにある。あのBarbara Waltersでさえ米国内番組で認めていたではないか。日本人でありながら米製Propaganda「Remember Pearl Harbor」に与しようという保守の人間はそろそろ首でもくくって退場したほうが良い。それが嫌なら今日の一番上のリンクをクリックされたし。全部解説されている。
ちょっと探して見つかった関連過去記事だけを取りあえず出しておく。探せば、10や20どころではない。
参照:開戦神話 井口武夫著 中央文庫
参照:沈黙のファイル 共同通信社社会部編
参照:朝河貫一とOSSの日本計画
参照:日米交換船 未完

(つづく)

満州国の断面―甘粕正彦の生涯 近代社

今まで書いてきたことと、かなり内容が飛んでしまうのだが、偶然見つけたので、取りあえず割り込ませてリンクしたい。これを実際に読むのは早くて来年の夏ごろになると思う。従って今回は感想を入れずに置くだけにする。
Baidu IME_2013-10-18_12-15-20
満州国の断面―甘粕正彦の生涯
ここにこの本に関する1~18までの記事がある。18が先頭に来るので、1~読み始めることをお勧めしたい。ドイツ敗戦の後、満州の日本人は何をどのように考え、どう行動したか、チラと読んで、呆れてしまったところがある。終戦に至る過程の研究に役立てたいと思っている。敗戦が明らかになってからの日本国幹部の日常を知りたいと思っている。

甘粕正彦に関する著作にみる武藤富男


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出版社の出す読み物はあくまでも読み物として読むつもりでいる。

関連本としては、この本も面白そう。
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・・・・・追記:2013年10月19日・・・・・
今回の追記は本文への追記ではなくて、コメントに対する追記です。
Tel Quel Japon過去記事:(Edward Miller)
Bankrupting the Enemy: 日本経済を殲滅せよー1
Bankrupting the Enemy: 日本経済を殲滅せよー2
・・・・・・・
The Money Doctors from Japan:( Michael Schiltz)
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・・・・・・・
Richard Werner 日本銀行
・・・・・・・

妻と飛んだ特攻兵

Baidu IME_2013-8-11_10-18-10

「国敗れて山河なし 
生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻
震災日誌 in 仙台

今朝たまたまラジオ放送で作家の豊田正義氏がこの作品について語る番組を聞いた。うさぎのように飛び跳ねて逃げまどう日本の民間人をソ連の戦車が次々とひき殺すのを空から見た主人公が、武器をソ連軍に渡して降伏しろ、という日本国の命令を無視して、特攻を決意する。前から敗戦後の満州の日本人の悲惨に、鬱々としたものを感じていたので、こういう人達がいたこと、こういう行動をした日本人がいたこと「死して護國の鬼」たらむとした特攻の教官たちがいたこと、を知って、やっと何かと何かが繋がる安心感を持つことができた。本当に良かったと思う。繋がらないことをあたかもつながったように誤魔化しそのように振舞うことほど見苦しいことはない。真実をもっと全部明らかにしよう。まだ本を読んだわけではないが、この初めて出会うノンフィクション作家に感謝を捧げたい。そして戦後70年近く彼らの存在がむしろ闇に伏せられてきたことを、非常に残念に思う。

・・・・・2013年8月24日・・・・・
今日図書館で聞いたら、この本すでにリクエストが殺到しているらしい。
・・・・・2013年12月8日・・・・・
11月に順番が回ってきて1ヶ月ほど延長して借りていた。当時の現場の人たちの様子が詳しく書かれているようなので、ぜひ読むつもりだったが、あまりに忙しくて時間がない。その上視力も限界まで酷使している。取りあえず一旦返却することにした。いまBonner Fellersが書き残したものを読んでいるが、終戦直前の御前会議においては、天皇陛下の心情を察するに、戦争継続派は、陛下の平和を求めるお気持ちを、踏みにじるものとしてむしろ憎悪の対象のように扱われている。「間違った戦争をした反省の上に立った戦後の日本、日本人の心を尽くした軍や政府の幹部たちをGHQに戦犯として差し出した日本、むしろ敗北して軍国主義から逃れられてよかった日本という180度転換した認識の社会では」8月19日満州、最後の特攻、しかも妻同伴とあれば、この本の主人公などは、平和を愛しご聖断をくだされた天皇陛下の御心に背く、大反逆者ということになるのだろう。全く酷い話である。昭和天皇が発布された憲法においては、当然のことながら戦争放棄が明記されている。明記などする必要はないような気もする。おそらく特攻で死んだ英霊たちが「馬鹿馬鹿しいから、どんなことがあっても戦場には行くな、兵隊にはなるな」と言っているような気がする。しかも大きな声で、喉から血を吐きながら。「二度と過ちを犯しませぬ」などとおめおめと石碑に明記するような国のために、誰が戦争に行くだろう。だれが国のために命を捧げるのだろう。国体保持のためにうった大芝居をいつまでもそのままにしておくと、結局は国体破滅に行き着くしかない。千代に八千代に国が栄えるのを望むならば、歴史認識の軌道修正が早急に望まれる。憲法改正などと、そんな幼稚な次元の話ではない。

カイロ密談:ルーズベルトと蒋介石

少し古いがWILL4月号、遠藤誉氏のカイロ密談の真相を読んだ。
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チャイナ・ギャップ 噛み合わない日中の歯車
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やぶしらず通信 yabuDK note
カイロ密談で蒋介石は尖閣領有を放棄←世界日報
WILLの内容(P.212~P.223)はこの本の、第2章「カイロ密談」中国、尖閣領有権主張の決定的矛盾が中心になっている。帯に書かれているように、中国の尖閣領有権主張の決定的矛盾であるが、この論理でいけるのなら早急にこの論理をもとに中国が戦争を仕掛けていると国際裁判所に持ち込めば良い。私はWILLを読んで、尖閣とは関係のない二つのことに強い印象を受けた。ひとつはルーズベルトはこんなことを考えていたのか、こんなことを蒋介石に言っていたのか、という強い驚きである。Dixie Missionと重なるし、現実の米中関係の奥も垣間見れるというものだ。もう一つは蒋介石である。遠藤誉氏もP.222で「さすが日本に留学し、日本の陸軍士官学校で学んだだけのことはある。日本の根本的な思想と構造を、よく理解している」と書いておられる。一応そう書いてはいるが、意見としては「国共内戦で勝ちたかったので、日本と摩擦を増すようなことはしたくなかった」と結論付けておられる。私はルーズベルトと蒋介石の考え方・発想・最終目的に根本的に大きな違いがあったのだと、強く感じた。単に私個人の蒋介石観が微妙に揺れたというだけの話かもしれないが。そして思い出したことがある。

私はシャンソンの石井好子先生と27、8年近くシャンソンのことで文通をしていたのだが、蒋介石に関して、一度意見が完全に別れたことがある。どちらも自分の意見を通すつもりもなかったので、もちろん議論にはならなかったが、今回「カイロ密談」を読んで、石井好子先生のおっしゃったことが正しかったのではないかと、ふと思った。石井先生の自伝的ご著書のなかにはニューヨークの宋美齢とのツーショットのお写真もある。宋美齢はアメリカべったりであるが、戦後の日本もそうなので、別に何とも言うつもりはなかった。問題は蒋介石である。
石井好子(4):蒋介石 by Bruxelles:
参照:石井好子(2):久原房之助:by Bruxelles
産経新聞の蒋介石秘録にも、宋美齢がアメリカ留学したことを自慢すると蒋介石は「僕も日本に留学していた」と誇り高く言い返した、と書いてあった。昭和生まれには全くわからないが、長岡外史関連で考えると、そこに残された蒋介石の資料などを考えると、蒋介石がルーズベルトの誘いにならなかったのは単に「日本と摩擦を増すようなことはしたくなかった」だけではなく、日本人精神を若き蒋介石に吹き込んだ、何人かの日本人が小さくなっていたとはいえ、蒋介石の心の中に住んでいたのではないか、という気がしてきた。
早い話が、毛沢東なら一も二もなくルーズベルトの誘いに飛びついただろう。Dixie Missionもそうだが、結局アメリカが中華民国を国際社会(国連)からも追い出したのは、ルーズベルトがカイロ密談での蒋介石の態度に人間的違和感を感じたのが、その最初の遠因ではなかっただろうか、と思うのである。こんなことはおそらく誰も思わないだろうから、取りあえず書いてみました。
・・・・・・・・・・・・・・
まっ、いずれにせよ日本の敗戦のずっと前から(初めから終わりまで)戦勝国の側にいた蒋介石。いろんな方向から検証しなければならないと思うが、まずこんなところから。
参照:1935年中国「幣制改革」と宋子文
参照:蒋介石の幣制改革

//////////追記:2013年8月11日///////////
WILL4月号をお持ちでない方のために、なんのことかわからないと困るので、少し引用してみます。

P.222: 蒋介石は琉球列島(尖閣諸島を含む沖縄県)を「いえ、要りません」と言っただけでなく「日本を占領するのも遠慮します」とアメリカに対して意思表示したことになる。万一にも、蒋介石がこの時ルーズベルトの「プレゼント」に対して「それではそのようにさせていただきます」と言ったとすれば、日本は「中華民国」にではなく、その後、政権を取った「中華人民共和国」に占領されていたことになる。(カイロ密談の真相より)

保守の怒り(2) 靖国神社

滅多に主張しないTel Quel Japonがかつて、「緊急提案ー天皇陛下の靖国参拝の復活」をかつて主張したことがある。
参照:Tel Quel Japon過去記事
・・・・・・・・・・
P.237~「靖国神社危うし」より抜粋
平田:...靖国神社への天皇の行幸と総理大臣の参拝とは全く質の違ったものです...靖国神社をこのような存在としてありつづけさせることが、天皇の統治なのであり、それを可能とする処置を執るのが政府の政治責任です...
西尾:...天皇が少なくとも参拝なさらなければだめです。
平田:...今まであった行幸がなくなるのは、靖国神社を疚しい存在にするように思えてなりません。
西尾:...過去の天皇参拝が有り、いまそれが停止されたままでいくと、靖国には天皇が政治的否定評価を下しているようにみられかねません。
西尾:...とにかくアーリントン墓地に日本の総理大臣はお参りしていますよね。アメリカ大統領、オバマさんに靖国に参拝してもらいたいですね。
平田:その通りです。
・・・・・・・・・・
私は靖国神社に参拝したとき遊就館の一言メッセージに西尾先生と同じことを書き込んできた。ずいぶん昔だ。日本の総理は他国の戦没者たちに花束を捧げる。外国の大統領たちはなぜ来ないのか。国際平和云々を言うなら、それが前提とならなければならない。
日本の総理大臣たちはそれを主張できないばかりか、自身の8月15日の参拝さえビビっている。人気取りのパフォーマンスさえできない。勿論、日本の総理が参拝するしないなどは、本質に関わる問題ではない。ただ行かないよりは行くほうが当然なだけだ。保守も政治家も右派のマスコミも、毎年やっきになって本質のすり替えを声高に演出している。毎年そんな「亡国丸出し」を見るのは、悲しいことだ。
一体いつになったらこの提案が実を結ぶのだろうか。おそらくあれが取り除かれる日が来たら、解決するだろうと確信する。このふたつはリンクしている筈だ。一方が解決したら、もう一方も解決する。根が同じ、繋がっている。「あれって、何?」って?Tel Quel Japon過去記事のこのペイジにある石碑が、皆様よくご存知の「あれ」ですよ。

