TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Tel Quel Japonの存続危機!

昨日退院してきて、夜にメイルボックスを見ると、勇馬さまから入院日時と同じ6月15日付けのメイルが入っておりました。最近勇馬さまのブログの管理画面が、Tel Quelのものにすり替わっている、と言う内容でした。
passwordの変更はかなり難儀しましたが、その数日前に完成しており、その時点でTel Quel Japonの復旧は完結したと思っていたので、かなりのショックです。今現在も勇馬さまが、Tel Quel Japonの管理者の立場にいらっしゃると言うことで、passwordの変更は何の効果も生じなかったと言うことです。
メイルには「貴女がなさったのでしょうか?他の誰かのイタズラでしょうか?」とありましたが、このようなTel Quelの内部を他人にさらし続け、Tel Quelの存続危機に繋がるようなことを、私がするわけもなく、他の誰かも、私には想像できません。

「勇馬さまのブログの管理画面が、Tel Quelのものにすり替わっている」と言うことで、これを何とかする方法を考え、勇馬さまの協力を得て、勇馬さまは、御自分のIDとpasswordでは、ご自分のBlogにしか入れない(あるいは、にこそ入れる)対策を立てていくつもりです。とにかくTel Quel始まって以来の、Bruxelles終焉間際の一大危機です。
原因解決に関して、知識をお持ちの方は非公開コメントで、ぜひその対策をお教えください。
Tel Quel Japonは命に代えても、存続させていきたいと常々思っています。
今後の経過を随時公開報告してまいりますので、出来るだけ多くの方々に、Tel Quel japonを見守っていただけますように、またご協力をいただけますように、お願いいたします。 
Bruxelles 記 6月19日 早朝

・・・・・・・・・・追記:2016年6月20日・・・・・・・・・・

「PCを知っている人から笑われるようなお粗末な二人の間の私的な技術トラブルを世間に知らせるのはいかがかと思います」と言うメイルがきたが、冗談じゃない。二人の間の技術トラブルでも、なんでもない。笑われるようなお粗末な、とあるが「笑い事」などとんでもない! ● 勝手に断りもなく人の大事なpasswordを変更する大罪の自覚がまるでない。 ● 1000%譲歩して、「topペイジの広告を外し、Top pageのKeepを図りたい」という「善意」から出た行動だと認めるとしても、その最初の意図を達成することが出来なかったと判明した時点で、大変なことをした、これでは申し訳は立たないと、罪悪感で震えあがるのが、常識人というものだろう。それとも「自分の力で、Tel Quel のTop pageの崩れを回復させた」と、それが御自分の「善意の成果」だと、笑われるようなお粗末な勘違いをされているのだろうか?

しかし今回のことは、言いがかりを受けなければ、永遠に覘かれ続けている事に、まったく気がつかなかった。従って、この連絡に関しては、感謝せねばなるまい。
passwordの変更を完了した後でも、何故こういうことがありえるのか? これは笑われるようなお粗末な技術トラブルではない。passwordを変更したblogに他人が依然として平然と内部に入り込めると言うことは、プロでも困惑する完全非常事態なのだ。まして「二人の間の技術トラブル」などの次元の話ではない。

御自分のBlogには、お気に入りから今でも自由に中に入り、投稿ができてる、という報告も来た。問題はTel Quel Japonの管理画面が執拗に現われ続けると言うことだけで、これは御自分のblogへのTel Quel 又は、何者かによる介入である、という訴えであった。御自分が被害者の強い訴えである。だから、協力して解決を計りたいと申し出た。
おそらく、勇馬氏のPCに記憶させた、Tel Quelの管理人としての記憶が、PCに保存されているのではないか、あるいは、過去のオートログインが機能して、Tel Quelに優先的に侵入するために、Tel Quelの管理画面が現われ続けるのではないかと、最初にアドヴァイスした。

次のメイルに解決の報告があった。「管理画面から一度、ログアウトし、自分のIDとPWで入り直したら、自分の管理画面に戻りました。」「お騒がせし、かつ侵入を疑ったことを御詫びします」ともあった。その次の最終メイルが先の「人から笑われるようなお粗末な二人の間の私的な技術トラブル云々を、世間に知らせるな」という内容であった。
Tel Quelとしては、そんなものは解決でもなんでもない。問題は何故、Tel Quelの最新管理画面が、他人のPCに現われ続けるのか、という根本問題である。何故passwordを変更した後まで延々とTel Quel Japonの存在危機が持続するのかということである!

考えてみた。おそらくではあるが、「お気に入り」の仕業なのだ。(より正確に言うと勇馬氏の誤使用のせいなのだ!)。お気に入りもTopアドレスで入れておくとTopが出る。しかし「Tel Quel Japonの管理画面」を「お気に入り」に入れると、機械がTel Quelの管理人と覚えている限り、「お気に入り」からは常に自動的に「Tel Quel japon」の管理画面に入ると言うことだ。しかも最新の。侵入される側としては、空恐ろしいことである。passwordの変更だけでは無断侵入は止まらないと言うことなのだ。この事実は多くの方に告知しておいたほうが良いと思った。二度と侵入しません、という誓約の後も、勇馬氏のコメントだけが、誰の承認もなくどんどん登場し続けたのも、そのためだろう。

さて、一回のログアウトだけで、問題が解決したのだろうか?勇馬氏のオートログインの記憶保存は、「お気に入り」は、PCの記憶力は、Tel Quelの管理画面そのものを、どこに、どこまで記憶しているのだろう。Tel Quel Japonの存続危機は、依然として続いている。これはTel Quel Japonを長年育ててきたBruxellesだけがなめ続けなければならない苦悩なのか。
まさに「黄泉路の過酷は自衛なき道」-ここに来て特にTel Quel Japonに関連しては日々辛酸の連続である。心安らぐことは何一つない。しかし、こうして読者の強風にさらされるということは、それだけTel Quelが育ったと言うことだと解しよう。Bruxellesにしても怯えて震えている間が華なのだ。いずれその風の中の「無」と化す。

引き続き、出来るだけ多くの方々に、Tel Quel japonの存続を見守っていただけますように!今後は衆人環視に、安全への望みを託す以外方法がないので、どうぞよろしくお願いいたします。



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緊急入院 3度目

突然ですが、明日午前中からしばらく入院します。

これは本来は5月6日の記事でした。
その後5月30日に再度緊急入院して、明日6月15日の午後、また3度目の緊急入院となりました。がんばることがかえって身体を衰弱させることが分かってきました。
早急に入院して、できるだけ早く戻ってくるつもりです。長く入院しても体力の回復は望めないことも分かってきました。

病症報告は「見えない鳥の存在」のほうに書いていますが、本日はgoo blogがシステム停止の日にあったったようなので、こちらで報告させていただきました。

Bruxelles記




太平洋に散った英霊のために

2015年12月25日、Paris同時多発テロ、の記事の後半部に付随していた記事ですが、長いうえに内容があまりに異なるので、本日(2016年2月26日)さらに追記しBlog Topに移行させました。
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「ヨーロッパ解体と野蛮の台頭」
のYou Tubeのコメント欄で、
以下のような丸谷元人氏の本とペイジがあることを知った。
全く遅ればせながら丸谷氏に関する紹介の追記としたい。

marutani.jpg

日本の南洋戦略 1~17


日本シーレーン問題研究会


/////////2015年12月25日 追記/////////////////
参照1:ラバウル小唄
Wikipedia & You Tube
参照2 :ラバウル海軍航空隊
Wikipedia & You Tube
参照3:ラバウル航空隊 wikipedia
参照4: 映画 さらばラバウル wikipedia
参照5:You Tube
日本ニュースから大日本帝国海軍航空隊の爆撃、訓練シーンを抜粋したもの,らしいです

上のYou Tubeの2番目で、丸谷氏が「謎」とおっしゃっていることに着目したのですが、私は軍事のど素人なので、全く謎が解けません。しかし、おろそかにしてはいけないご指摘ではないかと思います。

私の父はアマチュア海軍研究家で、Navyというサークルで創設当時(1950年代)から海外活動、海外交流をしていたようで、子供の私は軍艦の本や写真や模型の中に埋もれて育ちました。後に(父は1960年3月、私が小学校5年生の時に亡くなっています)聞くところによると、西ドイツの海軍評論誌”Marine Rundschaw”や、同じく西ドイツの海軍年鑑"Weyers Flottentaschenbuch"とコンタクトをとったり資料の提供などをしあったりして、世界に数人の同好の友人を持っていて(主に軍人が多かった)、夜毎タイプライターを叩いては、精密な情報の収集・交換に励んでいました。typewriter.jpg
私は小さくて、病弱で、馬鹿で、父からは何一つ教えられていません(高校生になって父が文通していた英国軍人と文通などをしたこともありますが。この方は晩年イタリア海軍年鑑の招待で一度日本に来られました)。
最近ぼんやりと思うのですが、海軍力では決して劣っていたわけではなく、「作戦」さえ、冴えきっていれば、日本は勝っていたかもしれない、否、勝っていたと、勝てる戦争だったと思っていたのではないかと。戦争にはいろんな要素が絡んでくるので、あくまでも、後で気がつくなんとやら、だとは思いますが。父は英国軍人と、持ち駒を確認しあった上での「再びの太平洋戦争」をしていたのです。これは私も良く知っています。父が部屋一杯に海図を広げて、楽しそうにリヴェンジの作戦を練っていたのを見ていたからです。
Navy Circleの会報(この号には父に対する追悼文が掲載されている)によると(以下引用)「最近会誌上にて連載、異常な反響を諸兄に与えた”紙上決戦太平洋”は、日本に於いては、戦前ー戦後を通じて、全く初の試みでもある、遠く海外にいる外人研究家を相手に、審査官も外人研究家による、新形式の海戦ゲーム。これは単なる幼稚な海戦ゲームではなく、太平洋戦争で敗北を喫した日本海軍のあだ討ちを、紙上にて決せんものと、○○氏は当会の聨合艦隊司令長官として、全面的に一切の采配をふるわれ、それに必要な海軍戦略、戦術、それに海軍兵力の準備配布、根拠地の選定、出動準備、補給整備、兵力の運用に関する兵術に加うるに、使用艦艇の戦闘力、艦隊編成と各種隊形と連動、偵察と警戒、通商破壊戦、航空及び通信、電波兵器等等に関する優れた知識と卓越したその洞察力を駆使されたもので、ますます戦機の熟した第6回を迎えるにあたり、長官戦死の為、今後の作戦計画は見通し甘くなり、残念ながら一応休戦とさせて頂きます」というふうな紙上決戦だったようです。勝つ自信が無ければやらなかったと思うのです。2番目のYou Tubeで丸谷氏が指摘されている「謎」のような奇妙な作戦は他にもあると思います。奇妙な作戦が無ければ、勝てるとふんで、その辺を調整して父は戦っていたのではないかと、思うのです。あくまでも私の想像です。娘だから言うわけではありませんが、御堂筋に勝利の日の丸が立ち並ぶのを夢見た父が、外人相手にたとえゲームであろうと、負ける戦争をするわけが無いのです。あとは、これは妄想かもしれませんが、すべての奇妙な作戦上の「謎」には、連合国側についた知られざる日本人スパイの存在があったのではないかと、今回丸谷氏の動画や文章を見て、ふと思ったのでした。


戦後70年、おかしなことに何ひとつ、メスが入っていないのはおかしなことです。

追記 2016年2月24日
ー開戦当時保有する空母の数は日本が8隻であり、アメリカの7隻より多かった。また戦闘機に関しては、日本は世界最強のゼロ戦を有しており、アメリカを圧倒していた。少なくとも太平洋の戦域に関しては、開戦から当分の間は、日本海軍のほうがアメリカよりも戦力的に優勢だったのである。(「世界最強だった日本陸軍」p.198 by 福井雄三)-
第4章には「アマチュア集団だった日本海軍」という小見出しのところで、海軍の作戦批判が語られている。「攻勢終末点」という小見出しのところで、その理由が説明されている。
丸谷氏が疑問に思われたラバウル撤退に関してある方に質問したところ「18年9月に設定される死守しなけれならない絶対国防圏なるものではラバウルは外れています。」というお返事をその地図とともにいただいた。この絶対国防圏なるラインを見れば、「攻勢終末点」なる理論(戦力は根拠地と戦場の距離の二乗に反比例する)を持ち出さなくても軍事のど素人でもわかる、一体何を根拠にこれだけ拡大拡散させたのだろうか?
この本の第4章「陸軍悪玉・海軍善玉論の大うそ」を読めば「アマチュア集団だった日本海軍」の真実も丸見えになってくる。海軍悪玉論がいつの間にか陸軍悪玉論にすり替わったのも、やはりひとつの史実の捏造ではないだろうか?思い当たることもいくつかある。
石原莞爾は東京裁判の出張所たる酒田臨時法廷で「もし自分が戦争を指導していたら、日本は断じて敗戦にはいたらなかった」と主張したらしいが、おかしな作戦の過ちを徹底検証し、海軍内部に巣食った怪しげな人物達(おそらく立派なと尊敬されている筈)を徹底究明することもまた必要だろう。彼らを糾弾するためにではなく、史実捏造部分を排除して真実を見極めるためにである。

追記:2016年2月26日
また同じ方に「スパイ、あるいは対敵協力者の存在はありやなしや」ともたずねてみた。否という後に「19年7月のマリアナ海戦の敗因のひとつは作戦内容が福留中将の書類鞄が盗まれて読み取られた為と言われています。」と添え書きがあった。書類かばんを盗まれた話は私の記憶にもあったが、いかにも怪しげな話なので少しBlog記事を探してみた。
あくまでも参照としてリンク3点 ↓
参照:“海軍乙事件”「あ」号作戦(マリアナ沖海戦)
参照:海軍乙事件・海軍使用暗号書紛失。その関連事項
参照:大東亜戦争におけるバカども
敗戦後日本及び日本人の美点はことごとく否定され、組織的隠蔽体質だけが(善)として張り付いてしまった。

活動任務完了満願達成か ?

