TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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今日偶然、こういうペイジを発見した。

今日偶然、古いもののようだが、こういうペイジを発見した。
何なんだろう、これ。単なるサイト紹介? 調べる時間がない。
右側の長方形をクリックするとTel Quel Japonに飛ぶ。
アラビア語かペルシャ語かイスラエル語か、よくわからないペイジだ。

「外国人が南京虐殺や従軍慰安婦を無批判に盲信するのは、あらかじめこういったイメージや文章が頭に入っているからだ。この誘導は強力である。」いい文章を入れてくれている。

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Pearl Harbor&The Honolulu Advertiser

TROTSKYの1940年5月1日の私信、を何日か前に出した。
Can you spend time for such an investigation which would, in my opinion, be very useful to you, introducing you to Japanese-American relations and preparing you for the coming great events in the Pacific?
近く太平洋で起こる大きな出来事に非常に有効となる文書として「田中上奏文」に触れている。
・・・・・
真珠湾のことを考えて動画を探してみた。見ごたえあり。意見もバランスが取れている。
FDR And Pearl Harbor
自国の名誉を回復するためにも本来は日本が研究し制作しなければならない告発filmである。
You Tubeに飛んだが、こちらが元ペイジ。
FDR and Pearl Harbor Conspiracy
日本では「何故真珠湾に飛んだか」という研究がなされないのを不思議に思う。検証されることもめったにない。血迷った日本が奇襲攻撃を仕掛けた、で収めたいのだろうか?としか思えない。日本の歴史家には思考のベイスとなるべき「何故」がそもそも欠落している。
・・・・・
昨日こういうものを見つけた。完璧ともいえる研究である。
PEARL HARBOR - MOTHER OF ALL CONSPIRACIES
参照:Capt. Ellis M. Zacharias
PEARL HARBORの方のアドレスを失くしてしまって、再度探し出すのに少し苦労した。苦労した甲斐があって今日面白いことに気づいた。The Honolulu Advertiser dated November 30th 1941, one week before the attack on Pearl Harbor 真珠湾奇襲攻撃一週間前のホノルル・アドバタイザーの茶色になった見出しである。(出したとたんに新聞のペイジが消えた!もう一度新聞だけを捜してきた)(勘弁してよ。出して2分もたたないのにアメリカの不明組織からアプローチが186もきた。今日中に1000は軽く超えるだろう。最近はただの日記にさえ一日に600、700、と不明組織がやってきてぎょっとする。Blogだけでなく個人がマークされているのだろうか?)以前東郷の無神経な演説について「日米交渉中に宣戦布告か?」と指摘したことがある。アメリカでは来栖がそれをやっているではないか。日本人が知恵を絞った奇襲攻撃のはずが、外務大臣や駐米大使がぺらぺらと日本からの開戦、それよりも、そもそも交渉中に交渉決裂をぺらぺらしゃっべて、何を考えているのだろうか。アメリカに開戦警告を発するのは、スパイ行為になりはしないか?奇襲の効果を激減させ、奇襲の不名誉を永遠化することに協力している。開戦時のワシントンの日本大使館全体をもう一度洗いなおす必要がある。赤ちゃんのようにあやして貰って、全く実のない日米交渉でアメリカに時間をくれてやった責任も問われなければならない。

消されても出し続けられるように取り込んでみた。
251913.jpg
military history museumの壁にこれが貼ってあるらしい。彼らは来栖の意味がわからないので、Japan May Strike Over Weekend!という見出しだけを話題にしている。
来栖も野村も何も知らずに暢気に持って行って、ハルの罵声を浴びてすごすごと引き上げた、などというのが嘘だということがわかる。寺崎の送別会などしている場合ではない。「週末に日本が米国に戦争を始めるかもしれない」と来栖自身が言ったとホノルル・サンデイ・アドバタイザーの11月30日の記事にあるのだから。日本人が持ち続けている歴史知識には虚偽が多い。

・・・・・追記:2013年12月24日・・・・・
Takeo Yoshikawa: World War II Japanese Pearl Harbor Spy
特に新しい情報ではないが、この内容をYou Tubeで見ることができる。
Pearl Harbor Spy - YouTube
密偵・森村正と春潮楼
日本語記事 参照1 & 参照2
お正月ハワイに行くお友達にお勧めしてみては、いかが?春潮楼は「夏の家」と名前を変えて今もそこにあるらしい。それにしても、真珠湾は単冠湾から始まる短いお話ではなく、かなりのlong storyのようだ。
Tel Quel Japon過去記事:リメンバー「真珠湾」を演出した男:
Bywater & Isoroku Yamamoto:

・・・・・追記:2014年2月13日・・・・・
2013年12月24日の過去記事をとりあえず上にあげます。
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The First Five Years of the Communist International

「実はいま集めた資料の大量処分を実行しているが、処分するに忍びないものを、取りあえず、置くだけでも置いておくことにする。興味ある方は、どうぞご自由にお使いください。一切口出しいたしません。」と以前に書いたが、今回もその続き。
The First Five Years of the Communist International
Leon Trotskyの資料を置いたためか、昨日は全体でいつもの2倍、しかもその中の5分の2は正体不明の米国サイトからのアプローチだった。Leon Trotskyが1940年に真珠湾あるいは日米開戦に関して手紙で触れるのは、やはりいかにもまずいのだろう。
The Communist International 1919 – 1943
Communist Party of the USA and Workers Party of America


Before the CIA, there was the Pond

実はいま集めた資料の大量処分を実行しているが、処分するに忍びないものを、取りあえず、置くだけでも置いておくことにする。興味ある方は、どうぞご自由にお使いください。一切口出しいたしません。
(そう言いながら手が勝手に動いて少し(↓)書いてしまいましたが...)

Before the CIA, there was the Pond
The Pond: Running Agents for State, War, and the CIA
'The Pond': US Spy Agency

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The head of the Pond , Col. John V. Grombach

Ruth Fischer, code-named "Alice Miller,"
wikipedia & Alice Miller:
Hanns Eisler :Ruth Fischerの弟
wikipedia & as a composer :
映画「夜と霧」主題歌 作曲家
東ドイツ国家 by Hanns Eisler :
0,,4965079_4,00
Hanns Eisler (left) is pictured with playwright Bertolt Brecht in c. 1932
・・・・・・・・・

Dollar Diplomacy 

Theodore Roosevelt-William Howard Taft-Thomas Woodrow Wilson-1900~1920
伊藤博文-(西園寺公望)-桂太郎-西園寺公望-桂太郎-西園寺公望-桂太郎-山本権兵衛-大隈重信-寺内正毅-原敬
Dollar Diplomacy の観点から
Consortia - The first china consortium
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William Howard Taft
Philander C. Knox:
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参照:1912-1926 大正時代
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(つづく)

Douglas MacArthur & Bonner Fellers

重要な前記事にほとんど反応がない。仕方がない。今回はここに誰でもわかる資料を出す。みんなが大好きな筈の資料である。反応もきっと多いと思われるが、この資料をどう受け止めどう使うかはご自由に。今ここで口出すつもりは全くない。ここで出すのは資料整理の一環に過ぎない。
Hirohito and MacArthur?The First Meeting:
Report by Colonel Bonner Fellers on the Emperor’s Visit, Sept. 28
参照:The First Meeting 従来の日本語資料
↑これを取り置きしていたことをすっかり忘れていた。これに類するものならまだまだいくらでも取り出せる。
たとえば、これはさほど興味はないでしょうが。↓
“I Shall Return” - The Pledge
“I Shall Return” Propaganda Campaign Information, August 10, 1943:
MacArthur to Chief of Staff – Argument in Favor of The Philippines, August 3:
・・・・・
BONNER FELLERS.COM & BONNER FELLERS. Film
以下に2本非常に貴重な資料を置く↓。一部は公表されているが全体はほとんど表立って論じられたことのない言わば日本未公開、Fellers個人資料。非常にリアリティーもあるし、聞きかじってきたこととの辻褄も合う。嘘を書き残す必要もないだろう。今後の入念な検証に存分に活用されたし。どうでもいいことだが、寺崎の妻GwenとFellersはSecond Cousinの関係のようだ。
Hirohito's Struggle to surrender
Saving the throne
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑重要内容↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