・・・・・追記:2013年5月24日・・・・・
もう一つ靖国問題と切り離せない課題が一つある。Tel Quel Japon過去記事で少しだけ取り上げている例のメモである。保守の顔面に飛んでくるスピード球、確かに多くの保守が力を合わせて打ち返したが、それがスタンドに入ったとお互いを褒め称え合うのは、保守の仲間内だけの反論のための反論、筋の通る反論は一切なされていない。ファウルボールを反撃ホームラン扱いしているだけである。実際に取りやめておられる+「これが私の心だ」まずこの整合性をどう打ち崩すかが重要である。今上天皇の行幸が当たり前のように始まれば、こんな問題は議論する必要さえなくなる。今のまま見て見ぬふりをし続けていると、この問題は「我々はわれわれを縛るそういうものを幾重にも背負っている」そのひとつであり続ける。即ち「日本を脅かして押さえ込む時に、アメリカが使えるひとつの手段にもなる」問題なのだ。アメリカだけではない+全ての反日国の隠し凶器であり続ける。この点、充分心しておきたい。こう書いてもおそらく意味不明とは思うが、「もうこの時期に来た」のだから、隠蔽や捏造をやめて正面から「戦後レジームからの脱却」に血を流してでも取り組もうよ、というのが平田氏のこの本のメイン発言ではないかと、私は思っている。
・・・・・追記:2013年5月30日・・・・・
平田:...P.184 靖国神社の英霊には、自分の奥さんも子供も人生もなかったのではないですか。家族もやりたいことも、それら一切を捨てて、祖国のためにーそれを一言で表現すると「天皇陛下万歳」ー敵に殺されたのではないですか。あの戦争は天皇と国民が一体となって遂行した筈です。あえて言いますが、このままでは「かくばかり情けなき皇室になりたれば捧げし人のただに惜しまる」になってしまいます...
西尾:...P.240 これは国家に対する忠誠だったのですよ。
平田:そうです。それは天皇個人じゃないですから。
西尾:天皇という個人じゃないんですよ。日本の国家と歴史、それを・・・。
平田:天皇陛下万歳という言葉で表現したわけですから。
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・・・・・・・・・・・・
平田:...P.249.一方で筑波(藤麿)宮司の昭和40年(1965)に、「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する」と称する鎮霊社をつくっています。馬鹿にするにも程がある...
・・・・・・・・・
西尾:...P.250あなたが左翼ならね。戦略としてね。
平田:そうしてあそこを殉国人民霊廟にするんです。政教分離をいいたてて鳥居もとっちゃうんです。...天皇が戦没者から切り離され、慰霊を奪われるとそれは共和制に行き着くのです。...必ず天皇と靖国神社は、密接に結びついていなければいけない...

・・・・・・・・・追記:2013年6月5日・・・・・・・・
「正論」2013年7月号に石原慎太郎氏が上記の内容に近いことを書いておられた。文章も論理的で力強くさすがは元作家、「暴走老人」の欠片も見受けられず、80歳の年齢も全く感じさせない。
靖国問題も従軍慰安婦問題と同じで、保守のあいだでは、「内内では既に決着済み」、しかし現実的には前にも書いたがリングの中で長々と伸びているのは、所謂保守の方なのだ。
以下にリンクを貼る。このあたりの議論で「既に決着済み」と言うこと自体が、保守の無気力・無能力・非現実的独善を露呈している。いえいえ、別に喧嘩を売っているわけではございません。
靖国神社・故筑波宮司:「天皇参拝」配慮し合祀避ける
原始人の日記・ぼやき・独り言
A級戦犯の靖国神社への合祀考
「富田メモ」工作員はどうやら左翼ではなさそうですね。真正保守?えっ?そもそも工作員ではない?

・・・・・追記:2013年6月6日・・・・・
少し話題が逸れますが、以前から頭にインプットされていた泉水隆一監督のお手紙をここに出してみますので、よければお目通しください。
参照:泉水隆一監督のお手紙 : 参照:映画「凛として愛」

本来は、この映画は「日本を変える」「日本の正しい近代史を描き、英霊の汚辱を晴らしたい」という意向を強く主張された花田権宮司の意向に従って、制作がスタートしています。しかし、どういう悪霊が動き回ったのか、花田権宮司は、制作途中で担当を外され、新たな人事異動で現在の首脳陣が形成されました。 それから英霊の真実を伝えようとする「凛として愛」に徐々に圧力がかかりだしました。(...)敵は左翼ではなく、まさに本能寺にあったのです。 獅子身中の虫という言葉が私の胸の中で煮え繰り返っています。


・・・・・追記:2013年6月7日・・・・・
古いけれども、面白いものを発見。これが安倍政権に引き継がれた、自民党及び所謂保守の公式見解。天皇陛下のお考えとも一致している。一致しているから保守政権と胸を張るのだろう。我々一般人保守がこれが真正保守の考え、と信じていることとは大きな乖離がある。左翼が暇になるはずだ。これじゃ出る幕がないのだろう。
靖国神社参拝に関する政府の基本的立場

A級戦犯のために参拝しているのではなく、また、日本が極東国際軍事裁判の結果を受け入れていることを明言している。総理はまた、我が国が、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことを認め、「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻」むべきことや、「世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく決意」であることを、繰り返し表明している。(...)日本は、この歴史的転換点にあって、東アジアの未来のため、建設的に貢献していく決意であり、そのため、中国・韓国を含め、アジア近隣諸国との友好協力関係を極めて重視している...(安倍政権のやることなすこと、パーフェクトにこの立場で一貫して邁進している。保守論壇及び保守雑誌も98%以上が未だに安倍晋三にハートマークだ。海外のマスコミ報道や国営放送NHKも日本政府の下僕に徹しているだけではないか?それから民間で南京や慰安婦プロパガンダと戦っていると、本来は外務省の仕事だ、と指摘する人がいて、その指摘に感銘を受ける人さえ見かけるが、彼らは外務省の実態を知らないお花畑に過ぎない。その人たちは思考・発想次元から、改めたほうがいいのではないだろうか。外務省はこのように堂々と立場を表明し、外務省は外務省の仕事をしているからだ。国民の敵か味方かは別として)


保守の怒り (3) 日本国憲法 未完

p.113~「誰も指摘しない陛下の重大な発言
天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)
よりの引用部分:

時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが,私は即位以来,昭和天皇を始め,過去の天皇の歩んできた道に度々に思いを致し,また,日本国憲法にある「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であるという規定に心を致しつつ,国民の期待にこたえられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず,その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば,日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合,伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。

この会見はTel Quel Japon過去記事のなかにもかつて引用提示しました。

////////追記:2013年5月29日////////
「誰も指摘しない陛下の重大な発言」より
P.117. 西尾:...あの時のご発言は、戦後保守勢力の自主憲法制定の主張のある意味で全否定につながりかねませんので、なぜこれに保守勢力は沈黙しているのでしょうか...P.119.天皇が軍隊を統帥するということを避けるなら、天皇をどういう位置づけにするのか。天皇の名以外で戦いができるでしょうか...P.121.開戦と同時に陛下は戦争に参加されているんですよ。昭和16年10月20日でも「虎穴にいらずんば虎児を得ずだね」とおっしゃっているわけで、陛下は戦争せざるを得なかった事態をかなり明確に、認識されておられたんですね...P.122&P.123.昭和20年の戦争が終わってからも一億総懺悔と言っているころまでは、天皇の統帥権があることをみんなが認めていた証拠で、あれほど見事に、シーンと林が静まり返るように全国民が停戦したのは天皇の恐ろしいまでの力でした...
P.133~「異様に政治的な天皇発言の意味するもの」
平田:...憲法改正の時に一条を変えて元首にする、九条を変えて国軍を作る、従って統帥権は天皇にある、という憲法改正をさせないように、初めから改正の大枠を作っているのは天皇発言です。その天皇発言に拘束されるのは、左翼ではなくて、右派なんです、保守なんですよ...
西尾:...P.136 ですから我が国の場合は、統帥権を陛下につけないということは正しいかもしれない。その場合は国事行事からも離れていただいて要するに江戸時代以前の天皇制度...そういう考えに深く徹底的に思いをいたしてもいいでしょう。ところがこれがまた保守派は反対なんですよ...
P.144~「どのような憲法に改正されようとしているのだろうか」
平田:P.151.陛下の憲法に関するご発言は、どうも昭和占領期に占領体制正当化のために用意された歴史認識に止まってしまっているように思えるのです。それはむしろ歴史の否定になるのですが。
西尾:さっきあなたが首相か大統領になると言ったけど、それは不健全な話で、そうすると事実上共和制になちゃうんですよね。
平田:共和制です。そういうふうになったら、そうなるんです...
(打ち込みが面倒になってきた。B記)
平田:P.153.陛下が軍とかかわらないということは...国の運命がかかった戦争から天皇だけが降りてしまっている。そうなったら、統治責任を放棄したことになってもう終わりだろうと思うので...
平田:P.155.「憲法九条を改正し、交戦権を認めると天皇が国事行事として宣戦を布告することになり、そのために敗戦となった場合、責任が追及され、皇統の維持に危機が生じる」ので憲法改正に反対「という主張」を保守の雑誌で最初に提示したのは、私の知る限り佐藤優氏です。これはひじょうにひじょうにひじょうに興味深いことです。
(このあたりは実際に本書をお読みください。平和平和と叫ぶだけでは平和は維持できない、それと同じで、改憲改憲と叫び続けてもなんの進歩も見いだせない。しかし保守の大半はそこで完全思考停止している。そのへんを中韓及び左翼に見透かされている。マッカーサー憲法反対の共産党が護憲にまわり、天皇制反対を止めた。)
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・・・・・追記:2013年6月10日・・・・・
本に取り上げられていたのは平成21年のご発言。今日平成2年のご発言を見つけた。お心づもりはこの時から同じであることがわかる。真正保守には聞きたくないことを記憶から消して平然としている、という悪い癖がある。
即位礼正殿の儀のおことば(平成2年11月12日)

さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。このときに当たり、改めて、御父昭和天皇六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


・・・・・追記:2013年7月3日・・・・・
象徴天皇観と憲法の交錯:東健太郎
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保守の怒り (6) 東京裁判と自虐史観

「保守の怒り」の主要テーマからは外れているが(6)として東京裁判と自虐史観を追加することにした。Tel Quel Japonが昔から言うように所謂保守の大半は「東京裁判はこのままでいい」と考えている。にもかかわらず歴史認識、愛国心云々を繰り返す。もっとも顕著に頭が分裂・溶解しているところなのだが、その勢いは止まらない。従って今では東京裁判=自虐史観ではなく、自虐史観と言えば、南京虐殺及び慰安婦問題の反省、ということにすり替わっている。本も雑誌もTV討論もチャンネル桜も、サイトもブログも、右も左も、何かといえば「南京」何かといえば「慰安婦」、そうして東京裁判転覆という最大の大仕事をわざと隅に押しやっているのが保守の正体である。あまりにも再三同じテーマが登場するので最近保守は「南京、慰安婦問題に関しては、国内的にはすでに決着がついている」などと繰り返し始めた、もちろん内々でのことだ。相手にする必要などもはやない、という保守らしい発言だと解釈していたが、5月26日放送のフジテレビ『新報道2001』を見る限りでは違う。自虐史観は良くないと言いつつ、西尾氏以外は、特に自民党ではすでに「南京」「慰安婦」ごめんなさい、と謝罪決定がなされているのが見え見えだった。二枚舌。自民党が橋下氏に足元を掬われての「二枚舌」発覚ではなく、誰が見てもの白昼堂々の二枚舌ぶりであった。中山泰秀自民党国防部会部会長氏(注 父親はさらに美男だったが、保守政治家としての醜態を晒した)(注 中山正暉:立正佼成会→(勝共連合)→統一教会→ハニートラップ)、お顔が甘く整っていらっしゃる分、余計に二枚舌ぶりが露呈した。2015年には村山談話、河野談話を踏襲した安倍談話を安倍氏が出そうというのだから、お気の毒に自民党員は二枚舌にならざるを得ない。自虐史観=のすり替えに話を戻す。「南京」「慰安婦」は敗北すれば、取り返しのつかない不名誉だが、よく考えてほしい、議論に勝ったところで、日本にとってなんのプラスにもならない。西尾先生がおっしゃったように議論ではなく初めから「罠」なのだ。「東京裁判否定」は、これに勝てば、一切合切日本の不名誉は永遠に消える。論理的に負けるはずもないが、負けたところで、勝つまで繰り返せばいいのだ。日本にとって勝てば絶対的なプラス、議論に負けたところで、カウントtwoくらいで立ちあがれる、スリップダウンほどのマイナスにもなるまい。東京裁判の正当性など、誰が何処に見いだせるだろうか?の話だ。にもかかわらず、自虐史観=の議論の論点がすり替わっている、早く気づいてほしい。このままいくと安倍二枚舌、マッチポンプ政権は、右頬と左頬に大きな「謝罪」を貼り付けたまま、国家を貶めた深さに比例して長期政権になっていくだろう。
資料:Tel Quel Japon過去記事、追記5月10日以降

P.96~小見出し「警戒すべきは米中旧味方同士の感情の回復」
P.99平田:...東京裁判というのは戦後の支配構造を正当化するイデオロギーですから、崩れたら戦後体制も崩れます。国際支配構造とそれに対応した日本国内の支配構造が正当性を失います。だから彼らはしっかり封印しておきたい...