少し古い人様の記事より
共通歴史教科書
米ソに対抗するために,EUが共同体や共通通貨圏を構築維持するためには共通歴史認識はある程度そのバックボーンとして必要かもしれない。
One Worldの前段階としてのOne Europeを目指すとしてエリーゼ条約BarbaraのGottingenもその推進力として機能していると言う見方も出来ると思う。しかしこれをアジアにもってきて日中韓他の大アジア構想、つまりOne Asiaなどと言い出すと、日本の存続は危ぶまれる。戦後70年の間にすっかり対外的に敗北している歴史認識を見れば頷ける筈だ。
共通歴史教科書をつくる場合は太平洋上で激突した日米共通歴史教科書を模索すべきだ。新しい資料が次々と出てきているので、東京裁判史観を払拭できる可能性もその過程で獲得できる。その上でさらに独仏程度の和解や理解や対等の立場は達成できるはずだ。いつまでも亀のように首をすくめている必要はない。
西尾先生がおっしゃるように、「ドイツにとってのフランスは日本にとってはアメリカである」からだ。あるいは逆手を取って、日本にとってのアメリカは、フランスにとってのドイツと発想する立ち位置もありえる筈だ。

大勢の学者を使ってこういう組織が何をしてきたか。
「日本政府は苦肉の策として韓国と日本の歴史学者らが韓日関係の歴史を共同研究することによって懸案を処理することを提示した。両国政府の調整の結果、韓日の首脳は2001年10月の会談で、『韓日歴史共同研究委員会』の設置に合意した。」 日本が交渉で出来ることは「譲歩」即ち引き下がる以外は何も出来ない、出来たためしがない。最初は反対して、抵抗した素振りは見せるけれど、すべてそこまで。
今もまだこの連合組織存続し活動しているのだろうか。それとももう、活動任務完了満願達成か。組織を良くご存知の方に教えていただきたい。

追記:2016年2月22日
この組織も含めこれに類する共同研究とやらは、発足当初から目指す方向性、最終目標、なにもかも丸分かりなのに、なぜこういったものに大金や日本の頭脳をせっせと組み込んでいくのだろうか。
参照:こちらも古い人様のコラムより
「日韓歴史共同研究事業」に意味はあるのか?:
こうして過去を覘いてみると、敷かれたレールに乗っかって、今日の仮の満願に到っていることが分かる。目的に到達するための、見せかけだけの共同研究である。もっと先の到達目標も見えているのだけれど、今は書くまい。

追記:2016年2月27日
日独韓3カ国共同研究? えぇ? そもそもはドイツの提案?
参照:2013年9月12日13日 日記風メモ
ドイツにとってのフランスは日本にとっての韓国だと、ドイツが主導したいわけ???

追記:2016年2月28日
直前のリンクをクリックして現われる記事は物凄く長いので、当記事との関連部分のみ取り出して引用します。
(注目!↓)
ー「幾度となく繰り返される靖国神社参拝は、日本の外の世界に対して、第二次世界大戦に責任がある軍の指導者に対する尊敬と崇拝の念を伝えているかのような印象を与えます。これに対して、多くの韓国・朝鮮人や多くの中国人が強い不快感を示すことを、不思議に思ってはなりません」講演のタイトルは「日本、ドイツ、そして近隣諸国」。元西ドイツの首相が2010年の日独センター記念祝賀会で、何を言うのか。また何故こんなものがNHKドイツ語講座のテクストに取り上げられるのか?講師は筑波大学の相澤啓一氏とボン大学のReinhard Zollner氏。「シリーズを終えるにあたって」で相澤氏はこう書いておられる。
「ちなみにツェルナー氏と私の共同作業は、番組終了後も続きます。新たに設立した日独韓共同大学院「TEACH」がそれで、この修士課程では、三ヵ国の学生たちが三大学を巡り歩いて共同研究し、デュアルデグリーを取得することになっています」ー日独韓共同大学院?独韓が寄ってたかって日本にドイツと同じ罪悪感を植え付ける目的の三ヵ国共同研究?歴史解釈の統一のため?Helmut Schmidtの講演をテクストにして?相澤氏とReinhard Zollner氏がまたもやコンビを組んで?日独韓共同大学院?
同テクスト9月5日はRichard Sorge。ゾルゲが記者として「フランクフルト新聞」に書いた1940年11月13日の記事「大転換ー三国同盟による日本の外交政策の転換」。ー今後日本は、イギリス及びアメリカ合衆国との対立を深めるのである、と締めくくっている。なんのことはない尾崎と共謀して北進を南進に変えてロシアを救った、スパイとしての手柄話を記事にしているだけである。相澤氏の解説にはSorgeが日本に与えた究極のとも言える打撃に関しては、発言もないし、そもそもそういう視点もない。ー

Tel Quel Japonの全記事が救済されて保存されることになりました+(最新追記)

(2014年)4月19日の記事で少し触れていますが、いよいよTel Quel Japonを立ち去る日が近づいてきました。Bruxellesと共にこのTel Quel Japonの記事も消え行く運命にありましたが、西尾幹二先生のご好意により、Tel Quel Japonの全記事が救済されて保存されることになりました。歴史資料として後の世の人々にも活用していただけると思うと感謝と喜びに耐えません。近日中に「西尾幹二のインターネット日録」のなかに再生され登場させていただきます。管理人が立ち去り放置された場合、Blogは直ちに目も当てられない状況になりますが、Tel Quel Japonは救済され、保存され新たな生命の場を与えられました。西尾幹二先生には言葉に尽くせない永遠の感謝を捧げます。新たな生命と活動の場を与えられたTel Quel Japonをこれからもどうぞよろしくお願いいたします。Bruxelles記。
参照:西尾幹二のインターネット日録 
Tel Quel Japonが再生される場所

・・・・・追記:2014年9月17日・・・・・
「Tel Quel Japonの全記事が救済されて保存されることになりました」というこの記事は5月末頃に早々と掲載してしまいました。その後、全記事の保存、Tel Quel Japon 受け入れサイトの構築、そして「西尾幹二のインターネット日録」へのリンクによる接続など、「西尾幹二のインターネット日録」のスタッフのT氏の無償のご好意により進められてまいりました。
現在なお移行途上ではありますが、「西尾幹二のインターネット日録」の右側、御著作の紹介とアーカイブにはさまれた、ブログロールに、(移転作業中)TEL QUEL JAPON 保存館、が登場しましたのでお知らせいたします。
移行はTel Quel Japon以外にあとふたつ, (別タイトルの)Tel Quel JaponのUndercover Blogsが予定されています。この膨大な作業をお引き受けくださり、現在は手作業で記事の移行に取り組んでくださっているT氏に、心より御礼申し上げます。記事数、記事の中の参考資料へのリンク数など、膨大なため、T氏におかけするご負担は想像を絶しますが、現時点ではTel Quel JaponもBruxellesも消え行く運命とはいえ、未だ命を存えていますので、しかも、すでに保存そのものは完了していますので、万一FC2サービス終了後も、Tel Quel Japon消滅の不安に脅かされることもないものと考えております。
明日18日、5度目の入院、手術を含め3度目の抗がん剤治療のため病院に向かいます。TEL QUEL JAPON 保存館の登場をお知らせすると共に、一手に膨大な作業を引き受けてくださっているT氏に、本日改めて心よりの感謝を捧げます。
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Blog Topをkeepするために可能な場合は適時更新日を変更します。したがって更新日時と記事の内容が連動しない場合がありますが、どうかお許しくださいませ。

・・・・・最新追記:2015年9月30日・・・・・
Tel Quel Japonは今回西尾幹二先生の日録に、直接リンクしていただけることになりました。そしてBruxelles昇天の後は、Blog管理人の「奥様」ことH氏に、(Bruxelles死後の)Blog管理もお願いできることになりましたので、報告させていただきます。Blogリンクはすでに完了していて、「西尾幹二のインターネット日録」の右カラム、カレンダーの下の、西尾幹二全集表紙写真の下に、重要サイト「Tel Quel Japon]として、生命の場を与えられました。西尾幹二先生及び日録関係者の方々に、心より御礼申し上げます。Tel Quel Japonは個人Blogですので、Bruxellesの命尽きた場合、生命(所有者)無くネット上をさまようことになります。しかし管理も引き受けていただけるということは、単にTel Quel Japonのお墓を「日録」に置いていただけるということではなく、全文の記事生命そのものを引き取り、引き受けていただけることだと理解しています。自分の死後の生命をも約束されたように安心し、嬉しさで一杯です。管理を引き受けてくださる「奥様」に改めて心からの感謝を捧げます。
力まず、怯えず、絶望せず、安心し、肩の力を抜いて、命尽きるまでTel Quel Japonの運営・記事入稿に励むことを皆様にお約束いたします。 Bruxelles記 2015年9月30日

四方の海 逆ベクトルの意味

GHQ焚書図書開封9を少し読み始めた。3月31日発行の焚書図書最新本である。今朝は午前3時に目覚め、とりあえず「まえがき」を読んだ。P.2では「米英挑戦の真相」にふれこう書いてあった。
(1)わが国が開戦せざるを得なかったあの時の世界情勢、気が狂ったようなアメリカの暴戻と戦争挑発、ぎりぎりまで忍耐しながらも国家の尊厳をそこまで踏みにじられては起つ以外になかったわがわが国の血を吐く思いを切々と伝えてくれています。これは貴重な記録となった一冊です。
またP.3では以下の文章があった。
(2)言ってはならないこととして「洗脳」を強いられてきました。そのため日米開戦は最初のうちは敗者の挑発であり、犯罪であるとみなされ、やがて失敗であり、愚行であるとみなされるようになりました。いまだにそのようなマインドコントロールは色濃く敗戦国を覆い続けていて、一定の締め付けをし続けています。
(1)の方が当時の日本人の真実であり(2)のほうが戦後の「洗脳」である。これがGHQ焚書図書開封9の短い前書きからの要所ピックアップである。
私が何を思ったかと言うと、これぞ「四方の海」の真実と、捏造解釈の必然そのものであると。
閣僚 「事、ここに至りては、実に止むおえざるを得ざるが故に、帝国政府は妥協に至る望みなきを以って、これを断絶し、自衛のため、並びに帝国既得の権利および正当利益を擁護するため必要と認める独立の行動をとるべきことを露国政府に通告し、併せて軍事行動をとることを緊要なりと思考す」明治三十七年、緊急御前会議はついに最後の斷を下し、ロシアに対する国交断絶と開戦が決定された。 天皇は日露戦争にあたって次の御製を詠んだ。ー これが「四方の海」の背景であり(1)の貴重な記録の内容とぴたりと一致する。
(2)「日米開戦は最初のうちは敗者の挑発であり、犯罪であるとみなされ、やがて失敗であり、愚行であるとみなされるようになる」と、平和を愛する昭和天皇が「愚行」を阻止しようとされた明治天皇の歌、と言う風に捏造解釈されたわけだ。挑発であり、犯罪であり、失敗であり愚行であると、いう所謂東京裁判史観を強化するために、歌の解釈が真逆に捏造されている。GHQと日本政府の協力である。GHQとしては勿論日本国と日本人に永遠に負の歴史を背負わすために、日本政府としては、日本国や日本人よりも何が何でも昭和天皇の地位を守り、天皇陛下が東京裁判の法廷に呼び出されることを避けるために。東條の裁判ひとつを詳しく見ればわかるが、敗戦国日本がひたすら望んだものは、東京裁判史観の確定そのものだった。
この逆ベクトルの意味を考えると、「四方の海」の解釈の捏造は、非常に重要な意味を持つことがわかる。
いまだにGHQに協力して国体を守ったことを誇りに思っている保守も非常に多い。東條に2度目の発言をさせたことを、生涯の日本人の誇り、と考えている保守も多い。
たとえ敗れてもどうして法廷で日本人は日本人に堂々とした陳述をさせなかったのだろう。正義を信じて戦ったならば、法廷でも戦い抜くべきだった。東京裁判をいくらひっくり返して調べても、日本の正義を陳述するのは、残念ながら常に外国人である、外国人のみである。日本人は黙り込み込まされ、胸のすくこと感涙することを言ってくれるのは、外国人のみである。日本人は戦後においても論戦では、戦う前から常に負けを選ぶ。ただの負けではない。価値あると思う?虚構を守り抜くために、両手両足に針金をとして、自分を縛りつけ金輪際堂々と歩けないような屈辱を選ぶ。その性癖は後年の「南京」「慰安婦」問題にまで、引き継がれている。
血に飢えた軍国主義国家日本が特にアジアで残酷な侵略行為と愚行を繰り広げ、アメリカに原爆を落とされようやく人間性を取り戻し「二度とあやまちを繰り返しませぬ」と誓って深い反省をし、軍国主義者を処刑し陸海空軍を解体し徹底平和主義者の本来の昭和天皇に立ち戻っていただき、平和憲法を尊び、そうして新しい日本、新しい昭和が、憲法発布と共に始まったのではなかったか?だから最近保守は、核武装・憲法9条改正は言っても、東京裁判史観のマインドコントロールに関しては、一言も言わなくなった。どう転がっても敗北にしか行き着かない大きなうねりを前に、共に戦おうという同士さえ一人もいない。それが証拠に四方の海の捏造解釈をいくら説明しても、考え方を1ミリとも変えようとはしないではないか?東京裁判史観を徹底して守ろうと、寧ろ攻撃してくるだけではないか、それも保守が、だ。

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9784198637743.jpg

まだ前書きまでしか読んでいないが、巻頭の写真ペイジP.2上に1940年9月、日独伊三国同盟調印式において、松岡外相と記されている人物は来栖三郎氏である。黙っていればわからないほどのミスであるが一応記しておく。
日独伊三国同盟調印式に松岡が居ないはずがないと思っている日本人は非常に多いのではないだろうか。三国同盟=松岡洋右と頭に入っているからだろう。しかしこの日松岡は日本にいて三国同盟締結祝賀会に出席していた。
日本ニュース第17号 日独伊三国同盟
三国同盟は松岡が多くの反対を押し切って強引に締結し、その後開戦へと牽引していった、というのは、これも作られたイメージの虚構と言わざるを得ない。これはもう動かし難いほどの、こびりついたペテン的捏造イメージである。
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昭和15年9月27日、日独伊三国条約はベルリンのヒットラー総統官邸閣議室でドイツ時間午後一時に調印された。来栖三郎駐独日本大使、リッベントロップ、チアノ各外相が調印、その後現れたヒットラーと三人は握手を交わした。
東京永田町の外相官邸の祝賀会はこれまた熱狂的なものだった。万歳万歳の声が響いた
参照:Tel Quel Japon過去記事