・・・・・追記:2013年10月10日・・・・・
現在時間午前7時、にもかかわらず今日のカウントはすでに前日の全カウントを上回った。msnbot(米国営利団体)の集中登場だ。アダルトサイト警告で済めばいいのだが。


The OSS と Ho Chi Minh の連帯

57788.jpg
Ho with OSS June 1945 ↑
(2013年9月27日:追記)
The OSS と Ho Chi Minh の連帯 ???
やっと結論が出た。OSSが敵対していたのは共産主義ではない。あくまでもファシストの枢軸国。コミュニズムはファシズムに敵対するものとの認識から、OSSは思想上もコミュニズム、コミュニストに共感し共闘しようとしていたのだろう。Dixe Missionでは毛沢東と、Deer TeamではHo Chi Minhと...(つづく)
(2013年9月28日:追記)
Tel Quel Japon過去記事
OSS in China-1 & OSS in China-2 & OSS in China-3 :
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The OSS and Ho Chi Minh
Ho Chi Minh and the OSS
Vietnam: The OSS and Ho Chi Minh, 1945

吃驚PDF資料
Document : Ho Chi Minh
Guerrillas in the Mist: COMINT and the Formation and Evolution of the Viet Minh, 1941-45
The Deer Team
ヴェトナム独立宣言の世界史 : ヴェトナムとアメリカの独立宣言を結ぶ

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ベトナム戦争:ミナミの黒門市場の入り口付近の地下に昔「ENFANT アンファン」というJazz&Rockを聴かせる店があった。そこの椅子や床はBodySonicとか言って音を体感できるようになっていた。そこで脱走米兵と出会ったことを思い出した。時はバラバラで2、3人に出会った。言うまでもなくベトナム戦争脱走兵だ。日本にはきっちりとした組織があって(ベ平連)ことは失敗なく運ぶらしい。「これからどうするの?」と聞けば、「先はわからない。投獄されるので故郷には帰れない」という。共産主義者というより、戦争が嫌で脱走したような純朴なアメリカ兵である。ひとり熱心にLSD体験を語り一緒にやらないかと私にすすめた脱走兵がいた。「吸うとどうなるの?」「気がついたら電車の前に身を投げ出そうとしていた」「LSDって精神病の治療薬で、必要もないのに飲むから危ないことになるのよ」「もし、そうして死ねたら楽じゃないか」ー気の毒に「人を殺しにいけ」と祖国に言われてもう破れかぶれなのだろう。私はドミノ理論を語ったが脱走兵がうなづくわけがない。「アメリカ人だけれど、ベトナムとはなんの関係もない、そうだろう」と脱走兵に言われたら、言い返す術はない。「日本が巻き込まれたら、君はどう言う?」と言われ「ベトナム人をわざわざベトナムまで殺しに行く必要はないわね」と言った。
脱走兵に会ったことを今の今まで忘れていた。あの頃、ベトナム戦争が有り、学園紛争があり、ヌーベルヴァーグがあり、ヌーボーロマンがあり、LSDなどを使ったサイケデリックアートがあり、リトルマガジンがあり、ミニスカートがあり、ヒッピーがたくさんいて、内ゲバの殺し合いがあり、暗黒舞踏があり、「母親(アメリカ)殺し」がテーマの寺山の劇団が日本全国から家出少年少女を集めていた。新宿ではフーテンがシンナーを吸っていて、それでも風月堂に行くと必ず出会いが有り異界のように楽しかった。頭を垂れ暗い顔をして、加えて混沌とPanicの中にいたが、日本の輝く未来はすぐ目の前にあるかのように、信じていた。自分個人の未来が真っ暗でも、私は同世代とともに迎える日本の未来を夢見ることができた。だからアメリカ人の脱走兵など、やはり舞台の端役、あっという間にいなくなる通行人、あるいは小道具のひとつ位にしか認識できなかったのだと思う。

/////追記:2013年9月26日&27日/////
日本語訳付き ベトナム戦争
Second Indochina War-ep1/5 .
Second Indochina War-ep2/5 .
アメリカは日本本土への空爆と原爆で「味をしめた」としか思えない。
ドミノ理論など、どうでもいい。アメリカに同調して軍隊を送り殺戮・レイプに奔走した他国の軍隊は、反共のもとに結集した、意味不明の半狂軍である。
Second Indochina War-ep3/5
Second Indochina War-ep4/5 .
Second Indochina War-ep5/5 .

参照:Tel Quel Japon過去記事
The First Indochina War:
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資料を並べる (2)

西堀栄三郎
Japan–Korea Undersea Tunnel
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知らなければならないことが知らされないまま放置されている。
研究課題1 or 研究課題2  or  研究課題3  or (写真
報道規制されているからしかたがない、では済まされない。
日本の政治家&政党の正体がわからないまま、頑張ってみても、害にしかなりませんよ。
政治家は歌手や俳優ではないのだから、(信じたり)(すがったり)(幻想を抱いたり)ましてや(一蓮托生)すべきではないのでは?強そうに見えるものに擦り寄っているだけ?なるほどね。
見たくない現実にさえ常に目を見開くこと、そして(許せない)という気持ちがあれば(怒る)こと、1:大多数 であっても(戦うこと)!忘れてはいけないことは、たったそれだけ。
(えぇ?「あなたと一緒に怒っていると、干乾しになりそう」って?)

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こちらは、興味がないとは思いますが、ついでに No.1 &
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Right Web Unification Churchを読む: 

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小泉英明講演先生 「脳科学と音楽教育」
無関係に思えるかもしれませんが、非常に貴重な1時間になると思います。
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連想的に資料を並べる、ダケ

丸山真男、回顧談を 読む
日本国憲法前文
ハーバード白熱教室&東大OBとして一言コメントします
反骨の軍人 水野広徳
水野廣徳(みずの ひろのり)人物紹介


VS 未完

VS 最終的決着相手は日本人かもしれない。売国奴をどうして罰することができないのだろうか?
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Des archives prouvent que le Japon a organisé l'esclavage sexuel
Des archives montrent que le Japon a organisé l'esclavage sexuel
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Japanese sex slavery before,during and after World War II
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・・・・・VS・・・・・
Massacre de Nankin: appel de personnalites japonaises a la "verite historique"

Ces Français Qui Ont Choisi Hitler

Hitlerに与したフランス人たち
Ces Français Qui Ont Choisi Hitler 1/6 :
Ces Français Qui Ont Choisi Hitler 2/6 :
Ces Français Qui Ont Choisi Hitler 3/6 :
Ces Français Qui Ont Choisi Hitler 4/6 :
Ces Français Qui Ont Choisi Hitler 5/6 :
Ces Français Qui Ont Choisi Hitler 6/6 :

参照:Joseph Darnand
参照:民兵団(フランス)
参照:Violette Morris
参照:Pierre Paoli
参照:Henri Lafont

人物紹介 他

日本政策研究センター代表 伊藤哲夫氏講演会
(Bruxellesが書き込む時は、予想に反する内容になる↑)
【青山繁晴】8.6広島・祖国は甦る![桜H23/8/23]
(Bruxellesが書き込む時は、期待に反する内容になる↑
乞うご期待。)
Andre Malraux Mao Zedong
Interview With Andre Malraux[1]
Retour d'Andre Malraux apres une visite a Mao Tse Toung - Ina
参照:Mao Tse Toung 葬儀 Ina.FR:

人物紹介 未完

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芸術文化勲章 日本の受勲者
L'Ordre des Arts et des Lettres
芸術文化、なので思想とは無関係。
ただ受賞者の姫田忠義氏姫田光義氏の兄。

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再三言うようだが、この本は火を消すどころか火に油を注いだに過ぎないことがわかる。内容からみて、この結果は充分予測し得た。こんな筈じゃなかったでは、済まされない。
にもかかわらず未だに反省がない。
READ:Most Recent Customer Reviews

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封印された国民への謝罪詔書草稿

昭和天皇 昭和天皇 国民への謝罪詔書草稿
「深ク天下ニ愧(は)ヅ」
「昭和天皇国民への謝罪詔書草稿」四つの謎 に就いて
封印された詔書草稿を読み解く: 
殉国七士廟: 
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昭和天皇独白録 : 昭和天皇独白録
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過去記事のコメントで勇間氏が偽書だと判断された文章がこちらにありました。
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[文献紹介]『昭和天皇・マッカーサー会見』
参照1岩波 & 参照2Tel Quel Japon過去記事 :

Allied Occupation of Japan


Allied Occupation of Japan by Eiji Takemae
book google & Amazom :
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inside-ghq-the-allied-occupation-of-japan-and-its-legacy.jpg

Inside GHQ: The Allied Occupation of Japan and Its Legacy
Review of Takamae Eiji's
Inside GHQ, the Allied Occupation of Japan and its Legacy

Reviewed by Lucian W. Pye
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竹前栄治: 占領研究40年 

日本軍の武装解除

DEMOBILIZATION AND DISARMAMENT OF THE JAPANESE ARMED FORCES

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Inserting America into Japanese History Woes 他

Inserting America into Japanese History Woes
元サイト

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南京陥落後に撮影された風景:
昭和13(1938)年公開、東宝文化映画部製作、記録映画「南京」
「100人斬り」裁判
元サイト

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実録 支那事変1/4 .
実録 支那事変 2/4 .
実録 支那事変 3/4 .
実録 支那事変4/4 .

Pearl Harbor からJapan's Postwar Imperial Democracy

Internetに長い時間を使えなくなった。
とにかく資料だけ、保存の意味でまず載せておく。それを時間のあるときに読んで、記事を書けるときに書く。そういうスタイルになる。保存が面倒な資料は半分以上捨てるが、捨てがたいものだけ取りあえずアドレスを掲載しておく。志ある方は、資料を先にご自由に使ってくださっても構わない。出来上がった記事をトラックバックででもお知らせいただければ、大変有難い。ご自由にと言った以上、仕上がり内容には関知しない。


In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor
Tojo ordered strike on Pearl Harbor according to Hirohito interview
The Showa Emperor and Japan's Postwar Imperial Democracy
Unconditional Surrender,Demobilization,and the Atomic Bomb
Winners in Peace

Akihito, ou l'incarnation du Japon

Akihito, ou l'incarnation du Japon:
今日偶然このような記事を見つけた。以下の部分が気になった。

Il ira également en Chine en 1992, ce que n’avait fait aucun de ses 124 prédécesseurs. A cette occasion, il a exprimé clairement ses regrets pour les exactions commises par l’armée de son pays lors de l’occupation japonaise. Il en fera de même en Corée en 1996.

これはもう史実となっている?具体的に何に該当するか調べてみた。
日本の戦争謝罪発言一覧
〇1984年9月6日 - 昭和天皇。 「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。」[4]
大韓民国全斗煥大統領歓迎の宮中晩餐会のおことば(昭和59年9月6日) 1984年←これは昭和天皇。
1990年5月24日 - 今上天皇。 「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません。」[7]
大韓民国盧泰愚大統領歓迎の宮中晩餐会のおことば(平成2年5月24日)1990年←これは今上天皇。
1998年10月8日 - 今上天皇。「一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております。」
大韓民国金大中大統領歓迎の宮中晩餐会のおことば(平成10年10月8日)1998年←これは今上天皇
Political Apologies: Chronological List.
〇September 7, 1984: Alluding to World War II, Japanese Emperor Hirohito tells the visiting South Korean President that "it is regrettable that there was an unfortunate period in this century."
〇May 27, 1990: South Korean leader Roh Tae Woo accepts Japanese Emperor Akihito¹s words of regret for the occupation of Korea from 1910 to 1945.
October 23, 1992: During a royal visit to China, Japanese Emperor Akihito expresses his sorrow for Japan¹s wartime abuses.
○April 22, 1998: South Korean President Kim Dae Woo announces that the South Korean government will end its efforts to gain official compensation from the Japanese government for "comfort women" but will still seek an official apology and will not prevent individuals from seeking compensation.
○April 27, 1998: A Japanese court dismisses claims from Korean "comfort women" for an official apology and compensation, saying that even though the women had suffered greatly, the Japanese government was under no legal obligation to provide either an apology or compensation.
○May, 1998: Japanese Emperor Akihito apologizes to Britain for World War II.
○October, 1998: Japanese Prime Minister Keizo Obuchi gives visiting South Korean President Kim Dae Jung a written statement saying that Japan "expressed deep remorse and extended a heartfelt apology" for inflicting "heavy damage and pain" on Koreans.
○August 31, 1999: The Tokyo High Court upholds a lower court¹s ruling rejecting demands from 369 South Koreans for an official government apology and compensation. (Cf. April 27, 1998 court case.)
○September 16, 2000: Fifteen women announce plans for a class-action lawsuit against Japan for being forced into brothels in World War II.
○September 27, 2001: The leaders of the Myoshin-ji sect of Zen Buddhism apologize in Japan for their religion¹s past ties to militarism. The leaders acknowledge that their apology is largely motivated by Brian Victoria¹s 1997 book "Zen at War," which details the relationship between Zen leaders and the Japanese military in World War II.
あれあれと思うことがあったので無関係なことまで書き出してしまった。たとえば今上陛下が第二次世界大戦に関してイギリスに謝罪したとは、どういうことなのだろう?また禅宗の一派が「戦争における禅」という本を読んで、「禅と軍国主義」のかかわり合いを謝罪している。文頭の今日見つけた文によると1992年10月23日、中国訪問の際今上天皇が中国で謝罪されている。これは●Political Apologies: Chronological Listの記事に符合するものがある。1996年10月の韓国への謝罪は明らかに1998年の間違いで(訂正しておいた)これは●日本の戦争謝罪発言一覧に符合するものがある。
●日本の戦争謝罪発言一覧だけの資料なら今上天皇は宮中晩餐会で2度謝罪されている。これは確認がいるが中国訪問においても一度。●Political Apologies: Chronological Listのほうの資料からは日本の政治家の謝罪はあまりに多すぎて一切省いた。また世界中の謝罪が集まっていて選別に時間がかかった。1990年5月24日の謝罪はPolitical Apologies: Chronological Listでは謝罪したという表現ではなく同5月27日にRoh Tae Woo大統領が陛下の謝罪を受け入れたとなっている。大韓民国盧泰愚大統領の答辞を読むと、そこが大事だということがわかる。「われわれ両国は真正な歴史認識に基づいて過去の過ちを洗い流し、友好協力の新たな時代を開かねばなりません。」となっていて、現在とは全くトーンが違う。先の大戦は自存自衛のため、とかアジア解放のためとか、内々の議論は活発だが、如何せん、世界の共通認識として海外メディアのベイシックスタンスとして、日本国の天皇陛下の言質をしっかりと取られてしまっている。かつ保守の最大グループや保守政党の共通認識も天皇陛下のお言葉に従っている。さあ、どうする? 保守は日本国内で先の大戦の歴史を検証し正しいと思える歴史認識を声をからして主張してきたつもりだが、日本の国営放送や左傾メディアも含め、海外のメディアには全く届いていない。海外メディアどころか、日本の教科書さえ思い通りにはならない。日本を動かす保守政党、大企業、官僚たちは、手ごわいものには歯向かえないと、大体上の記事のようなあたりで、とっくの昔にこっそり「お手打ち」しているのかもしれない。声は届かないとは思うが「行く末を考えれば、それは決して賢明な方法ではない」とだけ、言っておきたい。付加するが上の記事は日本の皇室を紹介するもので、どこから見ても皇室を愚弄する類のものではない。