保守の怒り (5) 保守への愛ある怒り

(5)に保守への愛ある怒りを追記したのはPCの修復がめでたく完了しPC作業が正常に回復したためである。報告を兼ねて付記しておく。殿に置くのは不自然な話ではあるが、まず「本の紹介」から始める。

まえがき:平田文昭
...保守なる人々を如意棒でなぎ倒したつもりだ...小利口に安全第一に立ち回らず、危機に討ちかかっていった...本書は二周、いや三周以上先を走った内容になっている。だから、えっと驚き、あるいは本を伏せたくなる言葉にみちているかもしれない。しかし我独立日本の将来はここで示したような考えを苗床として、初めて見えてくる筈だ。これは保守なる人々の喉元につきつけた匕首である。本書への反応がその人の本当の姿をさらけ出すことになる。私たちが語ったことを無視しても、現実を変えることはできない。自己満足に溺れて愛国ゴッコ、忠臣ゴッコをやっていても祖国の崩落は止められない。どうか敬愛する保守の人々よ...
あとがき:西尾幹二
...「怒り」は精神的概念だが、自他を傷つける危険も伴っている。私もそうだが、平田さんも孤独な人だとしみじみ思う。蛸が自分の足を食べるように、自分の足場の否定から始める論理的気質は、相応の自己犠牲を強いられるだろう。無責任で投げやりな人の多い気だるい今の日本で、彼のような凛然とした意志の人を私より若い層に見つけることができたのは、得難いことだと考えている...

おふたりはこの相手にしかさらけ出すことが不可能なような本心をお互いに誤解を恐れずに語り合っていらっしゃる。しかし聞き出し、理解し、気づかされ、共感し、納得する部分はたとえ数多くあっても、二つの意見を合成し勢いをつけて統合しようという試みの対談ではない。とこどろころに散在する基本的差異はそれとしてそのままにし、気づかされた部分を発展させ吸収し、自分の中でそれを瞬時に醸造させながら、神業のような相乗効果を生み出す対談は熱を帯びて充実していく。この企画は当初の予想をはるかに上回る成功を収めたのではないかと思う。問題は「読者」に尽きる。二周、三周の周回遅れでも走り続ける読者は当然いないとして、喉元に匕首を突きつけられる直前にたとえその論理に矛盾がないことに気づいていたとしても、目を閉じて耳を塞いで走って逃げていく読者の姿が目に浮かんでしまう。深い理解にたどり着けた読者ほど、本を閉じてしまうだろう。理解するしないは別として最後まで読了した方々は、自分を蛸だと思い込んでいる烏賊に過ぎないのではないかと、危惧してしまう。勿論私とて全部が全部を共感しているわけではないし、それゆえに全部が全部を理解しているわけでもないだろう。しかし出版妨害にあった危険を孕んだ書物を、しかも何年も間を置いてから、あえて取り上げて紹介しようとするからには、何らかの工夫が必要だろうと考えた。幸いタイミング的にもまたTel Quel Japonの過去記事の性格からみても、Bruxellesとしては非常に扱いやすい、理解しやすい、ぴったりと重なる内容が多い。いままでの(つづき)でOKなのだ。本の紹介というより本を素材にした、過去記事の再強化に近いかもしれない。精神的には平田氏の

「私たちが語ったことを無視しても、現実を変えることはできない。自己満足に溺れて愛国ゴッコ、忠臣ゴッコをやっていても祖国の崩落は止められない

に強く共感している。従って壊れたパソコンを必死に叩き続けるほど、あるいは睡眠障害を起こすほどに肩に力が入っているのを告白する。機能したかどうかはわからないが今回私の採用した工夫は以下の5点となる。1.テーマの数を極力絞る。2.できるだけ内容を単純化する。3.資料を提示し問いかける。4.Opinionとして書かずに、読者の記憶に残すことだけを目的とし、疑問点をfood for thoughtとして提示するに留める。5.(笑われるだけだが)肩の力を抜く。可能な限りあっさりと書く。理解や共感を全く得られなくとも絶望しない。但し、同じことをもう二度と取り上げない決意で書く。ー5.は工夫とは言えないかもしれないが、他者も自身も含めて見限るときは見限らなければならないと肝に銘じた結果である。

/////////////追記:2013年5月28日////////////
小見出し「異様に政治的な天皇発言の意味するもの」より抜粋

平田:...かつてチベット独立武装闘争勢力に対して、ダライ・ラマが抵抗をやめるように諭す「玉音テープ」があり、これによってチベット武装勢力は解体されました...チベット人は平和主義を唱えてもシナにより虐殺・ジェノサイドされ続けてきました。ダライ・ラマは自分の手を汚さないためにチベット人を苦しめるだけ苦しめているのではないか、それでいて自分は世界中の平和主義者という連中から賞賛されて良い子になっているのではないか、そういう疑義が、独立と生存のための戦争をしてきた、その歴史を肯定している日本の保守の中から出てしかるべきです。元首の平和主義とはこういうものになるんじゃないのか。すでに前例はあるんです。(p.138)

「Seven Years in Tibet」だったか「Kundun」だったかもう忘れたが、ダライ・ラマが幼すぎて政治も国防もなにも理解していなかったこと、初歩の純粋な宗教教育だけでは、国主としての判断など下せない、映画を見たあとそう思った。チベットの惨状を知る人、チベット支援活動を行う人、日本にも世界にもたくさんいる。しかし国家と国民を放り出して、取り巻きとスタコラ逃げたダライ・ラマ、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ、国民とともに独立武装運動をせず平和主義という仕事に徹しているダライ・ラマを支持・支援するひとはもっと多い。おかしくはないか?せめて「独立と生存のための戦争をしてきた、その歴史を肯定している日本の保守」には、そこにある違和感は感じられるはずだ。「元首の平和主義とはこういうものになるんじゃないのか」ということだ。焼身自殺という手段によってしか、苦境を訴えることしかできないチベット人が今もってあとを絶たない。侵略されたあとそこに残された国家と国民の即時救済を存在目的としない亡命政府などありえるだろうか?
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So Far From Bamboo Grove by Yoko Kawashima Watkins

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So Far From Bamboo Grove by Yoko Kawashima Watkins
感想と紹介文へのリンク: 
So Far from the Bamboo Grove Study Guide: 

ヨーコ物語(竹の森遠く)概要1 ~5
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要10
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要11
ヨーコ物語(竹の森遠く)概要12
この本が日本で出版されない、その理由は何なんだろう?

・・・・・追記:2012年12月13日・・・・・
氷雪の門通化事件も思い出した。近隣国に配慮して、という考えも可能だが、そもそも近隣国に配慮して捏造した歴史の座布団に座る必要など、どこにもない。この国(日本)は東京裁判史観に少しでも反する事実は、徹底的に隠蔽したいのだろうか?このnon-fictionの書き手は自ら「これは小説です」とThis is a pen.のような発言をしているが、そのpressureを思うと気の毒でならない。かなり突きまわされていらっしゃるようだ。日本政府が力を貸さなくてどうするのだ。
先の戦争の真実の究明に関して、日本がかなり及び腰であるのが少しづつ見えてきた。まさかとは思うが、終戦に関して裏取引が有り、その際の外地にいた日本人の棄民化事実をあまりに酷いと良心が痛んで直視できないのだろうか?

以前ある方に頂いたメイルを思い出した。その方はこれぞ日本の戦いだと感動されていた。
参照:スズメバチVS日本蜜蜂
頂いたメイルに紹介されていた内容はこちら
ニホンミツバチの勇気ある行動
日本蜜蜂の勇気を讃えますが、それを日本軍の戦いに関連付けて日本精神に感涙するのはやめましょう。その情緒的思考が、「竹の森遠く」が日本で出版されない事実にいつかどこかでリンクする、とは思いませんか?思わない?ミツバチの集団自己犠牲は素晴らしい、一見特攻隊精神に通じるように見えるかもしれません。しかし日本人にはいまやハイテク頭脳があるのです。それに日本蜜蜂はミツバチであり、日本人ではないのです。あなたではないのですよ。いつまでも多大な自己犠牲を払ってしか防戦できない日本蜜蜂に自己投影して喜んでいる場合ではないと言いたいのです。日本ミツバチに自己投影して喜ぶなどあまりにも精神が萎縮しすぎてはいませんか?二百三高地のバーチャルゲイムか何かで頭でもブチ抜かれてくれば、思いっきり快感を得られるタイプなのでしょう。またこの手の方々は、正論2012年新年号の中西輝政氏のように、「天皇陛下のために死にに行く学徒出陣」が大好きだという共通点もあります。苦しい目をして走らなくてもドーパミンがドバドバっとでて、アンチエイジング効果でも得られるからでしょうか。
参照:Tel Quel Japon過去記事最後尾
参照:Tel Quel Japon過去記事先頭部

/////追記:2012年12月14日/////
赤塚不二雄のお父さんは日本軍が到着する前に「日本軍がもうすぐ来るよ。日本軍は皆さんを救出してくれますよ」と宣伝して現地人の日本人受け入れを容易にする諜報員だったと、以前赤塚不二夫が「徹子の部屋」で言っていたのを憶えている。赤塚不二夫も満州からの引き上げなのだが、帰国は他の日本人に比べるとスムーズで時期も早い方だ。それでもやはり悲劇である。否、悲劇という言葉では足りない。
赤塚不二雄の引き上げ元サイト

/////追記:2013年5月25日/////
過去記事ですが、最近話題になっているようなので上にあげてみました。


保守の怒り : 西尾幹二&平田文昭 対談(1)カルト


保守の怒り:西尾幹二&平田文昭対談 
草思社刊 2009年12月1日発行
全く遅ればせながら、この本を2,3日前から読み始めた。数年経っているのでおふたりの興味関心は少し動いているかもしれないが、ここに書かれていることは決して古くはない。いまこそ、テーマにしなければならないことだ。気づかなければならないことだと思うので、提示することにした。
興味ある項目からピックアップして読み始めている。まずアマゾンの感想を見てみる。
Amazon 保守の怒り:読者感想
西尾幹二氏のBLOGではどのようなコメントが寄せれれているか、探してみた。
No.1 & No.2 & No.3 :
あれっ、コメントがない。南京や慰安婦問題なら、「日本人であるために馬鹿にされて悔しい」、「外務省は何をしているのだ」、「何とかしてほしい」等の次元の反応は多いが、歴史認識をこの本ほど深く突っ込んだ対談になると、反応がないのだろうか。ひょっとしてこの頃はコメント停止の時期だったからかもしれない。(5月10日私Bruxellesが時期はずれにもコメントを入れました。是非ご覧下さい)そうだ、坦々塾のBlogをあたってみよう。
保守の怒り:読後感1 :読後感2 :読後感3 :読後感4 
読後感5 :読後感6 :読後感7 :緊急告知 西尾幹二 :

・・・・・追記:2013年5月10日・・・・・
Tel Quel Japon過去記事(←本日記事を追記済み5月10日追記を是非ご覧下さい)あたりで「保守の怒り」を絶対読まなければという気持ちになっていた。本の入手に手間取った。今年4月のこの過去記事このリンクは産経新聞2007年4月27日の古い記事であるが、この中に以下の1行を見た時、ただ事ではないと思った。既に2007年の時点で改憲派の西尾幹二氏がこうおっしゃっている。