////////////////// コメント by まるこ /////////////////
FC2によって「不正投稿」として何度もはじかれたコメントです。そこで本文の下に特別にコメント欄を設け、特別扱いとして以下に「まるこ」様のコメントを掲載させていただきました。素晴らしいコメントありがとうございました。
Bruxelles記

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いろいろ事実を知ってくると、昭和天皇がこの期に及んでまだ「和平」を望んでいた、ということにずっと違和感を持っていました。「四方の海」…これで腑に落ちました。
それにしても一次資料と言われるものがこうも改ざんされているのでは何を基準にして考えればいいのやら。Bruxelles 様が仰るように、「捏造資料こそが、現在の日本の日本人の歪な腐りきった精神構造を作り上げてきた」わけで「歴史の核に捏造を持っている昭和史では、どう転んでもまた何年たとうとも日本の近現代史は嘘にまみれ腰折れて、この先も永遠に腐敗するばかり」ということですね。
「国体を護る」…よく聞く言葉ですけれど、具体的にどういうことだったのか、やっと少しだけ理解できた気がしました。
当時の日本人は「天皇処刑」を心底恐れ、それを避けるために軍部が泥をかぶり、それ以外のことだったら何でも受け入れた。当時の指導者たちの苦悩を想像すると涙が出てきました。実際「その後」に備えて皇統護持作戦があったようです。縄文からの日本の歴史を知り日本人にとっての 「天皇」の意味を知って、初めて彼らの 気持ちに思いをはせることができるようになりました。彼らのこの事実こそ世界中の人々に知ってもらいたい、と思いました。

「天皇陛下の免罪を取り繕い続けなくても、そもそも大日本帝国に戦争犯罪などないからだ。もう終戦直後ではない。男は全員奴隷にされ女は全員レイプされ、天皇陛下は処刑されるなどと、怯えて震え続ける必要も何もなく、東京裁判史観にいつまでもすがりつかなくても良い」
戦後69年たった今は、「自虐史観を葬り去る準備は実はとうにできて」おり、勇気さえ持てば言挙げできる時なのですよね。 足りないのはこの「勇気」だけで。
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Tel Quel Japon 今後

2014年4月9日
私Bruxelles、体調を崩しました。まだ未入院なので、それまでは更新続行可能だとは思います。できる限り所有中の未使用資料を探し出して、置こうと思っています。Bruxelles記


Moles In High Places

あれこれfilmを見て探し続けていた。ついに決定的なfilmを見つけた。Tel Quel Japonがこの件に関して記事を書き続けていた頃にはまだこのfilmはyou tubeには出ていなかった。言ってみればある意味今までのfilmや記事の集大成的な、かつ断定的なfilmである。四苦八苦して書いていた記事をなんだかしっかりまとめていただいたような気もする。それにしても、filmを見ながら「ヒエッー」「ウーン」「キャー」「ギュー」「ウワッー」と言葉にならない声が口から飛び出した。筋はしっかり追えるのだが、そこまでかとやはり頭が混乱する。解説役は意外な人物だが、彼は音声明瞭で、そのうえfilmの編集もテキパキと無駄がなく素晴らしい。多くの人物がfilmに登場して動き、しゃべり、また多くの人物の名前がナレーションに出てくる。その顔や名前からその人物のあらかたの背景を思い出せるだけの予備知識が必要かもしれない。その意味でTel Quel Japonの過去記事はかなり役立つのではないかと思う。
何故この方向のfilmを探していたかといえば、Joseph McCarthyは一体どんな組織に攻撃されいかにして急激に勢いを失い、しかも他殺も考えられるような死に方をしたのだろうか?これを知りたかったことがひとつ。もう一つは、The House Un-American Activities Committeeは騒いだ割には結局逆転されてしまったのは何故か、だった。このfilmはそれらの問いに答えてくれただけではなく、想像をこえるアメリカの深淵に生息するThe Subversion Factorを明らかにしてくれた。感動しfilmそのものにも感謝している。何故この方向のfilmを探していたか、なぜ今頃、の理由をもうひとつ付け加えるなら、そしてfilmを見たあとの感想をそれに付け加えるなら、「アメリカもそうだったのか。とすると日本も間違いなく、同じ現象が起こっていた筈だ」ということだ。このあたりのことは日本では「赤狩り」という捉え方だけで人々に忌み嫌われてきたワンパターンの歴史しかなく、またそれ以外のいかなる視点も事実の究明のかけらも存在しない。
1983 制作のfilm、どうりでEdward Griffinがとても若い。
The Subversion Factor, Part 1: Moles In High Places:

このfilmには2部があるが、最後の結論の部分以外は、米国内的すぎて、日本の参考にはあまりならない。最後の結論の部分でテーマをまとめて明快に繰り返しているので、その辺は再度頭に入れておいたほうが良いかもしれない。
The Subversion Factor, Part 2: The Open Gates of Troy
(参照)M. Stanton Evansの2007年のこの本「Blacklisted by History」もMcCarthyを蘇らせて、内容的には同じ方向である。日本に直に関係のある内容なので、興味を持って見聞きしていただきたい。今音声を聞きながら書いているがかつてTel Quel Japonでも取り上げたJohn Serviceのことに触れているところである。
Blacklisted by History by M. Stanton Evans:C-Span
この人はほかにもこういう興味深い本を書いている。
Stalin’s Secret Agents:
The Subversion of Roosevelt’s Government
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Amazonの紹介文 & M. Stanton Evansの講演

・・・・・・
日本に直接関わりしかも重要な内容なので、以下のfilmを珍しくも再度登場させる。日本の開戦の裏、国連の正体、GHQの政策実行の共産主義的意味合い、戦後日本の主流となった左翼的自虐史観、IMFをはじめとする世界金融機関の真の目的、この人物を通して見えてくるはずなのでもう一度ご覧ください。
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Harry Dexter WhiteTel Quel Japon過去記事より
CFR 書評:The Battle of Bretton Woods-John Maynard Keynes, Harry Dexter White, and the Making of a New World Order-Princeton Unvercity 書評

A Revised History of the Shandong Question 山東問題見直し

Woodrow Wilsonを調べている過程でこんなものを見つけた。
Wilson and China:
A Revised History of the Shandong Question
by Bruce A. Elleman
9780765610508.gif
Reviewed by Roger Chapman
非常に面白い。この本のAMAZONのペイジ
Roger Chapmanの書評から少し引用する。
Later, China claimed it signed the secret treaties with Japan while under duress (p. 44). The evidence shows, however, that China "gladly agreed" to the secret agreements (p. 27), pleased to receive the infrastructure improvements (such as the railroad line and mining technology). But China's real self-betrayal came after the war when it insisted on receiving back Shandong from Germany and not Japan, a ridiculous demand that would force Japan into a humiliating position that the circumstances did not warrant (pp. 46-48)...
The letter blamed Wilson for allowing imperialists to continue their exploitation of China (p. 128). This letter, argues Elleman, contributed to the Shandong myth, its perception that Wilson had betrayed China, and it helped convince the U.S. Senate to reject America's joining the League of Nations...
この前半を読み始めたときは吃驚したが、思い出した、最近読んだ西尾幹二著GHQ焚書開封8「日米百年戦争」第6章第7章にこの辺のことが書いてあった。小見出しで言うとそれぞれ「二十一ヶ条」真の要求は四項目で、極めて妥当な申し出だった、米支以外の国々は日本の「山東問題」に理解を示していた、となっていた。日本史を学校で勉強した人には想像もつかないような事実が書かれていた。偶然だがBruce A. Ellemanのテーマも同じである。上の表紙の顔はWilsonと顧維鈞だと思われる。顧維鈞は代表する政府からほとんど事実関係を知らされることなくParisに来ていて(Bruceの見解)、米国の代表団の指示に従って発言していたと思われる(日米百年戦争の見解)。顧維鈞については前から気になっていて、いつか日を改めて書くつもりでいる。引用の後半部はWilsonも困惑する言いがかりで、顧維鈞の態度にWilsonは実際そう感じたかもしれない。これは私の私見であるがこの頃のWilsonは多くの同行した取り巻きの傀儡であり、ほとんど指揮力はなく「なぜそんなことを自分が言われなければならないか」全く困惑したことだろう。

同じくする見解はないかと探していたら、こういうものを見つけた。
歴史に学ぶ対外広報の重要性-第一次世界大戦後の山東問題を事例として by 庄司 潤一郎
この文章には直ぐに賛同される方も多いのではないかと思われる。

ただTel Quel Japonでいろんな本を紹介したからといって、長年教科書や専門家、研究家が書いた内容を一気に否定できるわけではない。たとえば下に紹介する二つの文章、(Bruce A. Ellemanの著作や焚書開封8を読まなければ)、これから先もこういう見解で固まったままの人のほうが圧倒的に大多数を占め続けるだろう。
庄司 潤一郎の文章は日本語で内容的にも非常にわかりやすいので、面白半分にでもクリックして見てください。↑
固まったままの人たちの文章↓
1.寺島実郎pdf
2.パリ講和会議と日米中関係、山東問題を中心に:PDF 大阪大学

・・・追記:2013年9月22日・・・
今日改めて2.大阪大学のPDFを全文読んだ。内容的には全部書かれていた。ただ論調があきらかにWilson寄り、即ち極端な中国寄り、国際社会からの日本排除意思が透けて見える。内容的にはなぜそうなったか、山東問題でWilsonがなぜ敗北したか、そのあたりは、以下のようにしっかりと書き込まれている。ご存知でない方も多いと思うのでその部分を引用する。

日本全権団が山東問題をめぐって、米・英・仏・伊各国に自らの主張を支持するよう働きかけたのに対して、英・仏両国は戦中日本と結んだ密約もあって、支持の意を伝えたが、アメリカの対応だけは違っていた。アメリカ代表団はすでに4月10日の時点で、山東権益の中国への直接返還を主張する方針で、コンセンサスを得ていたのである50)。しかし、 1915年の日中条約を前提として日中間で交わされた、 1918年9月の山東関係交換公文の中に、中国側が「欣然として同意」するという一句があったことと、北京政府がすでに鉄道建設借款の前賃金として日本政府から二千万円を受け取っていたことが、条約開示によって明らかになっていた。これは中国全権団の主張を無力化させる致命傷となっただけではなく、アメリカの中国への支持をも大きく揺らがせる障害物となり、これまで日本に大きなプレッシャを与えつづけた「米中協調」の足並みも崩れ始めた。中国への山東権益直接返還の実現がますます困難となっていくなかで、ウィルソン大統領が受け入れたのは、ランシングから提言された山東権益に対する五大国共同管理案であった。すなわち、 「米英仏伊日からなる五大国は直ちに共同委員会を組織し、放棄された領土の処分を遅滞なく決定する」という項目を講和条約に書きいれ、山東権益の処置をもこの五大国共同委員会に委ねるという提案であった。そして、ランシングはさっそく4月15日の米英仏伊日五カ国外相会議の席で、上述の共同管理案を提唱したが、腸洲湾は植民地ではなく、租借地であるという牧野の反論に遭い、不発に終わった。(略)一方、日本国内では、山東問題が未解決のまま日時を経過していることに焦りが徐々に募り、政府の政策は講和会議前にもまして強硬となっていった。(略)したがって、日本政府からは、 「青島還付問題に付ては支那側の運動よりて直接独逸より還付を受けんとの主張或は多数とならんとするの虞あるに因り同島は我武力によりて占領し、又日支条約は支那が参戦巳前に締結したるものなるに因り絶対に我主張を貫徹せしめざるべからず、万一多数を容れざる場合には連盟条約に調印せずして訓令を乞うべしと強固たる訓令を我全権に送付する事となし直に発送の手続きをなせり」と、全権団に山東問題に関する厳重な訓令が送付された。
(Bruxelles注:日本側の論理も明快であり、日本側の態度もWilsonの偽善的態度に篭絡されてはいない。正しく読めばWilsonの日本排除およびここで中国を手懐けておこうというアメリカ製のNew World Orderの意図が明らかに見える筈なのだが。Wilsonの引きがあるとは言え顧維鈞もよく頑張る、ただ母国が母国なので論理が常に破綻するのは実に気の毒だ。)


顧維鈞で辛うじて繋がっているだけで,少し話が逸れます
You Tube 必見 World Charter Signed (1945)
上の話は第一次世界大戦のあとのパリ講和会議でのこと。国際連盟に関連している。
上のYou Tubeは第二次世界大戦の最中のサンフランシスコ。国際平和を希求す国際組織、国際連合憲章の調印式の報道filmである。最初にサインするのは「一番最初に枢軸国から侵略を受けてきたChina」そのChinaを代表して顧維鈞が登場している。二番目に登場するのは、二番目に枢軸国から侵略を受けた?ロシアのAndrei A. Gromyko、下にその写真を出した。
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上のYou Tube: サンフランシスコに到着したトルーマンが勝利のパレードを行い、熱狂的な歓迎を受けているシーンがある。この時日本軍はまだ戦闘中、国土は空爆を受けて荒廃し国民は生きるか死ぬかの瀬戸際、しかも米軍の本土上陸に怯えている。1945年6月26日、勝利を祝い永遠の国際平和を誓って彼らは国連憲章にサインしている。指折り数えていただきたい。パレードで勝利に酔いしれ、また永遠の国際平和を誓ったトルーマンが、その一ヶ月以上後に、勝利には全く「不必要だった二つの原爆」を日本国に投下しているのです!国連を軸としてOne Worldの世界平和を目指す政党・政治家・官僚は日本にも非常に多いと思いますが、国連は昔も今もかつて枢軸国であった日本を敵視しているのです。顧維鈞がサインする時filmにかぶさる言葉に耳を傾けてください。戦勝国でもないChina代表に真っ先にサインさせるのは、日本を貶めるためのPropaganda、演出なのですよ!日本国民にはこの瞬間のmind controlが延々と今に至るまで続いていて解けないのです。二度と過ちを云々の石碑が広島にある限り、国連軍の平和使命をアホの小学生のように信じ続ける限り、Remember Pearl HarborがSloganとして機能する限り、永遠に。
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パリ講和会議には近衛文麿も、中野正剛も、FRDも参加していたのですね。

原爆と国連

Why Hiroshima Was Destroyed
The Detailed History Of An Infamous Era
By Eustace C. Mullins
抜粋:A UNITED NATIONS PROJECTより(抜粋だけでなく本当は全部お読みいただきたい)
In May of 1945, the architects of postwar strategy, or, as they liked to call themselves, the "Masters of the Universe", gathered in San Francisco at the plush Palace Hotel to write the Charter for the United Nations. Several of the principals retired for a private meeting in the exclusive Garden Room. The head of the United States delegation had called this secret meeting with his top aide, Alger Hiss, representing the president of the United States and the Soviet KGB; John Foster Dulles, of the Wall Street law firm of Sullivan and Cromwell, whose mentor, William Nelson Cromwell, had been called a "professional revolutionary" on the floor of Congress; and W. Averill Harriman, plenipotentiary extraordinary, who had spent the last two years in Moscow directing Stalin's war for survival. These four men represented the awesome power of the American Republic in world affairs, yet of the four, only Secretary of State Edward Stettinius Jr., had a position authorized by the Constitution. Stettinius called the meeting to order to discuss an urgent matter; the Japanese were already privately suing for peace, which presented a grave crisis. The atomic bomb would not be ready for several more months. "We have already lost Germany," Stettinius said. "If Japan bows out, we will not have a live population on which to test the bomb."