SUSUMU OKANO (6)

とりあえずリンクのみ。
野坂参三の「戦後日本革命の綱領討議資料」の公開にあたって
とりたてて新しくはないが。野坂と行動を共にする山田一郎があの通化の山田一郎なのだろうか?あちらの身元は割れた。とすればこちらは、誰かの偽名か?あるいは、同一人物の転向か?まさか。
日中戦争期における中国共産党の敵軍工作訓練隊

満州国 vs  漢人

Owen Lattimoreが徳王についての高度な研究をしていた筈だと、Tel Quel Japon内の資料を探そうとしたけれど、Lattimoreに関してはかなり書き込んでいるので、徳王に関する研究は後方に押しやってしまって、簡単に見つかりそうにない。それで別口でいろいろ探していたら、多少は逸れるが満州国に関する面白い論文を見つけた。
司馬遼太郎における帝国日本の原体験
大阪外国語学校との関係を中心に―
by 王海
・・・・
以下は満州国に関して
学位論文要旨 by 広川佐保
蒙地奉上―「満州国」の土地政策―
〇広川佐保著 汲古書院
『蒙地奉上──「満州国」の土地政策──』
について
2005年 by 小都晶子

2006年度卒業論文題目(新潟大学アジア文化コース)
・・・・

対ソ終戦交渉という井戸掘り

1)対ソ終戦交渉という井戸掘り

A)前々から納得できなかった対ソ終戦交渉。「正論」7月号の伊藤隆名誉教授のこの発言部分で、まず驚いた。
伊藤隆名誉教授(「正論」2012年7月号P.88 ):

...昭和20年の春以来、近衛文麿をソ連に派遣し、対米和平の仲介を依頼するという計画が浮上していました。終戦で幻に終わりましたが、4月5日にソ連が日ソ中立条約の不延長を通知してきた中でも準備が進められました。この計画にあわせて参謀本部幹部や関東軍参謀、海軍若手らが、いわゆる「改革官僚」らの協力で作った国家再建策草案には、スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました。ソ連、中国共産党のエージェント、シンパが軍指導部に潜り込み、日本の赤化を企画していたとしか思えません。...

これは対談の中の発言なのだが、対談相手の方々は、蚊に刺されたような反応もなく完全無視であった。ちょっとぐらい吃驚してもいいのではないかと。官僚や軍部指導部がルーズベルト政権以上に真っ赤っかだったという発言なのだが、完全無視。
B)そのあと偶然こういうものを見つけた。大森勝久 2012年4月30

...(ソ連に中立態度を維持させるために、日本がソ連に譲歩すべき条件は)「必要なる条件はことごとくこれを停止し、譲歩し、開放し、断念するにやぶさかであってはいけない。換言すれば、「ソ」側の言いなり放題になって眼をつぶる。日清戦争後における遼東半島を還付した悲壮なる決心に立ちかえったならば、今日日本が満州や遼東半島やあるいは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨て、日清戦争前の態勢に立ち還り、明治御維新を昭和の御維新によって再建するの覚悟をもって、あくまで日「ソ」戦を回避し、対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない」(『終戦工作の記録(下)』61頁から64頁参照)...

すでに両記事は前記事でも紹介済みである。ただこれでは、日本軍は見事な戦いをしたなどというのは、表面の見える部分だけで、国家としては戦意もなくただただソ連というDV貫一に女々しくすがりつくパーのお宮ではないか。「戦前の社会主義国家「日本」は、左右の左翼が侵略支配した反日国家であったのだ」と吃驚するしかない結論なのに、「死刑囚の言うことなんか気にしなくていい」という反応を除けば、Tel Quel Japonの読者の反応も皆無であった。内容的にはa)=b)である。前からこの内容を知っていたわけではあるまい。戦前の日本がソ連のスパイに乗っ取られていたとか、反日国家だったとか、皆が納得しているわけでもあるまい。
C)そこで今日は対ソ終戦交渉、戦前戦中からの日本の対ソ認識についての論文を探すことにした。
戦争終結をめぐる日本の戦略―対ソ工作を中心として
by 庄司 潤一郎
この論文は資料としてprint outして何度もお読みいただきたい。スパイがうじゃうじゃとか、反日国家だったとかの視点はさすがに無いが、内容的には(日本の対ソ認識がいかにボロボロであるかという点に関しては)a)=b)=c)である。伊藤・大森説には間違いがないのである。
庄司氏は外務省のこんなお仕事もされているが、対ソ終戦資料制作には影響はないだろう。
情報量が全く違うのでインターネットを有する21世紀の人間が70年近く前の「戦争終結をめぐる日本の戦略」に関してどうこう言うのは単なる酸素の無駄である。しかし、しかし、何度も繰り返し読んだ後でいうのだが、これだけ圧倒的なロシアに対する激しい幻想と思い入れを持ちながら、共産主義者でない、人物像は考えにくい。親近感、恋心、信頼感、尊敬、どれにも当てはまらないが、全てに当てはまるとも言える確かな感情が思考力に浸透して作戦を攪乱している。庄司氏は立場上筆を抑えておられるが、比べた場合伊藤・大森氏の推量に軍配をあげてもいいように思う。ということはつまり、ここをもっと掘ればもっといろんな、それこそ想像を絶するような”事実”が形象のない水のようにドット溢れてくるのではないかと思う。それこそどこまで行っても「トンデモ」でしかありえないような「トンデモ説」などとかが...

2)学者は言えない「トンデモ説」学者は言えない「ことだらけ」

対ソ終戦交渉「トンデモ説」の紛失
に関するTel Quel Japon 内部事情
・・・・・・・・・・・・・
B: あのね、天皇をソ連に移すというトンデモ説、あれはあなたに教えてもらったのかしらん?
A: いや、私ではありません
B: 今探しても見つからなくて困っています。アメリカが本土上陸して大虐殺をするから 日本が占領した外地を全部ソ連に差し出して天皇も、満州あたりに逃げるという交渉条件。
A: 天皇の「国外」避難は、空前絶後の構想ですね。
B: もしあなただったらもう一度アドレスのメイルいただけませんか?ソ連に抑留させたのはつまりは逃げてく天皇を守る兵隊として。
A: 陸軍には「ソ連の抑留政策に呼応する動き」があったということですか?
A: 瀬島龍三が敗戦間際に満洲に飛び、シベリア抑留について疑惑を持たれている。という話がにわかに現実性を帯びますね。まあ妄想をたくましくしても?という恐れはありますが。
B: 最終的にソ連がせめて来るまでずっとこの作戦に希望をかけていたという話。トンデモ説なんですけど伊藤隆氏の説を取ると、かなり説得力を持つのではと。シベリアに抑留された人たちは誰にどのように騙されたのでしょうか?騙されたのであって、武力による強制連行ではなかったみたいですし。「赤い月」のお父さんは年齢をオーバーしているにもかかわらず日本男児の使命感に燃えて自ら手を挙げて、大陸にとどまりました。その時そこに大義があったのではないかと。そういう話が強く残っていて、まだその交渉条件を信じている日本人幹部によってあるいはコミンテルンの日本人スパイによって騙されたのではないかと。
B: 勿論天皇の希望で、「行きたくない」という希望で最終的には没になるけど。
A: 昭和天皇が「行きたくない」と本当に言ったとしたら、「行ってみてはどうか?」という工作があったことになりますね。
・・・・・・・・・・・・・