私は安倍政権で憲法改正をやってもらいたくない。不安だからである。

よほどのことだろう。現在アベノミクスわっしょいわっしょい!のマスコミ報道のなかで、保守Blogから「安倍ちゃんに裏切られた、がっかり」の辛辣な意見がごく一部ではあるが上がってきている。しかし2007年時点での西尾幹二氏のこの1行にみる不安はそれらの意見とは深さも広さもなにより次元も違うようだ。そしてようやく入手した本を昨日5月10日、読了した。
全体的な紹介をすると、Amazonの「最も参考になったカスタマーレビュー」の最初の三つのタイトルに、語り尽くされているように思う。
〇臭いものに蓋をしない勇気がある事に寧ろ救いを覚えた 2009/12/25
〇震度7の激震、保守陣営を直撃! 2010/1/15
〇自分を保守と思い込んでいる人への警告 2010/6/27
私Bruxellesはもう一度再読してから、広く深い内容の本書からpick upテーマを絞り込み、さらに取捨選択した後に、自分の気持ちを重ねた感想文を2,3記事としてまとめてみたいと思っている。

・・・・・追記:2013年5月17日・・・・・
ウイルス感染したわけではないのだけれど、突然PCが絶不調に陥った。対策処理をしているが、作業不能に陥ることが頻繁で、まともな調査活動は不能になってしまった。この先更新するとしても、すでに前から準備しているものを貼りつけるだけの、以前よりさらに不完全、不親切な記事しか書けないが、お許し願いたい。

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「保守の怒り」第3章「保守よ娑婆に出よ」小見出し「神社本庁よ、カルトと同席するなかれ」のP.282~P.292には参考資料として2006年7月9日づけの早瀬善彦氏の文章が丸々出てる。
こちらは2003年の阿修羅への「なるほど」氏による投稿。書き手の視点も次元も角度も全く違うが、この二つを読めば「つくる会」のこの10年の変質がわかるのではないかと、少なくとも外部のものにも分裂内容が少し見えてくるのではないかと思う。「つくる会」の分裂・変質の原因究明に本格的にメスを入れなければならないような気がする。しかも個々人や個々の宗教団体をどうこう言っている場合ではない。

・・・・・追記:2013年5月20日・・・・・
早瀬善彦氏の文章はまだ控えめだ。遥かに恐ろしいのが「工学部ヒラノ助教授の敗北」そしてさらに恐ろしいのがこちらです。そう言えばの話に過ぎないが、昔から右翼のテロは政治家しか狙わない。
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つくる会の騒動をきっかけに政治と一体化する宗教カルトに西尾先生が気づかれたのは、苦悩と痛みの中からすくい上げたこの上なく貴重な収穫ではなかったかと思う。この本では「生長の家」のみが槍玉に上がっているが、この竜巻は一つの国の一つの宗教に限定できるほどちっぽけなものではないと睨んでいる。当然世界中のアカデミズムに既に深く食い込んでいるのだ。「精神世界」全体の潮流が、激流となって先進社会の政治に襲いかかっている。そういえばオカルトと科学が平等合体して信仰となり思想となり国家的エネルギーとなって立ち上がったのがナチスドイツではなかったか。
参照:過去記事:Das Dritte Reich
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参照:政治家と「科学とスピリチュアリティの時代」
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参照:Allen Tate Woodの宗教組織体験記 ←大変貴重
参照:Allen Tate Wood: Interviewほか←大変貴重
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「保守の怒り」の扱うテーマは深く広いのだが、厳選して3テーマに絞ることに決めた。PCの調子も悪いし、このところ頭痛もひどいので、長々とした引用は不可能。大事なことなのに舌っ足らずな記事になるがお許し願いたい。(2)靖国神社(3)日本国憲法(4)昭和天皇とマッカーサー会談、でまとめたいと思っている。
当分は保存していたリンクを出すことから始めたい。言ってみればまずは皆さまへの予習の提示となる。

//////////追記:2013年5月21日//////////
頭痛は頭に熱を持っているせいのようだ。ぐったりしている。ぐったりしているから思い出したことがあった。
Tel Quel Japon過去記事より以下の部分を抜粋

秦氏が最後に-これからの日本は世界の覇権争いに首を突っ込むのではなく、石橋湛山流の小日本主義の道を行くと言う手もある。博打は打たないで、大英帝国のように『能う限り衰亡を遅らせていくというのは、立派な国家戦略だと思います』ーと発言された。

特にー『能う限り衰亡を遅らせていくというのは、立派な国家戦略だと思います』ーの部分をあなたはどのように解して、平然とスルーされたのだろうか。これが保守たちの水面下の合意なのだろうか?

//////////追記:2013年5月22日//////////
保守の怒り : 西尾幹二&平田文昭 対談(1)カルト
p.270~「保守はカルト汚染を克服できるか」より抜粋
平田:...自民党が戦後、反共のために偽キリスト教の統一教会を引き入れました。日本に統一教会ができて今年(2009)で50年です。当時愛国心があって共産党・共産主義から日本を守らなければならないと決意した若者たちがそういう政治活動をしようと思って世の中を見渡すと、そこに待ち構えていたのは統一教会系の活動集団だったのです。それしかなかったと言ってもいい。でも統一教会は、日本から生まれた日本に根ざした団体ではないんです。そういう団体に日本の愛国青年を送り込んだ罪は決して許すことができません。しかも背後にはCIAがいた。ということは、反共運動はアメリカに管理されていたのです。彼らの関与の目的が反共の実現であると同時に、日本の愛国運動が戦後体制、右翼的に言うとヤルタ・ポツダム体制から逸脱しないように管理することだったのは当然です...そしてカルトと結んできた保守の思想家、言論人にも。あなたがたは愛国の青年たちに、愛国、反共、尊皇といったところからの若者の自己形成に際して、彼らにカルトを与えた。そっちに行くのは間違いだと若者に語り、そういう状況をつくりだしている自民党に怒り、諌めることがあったでしょうか...
参照:どこが(究極の駄文)なのか?6-3 国想う青年

保守の怒り (4) 昭和天皇とマッカーサー会談

参照:Tojo ordered strike on Pearl Harbor according to Hirohito interview
初めてご覧になる方が多いと思います。読む読まないは読者の勝手、と致します。
参照:In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor
参照:Unconditional Surrender,Demobilization,and the Atomic Bomb
参照:The Showa Emperor and Japan's Postwar Imperial Democracy
参照:Winners in Peace:
Tel Quel Japon最後の記事に使おうと保存していたものですが、いつ最後の記事になるかわからないので、無くしてはいけないもの順に、早々と参照として提示することにしました。どれも見る人が見れば凄い記事です。すべて「保守の怒り」に関わってくる内容です。判断の強制はしません。ご自由に活用してください。

・・・・・追記;2013年5月22日・・・・・
P.199~ 「最高の国家機密」より
平田:...私たちは今のあり方を考えていくときは、どうしても占領ということを考えなきゃいけないんです。それをほとんどの保守派はごまかしてきました。皇室を残すために日本はいろいろな妥協をしたり、マッカーサーとも妥協したんです。そのことは全部正直に認めていっていいと思うんです。もうこの時期に来たら...
平田:...あのお言葉はマッカーサーの回顧録にだけ出ています...
西尾:...アメリカと日本の両政府がなにか隠しているんですね。
平田:お互いそこは昭和天皇とマッカーサーがこれからの日本国のあり方について、多分話をしてとりきめもしたんじゃないかと思います。たとえば、安保条約のこと、憲法のこと、東京裁判のこと...それが出てくると政治的に非常にセンシティヴな問題が起こってくる可能性がある...
平田:日本にとってです。アメリカは全然こまらない。むしろアメリカは天皇を保護した国ですから。
西尾:何かを約束して保護されたと。
平田:つまり、昭和天皇がマッカーサーをまえにおっしゃったとされていること以外のことをおっしゃっている。いわゆる沖縄の問題もありましたね...
編集部:アメリカは、もう解禁になっていないんですか。
平田:解禁したとは聞きません...
西尾:...これが逆に今度は日本を脅かして押さえ込む時に、アメリカが使えるひとつの手段にもなるんですよね。我々はわれわれを縛るそういうものを幾重にも背負っているんだということを、よく知っておく必要がありますね...
平田:...完全に軍隊がなくなったんだから、アメリカに守ってもらわなければ困るとか、ソ連が攻めてくる、共産主義にどうやって対抗するか、そういう話をしたに決まってるんです...
西尾:...戦後保守は皆、非政治的な平和主義者として特別に陛下を囲い込んで、それで安全地帯に置こうとした。これは明らかな自己欺瞞ですね。そこをやっぱり突破しないと日本の諸問題はクリアにならないと思います...そして憲法が今まで見捨てられないで、辛うじて守られてきているのも安保があったからです...
・・・・
そう言えば以前ある方とこんな会話をしたことがある。
マッカーサーと一番たくさんあっている日本人は誰ですか。そいつがアメリカに擦り寄った一番怪しい奴だ。木戸ですか?
Bruxelles「昭和天皇の11回がずば抜けて最多ですよ」
そのかた「・・・・」
保守の方の口に一番上がる敗戦後の売国奴は、どういうわけか決まって「木戸ですか」が多い。個人が擦り寄って売国したなどと、どうしたら発想できるのか不思議だった。「占領」の事実がすっかり頭から抜けているのだろうか。マッカーサー回顧録は自画自賛のデタラメの自伝で歴史的には全く評価されていない。昭和天皇は「男と男の約束」と内容を一切口にされていない。信頼のできる会談の記録は上にあるように未だ一切公開されていない。「最高の国家機密」であると同時に、どのようなタイミングでどの角度から何が出されるか、情報工作の切り札は、アメリカが握っている。この情報公開というアメリカの最終工作に対抗するために、「読むだけで簡単、平田ワクチン」を今から少量づつ接種しておいたほうがいいかもしれない。ワンパターン、明後日発想ではなくて、歴史的状況を読み取りほんの少し推量すれば、平田氏同様の想像が出来るはずだ。「公開による情報工作」をされても、「それが何か?」と平然と受け止めることができる。国家転覆にもなりかねない大型爆弾を不発に終わらせることができるのだ。
ここまで読んでご理解いただけた方は、この文が同時に「どこが究極の駄文か(7)」を兼ねることも了解できるはずだ。「え?何故そこへつながるの」って?。わかりました。そのことに関してはいつか別ペイジで追加説明を書く事に致します。

(つづく)

工学部ヒラノ助教授の敗戦

工学部ヒラノ助教授の敗戦ー日本のソフトウェアは何故敗れたのか
今野浩著 青土社刊 定価1500円 税別
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この本をたった今読了した。この本に出会ったのは、正しくSyncronicityである。3日前にはこの著者のことも著者の一連の作品のことも全く知らなかった。がなんとなく、サーチに引っかかってきたのである。昨日「工学部ヒラノ教授の事件ファイル」(新潮社刊)と「工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち」(技術評論社)の2冊を一気に読んだ。そして読まなければならないのは「工学部ヒラノ教授の敗戦」の方だと感じた。2日間で同じ著者の本を3冊読んだことになる。今日読んだ本は第2刷発行日が、2013年3月5日、まだピカピカである。何でサーチしたかと言うと「筑波大学」である。そして著者は筑波大学創成期に敗北を体験した助教授である。お分かりだろうか?私は福田信之氏がどのように現れるか、大学構想やその人事がどのようなものだったのか知りたかったのだ。ついでに学者の世界を思いっきり覗いてしまったが、それは省略する。
「もしもし、筑波大の福田です。幹事長に繋いでください。あ、中曽根君? 例の件で局長に...」と早速P.21に福田副学長が中曽根氏を君付けで呼ぶシーンが現れる。(小見出し「ヘルツ副学長」)
筆者が書こうとすることと、私が知りたいことがピタリと一致するわけではない。福田氏のエピソードは数箇所に現れるが、興味のある方は手にとってお読みいただくとして、ここでは小見出し「筑波の独裁者」の部分だけから少し抜粋するにとどめる。P.188&P.189

ミスター筑波大と呼ばれた福田信之教授は、6年にわたって副学長を務めたあと、学長として6年間筑波に君臨し、1980年代半ばに東京理科大の教授に迎えられた。しかしこの頃を境に、バッタリその名前を耳にすることはなくなった。
反共で連帯を組んだ中曽根康弘氏が総理の座にあった80年代半ばには、もっと活躍してもおかしくなかったはずだが、何故かこの頃はすっかり過去の人になっていた。そして90年代に入ると、筑波大学を建設した功労者としてよりは”筑波の独裁者”、”文鮮明の協力者”という名前が残ったのである。
1994年の秋、ヒラノ教授は福田元学長の訃報に接した。そして週刊新潮の「墓碑銘」欄に載った記事を読んで、同氏が筑波を去ったあと間もなく、自らの意思で世間との繋がりを断ったことを知った。
筑波時代の苦労が原因で、夫人が認知症になったことに責任を感じて(...)