国連憲章を書くために1945年4月から6月にサンフランシスコに集まった人たちは、何の目的で何を相談して何を決めたのか。原爆と国連を考える糧として参考にしてください。↑ ↓
参照:Tel Quel Japon 過去記事
The United Nations  & ○The United Nations

この写真を見れば、国際平和のための国際組織である国際連合が、どのようにして生まれ、そして現在のような国連が形作られているかがよくわかる。この連続写真は何を意味するか?
国連は日独を永遠の敗戦国にするための組織である
クリックすると写真が拡大します ↑↑↑↑↑

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日本の国土はB29によってすでに荒廃し、国民は空腹に苦しみ、空襲に怯えた。政府はソビエトによる和平仲介交渉にのぞみの全てかけて、スターリンに近衛との会談を申し入れる、それ以外に何の案も思い浮かばない。断られてオロオロするばかり。そこへ2発の原爆が落とされる。
それにしても、のんびりと余裕に満ちたまるで重役会議のような各国代表者たちのご様子。
日本の敗戦、日本の戦後は、ポツダムやヤルタで話し合われたわけでもないようだ。連続写真をよく見ると1941年12月の真珠湾攻撃よりも遥か前に、連合国は勝利の先取りをしていたことがわかる。そしてまた最後の写真が含み持つ意味も読み取る必要がある。国連における日本の地位、価値、立場、

追記:2013年9月18日
潘基文を支持し潘基文に仕えた日本人
赤阪清隆 前国連広報担当事務次長 :
明石康氏もそうだが、国連で活躍する日本人は、独特の顔つきをしている。国連に限定せず、国際機関でと拡大すれば、大雑把な特徴がつかめるだろう。

追記:2013年9月19日・・・・・
戦争のはじめから終わりまでを全く別の目で見るために。
不必要だった二つの原爆
国連憲章はいつ頃から議論されたのか、国連憲章は誰の手によって書かれたのか。国際連合は懐妊期から何を目指していたのか、何を目的の完遂としているのか。彼らの究極の理想世界に、これからの未来に、日本国および日本人はどんな位置をしめるのか、果たして存在するのか?
不必要だった大空襲 : (元ペイジTel Quel Japon過去記事):

小学生になるかならぬかの頃、私は宝塚歌劇団に入団したいと、それくらいしか何も考えていなかった。そのころ祖母がPrince of WalesがどうのFranklin D. RooseveltがどうのWinston Churchillがどうのと話しかけてきたが、全く何のことかチンプンカンプンだった。おそらくこのこと日本の中枢は反ソ親ソというより、むしろ反アングロサクソン、親アングロサクソン、に分かれていたのではないか?この写真を見て思う。共産政権の恐怖政治など、誰一人認識してはいなかっただろう、、この時点でも、そして終戦の時点でも)だったのだろう、祖母が言おうとしたのは。これをアングロサクソンの横暴と言わずになんと言おう。すでに日本に対する充分な挑発行為である。これが国連憲章構想の受胎期の正体である。

西尾幹二著「日米百年戦争」GHQ焚書図書開封8の最終章の一番最後の項目の小見出しもこうなっている。「ユナイテッド・ネーションズを国連と訳した外務省の愚」ー国連と訳した時点で日本の外務省は国連の出先機関になってしまっているのかもしれない。そう考えると外務省のこれまでの動きがスッキリと見えてくるではないか。

2013年9月12日13日 日記風メモ

なんだか頭がすっきりしないのだけれど、メモしておこう。
午前中は肺がん・結核検診に市役所に行くことにした。そこでは体脂肪や筋肉の測定も出来るそうだ。時間が来るまでベッドでじっとしてラジオのスイッチを入れた。NHKだったらしくドイツ語講座が聞こえてきた。なんとHoushoferの息子で最後に処刑されたAlbrechtの話をしているので吃驚仰天。ベルリン中央駅付近で殺害されたとき遺体のそばに血に染まった詩篇があったそうだ。鎌倉の大仏のことが歌われている。午前中スレスレに駅前の内科にも行って健康診断、その帰りにNHKドイツ語のテクストを買ってきた。Albrechtはヒットラー暗殺未遂事件に関わって政治犯収容所に収容されていたのだが、このテクストによると父親の方も例のヘスの事件のあと、信用をなくしていたようだ。父親の方は戦後直ぐに妻とともに自殺、資料によると切腹した、と書いてあるものまである。
Karl Haushoferに関して:TQJ過去記事
買ってきたNHKテクスト9月号の最後の放送はHelmut Schmidtについて。元首相である。2010年10月20日、ベルリン日独センター設立25周年祝賀会での基調講演の一部がテクストとなっている。こんなことを言っているので、またもや吃驚。
「幾度となく繰り返される靖国神社参拝は、日本の外の世界に対して、第二次世界大戦に責任がある軍の指導者に対する尊敬と崇拝の念を伝えているかのような印象を与えます。これに対して、多くの韓国・朝鮮人や多くの中国人が強い不快感を示すことを、不思議に思ってはなりません」講演のタイトルは「日本、ドイツ、そして近隣諸国」。元西ドイツの首相が2010年の日独センター記念祝賀会で、何を言うのか。また何故こんなものがNHKドイツ語講座のテクストに取り上げられるのか?講師は筑波大学の相澤啓一氏とボン大学のReinhard Zollner氏。「シリーズを終えるにあたって」で相澤氏はこう書いておられる。
「ちなみにツェルナー氏と私の共同作業は、番組終了後も続きます。新たに設立した日独韓共同大学院「TEACH」がそれで、この修士課程では、三ヵ国の学生たちが三大学を巡り歩いて共同研究し、デュアルデグリーを取得することになっています」ー日独韓共同大学院?独韓が寄ってたかって日本にドイツと同じ罪悪感を植え付ける目的の三ヵ国共同研究?歴史解釈の統一のため?Helmut Schmidtの講演をテクストにして?相澤氏とReinhard Zollner氏がまたもやコンビを組んで?日独韓共同大学院?
同テクスト9月5日はRichard Sorge。ゾルゲが記者として「フランクフルト新聞」に書いた1940年11月13日の記事「大転換ー三国同盟による日本の外交政策の転換」。ー今後日本は、イギリス及びアメリカ合衆国との対立を深めるのである、と締めくくっている。なんのことはない尾崎と共謀して北進を南進に変えてロシアを救った、スパイとしての手柄話を記事にしているだけである。相澤氏の解説にはSorgeが日本に与えた究極のとも言える打撃に関しては、発言もないし、そもそもそういう視点もない。

・・・・・追記:2013年9月13日・・・・・
なんだか頭がすっきりしないのだけれど、続きをメモしておこう。
市役所に出かけてみると、要件も聞かれないまま、こちらへどうぞと案内される。デスクに座っている人が問診票に記入せよという。早速吃驚したのだが、その人の日本語が完全におかしい。いつぞやのキムさんの日本語は完璧だったのだが、この人は成人してから日本に来たのだろう。「日本語の発音が妙ですね」といつもなら言うところだが、雰囲気が違う。似たような人が周りにいくらもいるような、多勢に無勢の感じがした。それにいきなりそういうことを言うのも礼儀に反している。受付の順番が回ってくるまで一時間以上かかるだろうということで、会場をうろつくことにした。「10月のwalkingに参加しませんか」と声をかけられた。まだ子供なので名札を見ると〇〇国際大学学生とある。「〇〇国際大学って、聞いたことないけど、どんな大学なの。〇〇女子学園の関連?」そうですという返事。10年くらい前にできたという話。「どうしてそこの大学に進学したの?偏差値が極端に低いから?あぁ、失礼しました」昔長い間予備校の講師をしていたので、ついつい口が滑ってしまった。偏差値が最低線に近いという記憶が、口から先に出てしまった。感じのいい子だったので、気を悪くせずに返事をしてくれた。「前の大学と違うのは、うちの大学は中国や韓国の人をたくさん受け入れて、日本人の私たちと共に学ぶ、という新しい大学なんです」「えぇ!じゃ、東アジアの人が人種の偏見を超えて集まって共に学ぶので、国際という名前が追加されたの?」「そうです」「この市の大学じゃないのに、職員でもないのに、どうしてここに居るの?このwalkingの企画が隣接する各市の連合企画なの?」その国際大学の国際というところで、この企画にこの大学が一枚かんでいるということなのだろう。「あなた今日の交通費は?」「自腹です。大学の取り組みで私たちは学生ですから」「授業の一環みたいなものなのね」ますますわからない。そこへ小太りの中年の「おばはん」という感じの人が割り込んできた。「walkingに参加しませんか?」「あなたは××課の職員のかたですか?」「そうです。今日この場で、参加申し込みができます。新しい企画なんです」さっきの学生とこの市職員のおばちゃんが、なぜ同じことを言うのか、よくわからない。健康walkに「アジアはひとつ」のコンセプトを加えた、あたらしいprojectなのだろうか?わからないままにあることを思い出した。今月号の広報は表紙をめくると最初の2ペイジが例のSafe Community認証の特大記事だった。審査員講評も出ていて審査員三人の顔写真も大きく出ている。韓国、台湾、中国からの三人。「Safe Community Networkのmemberの一員たる資格がある」と高い評価を頂いたと。今後の活動についての要望まで書かれていた。そんなことを思い出してか、また口が滑ってしまった。「この企画は、××課のSafe Communityと関係あります?その活動の一環?」「うーん、そういうようなもんですね」と。そこへ目のつり上がった異様な雰囲気のとても日本人には見えない女性が、ツッツと割り込んできて、こちらを睨みつけた。なんだか自分がウイグル人になったような気がして凍りついてしまった。その人は何かたくさん言いたそうなのだが、言葉が出ないでイラついている、そんな感じだ。どこから来たのか、とにかく日本人でこんな顔のひとは見たことがない。直感としては文革時代の紅衛兵の一番怖い奴。後ずさりしてその場を逃げた。
審査の時だけ審査員が来るのではなく、監視員あるいは指導員として、市の行政の中に臨時職員あるいは、project推進員として何人かが既に入り込んでいるのかもしれない。去年とは会場全体の雰囲気も全く違う。韓国、台湾、中国の人に、なぜ日本の市の行政が管理・監督・指導・評価されなければならないのだろうか?
偏差値の極端に低い大学は、日本国が特別奨学金を出して呼び込む多数の留学生を、引き受けることによって辛うじて生き延びているという噂をかなり昔に聞いたことがある。政治家が絡み資本家が絡み、政策が絡み、そこに魚とりの網のようにSafe Community & Safe Schoolが絡み、最後には「世界平和のために国境をなくそう」というImagine思考が強力なヌーヴェルヴァーグになっていくのではないか?日本は波に呑まれて吸収消滅される(国境が消される)国のひとつと密かに計画されているのではないか。その際真っ先に国際標準化されるのは、ズバリ、歴史認識の国際統一化だろう。