受信箱には見つからなかったが、送信箱の中にそれらしきものを昨日見つけた。こういう馬鹿馬鹿しいものは取り置きに値しないと判断し、アドレスを破棄したようだ。それが結果として「紛失」となった。参照アドレスは取り置きよりも破棄するモノの方が圧倒的に多い。身体や思考の身動きを軽快にするために毎日思い切った情報の選別そしてそのあとの「断捨離」を実行している。にもかかわらずあまりの強烈な「トンデモ」振りに、無意識に記憶の方に残ってしまった。
送信箱から探し出した自分のそれらしき返信メイルを以下に記す。

コメント有難うございます。なかなか面白いけれど、blogの構成や書き手の実態が見えにくいので今回見送ります。資料の提示がないので、使えないんです、まあね。
革新官僚と大政翼賛会のマルクス主義派知識人は、反米軍事同盟の証しとして、天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていた。彼等の目的は、日本をソ連軍の支配下に置き、日本を共産主義化する事であった。満州に於ける日本軍将兵や民間人のシベリヤ抑留という悲劇は、こうして発生した。日本を侵略戦争に追い込んだ革新官僚は、戦争責任を昭和天皇と軍部に押し付け、民主的保守派として戦後日本の中枢を支配した。新たな、平和国家日本の始まりである。
このあたりは、おネンネ保守派は、びっくり仰天でしょうね。天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていたは新鮮度は高いですが、言ったもん勝ち、みたいな感じで、出典がない。満州に於ける日本軍将兵や民間人のシベリヤ抑留という悲劇は、こうして発生した。これもねえ、非常に面白いけど、説明資料もないし、具体的人名もないので、架空ということになってしまう。
本人も、自分は見解もないし、資料提供もできない、単なる年表の丸写し、みたいなことも言っているので。
2012年4月15日 日曜日 午後3:20


Tel Quel Japon過去記事の中の2012年5月31日追記によると仕舞い込まれた無意識の記憶の底から「トンデモ説」がpop upしたのはカリフォルニア大学サンタ・バーバラ校の長谷川教授の説に出会った時が最初だったようだ。まだ「トンデモ」過ぎて書けないと言っている。そのあと伊藤隆東大名誉教授の発言、そして大森氏の文章と各々が相互に接続強化されていくのだが、まだ「トンデモ」を書く決心はついていない。決心がついたのは今日論文資料としてリンクした庄司 潤一郎氏のC)対ソ工作を中心としてをprint outし繰り返し読んでからだ。ここには人物名が初めて登場し具体的に発言し行動する様が描き出されている。庄司氏の論考に沿った発言や動きをそのまま受け入れるのではなく、ここまで来ると人物の表情や吹き出しのセリフ、割付けまで、独自のネイム作りが自然に出来るようになる、つまりほぼ事実として受け止めた上での独自解釈が可能になるということだ。勿論事実ではない。掘り当てた、形象のない溢れ出た水に過ぎない。実行に移されなかった工作・作戦であるので、事実などそもそも存在しないのである。各自独自の解釈を試みその後独自の「トンデモ」度判定をされてはいかがでしょうか。
さてこのあと、紛失したアドレスを探し出して、最初に激しく拒否したそもそもの「トンデモ説」を登場させなければ話を終えることは出来ないだろう。「検索の方法を教えてください」という問が時々Tel Quel Japonに届く。検索は誰がしても同じ。コツは何時間も何日も何週間も見つかるまで粘る根性と気力の保持、それだけだ。しかし今回この状態からどのように「紛失したアドレス」を探すか、そのテクニックを開示すれば、ひょっとして役に立つかもしれない。
参照:最初に見たトンデモ説
日付が合わないが、その後日付の更新があったのだろう。上の私の送信メイルの下線を入れた引用部が、そっくりこのなかに登場するので、私が「なかなか面白いけれど、blogの構成や書き手の実態が見えにくいので今回見送ります。資料の提示がないので、使えないんです」と書いているのがこれと同一だということがわかる。
どうやって破棄し「紛失した」ものを見つけたか、もうお分かりかもしれないが最後に説明しておく。メイルのなかに引用があったので、その一部を使った。具体的に言えば「天皇と皇室を満州に移しソ連の保護下に置く計画を練っていた」をそのまま検索boxに入れ、あとは「検索」をクリックすれば、探していたものが一発で一番上に現れた。

(追記-1)本人が年表に基づいて書いていると言っている、云々とメイルに書いていたので、そのあたりを再確認してみた。参照はこちら
(追記-2)一番上のメイルのやり取りに書いている「天皇の行きたくない」発言、当時破棄する前に全部読み込んだので全体のどこかに出ていたのだろうが、今回は見つけることが出来なかった。ひょっとしたら似たようなテーマを検索で探して、別のところで確認したのかもしれない。実行されなかったplanなので(発言はあったとしても)「行きたくない」発言で取りやめになったというより、追い詰められた状況からむしろ計画自体が立ちいかなくなったと考える方が自然だろう。

玄洋社員・名簿

向陽社
前列左から三人目が頭山満、後列右から四人目は内田良平

玄洋社員の伝記集 Ⅰ:
玄洋社員の伝記集 Ⅱ:
玄洋社員の伝記集 Ⅲ:

以上の元ペイジ:玄洋社員・名簿

Albrecht Haushofer及びthe Moabite Sonnetsの検証途中で上の資料を偶然に見つけたのでペイジをつくってみた。Albrecht Haushoferは最後はHitler暗殺に関与したとの罪で処刑されるのだが、父親のKarl Haushoferはドイツ敗戦後、罪は問われなかったが(学者であるので当然だ)日本式武士道にのっとって切腹したと言われている。
the Moabite Sonnetsの資料あさりの途中で以下のような記事にも出会ったので、ついでにリンクしておく。いつか参考になるだろう。
幕末西洋行と中国見聞

The Conferences Warld War two

前回自分が読了もしていない半澤純太氏の論文をずらりとリンクしたペイジを書いた。理由は半澤純太氏が連合国側の動きを捉えるために数々の会議に、珍しく言及されていたからだ。少なくともその関連でHitした。一般的に日本人はこの視点を見逃している。終戦交渉を見てみると一番おかしいと思って当然なのは「最初から最後までロシアを仲介としての交渉にもっとも心を砕いている」事実だ。連合国側がどのような時期にどのようなメンバーでどのような構想を練っていたのか、まさか何も知らなかったわけではあるまい。一番おかしい、を通り越している。結果から見れば、こんな馬鹿丸出しの国はない。なのに戦後も、この謎に誰も真摯に挑戦しようとはしていない。それどころか、the conferences during the world war twoに関して深い検討を加えている学者も論文もめったに見ない。高校の世界史の教科書の記述の次元で放置されたままである。そこで簡単ではあるが「思考の餌」を置くことにした。

Washington Conference 22 December 1941 to 14 January 1942
(Marshall plan for winning)
Casablanca Conference 14 to 24 January 1943
Washington Convoy Conference 1 to 12 March 1943
Bermuda Conference 19 to 29 April 1943
Second Washington Conference 11 to 25 May 1943
First Quebec Conference 17 to 24 August 1943
First Moscow Conference 18 October to 3 November 1943 (some sources give the end date as 30 October or 1 November):
Cairo Conference 23 to 26 November, and 3 to 7 December 1943:
Teheran Conference 28 November to 1 December 1943:
Second Quebec Conference 12-16 September 1944:
Second Moscow Conference 9 to 19 October 1944:
Yalta Conference 4 to 11 February 1945:
Potsdam Conference 17 July to 2 August 1945:
(General Marshal's opinions regarding the Atomic Bomb)
↑読む & ↓見る
The Allies Plan for War, 1941–1942:
The Casablanca Conference:
The Quebec Conference, 1943 (part 1)
The Quebec Conference, 1943 (part 2)
The Quebec Conference, 1943 (part 3)
The Cairo Conference
The Teheran Conference
The Big Three Decide Poland’s Fate
Stalin’s Distrust of the West