つまり老人ホームに住み込んで自ら介護に当たったが、75歳の誕生日を迎える直前に、福田氏自身がその老人ホームで心臓発作のために亡くなったのだそうだ。ヒラノ助教授が筑波に紛れ込んだ当初は副学長だったそうだが、学長は名ばかり、すでに最初から事実上の独裁者であったらしい。
福田信之:wikipedia 念の為にもう一度リンクを貼っておく。

1980~84年の学長時代は大学の主要ポストが統一教会系の人脈で占められていたとも言われた。同時期、筑波大学では「原理研究会」など統一教会系のカルトサークルが公認され活発に活動していた。

1984年11月に筑波大学で開催された「日仏協力筑波国際シンポジウム“科学技術と精神世界”」は福田信之氏がイヴェントを許可・決定、竹本忠雄氏が事務局長、湯浅泰雄氏が企画委員長、でしたね。
1990年の記事:念の為にもう一度リンクを貼っておく。晩年は「世間との繋がりを断った」というよりむしろ、元筑波大学学長の肩書きで統一教会に専心したと言うほうがより正しいだろう。

・・・・・追記:2013年4月6日・・・・・
今朝目を覚まして、引用すべきところが最低あと二箇所あることを思い出した。P.66、小見出し「反共と原理運動」より

ところが暫くして、福田副学長は自分の味方だと思ったのか、ヒラノ助教授を(統一教会の教祖)文鮮明が資金を出している「世界平和教授アカデミー」に接近させようとした。ノーベル賞級の学者を集めて、ソウルで開催されるシンポジウムに、あご足つきで招待されたのである。(...)辞退したが、ここに参加したK教授は、空港に出迎えた韓国人から100万円の札束を渡され、その後厄介な立場にたたされている。筑波に骨を埋めるつもりで赴任したヒラノ助教授が、この大学をやめることになった原因の一つは、ここにあった。

次は小見出し「学生担当教員」から

この後間もなく大学のあちこちで”ヒラノは民青だ”というビラが撒かれた。反共の斗士・福田副学長がリーダーシップを取る筑波大学で、民青のレッテルが貼られたら致命傷になりかねない。またある晩、駐車場に駐めておいたカローラのタイヤが、鋭利な刃物で切りつけられる事件が起こった。もしこれに気づかずに高速運転していたら、タイヤが破裂していたかもしれない。身の危険を感じたヒラノ助教授は、何らかの手を打つ必要があると考えた。(...)そこでヒラノ助教授は、民青でないことを証明するために、またTCIA(筑波CIA)に守ってもらうために、この仕事(学生担当教員)を引き受けることに決めた。しかしこれで得たものは、”共勝連合の頭目:福田信之の手先”という”民青”とはケタ違いの勲章だった。(...)福田・中曽根人脈に繋がるタカ派評論家など、この大学にはあちこちに”特殊任務”を帯びた教授がうごめいていた。筑波大学の成り立ちを知っている教員は、このような体制を批判しようとはしなかった。それが、どれほど危険なことかを熟知していたからである。(...)こうして、教授会自治の廃止は見事なまでに達成された。(...)学生運動と原理運動を比べれば、その影響は後者の方が遥かに大きい。実際、ヒラノ助教授は学生担当教官として、原理運動グループから離脱を試みてリンチにあい、発狂してしまった学生を親に引き渡すまで、三日間にわたって見張らさられたことがあるが、その学生の言葉の端はしに、リンチの凄まじさを垣間見て、背筋の凍る思いを経験している。(...)自分の身を守るために,実体を承知した上でこの仕事を引き受けたつもりだったヒラノ助教授は、5月のはじめに行われた研修旅行で、認識が甘かったことに気づかされた(...)


Net上の書評も当たってみたが、Tel Quel Japonのような視点からのアプローチはどこにも見られなかった。今回はリンクなしの書物紹介とする。

///////追記:2013年4月8日///////
筑波大学の情報学類は従来の大学の3倍に相当する、世界最大規模の”ソフトウェェア中心”の計算機科学科になる筈だった。ところがソフトウェア陣内の内部抗争と福田物理帝国の総攻撃によって、当初の構想はあえなく瓦解し、結果、日本のソフトウェアは見るも無残に立ち遅れてしまった、というのが本論である。トロンのことも書いてある。目に見えない米国の圧力がかかったのではないかとふと思った。日本がソフトウェア学会を牛耳る?そんな試みを米国が看過する訳がない。などと考えていると、興味ある記事にであった。トロンOSの研究者17名が1985年の航空機墜落事故で一挙に亡くなっているではないか。
参照: ななしの言いたい放題
しかもJALの元エリート社員・佐宗邦皇氏はこの事故を「プラザ合意」と関連付けて解説しておられる。また同氏は米軍機による中性子爆弾ミサイル使用説を唱えていて、動画公開直後の2009年8月9日に、59歳にて不審死されています。???
航空機墜落事故とは例の1985年の御巣鷹山。ここで話題は完全に別の話に移動する。
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JAL123便 パイロットの苦闘(技術編):
日本航空123便墜落事故フライトシミュレート(機外視点)
米軍に攻撃され、しかも自衛隊機に御巣鷹山に激突するように誘導されたなどという話を初めて知った。中性子爆弾使用説もその解説もかなり読んだが、何とも言えない。たしかに「言いたい放題」である。ただなくなった犠牲者の方々の確認は終わっている筈なので、トロンの研究者に関しては事実だろう。それとここまで急に操縦不能に陥るということも、単なる整備不良や金属疲労では考えられない。「爆発音」の確認もレコーダーから聞こえている。外から攻撃を受けたに違いない。誘導機が来ていたのが真実ならば、ダッチロールを繰り返し山の方向に進むのは納得できない。謎が多く動機も不明なので、中性子爆弾説やそのための多くの写真まで、登場するのだろう。
参照JAL123便 日航機墜落事故の真相
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WILL 3月超特大号 2013年 歴史解釈

連載第136回 魔都・上海で考えたこと⑪ by 堤尭
書店で立ち読みして、面白そうなので購入した。このあたりの全般の認識は全く同じなのだが、全く同じということは、極めて珍しいので、心強く思って買った。新しい発見はなかったが、理解を共有できる心地よさを久々に感じて感動した。何がと言って、やはり松岡に対する理解である。私の知っている限りで言うと、松岡に対して現在ここまで研究されておられるのは、西尾幹二氏、中西輝政氏、そしてこの堤尭氏、まだ三人だけだ。
ネットなどで松岡を見ると、またまだ罵詈雑言だらけで、真正保守の歴史解釈は日暮れて道遠し、60数年、70年近く、全く何の変化も進歩も見られない。ちょっと検索してもこんな感じだ。
Chiebukuro-1 : Chiebukuro-2 : Chiebukuro-3 :
Chiebukuro-4 :この酷さは 2chだからというわけではない :
挙げたリンクがひどかったとしても、平均こんなところではないだろうか。私に言わせれば、それこそ戦後レジームそのもののなかにある、あちこちの文章の丸写し。「松岡は予め用意の宣言書を朗読した後、日本語で「さいなら!」と叫んで会場を退場した」のあたりを見てもわかるように、資料さえ見ていない。真正保守のBlog,特に松岡に関しては、似たりよったり、独自検証は全くなく、丸写しのオンパレードだ。
靖国神社考(2月13日:リンクが切れたので、張り替えました) : そう言えば富田メモが見つかって、松岡悪人説は、保守の頭で凝固状態となってしまった。否、頑張った方々もいらっしゃった。こういう意見を聞いた。「ひょっとすればそうおっしゃったかもしれないけれど、それは表に出すべき見解としてではなく、呟きであり、そんなものを公表するべきではない。天皇陛下でさえ靖国にはこういう見解をもっておられる、という左翼の罠にちがいない」こういうのもあった。「帝王学を学んだ人間が、仮に思っていてもそんな発言をするわけがない。靖国分祀への策略である」反論された方々の意見はこんなところか。つまり富田メモ公表に対して反論がなかった訳ではない。私が残念に思うのは「天皇陛下に戦犯などという発想が、そもそもあるわけがない」とか「天皇陛下が靖国から足を遠ざけられることなど有り得ない、つまり発言そのものが有り得ない」と言った人がひとりもいなかったことだ。ここに置いた靖国神社考、頑張って思考されているのではあろうけれど、失礼ではあろうけれど私に言わせれば見るも無残な内容である。マイクを突きつけられた大臣や、国会議員などが「肩書きを外した個人として参拝している」などという弁解は、そもそも不要である。今の状況で靖国参拝は政治家にとって覚悟のいることかもしれない。しかしそこを敢えて信念を持って行動する人物が、なんという意味不明の情けない言い訳を繰り返すのだろうか?彼ら保守政治家は、正しい歴史解釈にはまだまだ爪の先さへ到達していないのだ。この富田メモにある昭和天皇のご発言は(1)強制されたものなのか(2)洗脳された結果のお心なのか(3)ふと御唇からこぼれ落ちたご本心なのか(4)全くの捏造なのか、その議論さえ起きていない。曖昧な日本、得意のうやむやのつもりなのかもしれないけれど、このままでは靖国問題に関する結論・勝敗は明らかなのだ。保守はながながとリング上でのびていて、左派の右手は高々と挙げられている。ここで今年8月15日の安倍総理の靖国参拝などを話題にするつもりなど初めからない。次元の違う話なのだ。今上天皇の天皇陛下としての靖國神社御親拝に一切言及すらできないで、発想すらできないで、戦後レジームからの脱却とは!!!という次元で話している。怯えた風見鶏のままでは東京裁判否定など、夢のまた夢ではないか?