・・・・・追記:2013年9月13日・・・・・
なんだか頭がすっきりしないのだけれど、さらにメモを続けよう。
話変わって。コメントは入れていないが、西尾先生のBlogの真夏の夜の自由談話(1)と(2)をかなり前に見て聞いた。途中で、この書物やvideoの対象読者、対象視聴者はどのような層なのかと何度か考え込んだ。そして肝心なことを最後の最後に思い出した。これは安倍総理への期待、安倍政権の課題、安倍政権への要求だったのだと思い出した。安倍総理に本を手にとって読んだり、Blog画面をクリックしたりしていただかなければ、真の目的は達せられない。是非読んでもらい見てもらい聞いてもらい理解してもらわなければ、これが私の感想だ。それでも何か別の感想をコメント欄に書こうなどと思いながら、頭がすっきりしない日々が続いた。
あるとき、もう何日も前なのだが、古本市場で弘兼憲史氏の「加治隆介の議 14」を見つけて買った。発行は1997年2月7日、でかなり古い。加治は官房長官や外務政務次官を務めたことのある休職中の大物政治家である。浪人中の今だからこそ、というわけで韓国に行く。犬料理を食べたり、街の一杯飲み屋で、日本人というだけで、ビールを引っ掛けられたり、同行の男性秘書がハニートラップにはめられたり、加治自身も北朝鮮のスパイに付け狙われたり、かなり面白い。ハニートラップの女がバレたあと青酸化合物のカプセルをのみ血を吐いて死ぬ場面もスリルがある。南北には北が掘った南侵トンネルが20ほど有り、まだ4つしか見つかっていないらしい。一番のクライマックスは加治自身が北朝鮮のスパイたちに拉致されてあわや南侵トンネルから北に連れ去られる、その場面だろう。最後の章には竹島について韓国の専門家と加治が議論する場面が出てくる。これはなかなかのものだった。最後の最後の場面では加治が韓国のヘリコプターで竹島に上陸する。漫画であるので竹島の様子が視覚的によく描き込んで有り、読者も竹島に空から上陸した気分になれる。視覚的といえば、前半には板門店の描写と軍事境界線の詳しい説明もある。古い本なのに本当によく描かれ、また説明されている。問題はただひとつ、加治の歴史認識なのだ。「韓国との問題は過去の日本の戦争責任のこともあって非常にデリケートです」などと出だしから言っている。ビールをぶっかけられた時にも加治は「ま、それだけ日本人がこの国でおかした過去が重いということなんだろうな」などと言っている。また竹島に関しては一番最後のシーンで「竹島は両国にとって喉に刺さった小骨。取らないで放って置くのが一番いいという考え方もあることは否めない」という加地または弘兼の意見が出てくる。
結局何を思ったかといえば、政治家、すなわち安倍晋三氏もこの主人公と同じような心境・歴史認識なのではないかと、そう思ったのだ。前回はBUSHに日本の過去を詫びたし、近隣諸国の感情を察して靖国にも行かない。歴史認識に関しては、西尾先生の真夏の夜の自由談話(1)(2)を聞く、前段階にも前前段階にも達しておられないのではないかと、思ったのだ。福井雄三氏のご母堂のようにスッキリと把握できるには、それなりの論理や知識の蓄積が充分になければならない。少なくとも「真夏の夜の・・・」に関しては、安倍総理は何周遅れというより、全く違うトラックを走っているランナーのように見えるのだ。仮にクリックして見られたとしても、なんのこと?何の話?何が言いたいの?という声しか聞こえてこないような気がする。竹島に関してはレクチャーを受けておられると思うので、加治同様の議論はできるだろうと期待できる。が歴史認識においても加治同様。論壇と政界では、着眼から、論理から、展開から何から何まで違うような気がする。早い話が、日韓問題にしろ歴史認識にしろ1997年のこの本の発行年から、全く一歩も前進していない。何ひとつ解決されていない。論壇では目からウロコの斬新な着眼が現れ続けているが、政界では、どれだけ挑発されても「放って置くのが一番いい」が延々と続いている。このままでは、捏造のままの歴史認識が世界統一されるだろう。そしてその時から急速に日本は国境をなくして行くだろう。
なんだか気分がすっきりしない。頭と気分をスッキリさせてくれるような痛快な反論を期待している。

・・・・・2013年9月14日・・・・・
なんだか頭がすっきりしない。それでも調べ物をしていたらこんなものを見つけた。
形成過程、形成目的が「南京」や「慰安婦」とソックリ。3本目の矢、当たっていたらこうなっていただろう
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日本軍がヴェトナム人200万人を餓死させたという「200万人餓死事件」。全部読んでみて頂戴。捏造過程がよくわかる。「放って置くのが一番いい」ではなく、即時総攻撃して一気に化けの皮を剥がす。嘘を暴く。そういう国であって初めて他国の尊敬を得ることができる。そう思われませんか?

・・・・・追記:2013年9月16日・・・・・
9月13日の記事に「加治隆介の議 14」にある加治のセリフなどを出している。昨日うろうろしていたら、偶然見つけた記事が、なんだか加治の見識と似ているなという感触を得た。その記事はこちら。
East Asia Regionalism and Japan's Foreign Policy
東アジアでの日本の義務ばかりが書かれていた。政策の根本は国益であることを全く知らずに、国連を最終的な世界政府にしようとでも思っているような、高校生論文だと思った。大学入試や国連職員採用論文試験ならこれは間違いなく模範解答になるのだろう。しかしこれでは日本はいつまでたっても豊かな国にはなれない。しかも恐喝される負の立場をずっと維持していくつもりのようだ。筆者はあの有名な田中均氏、CFRで発表されている。
忘れていたがTel Quel JaponではCFRと田中均氏について既に記事を書いていた。あまりいろいろ書きすぎたので、焦点がぼやけてしまっているようだ。今回もそうだが、前回もPDFのままなので、何人くらいがクリックされたかわからない。wordのfileに変えてもみたが、このままの方が読みやすいので、読む意志のお持ちの方はpdfで開くようにクリックしてください。今回読んだ記事と同じものがTel Quel Japonの過去記事のなかにもあったということは私自身前回pdfを開けて読まなかったということになる。おそらくCFRから田中氏の論文を探し出すだけで精一杯だったのだろう。過去記事はCFRに関わりを持つ日本人を探し出すだすのが目的だったようだ。
Tel Quel Japon過去記事:Hitoshi Tanaka & CFR
この過去記事の最後にあるのがこれ
田中均 日本総合研究所国際戦略研究所理事長 2012.2.24 :
田中均氏 TPPを語る:どんなことを語ったのでしょう?

Paris Peace Conference - 1919 前編

Paris Peace Conference - 1919
パリ講和会議:wikipedia

ヴェルサイユ条約: wikipedia

The League of Nations: Wilson's League for Peace :
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Woodrow Wilson Part 1 of 2
(9月20日:映画としてもわかりやすく出来ている。今日で2回目。人の人生というものを考えてしまった。前編は第一次世界大戦が始まり、妻Ellenが死ぬところで終わる。Wilsonにこれを乗り切る健康、能力、体力、そしてなにより頭の回転、気力があるとは思えない。しかしこの一年後に再婚して、再起するのだった。続きは明日見よう)
Woodrow Wilson Part 2 of 2
(9月21日:今日で2回目。高血圧からついに脳梗塞に倒れた。パリ講和会議は栄光と挫折の両方。パリには2度行っている。1回目は人生の栄光の極み。2回目は、奈落の底。Mendel Houseとの決裂が大きな原因の一つ。新大陸のアメリカからヨーロッパの都パリに行って、New World Orderを構築しようというのだから、そして世界中からの期待を一心に受けてのパリ講和条約。大衆のこころは掴んだようだが、ヨーロッパの伝統と歴史の重みを前に、このひとりのアメリカ人の理想は打ち砕かれたということだろう。それにしても参戦を決意するあたりから、アメリカ兵をヨーロッパの戦争に送り出すまで、やっていることは平和の提案者というよりもファシストそのもの。ドイツと戦うためにドイツ語の本を焚書、ベートーベンの演奏まで禁止。反戦を口にした人を逮捕、戦争にブレーキをかけるような演説をしようものなら、10年間の投獄。(最近似たような話を聞いたような気がする?)。神の代理人のように振舞う独善的な人は何をするかわからない。そしてこういう意味不明の発作的狂乱者には、ノーベル平和賞が送られるのですよね。それにしてもアメリカが不参加ですからWilsonの顔は丸つぶれ、でもノーベル平和賞。脳梗塞の原因はこの辺ですね。Wilsonが演説がうまいのは、子供の頃失読症だったから。失読症という病名もなかった頃だから、大変だったでしょうね、いろいろと。)
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The Federal Reserve Act signed by Woodrow Wilsonの陰にEdward M. House(下)
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The Creature From Jekyll Island (by G. Edward Griffin)
The Start of The Federal Reserve
Woodrow Wilson And Federal Reserve History

1913, President Wilson signed the Federal Reserve Act

Who Was Edward M. House?

In this capacity, House quickly developed an extraordinarily intimate relationship with the president(Wilson) as political advisor, personal confidant, and frequent social companion. He(House) engaged actively in the extended politicking that ultimately led to passage of the Federal Reserve Act

Like Wilson, House “believe that the war had been imposed on the peoples of Europe by the monarchies and their aristocracies” (150), and therefore both men maintained that a postwar settlement should include, among other things, the destruction of the German and Austro-Hungarian empires and the creation of a number of new, democratic states in central Europe. To fill in the details of this vision, Wilson asked House to assemble a group of experts. The resulting project was known as the Inquiry(Bruxelles注:このthe Inquiryがウィルソンの14カ条を考案しただけでなく国際連盟の概要を作り上げた。また左をクリックすればわかるように、FRBとセットで論じられる後のCFRはこのthe Inquiryを母体として生まれている) and the plan it(=The Inquiry) created became the basis for Wilson’s Fourteen Points and for his principal proposals at the Versailles conference.

Edward Mandel House, Wilson's controller

House was the conduit for the Rothschilds orders for the establishment of the Federal Reserve Banks, although the United States Constitution prohibited a Central Bank.(Bruxelles注:要約するとthe RothschildsがHouseを介してWoodrow WilsonにFRBを誕生させたという説である)

Edward House Spartacus Education

House was a member of the USA's delegation to the Paris Peace Conference of 1919 and helped draw up the covenant of the League of Nations.(Bruxelles注:ここが一番見落として欲しくないところ。Edward Houseはパリ講和会議に出席している。


ごくごく大雑把に言って、パリ講和会議、ベルサイユ条約、「十四か条の平和原則」、国際連盟、そして今回加えるに、FRB承認、といえばWoodrow Wilsonを誰もが思い起こすだろう。しかしこの全てにおいて実際に頭を絞り体を動かしたのはWilsonのアルターエゴだといわれるEdward House大佐だということを、この際しっかりインプットしておいてください。歴史解釈が倍くらい複雑になり混乱しますが、いつまでも歴史の上っ面だけ学習しても、表面の綺麗事しか見えてきません。今回前編としましたが、次回Paris Peace Conference後編は、やはりWilsonに同行した人物に焦点を当てて、Paris Peace Conferenceが歴史に持つ、全く別の意義を掘削しようと思います。岩盤が広大で頑強で、しかも手掘り、なかなか歯が立たずに往生しています。
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House helped Woodrow Wilson draw up the covenant of the League of Nations
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Wilson asked House to assemble a group of experts. The resulting project was known as the Inquiry + The British Branch became the Royal Institute of International Affairs, and the American branch became the Council on Foreign Relations.
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//////////追記:2013年9月10日//////////
陰謀論はこの辺を完全に押さえてから-基礎編
SECRETS OF THE FEDERAL RESERVE
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Unsafe Warning!アダルト危険サイト(2)

比較的最近の記事にこういうのがある。
前々から納得できなかった対ソ終戦交渉
そのなかにこういう過去記事を置いている。
社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画
その8月14日の追記に、「戦後日本は隠れマルクス主義によってつくられた」という田中先生のDIVEOを置いている。これは素晴らしいDVDなので、是非クリックしてください

ある方から連絡がありこれをクリックしたところ、スパイウェア感染の警告が出たとのことでした。早速Daily Motionを消し、同内容のYou Tubeに張り替えました。ですから現在は安心してください。
今朝その方から詳しいメイルが入り、「スパイウェア感染の警告」が出てからPCの具合が悪くなっているとのことでした。そして「私がテルケルの初回訪問者だったら、二度と訪れないでしょう。」と書いてありました。さらにグーグルがテルケル記事内のURLに「ウィルス汚染警告」を発したのは、あながちウソではなかったようです。一度、総チェックしてみて下さい。と書かれていました。ひょっとしたら同じような体験をされた方もいらっしゃるかもしれません。申し上げにくいですが、この方はまんまと「Tel Quel Japonの記事を人の目に触れさせないようにする」妨害者の策略に嵌められたのだと思います。「あながちウソではなかったようです」と思われたからです。繰り返しますが、これは妨害ペイジなのです。まずこのペイジに出ているのは「ウィルス汚染警告」ではなく「アダルトサイト危険警告」です。根も葉もない妨害警告で明らかなウソ記事なのです。この方がおっしゃるように「誰かがイヤガラセにウィルスをくっつけた」ことは間違いありませんが、ウィルスはDaily Motionの動画に付けられたのであり、Tel Quel Japonに付けられたものではありません。いつ頃誰によってウィルスが貼り付けられたかはわかりませんが、リンク当時はきれいな動画だったに違いありません。今回は同じ動画がYou Tubeにあったので、Daily MotionからYou Tubeに移動させて、それで解決です。このような体験で「私がテルケルの初回訪問者だったら、二度と訪れないでしょう。」というふうにはどうか考えないでください。「ウィルス汚染警告」が出てもたいていの場合はあなたのPCがブロックしている筈です。もちろんこちらも、Tel Quel Japon自身に感染がないか日頃からスキャンを怠らないようにするつもりです。
もしこの方のような経験をされた場合は、どうかお知らせください。いずれにせよ被害が広がらないように、すぐに対策を立て、即解決したいと思っています。
最後にもう一度繰り返します。ここで紹介しているサイトは、Tel Quel Japonの記事を人の目に触れさせないようにする、それ以外の内容も機能も目的も存在理由も、何もありません。それゆえに妨害サイトなのです。それと外国からTel Quel Japonにアプローチする際、アドレスが機能しなかったり、Tel Quel Japonが検索そのものにかからなかったりする場合を妨害行為だと認識しています。「そこにあるのに無き物としてしまう」これはきつい妨害行為なのです。Tel Quelが以前敗北宣言をしたのは、そのターゲットにされていることが発覚したからです。そのことと、Tel Quelがウイルスに感染しているとか、Tel Quelにアプローチするとウイルスに感染するとかということとは全く次元の違うことです。心配ご無用。Pressaboutに警告記事が出たからといって、その記事が正しいわけでも、Tel Quelのウイルス感染をそれが警告しているわけでも、またTel Quelがウイルスに感染しているわけでもありません。

前々から納得できなかった対ソ終戦交渉

正論10月号、産経新聞編集委員 岡部伸氏による『日本を赤化寸前に追い込んだ「敗戦革命」工作』のご一読をおすすめしたい。前々から納得できなかった対ソ終戦交渉、の決定打といっていいだろう。文章は「思わず腰を抜かしてしまった」から始まる。トータルな解説を付した説得力のある論文だと思う。資料の発見は解説がないと意味がない。全体的に個々の内容も矛盾なく説明されているが、読者は各々が自分の視点で解読しながら読んでいくほうがいいだろう。事実があぶりだされていく様が見えるはずだ。決定打、と書いたがTel Quel Japonが今までブツクサ言ってきた方向の(判定に一部違いはあるが)最先端だといえる。
和平交渉派とは、敗戦に等しい貢ぎ物をソ連に差し出し、共産中国とともにスターリンの配下にはいり、徹底抗戦してアングロサクソン資本主義国との戦いに勝機を見出そうとしたもの、に過ぎない。状況的に和平交渉派などというものは存在し得ない、言葉遣いそのものが、嘘に満ち満ちていることがわかる。日本をソ連に売り渡すことを和平交渉だなどと、お笑い種だ。ただこの先、もっと多くをひとりひとり具体的に名前を特定していけば、歴史は転覆し混乱することだろう。いつものことだがこれ以上の真実の追求を日本人は望まないだろう。望ませないだろう。