判澤純太 新潟工科大学教授 

探すだけで精一杯でまだ要約しか読んでいない。興味深いのでリンクすることにした。書きかけの記事が多い中、そして順番を待っている本が多い中、読み込むための時間を見出すことが出来ない。幸い他のリンクと違い日本語で書かれている。無責任な話ではあるが、一足先に読んで、感想などをコメント欄にいただけると嬉しい。●が特にお勧め。
半澤純太とおっしゃる方の存在は不勉強ながら今日初めて知った。御専門は、 国際関係論・東アジア(日本)政治外交史 、研究テーマは アジア近代化の政治過程、アジア現代国際関係、担当授業科目は 国際関係論・中国語となっている。
「ローマ法王祝電」と米領フィリピンの独立承認
「大東亜会議」外交と東南アジア=欧米植民地の初期独立
原爆投下とローマ法王ピウス12世
日・米清算圏抗争と「ハル・ノ ト」:
中国の戦後対東南アジア構想の諸段階(上):
中国の戦後対東南アジア構想の諸段階(下):
・・・・・・・・・・

外交問題評議会 CFR (1)

外交問題評議会 - Wikipedia 日本語
Foreign Affairs wikipedia 日本語
Foreign Affairs: site
イルミナティと外交問題評議会 陰謀論として
国連に関する部分は納得できる。
Council on Foreign Relations :Site

Behind The Big News:
Propaganda and the CFR - 59:43 興味深い。
説得されてしまうのは、報道に限定しているからだろう。

追記:2009年8月21日
CFR資料追加

追記:2009年8月23日
えらいものを見つけてしまった。
The Great Deceivers:CFRを多数含む

追記:2009年9月10日
The CFR controls American media 

・・・・・追記:2011年3月14日・・・・・
崩壊する世界経済と新世界秩序の実態:CFR
Rockefeller CFR founder admits conspiracy
The NWO: New World Order:CFR
Controlled Conflict and Staged Incompetence

Audio:
スカル&ボーンズはロシア共産主義を育てた
CFRを調べると、時に陰謀論に行き着くが、CFRはもっとオープンで、知的特権階級の世界的思想発表機関と見るのが正しいように思う。特権階級の情報交換機関と見立ててもよいかもしれない。政治利用価値は勿論高い。

・・・・・追記:2011年11月28日・・・・・
CFR & Media CFRメンバーの女性キャスター達

・・・・・追記:2012年1月12日・・・・・
Rule by Secrecy: いきなり読み始めたが400頁をこえることがわかり、視力の点でPCからの直読みをあきらめた。セクションに区切って少しづつ読んでいこう。興味深い内容が詰まっているのだが、この著者の顔を見ると、どうも読む気がしなくなる。
Customer Review: Rule by Secrecy by Jim MARRS
You Tube Jim MARRS : Rule by Secrecy:

テーマ:政治・時事問題 - ジャンル:政治・経済

PEARL HARBOR : 総括

HOW THE COMMUNISTS HELPED TO BRING ON PEARL HARBOR AND OPEN UP ASIA TO COMMUNIZATION
By Anthony Kubek, University of Dallas
読んでいて日本人が書いたものだと勘違いした。私が書いたと勘違いするくらいだ。
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総括:FDR Pearl Harbor Conspiracy 44:07 Video

追記予定
America's Retreat From Victory, The Story of George C. Marshall by Senator Joe McCarthy
追記:2009年9月2日
この本は「共産中国はアメリカがつくったーG・マーシャルの背信外交」と言うタイトルで成甲書房から翻訳本が出版されている。この手の本によくあるように、機械翻訳のように文意の流れもリズムもなく、丸2週間読解に務めたが、たった1行の引用も内容不明瞭のために不可能だった。せっかくのMacCarthyの著作なのだが、この翻訳本を読む場合は大見出し、小見出しから得られる内容以上のものは、読書からは得られない。一言に要約するとマーシャル、アチソン、スティルウェルは容共・反米工作をしたというマッカーシーの告発だ。
これに関しては「James Forrestal (10)」に既に書き込んでいる。Stilwellに関しては、ペイジを新にしていつか書こうと思っている。
//////////

今後の予定
Red Terror
THE VINDICATION OF JOE McCARTHY

//////////以上は2009年9月2日記//////////
//////////以下は2011年12月10日追記//////////

素晴らしい映像があったので古いものを引っ張り上げました。またリンク切れを訂正しました。
MOTHER OF ALL CONSPIRACIES:例のBBCのfilmが付いている。
The Morgenthau Plan and the Problem of Policy Perversion:
・・・・・・・・・・
以前秦氏が、もし知っていたら、被害が出ないように真珠湾の軍艦を移動させておくだろう、真珠湾の陰謀などありえないというような発言をされていた。それはあくまでも日本人の発想では及もつかないというだけで、俗に真珠湾の陰謀と言われているようなことは、アングロサクソンの政治ではざらにある。被害が大きいものから比較的小さなものまで数え上げればきりがない。
Tel Quel Japonにも一度書いたがCoventry Blitzなどもその範疇に入る。最近調べているLUSITANIA号事件も(ドイツがすぐに譲歩したので)直接の原因とは言えないが、第一次世界大戦のアメリカ参戦の伏線にはなっている。危険ゾーンを危険に航海していたのである。みすみす自殺行為をさせていたのだ。
よく9・11が真珠湾に関連付けられて語られるが、イスラム原理主義者の行動が神風特攻隊の命をも顧みない熱狂的愛国心を連想させるからだと思われているが、そうではない。(日本人にはそういう発想はないが)アメリカ人の中にはイスラム原理主義者のテロだと騒いでイラクやアフガニスタンに軍事行動を仕掛けるために、9・11を自作自演したのだと主張する人も実は多い。9・11と真珠湾は、よく耳を傾けると陰謀で関連付けて語られる場合の方が多い。BushはRemember Pearl Herborなどと言って1941年12月7日を引き合いに出して、国民の戦争意欲を煽ろうとしたのだが、藪蛇となっているのが実態だ。真珠湾の奇襲などと言われるたびに今だにドキドキオロオロしているのは、日本人が一番多いのではないだろうか。

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Japan's Withdrawal from the League of Nations

The Imperial Rescript Relating to Withdrawal from the League of Nations Proclaimed on March 27, 1933.
国際連盟正式脱退届出。実際の脱退の2年前に提出する義務があった。正式署名者の名前も頭に叩き込んでほしい。
圧倒的多数で、満州国が否認された時、あなただったらこの状況でどんな演説をしたのだろうか、考えてみてほしい。だんまりを決め込んで不機嫌に黙ってしまうか、「御もっともでございます」といって泣き崩れるか。一度仮想演説を試されてみてはいかが?
League of Nations Chronology
1933 March 27 Japan gives notice of its withdrawal from the League of Nations.
1935 March 27 Japan ceases to be a Member of the League.
1933 February などという記述はない。Withdrawal from the hallをイメージ操作でWithdrawal from the League of Nations と勘違いさせられてはいませんか?あいまいな表現を使い、あえて混乱させるような報道記述もある。歴史記述ともなればその工作は露骨だ。
参照:満州国建国と国際連盟脱退
参照:国際連盟脱退をめぐる新聞論調
参照:松岡洋右 ジュネーブ決別の際のメッセージ
参照:League of Nations
参照:Stimson Doctrine
参照:ITO Miyoji's Movement
参照:The League of Nations vs. Japan