連載第136回 魔都・上海で考えたこと⑪ by 堤尭
この文章は過激でもなんでもない。ごく当たり前の極めて常識的な、この部分に関して一番まともな歴史認識に達しているごく普通の文章だと思う。これをお読みになっていただきたい。歴史を検証するものならばとりあえずここまでは、共有したい。少なくとも保守を名乗る者なら誰でも共有できる歴史認識だと思う。ご一読をお願いするのは、共同認識を共有認識と確認していただきたいからだ。
読書中に疑問が湧いたなら、以下のTel Quel Japonの過去記事があなたの疑問の黒い雨雲を吹き飛ばすことでしょう。
参照:Tel Quel Japon過去記事 日米諒解案
WILL3月号購入のきっかけは堤氏の文章にAlger Hissへの言及があったからだ。上の過去記事にはElizabeth Bentley、Whittaker Chambersが登場する。名前を見ればこの3者の顔がすぐに目の前に現れるくらいでないと、ルーズベルト政権を理解することは不可能だろう。ルーズベルト政権の正体をカチカチと突き崩して行かない限り、日米交渉は見えてこない。松岡がまとまりかけている諒解案を握りつぶしたとか、国連で大見得を切って国際秩序からはみ出し、まっしぐらに戦争に走らせたとか、近衛は共産主義者だったとか、ハル・ノートにビックリして冷静さを欠いて真珠湾に飛んでいったとか、東京裁判では誰が無罪で誰が有罪だとか、そんな次元でいつまで論じ合っても、時間の無駄で、日米開戦原因も、敗戦原因も永遠になにも見えては来ない。万一Tel Quel Japonの日米了解案の記事に納得がいかないなら、さらにご自分でとことん原文にあたってみられると良い。そのために必要以上の資料をいつも置いているし、出典も明記している。ご自分で到達した結論なら、必ず満足されるだろう。

連載第136回 魔都・上海で考えたこと⑪ by 堤尭
私がこの堤氏の文章を取り上げている理由はもうひとつある。「野村は終生、許せない」の小見出し部分である。このタイトルは加瀬俊一氏の言葉からの引用である。内容は店頭ででも読んでいただくとして、非常に柔らかい書き方である。おそらく堤氏はTel Quel Japonで記事にした二つの事項を大したこととはお考えではないのだろう。ここで敢えてその二つの事項を追記しようと思う。あなたにも知っていただいて共有認識としていただきたい。
過去記事:野村吉三郎の辞職願い
明らかに能力がないのだろう。重大事態での職場放棄である。来栖が渡米してダブル大使となった理由はここにあります。
過去記事:日米諒解案 (2)
くどくど書きませんがお目通しください。これが利敵行為でないとしたら、何が利敵行為なのだろう。少なくとも日本国よりアメリカ合衆国側に情は移っている(ルーズベルトと親友であったなどという噂まである)、その結果情が通じているのである。敗戦後生活に貧した野村にアメリカ側から特別の配慮がなされたことも思い出していただきたい。ただ私の意図は、何も野村大使をこれだけで誹謗するつもりなどは全くない。知るべき事実を知ろうという真っ直ぐな姿勢を志を同じくする仲間たちに常に維持しておいていただきたい、「好き」「嫌い」の感情論のみで事実判断取捨選択をするのはやめてもらいたい、それだけだ。

・・・・・追記:2013年3月14日・・・・・
・・・・・上記の記事は2013年2月5日入稿のもの・・・・・

米国共和党と文鮮明の長い長い蜜月を調べていくと、日本自民党と文鮮明の蜜月も、不思議ではなくなってくる。宗教とは政党とは政治家とは究極に何を求めるかを考えればの話だ。「保守の惨状」とは全く別の視点が、少なくとも政治家に対しては必要かもしれない。(拡大解釈した)宗教と(拡大解釈した)政治はメビウスの輪の裏表、単なる滑り台ではないぞと気づいてずっと立ち止まっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日書店で「WILL」4月号を買ったら、堤堯氏がBruxellesの手紙に応じてくださっていた。Tel Quel Japonの紹介まであった。最近リピーターより初回訪問が上回る傾向に気づいていたがまさか4月号で応答されるとは思ってもみなかった。野村大使云々というより、松岡外相に対する正しい理解が、歴史をまっすぐに見るためには最低必要条件だと思うので、松岡解任あたりの話になると、黙ってはおけない性癖が私にはある。いつも躊躇して止めてしまうのだが、今回はほとんど無意識にポストに手紙を放り込んでいた。それゆえ正直に言うとすっかり忘れてしまっていた。

「南京事件」の日に領空侵犯:plus 追記

Baidu IME_2013-2-5_19-31-34
2012年12月13日午前11時前後、中国の航空機が尖閣諸島の上空で領空侵犯をした。これは誰でも知っている。
Baidu IME_2013-2-5_19-29-51

WILL3月号には「尖閣領空侵犯 中国の本当の狙い」という記事があって、それを読むと、大新聞、テレビは報道しなかったらしいが、この日時は「屈辱の南京大虐殺75周年記念行事」とどうやらリンクさせたものだったらしい。南京の恨みを尖閣に向けるぞ、という露骨な意思表示である。そんな記念行事には全く興味がわかなくて想像もつかなかったのだが、いやはや不気味なサイレンが鳴り渡り、醸成された怨念が吹き出している気がした。知らなかったがこんなところでこんなことやってる。
China marks 75th anniversary of Nanjing massacre
きっかり式典でサイレンがなっている時間に、領空侵犯したというわけ。(中国の10時は日本の11時)恐ろしや、75周年記念行事、おそろしや、無知丸出しの洗脳されて祖国を貶める(なにやってんの)国外日本人。勿論国内日本人も。また特に発想視野認識矮小病をどうする?「被告席に立たされた日本の、低音で立ち昇る、しかし清明公正なる陳述である」- 国家防衛認識が歴史の浅い国家中国の膝にも届いていない。

ところでこの文章の筆者遠藤誉という方を少し調べてみた。面白い本を書いていらっしゃる。読者に内容の触りをおみせしたいので、要約・感想などを探してみました。これは面白い。中国長春出身の物理学者なのだそうだ。あれ、すでにご存知?
「チャイナ・ジャッジ」遠藤 誉:
No.1 & No.2 & No.3 & No.4 & No.5 :
この事件はTVで池上さんが解説されているものがYou Tubeの中にもあった。

・・・・・・
この号のWILLの巻頭論文は西尾幹二先生。読んでいてハッとする1行に出会った。この1行に出会って、このペイジを書く事にした。イントロはイントロとして当然あるが、私は真珠湾から太平洋戦争が始まったと解している。それは慰安婦や南京など、本来歴史でないものを歴史と同じように扱うこと、対応することに疑問を感じているからだ。歴史のような顔をした政治戦略なのだ。私が敢えて太平洋戦争と呼ぶのは、(勿論前後の検証は含むが)開戦の詔勅から終戦の詔勅までの歴史に集中したいという思いがあるからだ。西尾先生のその1行をみて、そういう自分の思いに初めて気づいた。ネットや雑誌の論壇では、むしろ日韓併合も含めて「日本帝国主義国家のアジア侵略・植民地化」というテーマ・時代が中心で大半がその時代あるいは日中韓に引っ張られているように思う。私が大東亜戦争と最近書くのは「大東亜戦争であって、太平洋戦争ではない」と叱りつけている保守の方たちに袋叩きにされないためだ。言論統制は厳しい。何故Bruxellesなどと横文字を使うのか、とか天皇制は使用不可、とか西暦でなく平成にしろとか、命を張ってキーキーいっている人が大勢いらっしゃる。他に書く内容が見つからないのだろう。空気の読めない人間が保守の世界で発言するのは、必要以上にシンドイことである。

(追記:2013年2月7日)以前にも書いたと思うが私は幼稚園に行く前にすでに今と似たような(日本人に絶対の信頼を置く)歴史認識を持っていた。学校で何を教えようと屁の河童。どんな本を読もうと誰と話をしようと軸がズレたことはない。16歳くらいから理論武装をはじめ、20歳前には国際政治や歴史認識を勉強するために先輩や教授たちに囲まれご指導を受けた。「諸君」はまだ発刊されておらず、実際に発刊された際には、状況的に考えて俄かに信じ難く「奇跡」とさへ思われた。それまでは「自由」や「世界」を時々読んでいたような気がする。「正論」の創刊は「諸君」より更に4年後だった。その時代議論ばかりが花ざかりで私も勿論応戦したが「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」などそもそも議論の対象にもあがらなかった。ただ漠然と平和憲法と東京裁判をネタにした日帝侵略国家断罪及び過去の精算としての謝罪・賠償を言い募る輩は大勢いたが、中国も朝鮮もまだまだ惨めな国で、はるかに後年になって歴史を捏造して上から目線で日本人のprideをまず切り刻み、金品や日本領土まで「返せ!」などと、襲いかからんばかりの国になるとは、夢にも思わなかった。私だけではないだろう。「謝って欲しいというなら、謝ってやればいいじゃないか。謝る方が謝ってもらう方より圧倒的に優位なのだし、その確認をしていると思えばいいじゃないか」とおっしゃる方もいた。長い間、捏造した歴史の政治利用という彼らの戦略など想像も認識も、なにより区別もできなかったのである。
今だに、あれから40数年を経た今でさへ(あるいは今ゆえにか)、歴史の真摯な検証と、彼らの捏造した歴史による政治的戦略への反撃らしきものとを(実際に反撃ならばまだ良いのだが)完全に混同されている方が多い。しかも彼らの襲撃体勢を日本国に対する単なる侮辱と感情のみで受け止め「何を言うか、無礼者め」「侮辱は許さんぞ」「お前たちに日本の心がわかるか!」などと内輪で興奮し、宴会状態となり大いに和を楽しんで幕となる。たしかに捏造に対し真摯な歴史の検証をいくら繰り返してもさほど有効ではないが、感情に溺れていては論理から遠ざかる一方だ。南京の捏造を告発するのに、自ら喜んで日本国を被告席に座らせ、アメリカ人を陪審員にして、判決を仰ぐ、などという発想しかできない者を、大勢で保守論壇の英雄と崇め奉る状況、これはもう冗談を通り越して、保守の思考停止、読書眼の衰退、認知症の始まりの如き大危機感を覚える。
・・・・・・・
(追記:2013年2月7日)「正論・平成18年1月号」の「反日レッドペーパー」研究に掲載された5人分の記事全体を先週入手した。3月号の「WILL」にも池田信夫氏の「性奴隷記事 NYタイムズへの公開質問状」という記事が出ている。7年経っても状況は変わっていない。外務省か政府高官レヴェルで強く抗議する必要がある。昔日本で「トルコ」と言っていた事項、トルコ政府に抗議されてすんなり「ソープ」に日本語表記を変えたことがあった。そんなにすんなり行くものではないが、手順としてそれは事始め。TVの討論番組に相手の記者を引っ張り出して、まずどの程度の歴史認識があるかじっくり聞いてみるのも良い。チャンネル桜は空振りの映画などつくらず、討論番組にお越しいただいて、いつもの優秀なメンバーで、こんこんと相手記者を啓蒙するのは、どうだろう、勿論実証的に、完璧に説得を試みるのである。帰国後は真実の記事を書きます、と覚醒してこころを入れ替えれば、お土産のひとつも包んでもいいだろう。帰国前に「正論」に「真実に目覚めた私」などという啓蒙記事を書いていただくのも良い。但し前のフランスの番組のように、公平な報道なのに、勝手にヒステリーを起こして大騒ぎするようではいけない。番組自体に抗議する場合は、制作会社にもチェックを入れる必要がある。その制作会社に政界から誰が天下っているかも、もちろんチェックの必要がある。スポンサーもだ。相手が左系の新聞なら桜側も議論で論破できる非常に優秀な人材を集めなければならない。「所詮フランス人に日本などわかるもんか」などと口走る最低次元の人材はひとりとして紛れ込ませてはいけない。いずれにせよ今はもう、一般の個人が手紙を書いて抗議するなどという次元では太刀打ちできないのは明らかだ。それこそ桜や日本会議の組織力、行動力PLUS作戦力に期待するしかない。日本のTVや「正論」などという名前をだしたが、実は日本人、日本国への啓蒙が緊急に必要だと考えている。昨夜半分眠りながらこの記事を読んでいて、Yoshida Tadashiという方の存在を知った。2006年にOxford University Pressから南京に関する本を出版されている。またこちらの本は遊就館をはじめとして戦争関係の資料展示や、ハコモノに関する紹介本である。日本人自身が何をどう考えどう発言し、どんなハコモノを建設し何をどういう目的で展示しているのか、日本国内の調査と必要ならばその対策、そして実行、それを先行させなければ、外国人記者の啓蒙など、まずは出来ないような気がしてきた。

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上の方に書いたように西尾先生の1行は私に何かを気づかせた。ほかの方たちにもまた別の何かを気づかせるだろう。たとえばAnti-Yamatoismなどという特定の悪意を持った不特定の国際集団を仮想してもその心は読めない。集団も組織も見えない。存在しないからだ。カモはたかりやすい、すぐ謝るものはイジメやすい、右往左往するものは、イジリやすい、それだけだ。残念ながら、国際社会からよってたかって敵意をもたれるほどの、驚異的脅威を有している国家ではない。捏造歴史を政治利用したら、謝らせて恥をかかせるだけでなく、金銭を積み上げ領土まで差し出すだろうと、舐められているのだろう。舐められているほうより、舐めている方に加担すれば、分け前が転がり込む、だから舐めている国の側の主張する声には次々と和する人が現れて、その声は一層大きくなる。舐められている方は萎縮して国際的孤立?に怯える。そんなところだ。
さて、西尾先生の巻頭論文の1行を以下に記しておくことにします。それぞれに何か気づくことがあればいいなと願っています。