Tel Quel Japon関連過去記事を下に挙げる。
対ソ終戦交渉という井戸掘り

その他の関連過去記事ー古い順番に
近衛文麿再考 & 中野五郎注目 未完
近衛がコミンテルンのスパイだなんてとんでもない話だ
World War 2 Manchuria Battle 追記多数

ギリギリまで最後の最後までロシアを信頼しきっていて、仲介の交渉に命綱を託していたという主張である。木戸日記によると1944年1月からロシアを仲介とした終戦交渉は発想されている。なんと19ヵ月にわたる深い深い信頼である。

カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校歴史学長谷川毅教授のC-Spanの講演を見たが大した内容ではない。誰の筆かはわからないが、こちらのほうがむしろ詳しい。
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#1
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#2
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#3
講演 長谷川毅教授による「日本の降伏とその背景」#4
放置した二つの謎 その後

日本国側交渉者たちは、ソ連シンパ、天皇制社会主義者たちで満ち満ちていて、「スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想を持っていた。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加えるつもりだった」

社会主義者ルーズベルトの正体と日本改造計画

終戦に至る交渉時にうじゃうじゃいたということは、開戦回避の交渉時にも尾崎やゾルゲはひとりや二人じゃなかったに違いない、と思うと気が重い。

戦後天皇制とSUSUMU OKANO (3)

野坂が延安で接触したアメリカの使節団のメンバーの多くはいはゆる「中国派」で容共勢力であり、ルーズベルトとトルーマンが率ゐる民主党政権が容共的体質であつたことの証左でもある。ちなみに、昭和20年7月23日付でOWI(戦時情報局)日本部長のジョン・フィールズが野坂に感謝状を送つてゐることが公開文書から明らかになつた。(略)日本共産党がマッカーサー率ゐるGHQを「解放軍万歳」して占領を受け入れたことの説明がつく。


参照:再度参照としてこの論文を挙げておく

・・・・・追記:2013年9月6日・・・・・
岡部氏の原稿を目が悪いので拡大コピーして何度も読んだ。ひとつ明らかになったことに今朝気づいた。野坂参三は四重スパイだったと言われるが、野坂参三の真の役割がようやく見えてきた。米中ソ日全部の中枢に当たり前のようにくいこんでいるのは、その四カ国の中枢に野坂参三を受け入れる体制があったということだ。野坂参三は日本のスパイだったということに???だったのだが、やはり日本国の指示に従って動いていたのは確かなのだ。わかりにくいかもしれないが、日本国は近衛が上奏文で指摘したような国家だった、そこを押さえないと野坂参三(SUSUMU OKANO)は永遠にわからないだろう。
参照:
軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿

砕氷船のテーゼ=ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。

↑引用元ペイジ:
アメリカのルーズベルト政権に垣間見えるコミンテルンの影
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60年代の中頃から70年代の中頃までお昼のワイドショーという類の番組が大人気で、うっすらとした記憶なのだがコメンテーターとして、ハーバード・ノーマンの師だった、羽仁五郎、アグネス・スメドレーとコンタクトのあった石垣綾子らが出ていて人気者だったのを覚えている。石垣綾子がコメンテーターなのだから当時の世論では尾崎秀美は軍閥が引き起こそうとする邪悪な戦争を命を投げ捨ててやめさせようとした平和主義者ということになっていたのだろう。その後篠田映画監督は本木雅弘を尾崎秀美役に仕立てたゾルゲ絶賛映画を撮っている。グループサウンズの少し前に流行した歌声喫茶ではロシア民謡しか歌われなかったし、毎年5月1日のメーデーはここが日本か、と思うほど大盛り上りだった。第二次世界大戦はスターリンの一人勝ちと言われるようになったが、ソ連=平和というイメージプロパガンダ戦においては、たしかに一人勝ちしたのである。日本映画である氷雪の門が日本において36年間もオクラ入りしなければならなかった事実も思い出そう。野坂参三が洗脳の完了した(捕虜だった)旧日本兵を数百名引き連れて凱旋帰国したことも思い出そう。少なくとも終戦時もその後も日本はそういう国だった。
参照:Fascism vs Communismの誤思考(1)

・・・・・追記:2013年10月14日・・・・・
産経新聞に掲載された岡部伸記者の記事

外務省はなかなか出さなかった...

サッカー日韓戦の大きな横断幕、呉善花さんの入国拒否の問題、どちらも頭にくることである。中韓の日本に対する憎悪は執拗かつ露骨すぎる。そのように教育され洗脳されて育っているのだから、個々人に文句を言っても仕方がない。中韓が自国民を日本向けの戦闘要員に育て上げた結果である。このへんのことは「セレブな奥様は今日もつらつら考える」で記事になっていた。
セレブな奥様は今日もつらつら考える
日本国は国家としては今回も見猿言わ猿聞か猿を決め込むのだろう。感覚が麻痺している。
いつの間にか、日本国憲法前文通りに完全に準拠した国家・国民が出来上がってしまっていたのだろうか?
Tel Quel Japon過去記事:日本国憲法前文

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した

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以前通化事件を書いたとき、彼らはやったことをやられたことにすり替えているのだなと思ったこと思い出した。
通化事件:Tel Quel Japon 過去記事
そして昨日は偶然通州事件の日本人目撃談を読んだ。非常に読み応えがある。皆様にもぜひおすすめしたい。
通州事件の惨劇 (Sさんの体験談):徳島の保守←
クリック先は(その3)であるが、このペイジで全部読める。時間をかけて憎悪を培養していることがわかる。鎖国二百十数年を内側だけ見て何より和を貴んだ日本人には想像もできない憎悪であり残虐さである。ここに転載された(Sさんの体験談)は資料としてもとても貴重である。水島さん、映画を撮るならこういう映画を制作すべきで、日本人を被告席に座らせるあなたの映画は着眼そのものが極めつけの自虐史観なんですよ。(Sさんの体験談)を撮るのはあなたの任務です。(勝手なことを決めるなって?)でもそう思いませんか?水島さんの熱烈なファンの方も一度これを是非読んでください。
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また偶然だが今日こういうYou Tubeを見た。
2013.4.10 衆議院予算委員会 自民党:西川京子
そんなに古いものでもない。しかもblog「荒んでいく世界」にはVideoと書き起こしがあった。本当に拡散すべきVideoだと思います。歴史教育に関するご発言が最も重要なのですが、私はとりあえず以下の部分を引用したいと思います。

その中で一番特記するべきことは、実は国際連盟のときに、中国のこいきん?外相が、これはその当時2万人ということも、数を出してきましたが、2万人の南京市民と婦女子を虐殺・暴行したという演説をしたんですね。日本を非難決議してくれと。そのときに実は、欧米列強、日本に大変厳しい目を持っている欧米列強がその意見陳述を一切無視しました。取り上げませんでした。
そのことに対する国際連盟の議事録が2007年、私たちの努力で出てまいりました。外務省はなかなか出さなかったんですが、内閣府の方から出てきました。これは戸井田元衆議院議員のご努力があった結果なんですが、そういうなかで、この問題は完全に決着がついているんですね

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内閣府から出てくるまで、なぜ70年以上も要したのだろうか?なぜ外務省はなかなか出さなかったのだろうか?そもそも本当に歴史学者も評論家も論客も誰ひとり、「欧米列強がその意見陳述を一切無視しました。取り上げませんでした。」というだけの事実を、全く知らなかったのだろうか?
「外務省はなかなか出さなかった」とおっしゃっている。血に飢えた凶悪軍国主義国家大日本帝国のイメージの種を戦後アメリカと共謀してばら蒔いたのは、外務省、文部省をはじめとした、日本国政府そのものではなかったか、という疑惑が生まれるところである。南京や慰安婦を書く前に、通州事件、通化事件を教科書に書くのが、正常で正気な国家の教科書ではないだろうか?歴史解釈の視点からも、「書かねばならぬ」事件である。
参照:何故か教科書に載らない虐殺事件「通州事件」

・・・・・追記:2013年8月3日・・・・・
話が入口とはまたかけ離れるが、「血に飢えた凶悪軍国主義国家大日本帝国のイメージ」云々というと私はこの画像を思い浮かべる。
イル・サンジェルマンの散歩道においても郵便学者・内藤陽介のブログに於いても 日本国のプロパガンダ作品(ポスターまたは絵葉書)ということになっているが、どう見ても日本軍人を貶めるための連合国側の制作意図を感じる。戦争を生きた日本人に先の第二次世界大戦をこういうイメージで戦ったのかと問えば、すぐに答えが出ることだ。1943年?の絵葉書として、真珠湾を出す必要が日本側にあるか!これは戦後必要となった「強引に戦争を拡大した軍閥」のイメージを先取りしたもので、日本人が「侍」に寄せるイメージではない!イタリア、ドイツを従え刀を振り回す、野蛮で凶暴でどこか滑稽な時代錯誤のイメージは、白人が心底憎悪する、アッチラ、やモンゴル軍を連想させる。フランスの教科書では右下に「報道部」とローマ字で書かれていると記されているが、もし記されているのが事実だとしても、それは敵対国の諜報活動家が後で被せたものだろう。もし日本製なら「報道部」などと書く意味がない。Tel Quel Japonではこの日本製と判断されているポスターに関してはすでに調べが済んでいて、画家がイタリア人、その名前まで特定している。百歩譲ってかりにこれが日本のプロパガンダ作品だとすると、日本の諜報部に、既に日本の敗戦を予測してOSSによる「日本計画」に参画していた日本人終戦工作分子が紛れ込んでいたことになる。
血に飢えた凶悪軍国主義国家大日本帝国のイメージの種を(敗戦が見え始めた頃から)アメリカと共謀してばら蒔いたのは、日本国政府に紛れ込んでいたOSSの日本人スパイまたは敗戦後を睨んだ日本政府の終戦工作員ではなかったか、という疑惑が生まれるところである。目に見えない戦後レジームの田植え隊がいたのではないかという、推量である。この絵柄が日本軍のプロパガンダ作品とするならば、それ以外の推理は不可能だということだ。
参照:フランスの教科書:Tel Quel Japon過去記事
参照:フランスの教科書ー2:Tel Quel Japon過去記事
もっと単純に考えたい人用に話を変えてみる。このフランスの教科書に、なぜ日本政府が抗議しないのだろうか?それどころか保守からの抗議の声さえ立ち上がらない。共闘や共同検証の声さえ一切聞こえてこない。初めの記事の一部に今回下線を入れた。もう一度その部分に目を通していただきたい。(そのあとタイトルに目を戻していただきたい。この記事の全容が見えるはずだ。)
血に飢えた凶悪軍国主義国家大日本帝国のイメージの種を戦後アメリカと共謀してばら蒔いたのは、外務省、文部省をはじめとした、日本国政府そのものではなかったか、という疑惑が生まれるところである。

//////////追記:2013年8月6日//////////
コメントに登場するプロパガンダ専門の米人の資料の一部を追加紹介しておきます。Herbert A. Friedman氏の資料より。
Propaganda and Espionage Philately
↑(切手に関する6ペイジ)↑
第二次世界大戦 心理戦資料その1
第二次世界大戦 心理戦資料その2
心理作戦と軍事の大リンク集 :
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日米プロパガンダ比較
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Unsafe Warning!アダルト危険サイト警告

昨日更新しようと思って、Tel Quel Japonを開こうとしたが、どうしたわけか中に入れない。それであちこちうろうろネット徘徊をしていたら妙なサイトに出会った
Baidu IME_2013-7-27_21-4-59
Baidu IME_2013-7-27_21-4-6
西尾先生の日録にコメントを入れるついでに、軽くこのおかしなペイジにも触れておいた。今日そのコメントをUPしてくださった。
日録へのコメント10番目
今日は自分のBlogにすんなり入れたので、自分のBlogにもこれに関することを少し書いておきたい。
最新の記事でTel Quel Japonのリンクが開かない、という連絡を下さった方がいらっしゃった。何ヶ月も前の話である。早速チェックしてみたが、すぐに開いた。それで問題ないですよ、とお返事して、もう一度試してもらった。すると開いたことがあった。それで気にしないでいたのだ。古い記事はかなりのリンクがリンク切れになっているようだ。リンク切れというのは、ファイルの所持者がファイル名をかえたり、置いている場所を移動させたりすると、繋がらなくなる。いろんな事情があるだろうが、私はそれを「逃げ」だと思っている。つまりTel Quel Japonがその記事にリンクした目的、のためには「自分の記事を役立ててもらいたくない」のだろう。そういう場合「リンク使用を認めず」とひとこと言ってくだされば、いつでもすぐに消す。その連絡もせずにいきなり自分のファイルを「逃がす」というのは、Tel Q!uel Japonを敵対視しているからだろう。Tel Quel Japonは主張のための裏付け資料はたいてい複数用意しているので、「使用不可」のクレイムがどこかから来て、それを外したところで、ほとんど内容に影響は受けない。だから「リンク不可」は平気なのだ。が、いつの間にかの知らないあいだのリンク切れは、Blog全体の信用に関わってくる。あそこは、繋がらないリンクばかりを載せている、となれば、当然だれも読む気がしなくなる。しかしこちらはお借りしている側だから、文句は言えない。だから文句を言うつもりもない。
今日ある方からこんな情報が届いた。「4月からテルケルのURLを押すとたいていのURLではじかれつながる場合も一瞬だがウィルス・サイトと警告が出るようになりました。」吃驚である。4月から「危険サイトの警告が出ていた」とは!グーグル・ツールバーの設定を変えると、これは無くなったそうだ。
そういえばの話だが、資料をたくさんおいた日には、googlebotが100回も200回も情報収集にやってくる。今日はクリックカウントが多いなぁ、と吃驚する日は、大てい5、60%がgooglebotの訪問である。これはもう昔からで、googleに資料収集されても、こちらには何の迷惑にもならないと、もう慣れっこになっていた。今から考えると、収集だけなら問題はないが、分析をして、サイトに潜在する収集側から見ての脅威インパクトを計数化していたのだろう。いずれにせよそんな前から「危険サイト」警告が出ていたとは、夢にも思わなかった。
ものすごく重要だと思っていた資料が、いつの間にか消されて、悔しい思いをしたことは何度もある。面倒なので、滅多に作らないが、どうしても消されたくない資料は(個人資料でなく、公共資料の場合に限り)特別にファイルを私作してTel Quel Japonの内部に持ち込む場合がある。こうしておくと外部の者に消されることはない。こういうことはめったにしないので、毎回やり方を忘れて、その都度考える有様だ。
今回西尾先生の日録への昨日の私の10番目のコメントのひとつ上、9番目のコメントに、Tel Quel Japonからの引用が出ていた。大東亜共同宣言の英文である。うっかりリンクだけにすれば、消されるだろうと思ったので、珍しく私作ファイル化したものである。リンクならすぐに消せるが、こうして消せないものが登場した場合に「アダルト危険サイト警告」を出すのだろう。そしてTel Quel Japonの記事を人の目に触れさせないようにする。「Tel Quel Japon」のアドレスで入ってくる人たちの中で、リンクにクリックして内容を読む人は、1、2%、これはアクセス解析から判明している。現実である。抑圧を受けるのは名誉なことだとは思うが、Tel Quel JaponはBlogとしてはすでに敗北していることを認めざるを得ない。相撲取りにたとえれば、既に番付外に転落している。転落し廃業し、再度入門した珍しい相撲取り、巖虎一貫さんのことなどをぼんやりと思い出している。