・・・・・2011年10月10日・・・・・
資料:連盟総会における日本代表の引揚げその他対策に関する閣議決定について
資料:国際連盟脱退ニ関スル措置
資料:国際聯盟規約
日本は第11条をとりあげ、平和維持に関する防止的措置の範囲で討論し、リットン報告書を否認し満州国を承認せしめるべく努力したのであるが、支那側は、第15条の聯盟機関による調停及び審査を主張し、総会においてリットン報告書を承認せしむることによって、第16条の制裁条項に持ち込もうと計っていた。
(松岡洋右 上巻 豊田穣著 新潮社刊 P.291)
・・・・・・
参照:V.K. Wellington Koo 顧維鈞 wikipedia
参照:顧維鈞演説のウソと国際連盟決議の事実
参照:顧維鈞と中国
参照:You Tube: DR. V. K WELLINGTON KOO
参照:World Charter Signed (1945) Wellington Koo
参照:MILESTONES IN UNITED NATIONS HISTORY
参照:Tel Quel japon過去記事

野村吉三郎の辞職願い

野村吉三郎: wikipedia:

Ambassador Nomura Offering his Resignation, MAGIC, From: Washington (Nomura) To: Tokyo October 18, 1941 CA
Ambassador Nomura Again Asks to Resign, MAGIC, From: Washington (Nomura) To: Tokyo October 22, 1941 Purple (CA)
Telegram from Tokyo Rejecting Nomura's Resignation, MAGIC, From: Tokyo To: Washington 23 October 1941 (Purple---CA) Unnumbered

こう言う資料があるとは想像だにしなかった。時期が時期だけに職場放棄をする人物がいたとは思えない。板ばさみと言うよりも、むしろ怒りがあったのだろう。
今日はとりあえず、その電報をお見せしよう。Purple, Magicなどの「つつぬけ」を意味する懐かしい言葉が見える。
上記Purple電報3通分の内容

2009年11月28日:追記
Nomura & Kurusu
何が有ったのかと不思議に思えるくらいの笑顔をみせる野村・来栖のダブル駐米大使。野村駐米大使に日本の事情を伝え、また大使をバックアップするために急遽アメリカに駆けつけた来栖三郎。その辺りの事情を説明するための電報も2通見つかった。
Telegram from Tokyo to the Japanese Embassy in Washington Advising that Kurusu Will be Joining the Delegation, MAGIC, From: Tokyo To: Washington November 4, 1941 Purple (CA) #730
Telegram from Tokyo to the Japanese Embassy in Washington Explaining the Reasons for Dispatching Ambassador Kurusu, MAGIC, From: Tokyo To: Washington November 6, 1941 Purple (CA) (Urgent) #739
参照:Tokyoから野村大使に来栖三郎派遣に関して2通の電報:
参照:#730にRe my #725 とあるので、#725も参照してみることにする。#725
ウワァー大変なものがでてきた。(2009年11月29日追記: 日本の書物に一部がしばしば引用される電報だ。これと前回記事にした東郷茂徳の演説の一部が相俟って、東郷茂徳は、平和主義者だと歴史的に認定されている。「死中に活を求める」と言えば聞こえはいいが、結果論で言えば、ハル側の「時間稼ぎ」の作戦に引っ掛かっているだけだ。真珠湾攻撃が1,2ヶ月早ければ、、それこそ「早期講和」の可能性も、はるかに現実味を帯びただろう。しかしまあ、尾崎秀美を戦争回避のために獅子奮迅の働きをした平和主義者だという歴史認識まで堂々とあるのだから、東郷茂徳の認識もそれの同一線上にあるのだろう。今回は一部ではなく全文をお見せする。この電報を受け取った野村吉三郎側から、続きをお読みいただきたい→)まさに勝ち目のないギャンブルだ。これだけプレッシャーをかけられては、野村大使一人では、神経が持たないだろう。二人でも無理だ。乙案提出の日も、ハル・ノート受け取りの日も、ハル・ノートへの回答を持参した真珠湾の当日でさへ、緊張感なく、常にヘラヘラ笑っていたのは、ひょっとしたら、既に砂に頭を突っ込んでしまっていたからかも知れない。
これらの電報は誰から、野村大使に届けられたのか、誰宛に野村大使は辞職を願い出たのか、また背景となる日本の政治的混乱、内閣の入れ替えなどにも触れながら、時間のあるときに少し電報の背景・内容にも触れてみたいと思っている。

2009年11月30日:追記
資料:Message delivered by Ambassador Nomura to Secretary of State Hull 1420, 7 Dec 1941 ハル・ノートへの回答(宣戦布告とされているメッセージ)及びそれに対してHullが吐き捨てた言葉。

以上の記事は2009年11月28日記入
2011年10月7日:追記
緊張の米國に野村大使は語る
現実を見て覚悟の上の正直な発言。少なくも、アメリカの参戦は目の前にすでにぶら下がっていた。なんだか蛇ににらまれた蛙状態だった日本が想像できる発言である。
日米開戦のウラ 1/2 & 日米開戦のウラ 2/2
本来日本人が作らなければならないFilmなのに、日本人の過半数はまだこの事実を事実と認めない。この過半数の日本人は歴史を書き換えたくないのだ。秦氏にまずお見せしたい。それにしても1/2の証言者の顔を見て驚いた。実行者本人であり、その正体はソ連のスパイであったあの男だ。スターリンにもルーズベルトにも絶賛される行為であるので、堂々としたものだ。別に日本サイドに立って証言したものではない。本人の口から出ている言葉である。誰であろうと、否定も疑問を挟むことも一切出来まい。
参照:Tel Quel Japon過去記事

テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

講演 新東亞の建設

近衛を語るにはこの検証を通過しなければならない。
「新東亞の建設」に関する重要資料。

講演 新東亞の建設(一) (昭和十三年明治節・首相官邸より中繼放送)1938年(昭和13年)10月13日
本日、ここに明治節を迎え、明治天皇の聖徳を忍び奉るに際し、天皇の御偉業たる東洋平和の確立に関し、政府の諸見を開陳するは私の最も光栄とするところであります。今や広東陥落に引き続いて、支那内地の心臓、漢口もまた我が有にし、近代支那の全機能を支配する一大都市の前線を昂揚する膨大なる地区、すなわちいわゆる中原は全く日本軍の掌中にあるのであります。中原を制する者はすなわち天下を制す。張政権は事実において地方政権に転落し終わったのであります。日本は一方において、外部からの干渉を排撃するに足る十分の精鋭なる戦闘力を保留しつつ、余裕綽々としてこの天下を獲得したのであります。これひとえに陛下の御稜威の下、忠勇なる将兵の奮闘によるものでありまして、日本国民の感激は比類なきまでに高調したのであります。この輝かしき戦果を思うにつけましても、国民の感謝はまず何よりも数万の戦没者と負傷者とに向かって捧げられねばなりません。我々はこの尊き犠牲に対して2つの義務を感ずるのであります。第一は、これら犠牲者の志を継いで、戦いの目的をあくまでも貫き通すことであります。第二は、これら犠牲者の遺族、家族に対し、これに報いることを忘れてはならぬということであります。今や支那をいかように処理するとも、その鍵は全く日本の手にあるのであります。しかしながら、我が日本の真に希望するところのものは、支那の滅亡にあらずして支那の興隆にあるのであります。支那の征服にあらずして支那との協力にあるのであります。日本は東洋人としての自覚に目覚めたる支那国民と相携えて、真に安定せる興亜の天地を築かんことを欲するものであります。