国際社会では、歴史問題は政治的に便利
か否かの相対的意味しか持っていません。


小さいおうち 中島京子(5) 文庫本対談

文庫本の「小さいおうち」には最後に作者の中島京子と船曳由美氏の対談がある。

中島「私の祖母も戦時中を振り返って、宝石の供出とか、文化的な催しがなくなっていったことへのいらだちをふっと口に出すことがありました...私が大学生だった80年代、景気が右上がりにどんどん良くなっていきそうだった時代に、「ちょっと嫌だわね、戦前みたいで」と言ったんです。
中島「私にとって戦前は、軍靴の音が響いてくるイメージしかありませんでしたし、バブルのお祭り騒ぎの気配とはギャップがありました。だから「おばあちゃんは何を言っているんだ」としか思わなくて...そのことも、この小説を書いた遠いきっかけになっています。そして戦前について調べ始めたら、明治以降に取り入れた西洋文化が成熟した時代だったとわかったんですね。」


だとすると私の読み方も特別間違ってはいなかったことになる。
宝石の供出で思い出した。ある時、祖母が帯留めをしながら、装飾品を指差し「Bちゃんにこれを形見にあげるからね」と言ったことがある。「全部宝石は供出して、これは、もともと指輪だったものを帯留めにしたから残っている」と言った。後にそれを頂いたが、よく見ると宝石の中でも一番安物のアメジスト、しかもキズモノ、多分供出して、価値がないからと突っ返されたものだろう(形見なので、今でも大事に持ってはいるが)。供出の言葉をまだ知らなかったが、私は5歳の頃、供出というものがどれだけ凄まじいかを実際に見たことがある。しばらく祖母が住んでいた親戚の心斎橋の石原ビルに、祖母に会いに行った時だ。階段のノンスリップに使われていた金属部分が、全部、ハンマーで叩き取られているのを見た。つまり金属の滑りどめを剥がすために階段がボロボロに打ち壊されていた。子供心にも廃墟を思った。正面にはエレベーターがあったのだが、二重ドアの全てが持ち去られ、本来の金属部は板になっていて、滑車もなく、動く気配もなくてエレベーターがそこで口を開けて死んでいるのをみた。多分「何故か?」と質ね、父が供出の説明をしたのだろう。さすがに進駐軍はもういなかったが、心斎橋筋には傷痍軍人がたくさんいたし、地下鉄の入り口には回数券をバラ売りし一枚分の利益を出す、「回数券売り」のおばさんもいた。だから供出の実際を見てわたしが真っ先に感じたのは、日本人であることの連帯感であった。そこに読み取ったのは挙国一致の精神、それゆえに日本人同士は助け合わなければならないと強く思った。後年従姉妹が私に言った言葉を思い出す。「Bちゃんは、よく、日本人同士だからね、っていう言い方をするね」って。もし私がそういうことをしょっちゅう言っていたとすれば、挙国一致の精神で死んでいったあの口を開けたままのエレベーターが私をそのように教育したのだろう。
中島氏が書いておられる戦前とバブルの比較だが、こういう理解はどうだろうか。
私の祖母はめったに自分から過去を語らなかったが一度、満鉄の株券について話したことがある。隣組からそれぞれの家に満鉄の株の購入割り当てがあり、戦争後半になると買いたくなくても買わされて、現金の大半を株券にした、その株券が敗戦後紙くずになったと。「それをどう思うの?」と聞いたら「自分ひとりが着の身着のままになったわけではない。満州で生活の場を失って引き上げた人、空襲で死んだ人、戦場で餓死した人、手足をなくした人、息子をなくした人、本人が死んだ人、みんながそれぞれにそれぞれの悲しみや不幸を背負った、日本全体が敗けて、挙国一致で耐えるとき、いつか挙国一致で頑張ってそれぞれの重石をはねのければいい。連帯感があるから、不幸も不満もない、否あってもそんなことを言っている場合ではない」と言った。そこで私は思うのだが、満鉄の株は、初めから紙くずだった訳ではない。「生命線」の満州に日本人の夢は膨らんだ筈だし、満鉄の株には買い手が殺到してバブル期のように、株そのものも高騰し、高配当も出たのだろう。小さなおうちの旦那様のおもちゃの会社は、戦闘機や戦車など軍事関連の軍国おもちゃで、戦前はかなりの拡張発展を遂げていく。日本全体の貿易も順調だった。中島氏のおばあちゃんが、あのバルル期を「戦前みたいだ」と感じられたことは、これで説明が付くはずだ。こういう目にあわなかったら、日本は戦争をする必要は全くなかったのだ。そして今月号の「正論」で渡辺昇一氏が書いておられるように「戦前暗黒史観との決別」は、日本人にとって、今急務である。「ちいさいおうち」を5回にわたって取り上げたのは、この小説がそのための一翼を担ってくれると信じるからである。
(追記)石原ビルで思い出したが、1945年3月13日の大阪大空襲のとき、土地勘のある人は、近所の人もみんなこの石原ビルを目指して逃げたのだそうだ。犬の鎖を解くために一旦火をくぐって家に戻った父は、脱出が遅れて、母親、つまり祖母とはぐれる。どこに逃げたのか死んだのかもわからない。父がビルの地下室に辿りついたとき、そこは避難するひとたちでごったがえしていた。打ち合わせていたわけではないが、地下室の奥の奥に命からがら逃げてきた祖母の姿があったそうだ。父の安堵が日記を読んでいても伝わってきた。

ちいさいおうち 中島京子 (4) 皇紀2600年

2600

昭和15年12月14日、入場料は2.5円、紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会に奥様は東京歌舞伎座にお出かけになる。この小説が万が一恋愛小説だとしたら、ここは男と女が二人きりの時を楽しむ重要な場面である。

昔こんな歌を学校で歌ったと、母が一度私に歌ってきかせた曲を思い出した。奉祝國民歌 紀元二千六百年 No.1 :
奥様が行かれた歌舞伎座の演奏会について資料を探してみた。
Baidu IME_2013-1-8_14-18-53
↑フランスのイベールの作品を指揮する山田耕作氏
演奏会そのもののFILM最初の2分間
皇紀2600年奉祝曲 wikipedia:

(しかし、ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」は到着が大いに遅れた。そのうえ「日本の紀元2600年を祝う場にふさわしくない」という理由で物議をかもし、写譜が間に合わないうちにイギリスが敵性国家になったので、結局ブリテンの名は消え、作品は演奏されなかった(委嘱料の支払いは行われている):追記2012年12月29日:今朝目を開けてしばらく考えていたが、奉祝曲のタイトルが「レクイエム」、こんな失礼な話があるだろうか。明らかにChurchillの挑発、しかも芸術に名を借りた悪意に満ちた挑発だ、と気づいた。真珠湾の一報を聴いてChurchillがどれだけ欣喜雀躍したかを史実として充分に知りすぎた人間にとって、イギリスの挑発だということはよくわかる。)

私のレコード棚から & Langsamer Satz
R.シュトラウス:皇紀2600年奉祝音楽(日本初演):
Jacques Ibert: Ouverture de fête (1940) :
Benjamin Britten Sinfonia de Requiem

紀元二千六百年式典
式典だけで無く、提灯行列に花電車も出てくる、身に感じるためのお薦めfilmである。
日本ニュース元ペイジ:年代別&撮影地別
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改めて本を読み直しているとこんな歌も出てきた。初めて聞く。
比島決戦の歌比島決戦の歌歌詞
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追記:
Tel Quel Japon過去記事で、今回本当に言うべきことをおっしゃっているのは渡辺昇一氏だと書いている。その渡部昇一氏が「正論」の2月号で「諸悪の根源ー「戦前暗黒史観」との決別」という記事を書いておられる。Tel Quel Japon過去記事、に類似した主張である。「明るく立派だった戦前の日本」という小見出しのところでは「もしも月給が上がったら」や「うちの女房にゃヒゲがある」などの流行歌を取り上げられている。それで思い出した。私も9月にこういうペイジを作っている。年代はばらばらで戦前のものばかりではないが、「日本人は楽しい」ということを言うために、敢えてこういう曲を集めてみたのだと思う。「どんぶりばちゃ浮いた浮いた、ステテコシャンシャン」などという歌をヒットさせる非常に楽しい国民なのだ、ということをクリックして確認していただきたい。

ただ「正論」2月号には、これとは反対になんてことを書くのか、と根源的にゲンナリした文章もあった。p.288からの文章である。こんな日本人認識で東京裁判史観打破、などできるわけがない。もうプリプリである。
くらきより
暗き道にぞ入りぬべき
遥かに照らせ山の端の月(拾遺和歌集より)、を出して、こう繋いでいる。
この歌は、煩悩に苦しみ、無明の心の闇をさ迷う私に、西の空に輝く月よ、私をその光で導いてください、という意味だ(...)古の日本人は自分が無明の心の闇にさ迷う哀れな存在であることを、痛切に自覚していた。これは世界と自分に対する日本人独特の深い現実認識と現実感覚だった(...):ながながと続き最後はこの「山の端の月」こそ天皇の存在である、と繋ぐ。まるで他の筆者とは次元の違う、亡き出雲井晶氏並みの読者の共感を得るがための嘘くさい媚そのものである。別にどこに繋ごうと帰結しようと構わないのだが「心の闇」がいただけない。はっきり言おう、日本人の心に「無明の心の闇」など無い!その程度の比喩を使うとすれば、日本人の心には闇夜に於いてさえ、光り輝く月がひとりひとりの中に存在している、そういう立派に成人した国民なのだ。水島さんの「お話」に寄りかかっていては、天皇制の存続のためには前提として「無明の闇を心に抱える」まるで地獄を這いずり回る餓鬼のような国民の存在が必要となる。長い間深くそのように考えてこられたのだろうから、今更とやかく言うつもりはない。しかし、本質的に日本人は明るい、楽しい、優しい、と私は思う。キリスト教徒は原罪という前提を必要とするが、日本人は「心の闇」やら「山の端の月への全的依存」などで、説明すべき民族ではない。第一「山の端の月」では信仰論にはなり得ても国体論には一切成りようがないではないか。またもや大勢の保守の方から誤解されそうな文章を書いてしまったが、P.288からの文章の奥の奥に払拭しきれていない自虐史観があるように感じたからだ。よく読めばこの文章は根底では、OSSが利用した東京裁判史観から一歩も脱していないことが分かるはずだ。
保守の期待の星、水島さんであればこそ、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の覚悟を持って敢えてプリプリの気持ちを文章化してみた。

・・・・・追記:2013年1月2日・・・・・
暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月(拾遺1342)
和泉式部のこの歌、今朝この歌からLuna Tucumanaという名曲を思い出した。
Luna Tucumana Bruxellesの和訳ペイジ月田秀子
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読者がお正月に手にする本だからという訳で、多分水島さんは、取ってつけたような日本人論を書かれたのだろう。短詩型文学的に言って、書き起こしに選択した詩歌で、まず滑っている。こんなものを探してきて、挙句に日本人に「心の闇」を既成事実のように押し付ける、いくらなんでもお馬鹿中学生の作文レベルだ。水島さんを貶すつもりは全くない。ただ「どうする日本国憲法、大討論」のPart1で「帝国憲法は生きている、帝国憲法の復活」をと発言された方なら、むしろ「愛国行進曲」を持ってきて解説しドーンと大肯定されるのは、どうだろう。
暗きよりは、和泉式部 10代か20代の単なる煩悩の歌であり、代表作でもない、日本の心を読み取れるほどの才ある大歌人でもない。なぜこんなもので日本を語ろうとされるのだろうか?水島さんお一人について言っているのではない。このように口では戦前の日本を憧憬しつつも心では決して肯定できない隠れた強いambivalentな感情を、大半の保守系日本人に認めてしまうのだ。何十年経っても議論が議論で終わってしまう、ひとつの大きな原因であると思うので、敢えて水島さんの文章に再度、しかも新年早々に絡んでみた。

ちいさいおうち 中島京子 (3) 東京オリンピック

...昭和10年には、5年後には東京大会が開かれると、それこそ誰もが思っていた...私は今でも、あのころのウキウキした東京の気分を思い出すと楽しくなる。
おばあちゃんは間違っている。昭和10年がそんなにウキウキしている訳がない、昭和10年には美濃部達吉が「天皇機関説問題」で弾圧されて、その次の年は青年将校が軍事クーデターを起こす「2・26事件」じゃないか、いやんなっちゃうね、ボケちゃったんじゃないの、というのだ。
人聞きの悪い、誰がボケるものか...
...しかし、あのころは、日本では「事変」はあっても「戦争」はなかったし、「戦争」と言ったら、イタリーとエチオピアとか、スペイン内戦のことだったんだと言ったら、健史は心の底から腹を立てたらしく、目を剥いた...