追記:pressabout.usは米国系のサイトのようだ。英文資料を嫌がっているのだろう。リンクなら外せるが、外せないように工夫した英文資料を日本から外に向けて発信されては困る、と恥も外聞もなく叫んでいるのと同じだ。こちらが塩、相手がナメクジになるのは何かがわかった。日本語はわからないので何を書かれても平気、けれど英語で発信されるのは嫌なのだろう。但し論理が日本風であれば、英文で書かれていてもへとも思わない。ナメクジが嫌うものは、公式に出された英文による日本政府の見解である。例えばこの「大東亜共同宣言」、この手のものがナメクジの天敵であることがわかる。正面から突破すればいい。それこそ日本人の名誉を回復する最短の道だということもわかる。


セーフコミュニティ認証取得

近所の人に聞いても「全く知らない」という。
最近市の広報に出ている「セーフコミュニティ認証取得」とは何なのだろう。
医療機関での外傷アンケート調査にご協力を、などと書いてあって、わかろうとしないためか、よくわからない。取り組んでいる市町村も取り組んでいない市町村もあるので、聞いたことがない人の方が多いだろう。
市民の安全のために各市が独自に取り組んでいるプログラムなのだろう。
亀岡市 & 小諸市  & 北本市 &
参加を表明して取り組んで2年くらい経ったら、センター?(韓国や台湾、スウェーデン等など?)から審査員をお招きして現地調査となるらしい。認証取得のための必須事項。
疑問なのだが、市の安全活動の取り組みを、何故外国人をお招きしてことごとく説明して、まるで受験生のように緊張して審査や評価をしていただかなくてはならないのだろうか?
あなたの街(市)の広報もちょっと覗いてみてちょうだい。WHOの取り組みということらしいが、市民に対する市の活動をどうして外国の方に審査していただく必要があるのだろうか?市民管理・危機管理行政を細部にいたるまでお見せして、認証取得して、それが何になるというのだろう?これがNew World Orderの実現が極めて近いということの、氷山の一角的現実?
誰に聞いても知らないというので、わからないままにここに書いてみました。先の話ではなく、今ここの話です。
ご意見ご指導お願いします。お聞きしたいのは、活動対象ではなく「お招きして、審査していただく」というあたりの「何故必要か」に関してです。

・・・・・追記2013年7月21日・・・・・
市を特定しないために当市としますが、当市の広報には「事前審査の様子」の写真が掲載されています。お招きした外国の方々が本社の部長、当市の市長をはじめ関係職員は、出張所の臨時職員という感じで、言葉どおり、審査で認証を得るために、戦々恐々。表現が大げさかもしれませんが、広報には以下のように書かれています。
タイトル:○月○日~○月○日にいよいよ本審査を迎えます。
...海外より認証審査員をお招きし、現地審査を受けることになりました。現地審査では、当市のセーフコミュニティ活動について紹介するとともに、各対策委員が日頃の活動や、昨年○月に受けた事前審査で指摘された項目についてどのように改善してきたのか認証審査員に報告し、セーフコミュニティ認証都市としての基準を満たしているのか審査されることになります。...
これを読んで何も感じない、日本は日本人はすでにそこまで海外審査に順応することに慣れきってしまっている。中韓の指示に従う、中韓に指導を仰ぐ、そういう国に成り果てているのでしょう。冗談ですが、もしかしたら外務省を初め政府も見えないところで中韓の認証審査を受けているのかもしれませんね。そうだと仮定すると、竹島も尖閣も靖国も教科書も援助の垂れ流しも、謝罪外交も、移民の大量受け入れも、生活保護への大量支出も、国民の将来に対するとめようのない不安も、何もかもつじつまがあってきませんか?
あなたの都市が現在そうでないとしても、いちど「セーフコミュニティ認証」についてクリックして確認して、ご意見を聞かせていただけませんか?

//////////追記:2013年7月24日////////////////
セーフコミュニティ国際認証取得 豊島区の挑戦
どう思われますか?お聞きしたいのは、活動対象ではなく「お招きして、審査していただく」というあたりの「何故必要か」に関してです。しかも事前審査があって、指導通り改善に取り組み本審査までに成果を出して認証取得に全力を尽くす。それもどうやら5年で期限切れとなり、再度申請再度取得にむけて頑張らなければならない。
突然西尾幹二著「わたしの昭和史 少年篇」を思い出した。少年篇ー2の中に「教師や学校との一騎討ち、と遠田イズムの結果としての学力の低下」という項目がある。GHQの指導下民主主義的授業を目指して、モデル授業が行われたり、教員たちが相互監視したり相互評価したりするのだ。遠田という教師は、教育熱心な立派な教師なのだが、西尾少年は何かが違うと感じて反発する。これはまだ、日本人による自主的な評価システムである。ただGHQ的独善的価値観の押し売りなのだ。セーフコミュニティ国際認証取得の場合は、GHQ下でもないのに、国際認証取得に励み、指導を受け、活動行為を丸出しにし、へつらうのだ。スパイ云々の次元の話ではない。飛び越えてOne Worldの支配下にすでにある、といってもいいのではないだろうか。権威に弱い日本人が偽の権威にマインドコントロールされているのではないか?もっと上位の政治家が政府組織が、唯々諾々と米や中韓の内政干渉に叩頭する姿にぴったり重なる。

ところで上の豊島区の挑戦を見ても、全くなんにも感じない人って、日本という国土の中に何人くらいの割合で住んでいるのだろう?私が近所の人たちから得た感触では99.99%くらい。100%に近い人が、全く何も感じない。「読みましたが、これが何か?」という感じなのだ。つまりは自慢げに○○区の挑戦、○○市の挑戦などというFILMを堂々と誇らしく制作する市町村がこれからも次々に増えていくと推測される。
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2013年7月28日追記:知らず知らずに 
よそで見つけた記事 別の話題
2010年 へんなポーズが接客の常識?
2013年 記憶の痕跡
ここで解説:ねずさんのひとりごと
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古い媚び媚び写真2葉 :(別の話題)そういえば...
すべて急に始まったことではない。
歴代総理の御努力、ここに至るまでの御奮闘
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福岡市長の“中国公務員4,000人採用発言”を斬る

福岡,高島市長の“中国公務員4,000人採用発言”を斬る:
スタジオ日本 日曜討論という番組に偶然出くわした。福岡市って頑張っているなと思う一方、この高島市長って一体何者?普通の神経ではないですね。こういう日曜討論は福岡市だけでなく、日本の全市で実施してUSTREAMを使って放送すればいいですね、人材は居るはずです。(←このUSTREAMは日本会議福岡支部制作と判明)
とにかく毎週2時間半の討論番組らしくて、最後まで聞けるかどうかは時間的にわからないが、とりあえずTel Quel JaponにUPします。時間のある方は時間の許す限りご覧ください。
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福岡市 市長(売国奴)ビックリ記者会見
・・・・・以上は2012年9月1日記入・・・・・
・・・・・・追記:2012年9月16日・・・・・・

この福岡市はやはりおかしい。このままでは福岡市民の過半数が非国民になる。
きょうたまたまNetsurfingでこのペイジに出会った。このような講演会の予定が。
<講演会>10月12日(金)~13日(土)
会場:ココロンセンター(福岡市人権啓発センター)研修室・10月12日(金)
時間・企画団体 講演内容 18:00~20:00
 関釜裁判を支援する会
孫の世代が考える戦争責任と女性の人権
-日本軍「慰安婦」ハルモニと出会って-
 講師:古橋綾
(韓国・中央大学校大学院社会学科博士課程)

福岡市って何やってるの?すでに韓国?
去年のものも探してみた。このペイジ
去年の10月15日は「インドネシアの従軍慰安婦」に関する講演。
日本のために戦争を戦った軍人と祖国日本を辱め続けることに、福岡市はどんな快感を感じているのだろうか?あんな市長が選挙で選ばれるのだから、市役所と市民の洗脳は8割がた完了しているのかもしれない。

FRB:ユダヤ金融資本家達と断定する気はないが

FRBを語ることは日銀を語ること

以下必見
The Creature From Jekyll Island (by G. Edward Griffin)
Eustace Mullins
Secrets of the Federal Reserve
The Money Masters - Full Length Documentary:
(・・・・・2013年9月19日追記・・・・・)
THE HISTORY OF MONEY PART 1
THE HISTORY OF MONEY PART 2
THE HISTORY OF MONEY PART 3
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
G. Edward Griffin 未完:詩集「2N世代」
Jim Marrs :詩集「2N世代」
Wake up America! - Dr. John Coleman:詩集「2N世代」
Carroll Quigley (未完):詩集「2N世代」
・・・・・・・・・・・・・・・・・

西尾幹二著 「憂国のリアリズム」 P.31 より

私はアメリカという国がいつからアメリカでなくなったのかが見えない。

お分かりだろうか?これは、「歴史のいつ頃からかアメリカは国家輪郭を欠き国家意思(国益)で動く国ではなくなっている」という前代未聞の、大胆な決意を必要とする御指摘である。

・・・・・追記:2013年7月18日・・・・・
反響がないのは、日本語資料を出していないからだと気づいた。
日本語資料もたくさんあるが、まずこのあたりから...
隠された真実 1.FRB & 2.日銀 :
それともタブーなのか? 
「ユダヤ陰謀論」というレッテルを貼って、海底に沈めておくべきことなのか?タブーを犯すとどんな目にあうか皆様すでに体験済み?それで永遠のワンパターン?つまりそれは刑罰だったのだろうか?
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Correspondances過去記事

日本からは吉田茂首相、自由党の池田勇人、星島二郎、一万田日銀総裁が出席した。

私が日銀総裁の名に気を止めたのは昭和44年前後くらいだろうか?その頃東京の詩の集まりに結構顔を出していて、よく読む詩誌の中に、宇佐美さんという名の詩人がいた。人に聞くと「日銀総裁の親戚とか、なんとか」という話だった。偶然だが、二人共私の友達に待ちぼうけをくらって、ある喫茶店で宇佐美さんとふたりっきりで、一時間くらい雑談した記憶がある。日銀総裁の話題は出さなかった。それくらいしか思い出さないから、日銀総裁などは、遠い遠い山の彼方の存在なのだった。シャンソン歌手の石井好子さんから自伝の「私は私」を頂いた時も、読みはしたが上に引用した一行には全く気付かなかった。気づいたのは、Tel Quelを始めた後で再度「私は私」を読み返し、サンフランシスコ講和会議に一万田日銀総裁が出席していたことに、何かひっかかる違和感を感じたのが最初だった。またそこには日銀総裁、アチソン、ダレスだけでなく、ノーマンもいたこともわかる。
一万田尚登日銀総裁は1951年サンフランシスコ講和会議日本全権代表であった。FRBに関しては、今から30年くらい前に、経済学部に学士入学した知り合いの卒論を手伝わされて、FRBの働きを知った。しかしテクストにおいてはFRBはアメリカの中央銀行、日本の日銀のような機能を有する、まあそれくらいしか書かれていなかった。FRBの正体を確認できたと思ったのは、諸々の陰謀論からでは決してなく、Tel QuelでEdward Bernaysを取り上げた頃からだった。全く反響はなかったが他に以下のような記事も書いた。
Rewi Alley 人物紹介
Committee on Public Information
松本重治と国際文化会館人脈
松本氏と西山氏 & Walter Nichols氏
Jacob Schiff 未完
古い過去記事を持ち出して何を言おうとしているのか、意味不明かもしれない。結論から言うと、過去の世界大戦を歴史として検証するとき、グローバルであるがゆえに、各国史では見落とされがちだが、コミンテルンの視点が絶対的に不可欠だ。それと双璧をなして重要なのが、やはり自由自在に国境を超える「金融を操る者たちの役割」への視線投企ではないだろうか?どちらも国家単位の発想ではとても解けない。何も見えない。まして一時的にでも二つが交わり融合でもしていたら、決定的なところは陰謀論の謎かけに切り刻まれてしまう。つまりユダヤ陰謀論は諸事実を井戸深くに突き落とすための隠蔽装置だと私は考えている。

話は無関係に飛んでしまうが、「ぴゅあ☆ぴゅあ1949」という面白いblogを見つけた。取りあえず3本ほどリンクを貼らせていただきました。
No.1 & No.2 & No.3 :

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FRB & CFR & (日銀・日本国)