講演 新東亞の建設(二) (昭和十三年明治節・首相官邸より中繼放送)1938年(昭和13年)10月13日
実に支那の民族的情熱を認識し、支那の独立国家としての完成を必要とすることにおいて、日本ほど切実なるものはないのであります。等しく東亜に相隣する日本、満州、支那との三大国が、各自の個性を存分に生かしつつ、東亜保全の協同使命の下に固き結合をなすべき関係にあることは、まさに歴史の必然であります。しかるに、日支両国の間におけるこの理想の実現が、国民政府の誤れる政策のために阻止せられたることは、一人日本のみならず全東亜のために遺憾の極みであります。そもそも、国民政府の政策の基調は、欧州大戦後の反動期における一時の風潮に便乗したる浅薄のものでありまして、これは断じて支那国民本来の良知良能に根ざしたるものではなかったのであります。ことに政権維持のためには手段を選ばず、支那の共産化並びに植民地化の勢いを激成して省みなかったことは、新支那建設のために身命を賭して戦いたる幾多憂国の先輩に対する反逆であると言わなければなりません。これ日本が東亜における二大民族が同分相打つの悲劇を演ずるを欲せざるにかかわらず、なおかつ張政権打倒のためにここを取って勝つに至りました所以であります。
 日本は今や支那の覚醒を望んでやまざるものであります。支那における先憂後楽の士は、速やかに支那をして本来の同等に立ち返らしめ、攻勢支那を率いて東亜共通の使命遂行のために蹶起(けっき)すべきであります。既に北京、南京には攻勢の機運脈々たるものあり。また蒙郷には蒙古復興の気が漲っておるのであります。五千年の長き歴史を通じ、幾たびか世界文化史上に炬火を転じたる支那民族は、その偉大性を発揮し、新東亜建設の大業を分担することにより、世界文化に新たなる光明をもたらし、祖先に恥じざる歴史を残すべきであります。

参照:以上の元サイト

参照:以下は上記同様教科書に載せるべき東条氏演説
(東条、松岡、近衛、を悪人に仕上げたワンパターン歴史認識を思考の典拠とする、特に自称保守の方々に。ワンパターン認識を排除しなければ真の歴史にも、有効資料にも到達・活用できないことにも気づくべき、切実な時であります)
大詔を拜し奉りて(上) & 大詔を拜し奉りて(下)
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[証言記録 ] 従軍看護婦が見た戦争 日本国民にとっての敗戦
何の矛盾もない傾聴すべき全うな証言記録だと思える。がNHKらしき誘導演出により最後の(11)(12)は(脈略なく)蛇足的に付加されている。そのあたりを識別する視点を持たなければ、貴重な証言も曲解され、逆利用され結論誘導されてしまう例。真の反省と国家再生のためには、識別する視点が今、すべての国民に早急に必要なのだと言える。
参照:以上の元サイト:(誘導を見破る眼力テスト?)
そしてその上で初めて虚心坦懐に傾聴するべき証言である。敗けた国には敗けた国なりの反省点が当然あるのだから。
追加・参照:[証言記録 ] 従軍看護婦が見た戦争
日本国民にとっての敗戦:やはり(13)でNHK的結論誘導がなされている。かつて存在したこれだけ立派な日本国民を矮小化して個人に反省を強いる、NHKに良心はない。本来虚心坦懐に傾聴すべき証言、NHKの意図的結論誘導は証言者に対する無礼であるだけでなく、人間的に良識の範囲を逸脱していると言わざるを得ない。

開戦に関する資料 

開戦関連の資料を出しておきます。

〇Memorandum [95] Regarding a Conversation, Between the Secretary of State, the Japanese Ambassador (Nomura), and Mr. Kurusu, 7 December 1941
不手際により予定より一時間以上送れた日本側の(宣戦布告?)のシーンとざっと目を通しただけで激怒するハル国務長官。以下が有名なハルの激怒の言葉。
"I must say that in all my conversations with you (the Japanese Ambassador) during the last nine months I have never uttered one word of untruth. This is borne out absolutely by the record. In all my fifty years of public service I have never seen a document that was more crowded with infamous falsehoods and distortions on a scale so huge that I never imagined until today that any Government on this planet was capable of uttering them."
1941年12月7日(日本時間12月8日)

〇以前一度取上げたと思うが、国会に於ける外相東郷茂徳の演説
JAPANESE FOREIGN MINISTER TOGO SHIGENORI'S ADDRESS TO THE IMPERIAL DIET, November 17, 1941 和平交渉中の11月17日の時点での発言として、不用意であると前回指摘したが、今回も同じ部分でひっかっかりを感じる。
but there is naturally a limit to our conciliatory attitude. Should an occasion arise such as might menace the very existence of the empire or compromise the prestige of Japan as a great power, it goes without saying that Japan must face it with a firm and resolute attitude.
こちらは戦時体制への予告とも見えたりする、戦争回避努力真っ最中の外相発言、しかもこれはNew York Times, November 18, 1941の記事として相手側に筒抜けなのだ。合衆国国民が同じ内容のこの記事を読むのだという認識もまた欠落している。
At no time is the need for mobilization of the nation's total strength, with the government and the people uniting, felt more acutely than at the present juncture.
〇Telegram from Ambassador Nomura on the Consequences of a Breakdown in the Negotiations, MAGIC, From: Washington (Nomura) To: Tokyo 15 November 1941 (Purple) #1098
11月15日の東京への暗号電文である。読んでみて緊迫感がありすぎて驚いた。これは暗号解読されている。とするとハルの驚きと怒りは完全に演技であることがわかる。この時点ですでに昨日記事にした交換船の話が出ている。話だけでなく、その後準備着手もされている。 参照:収容所に入れられた残留日本人 過去記事

〇昭和16年(1941年)12月8日(月)4:20より(米時間 7日 14:20より)、野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使はハル米国務長官と会談し,交渉を打ち切る日本政府の意図を正式に伝える「対米覚書」を手交した。「対米覚書」とは日米交渉打ち切りを意味する文書である。内容を見てみよう。
対米覚書」=日本の対米開戦通告
この電文は14部から成り立っていた筈なのに、と思っていた。こちらが分かりやすい14部の分割がわかる資料。

文書・音声保管庫 1941

United States Note to Japan November 26, 1941
 ハルノート。
Message From the President to the Emperor of Japan December 6
既に紹介済みのルーズベルトから天皇陛下へのメッセージ 参照:Tel Quel Japon過去記事
戦争回避に動いた人たちは戦争回避のパフォーマンスに利用されただけなのか、あるいは単なる空想論者か、あるいはルーズベルトの僕か。ルーズベルトからの親書、考察。画面から直読みするには長すぎる。鵜呑みにするわけにはいかないが、とても貴重な資料である。全く別の次元の日米が見える、単なる政治力の一場面かもしれないが、だとしても興味深い。
Japanese Note to the United States December 7, 1941
上にも紹介している対米交渉打ち切り文
上3つの〇の資料元ペイジ

〇Radio Address Delivered by President Roosevelt From Washington, December 8
入れ代わり立ち代わり5人にこうも攻め立てられたら、聞くのに辛いものがある。こういう場を作るのが政治力なのだと思う。
「汚辱の日」の演説でルーズベルトは日本政府及び天皇と太平洋の平和維持のために交渉中であったといっている。天皇が入っていることに初めて気づいた。例の真珠湾攻撃直前に届いた書簡の事か?それともほかにも直接交渉事実があったのだろうか。
Radio Address Delivered by President Roosevelt From Washington, December 9, 1941
これも以前に取上げた。こういう資料の元ペイジは「Documents of the Interwar Period

The Ambassador in Japan (Grew) to the Secretary of State, 8 December 1941
これははじめて見た。ルーズベルトから天皇陛下への親書に対する返事を外相の東郷がグルーに伝えた。それをグルーが本国に伝えている電報。

大東亜戦争 開戦の詔勅
日本人はこれを暗記するほど何度も読み返す必要がある。重要資料である。

東条英機日本首相の宣戦布告演説(1941.12.8) 

太平洋戦争勃発時系列

以上は2011年3月30日最終入稿
以下は追記:2011年5月27日
参照:開戦に関する資料
これまで流布している基礎的な開戦までの経緯
Tel Quel Japonはこれまでの資料は教科書的にリンクはしますが、それを鵜呑みにするのではなく、そこに新しい視点を持ち込み可能な限り今までにない別の角度から、新資料を持ち込み検証するのをその使命としています。リンクやBookmarkがそのまま、Tel Quel Japonの主張ではありません。
今回のリンクは入手できる最高の必須の教科書資料なので、再度リンクさせていただきました。

テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

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