たきおばあちゃんの手記を甥の次男の健史が覗き見して、不満を述べている場面である。本来のテーマから外れるかもしれないが私がこの本で一番興味深いと思うのは、戦後教育を受けた大学生の健史の意見とおばあちゃんの手記がことごとく対立する場面である。推薦拡散希望の理由は、もうお分かりだろう。日常生活をありのままに淡々と綴った東京の女中さんの「心覚えの記」が、力強く日教組教育を打ち砕くところにある。
5年後の東京大会、とあるのは東京オリンピックのことである。昭和11年に決定している。
12th8.jpg
幻の東京オリンピック:その1 & その2
Baidu IME_2012-12-13_14-41-48
昭和13年には2年後の万国博覧会の入場券が発売されている。↑
ちいさなおうちの旦那様も長い列に並んで12枚一綴りの回数券を10円で購入。上の写真でもわかるが富くじが付いていて一等は家が一軒建てられる位の大金であったとか。さらに札幌での冬季オリンピックも決定。
タキおばあちゃんは昭和13年が坊ちゃんの小学校入学年だったことを思い出す。小学校で坊ちゃんが最初のお遊戯会のために覚えさせられた歌と踊りを思い出し、お正月のある日一人で試しに姿見の前で踊ってみるのだった。私もつられて声に出して歌ってみた。
その曲がこれである。そしてタキさんはあの頃の奥様とのウキウキしたお正月を回想する。少なくとも今の日本人のような精神の萎縮はどこにも見られない。
しかし昭和13年も夏を迎える頃、両オリンピックは返上、万国博覧会は延期が決定される。景気の良かった旦那様の会社も雲行きが怪しくなる。当然彼女は彼女の見た事実を素直に書くのである。
筆者の中島京子氏の綿密な取材力のおかげで、見たこともない時代の空気を感じることが出来た。お正月の食べ物、着るもの、行事、しきたり、そして時代の景気、雰囲気が、何より戦前の日本が、ちいさなおうちに限定はされるが、よく伝わってきた。

追記:関東大震災から7年目の昭和5年、一番上の場面より5年前、帝都復活祭があったと書かれている。これはタキさんが奥様から聞き知るお話。東京の真ん中を花電車が何台も走って、沿道には日の丸を振る人がいっぱいで、夜どうし明るい提灯の列が並んだ。あれは心華やぐお祭りだったと。夜を徹した提灯行列や花電車のことは大阪市東区大川町に住んでいた祖母にも何度か聞いていたが、帝都復活祭は初めて聞く。探してみたら「花電車」の絵葉書が見つかった。
帝都復興祭記念 奉祝 花電車 & 帝都復興祭の仲見世
引きこもりや鬱病、自殺者、自傷者、あるいはそれでなくても不景気な暗い顔の現代人と比べて、戦前は随分と楽しそうではないか。昔のお正月は楽しかったと祖母もよく言っていた。お正月の支度を済ませ、除夜の鐘を聞いてから、家族全員、親族とも誘い合わせて心斎橋やら道頓堀に繰り出して、ということは深夜から夜明けまで「遊んだ」と言っていた。お店も開いていて大勢の人たちが繰り出し大賑わいだったのだろう。

日本人の生活の中に楽しさと誇りがあった、喜びもあった、帝国政府がイヴェントを仕掛けたり様々な企画をしたり、国民に生活の楽しさを享受させるという国家の義務を自覚していたのだ。その前提なくして強い陸海軍も生きてこないし「欲しがりません勝つまでは」などというお達しに当然の如く従おうという国民の存在もあり得なかったのではないだろうか?

/////追記:2012年12月14日/////
紀元二千六百年式典
内閣総理大臣近衛文麿
寿詞(よごと)奏上:音声
元サイト:探検コム
・・・・・
紀元二千六百年記念特別観艦式
You Tube(昭和15年10月11日)
・・・・・

ちいさいおうち 中島京子 (2) ブリキのジープ

一旦終わったかに見えるこの物語には追記とも呼ぶべき部分があり、そこで語り手が代わる。物語は一気にミステリー小説風な大展開をみせ、作者の作家としての構成力が発揮される。その後半部のキーワードの一つが「ブリキのジープ」。本を読み終えてすぐには気づかなかったが、時をおいてじわじわ思い出してきた。私にも大事な大事な「ブリキのジープ」のおもちゃがあった。つい4,5年前まで大切に保存していた。半世紀以上も処分しなかったモノなどほかにない。シートが赤く車体は真鍮色をしていた。縦に持つと大人の顔が隠れる位の大きさで、ずっしりと重い。そして安定感がある。座席に小さな人形を座らせることも出来た。タイヤはゴムで、一番気に入っていたのは、お尻に結わえた予備のタイヤで、工具を使ってタイヤ交換ができることだった。物語に登場するジープとは時代も違い、その分高級おもちゃになっていたのだろう。兄の木製の列車とぶつかってもビクともしなかった。あちこち錆びて美しくはなくなっていたが、このあいだまで持っていたのだ。

そのジープに包帯を巻いて、Ready-Made Artとして、美術展に出品したことも思い出した。それは1973年、梅新交差点角の安土画廊で行われた「人間ーこの抽象的なるものの中で」というタイトルで行われた正確には詩画展だった。詩誌や所属を超えて大阪の詩人たちがほとんど結集したおそらく最後のイヴェントではなかったかと思う。少しづつ思い出してきた。私の作品は2階の左コーナーで、包帯を巻いたジープの隣には、線香で燃やした革命期ロシアの古紙幣が数枚、灰の中にうもれていて、その下には髑髏の描かれた黒い布(これは現在夜光塗料を施してトイレの戸の裏に貼ってある)を置いた。そしてその前に前にも触れたと思うが1945年3月13日の大阪大空襲の日の父の英文日記をそのペイジを広げてそのまま展示した。さらに床にはブルーの布を波立たせておき、その下に隠したテープレコーダーで来客が少ない時には私たちが成長期に馴染んで育った60年代のAmerican Popsを大量に次々と流した。作品タイトルは「置き去りにされた夜明け」
若くして亡くなった父の、昔のgirl friendだったOさんがみえて私の作品の前で足を止めるやいなや「これはBruxellesさんのお父さんの字ですね、懐かしい!」と叫ばれた。父の日記はタイプ打ちされていて、父の字といえば、数箇所訂正のためにペンを入れているに過ぎない。全部で10文字に満たないアルファベットをみて、それだけでOさんには父の存在が一瞬見えたのかもしれない。それに感動していると、私の無粋な男友達がやってきて私に近づいて真剣に驚いてこう言った。「Bruxellesちゃん、ホテルに泊まって朝おきたら、横にいたはずの男が消えていた、という経験でもあるの?!」なんのことか全く意味がわからなかった。意味を理解できたのは言った本人が帰ってから2,3時間経過してからだ。かれはタイトルの「置き去りにされた夜明け」をそういうふうに解釈したのだ。ゲンナリである。「置き去りにされた夜明け」は以前小説にも使ったタイトルである。父の日記には巻頭にそれぞれ詩のようなものがあり、昭和20年の日記の巻頭に、たしかこんなことが書かれていた。
それでも、いつの日か日本がこの戦争に勝利し、日の丸の旗が御堂筋を埋め尽くす日を、私は待ちわびる」
それを読んだ時、御堂筋の銀杏並木に日の丸の旗がズラリと翻り、戦勝に沸き立つ日本の勝利の風景が、私には見えたのだ。時間を遡るわけにはいかないのに、その後長い間私は亡き父と一緒にその日を待つことにしたのだ。それを私は心の中で「夜明け」と呼んだ。しかし20歳を2,3年過ぎた頃から私は少しは現実に身を置き、その「夜明け」はすでに「置き去りにされた」と意識的に自覚したのだった。しかも永遠に置き去りにされたのだと。


詩画展が終わった翌月くらいだったと思う。Oさんが「新日本文学の今月号にBruxellesさんのことがTOPペイジに出ている」といってその本を持ってきてくださった。1973年新日本文学10月号、特集=文学にとって「終末」とは何か、そのTOP記事が寺島珠雄氏の随筆「感覚と論」、その出だしがこの詩画展であり、私の「シャレコウベ」の作品について、であった。

会期6日間の最終日、やがて片付けにかかるまでの少しの時間にこれを書こうと思い立ったのは、Bruixelles(この部分は本名)という、僕の感じでは一風変わった若い女詩人の提出した「作品」のひとつに、そそられた思いがあるからだ。Bruxellesのその作品は、(以下作品説明のため省略)。

すらすらこうかけるのは、数日前本棚で古い雑誌を探していて、偶然にこの「新日本文学」1973年10月号を見つけていたからだ。もしこの本を見つけていなかったら、「ちいさなおうち」を読んでも、包帯を巻いた私のジープを思い出さなかったかもしれない。

・・・・・・・
寺島珠雄氏をネットで検索して少し驚いた。当時私が遊びに行く友人の家に寺島さんもしょっちゅう来ていて、よく鉢合わせした。個人的に話した記憶はないが、プロレタリア詩人だとは聞いていた。体格ががっちりした誠実そうな人で、その家でも思想的な話はしていなかったと思う。私が社長の家に書類を届けに行くとき、上六でタクシーを降りたら、そこで寺島さんが本当に土方をしているのに出会った、かすかな記憶がある。否、寺島さんがそういう話をしていたよ、と友人から聞いて、見られた自分ではなく、逆に自分が見た話だと勘違いしているのかもしれない。なぜなら私は寺島さんを顔で判断できるほどの視覚的記憶を持たないからだ。

追記:父の日記についてはその存在を生前に聞いていたが、押し入れの底の底からそれを見つけ出したのは私が高校生の時、父が亡くなって既に7年が経過していた。その日記もたくさん紛失したが、見つけた時には、昭和16年あたりから昭和26年位まで途切れ途切れに30冊くらい有り、ほとんど英語で書かれていた。父が祖母と暮らしていた家は1945年3月13日の空襲で丸焼けになっているので、父はおそらく日記の一部をどこかにあらかじめ避難させていたのだろう。その後何度か転居しているはずなので、高校生の私が見つけたときはわずかに30冊に減っていたのだろう。かつて詩画展に展示した、その空襲の日の日記は何度も探してはみたが、今のところ見つかってはいない。焼夷弾の爆風で自転車が電線にぶら下がっていたことや、戦時ヒリテリーに見舞われた人が、畳を持って逃げていた描写などを覚えている。それからたくさんある大阪の川に次々と熱さから逃れようと人が飛び込んだこと。祖母に聞いた話では「この子だけでも防空壕にいれてください」と頼んでいる人がいたが、もう一杯だからダメ、と断られていた、が後でその場に戻ってみると防空壕のなかの人たちは全員死んでいたそうだ。「ちいさなおうち」の旦那様と奥様も、小さなおうちの庭に旦那様が自ら掘った比較的大きな防空壕の中で、亡くなっている。

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