UROKO : On Lincoln
This "House" guy was the father of Col. Edward M. House, who was Woodrow Wilson's personal advisor and steered the president into the insider's camp and, ultimately convinced Wilson to back the Federal Reserve Act as well as US involvement in the First World War.
Biography of Thomas William House
南北戦争とリンカーン大統領―なぜいま、リンカーンか
Steven Spielberg's Lincoln 
Lincoln UNMASKED by Thomas DiLorenzo
Edward M. House
Who Was Edward M. House?
Like Wilson, House “believe that the war had been imposed on the peoples of Europe by the monarchies and their aristocracies” (150), and therefore both men maintained that a postwar settlement should include, among other things, the destruction of the German and Austro-Hungarian empires and the creation of a number of new, democratic states in central Europe. To fill in the details of this vision, Wilson asked House to assemble a group of experts. The resulting project was known as the Inquiry, and the plan it created became the basis for Wilson’s Fourteen Points and for his principal proposals at the Versailles conference.
○参照:Woodrow Wilsonに関してTel Quel Japon過去記事
私が調べた限り、最初にE.Bernaysが国際政治に登場するのはWoodrow Wilsonに同行したParis講和会議である。あの時Wilsonに同行したメンバーを探ると、何故国際連盟の提案をしながら、アメリカは結局参加しなかったか、この矛盾の解明にも繋がるだろう。Wilsonにはもう一つの方向でも注目している。1913年にFederal Reserve ActにサインしたのはWilsonである。後に彼はその行為を後悔しているので、周りのおぜん立てに呑まれたのか,後で気が付くなんとやら、だったのか。ただしWoodrow Wilsonは国際連盟を提案した、人類のためになる立派な人だと教科書にも書いてあるし、多くの尊敬を獲得している政治家ではあるが、実際はかなり胡散臭い、何故なら国際連盟自体が、やはり国際連合と同じ意図のもとで生まれているからだ。この辺は後に詳しく追記せねばなるまい。ここではEdward BernaysがWilsonに与えた影響について書いているが、もうひとり影響を与えた人物がいる。それがEdward M. House(上記)である。CFRも関連してくる。
The Council on Foreign Relations

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Woodrow Wilson & Edward Mandell House ↑
いつも思うのだけれどEdward Mandell House氏、日本人のような顔をしている。Woodrow Wilsonのアルターエゴと言われたEdward Mandell House氏、この二人私の記憶では最後には決裂している。理由はアルターエゴなど有り得ない、思い込みに過ぎないということだろう。
上にある、UROKO On Lincolnの下に書き出した英文であるが、内容はこれと同じ、Edward Mandell House氏の父Thomas William House 、がLincoln暗殺の黒幕だという、日本人が聞きなれないひとつの説だ。父も息子もFRB関連で歴史に登場していることになる。日本においてはFRBやCFRに関する研究が足りないのが残念である。
また明治維新も南北戦争も、代理戦争だったという説もある。坂本龍馬フリーメースン説のような、ものだろうか?南北戦争に関して言えば、奴隷解放が目的だったというのは、全くのでっち上げだったのは、今では明らかにされている。国家を二分するCivil Warだった点は確かに似ている。背景を世界史的に考察したほうがいいかもしれない。最後にLincolnを人物として掘り下げるにはJohn Hay (1838-1905)に焦点を当てるのも面白いかもしれない。どの程度の関係だったのだろうか?参照追記として以下の記事などを挙げておく。
John Hay's Lincoln Lincoln's John Hay
Mary Todd Lincoln

・・・・・・・追記:2013年7月15日・・・・・・・
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日本においてはFRBやCFRに関する研究が足りないのが残念である、と上に書いている。
今までさしてTel Quel Japonでは触れなかったが、UROKOのfilmの全編を下に出すことにした。要約としてこれが一番まとまっていると思うからだ。もうこの視点を抜きには世界史は語れないし、当然日本史も語れないとついに判断したからだ。表の世界では一切無視されてきたから、Tel Quelには書かなかったが、タイミング的に中央論壇でこの議論が活発に語られていい時期が来たのではないかと考えた。
今西尾幹二先生の新刊「憂国のリアリズムー感傷を排して世界を見よ」を手にしている。そのP.29&P.30にこうある。

ただし、少なくともいままでの親米や反米といった概念が通用しない別の世界が存在するということはどうやら確かである。FRB(米連邦準備制度理事会)は民間機関であってアメリカ合衆国の国営銀行ではない。あらためてその深刻な影響度を考えてみるべきである。
アメリカやイギリスという国民国家ではなく、ウォール街やシティの本部はどこにあるのか。少なくとも日本の日銀はそれに支配されているし、財務省もいいなりであろう。

私たちはこのご発言に、反応しなければならないと思う。UROKOは凝縮されていて、一度での理解は困難であろう。blog詩集「2N世代」の方に、UROKOの内容に関する個々の記事・資料を置いている。「資料並べるだけ」と並行して、そういった記事を少しづつTel Quel Japonに個個に移動していきたい。最終目標は大きな見えない世界を細部にわたって明快にsalvageし尽くすこと。深海に沈んだ真の歴史のドラマを衆目の行き届く地上に再現し、世界史の中で日本史を捉え、この先大きな世界的動向にのまれて祖国が雲散霧消することを防ぐだけでなく、世界の中でリーダー的存在感を示す国家として真に再生できるように、同士とともにスクラムを組んで常に先手先手と熟考し、かつそのためには殴り合わんばかりに情熱や議論をぶつけ合いたいと願っている。
詩集「2N世代」: UROKO film:

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Desktopの資料を取りあえず、下に並べておく。
上の本欄とは無関係、単なる保存のため。

近代日本史研究会より
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日本ラトビア音楽協会ニュース: 
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近衛上奏文の謎
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昭和史最大の謎・近衛上奏文1~7

/////追記:2013年9月19日/////
取りあえずここに置いておく。考えてみれば当たり前のことだが、国連を初め国際機関というのは、これも当たり前のことだが、政治だけでなく経済も牛耳ている。One Worldというのはその支配が世界中に及ぶか、一部を残すか、と言う差にすぎない。経済を思い通りに動かすことが、支配者にとっての政治である。なになに主義という枠組みで考えると、何もかもがウナギのようにするすると把握しようとする手を滑り抜けてゆく。Money Historyに視点を絞って歴史を見てみよう。
THE HISTORY OF MONEY PART 1
THE HISTORY OF MONEY PART 2
THE HISTORY OF MONEY PART 3
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Alfred Thayer Mahan

Alfred Thayer Mahan: Bio
Alfred Thayer Mahan - Wiki Article
私の父はアマチュアの海軍研究家であった。私がまだ小学生の時に若くして癌で亡くなった。大人の会話はまだできない。悲しいことに海軍及び軍事に関して私の知識はゼロである。一度だけ沖に停泊中の、米軍に接収されていた日本の軍艦に父と一緒に乗り込んだ記憶がある。乗り込む時セーラー服を着た若い米兵たちが笑顔で手を振って迎えてくれた。それと18年前母を送り出す時、父の模型ケイスから父が図面からおこした手製のビスマルクを取り出しお棺に入れた。
私には何の知識もないのが情けない。Alfred Thayer Mahan、イロハのイで抑えておかなければならない筈のAlfred Thayer Mahanを今頃取り上げることが、恥ずかしい。遠い昔の世界史上の海戦の流れが見えてきたような気がする。あれはこうで、これはああだったのかと、なぜそうしたのかという理由が一気に見えてきたような気がする。

ふとしたことから日本人の軍事専門家、Toshi Yoshihara,という人を見つけた。漢字では吉原恒淑氏。
JAPANESE MARITIME THOUGHT: IF NOT MAHAN, WHO?
Dr. Toshi Yoshihara visited the JMSDF Staff College
↑去年日本の海上自衛隊に招かれた時の写真もある。

CHINA'S MILITARYという一時間強の番組を見ていた。理解するには軍事に関する知識が必要で、確信がつかめないまま見ているとYoshihara氏の口からMAHANの名が何度か飛び出した。このペイジを書くきっかけである。
これは中国の軍事力をテーマにした"China Since Tiananmen: Power, Party, and Society,"というイベントの4番目の討論である。(何度も出てくるPLAは中国解放軍)2009年5月26日、少し古い放送であるが、全部で5つの番組からなり、「天安門以降の解放軍、共産党、中国人民社会」を軍事専門家たちが分析する、という構成になっている。
中国軍分析にかけては日本国内にも優秀な研究者がたくさんいらっしゃるのでお任せするとして、今日はAlfred Thayer Mahanという人物をここに紹介するに止める。父と同じ、日本中に沢山おられるアマチュアの熱心な海軍研究家達にこのペイジを捧げたい。

          9781591143901.jpg
Toshi Yoshihara氏の著作の中から一冊だけ選んでついでに紹介しておきます。

・・・・・追記:2012年11月15日・・・・・
The Japanese Archipelago through Chinese Eyes
Russia Plays Both Sides Against the Middle on Senkaku Islands
PLA Personnel Shifts Highlight Intelligence’s Growing Military Role

米軍に沖縄から出て行け、と言っている間はいいけれど、米軍の方が「出て行く」といったら、どうする?軍事を考えないで、情緒や感覚や心情でものを言うと鳩山氏のように「無知でした」と言う羽目になる。それとも、その時こそ、憲法改正、真の独立の絶好のチャンスだ!って、あなた思うの?
Toshi Yoshihara氏のお話を聞いていると、「出て行かないで」という方向に傾いてくる。沖縄を絶対取られない、っていう自信があれば別だけど。情緒や感覚や心情で防衛できる?戦争できる?戦争して勝てる?

詩と思想 40周年 詩は政治的現実の下僕か

懐かしきアウトローたち:

西尾幹二先生の『GHQ焚書図書開封 7』を拝読して感想を書いた。どの箇所とは詳しく書かないが「あの部分はまずいのではないですか。ああいう発想はアウトローの発想です」と本文とは全く関係のないところで反応してしまった。「多分昔、詩や小説を書いておられたからではないでしょうか。文学は基本的にアウトローの世界だと思います」と書送ったら、西尾先生からしばらく経ってお返事がきて「アウトローへの傾斜」を指摘した部分を面白く感じたと書かれていた。
私が青春を過ごした1970年前後は、文学に無関係でもアウトローこそが主流で、それは精神的だったり政治的だったり生活的だったり文学的だったり、アウトローが充満し支配する、と言ってもいいような時代だった。西尾先生の場合「自由」肯定だったので明らかに精神的アウトローであったが、そこに書かれた自由は国家の管理の締め付けからの「自由」でもあり政治的アウトローとも受け止められる可能性を孕んでいた。しかも西尾先生はそこをかなり強調して書いておられた。私はそのお気持ちは充分わかるし自分も共感するが故に、わざわざ書くのはまずいでしょう、と思ったのだった。

私は70年安保の世代で、その渦の中で、逆回りし続けて生きたのだが、接触する周りの大多数と敵対していた訳ではない。こちらも「自己批判」する代わりにこちらの「思想の自由」も当然認めさせていたし、認められていた。勿論議論した場合1対多数で常にやり込められていたが「あなたたちは鬱積した敗戦の抑圧の反動としての一種の敗戦ヒステリーなのだ」とやり返した。が誰も耳を貸さなかったのは言うまでもない。
時代はまだ以下のような人たちに牛耳られていたのだ。
詩集「2N世代」過去記事:
平和問題談話会と戦後知識人
私は詩や小説を書いていたので、つまり言葉で語ることで、理解しあえると信じてもいたのでかなり彼らの話も聞いた。暴れまくって逮捕され釈放された後にも何年も公安にマークされていた過激派活動家の友人もいた。彼の方から近づいてきて最初に言った言葉はこうだ、「あのね、右も左もぐるっと一回りすれば、結局は同じなんだよ」彼はイデオロギーの縛りのない、普通の会話が欲しかったのだろう。私はあの時代に対してあの激しい運動は、大きく言えば外国支配や海外からの罵りに対するある種のレジスタンスだったのではないかと、いう気がしてきている。三島もそう思ったからこそ、ウイスキーの瓶を下げて東大全共闘に会いに行ったのだろう。(勿論、スパイとして教育され放たれた者や、職業としての活動家はこの限りではない。また洗脳され利害と二人歩きし始めた政治家や宗教家、又は無思想のしかし脳みそまるまる犯された平和教信者もこの限りではない。)
詩集「2N世代」過去記事:
Linda Hoaglund : Movie ANPO
私はその頃神戸の文学界に所属していた。ある日田中角栄のブレーンをしているという元会員が現れ、私を会員制の秘密倶楽部に誘い出し「あの会長は労働運動のリーダーだったのに、レッドパージの時に会員の名簿を当局に売った、その罪滅ぼしにいまは、あんな文学会などに熱を入れているんだ」と告げ口した。会長は、思想性が足りないとか政治性に間違いがあるとか強く非難され反発を受けていた私の作品の全てを掲載してくれていた。
私は東京の詩の会合にも出ていて、シベリア抑留の石原吉郎にも何度か会っている。敗戦のドサクサにどんな取引があったのかは、私の大きなテーマだ。木戸日記などを参考にすると、終戦交渉に際して聖戦を信じて戦い続けている兵隊や外地で生活する日本人たちへの配慮や眼差しが国家として完全欠落している。武器解除を命じるなら、交渉による国民の安全と、生命と帰国路の確保は必須だ。どうすれば国民被害を最小限にする終戦を迎えることができるかを、国家として呻吟した気配は全くない。
詩集「2N世代」過去記事:
詩人・石原吉郎 シベリア抑留

通化事件で偶然再会した紙田彰氏と最近久々に電話で会話した。どちらの家で最初に出会ったのか、あまりに昔で記憶も薄らいでいたが、お互い記憶を確かめ合い、かつて共有した時間と今をつなげ新しい場を再び獲得することができた。彼もまた懐かしきアウトローである。若き日詩人を志したと言われる西尾先生が、アウトロー的発言をされたのも、今になればよくわかる。「柔軟性を失くした価値体系の縛りを、一顧だにしない」というのが西尾先生のアウトロー性である。Artや文学に関わる者のアウトロー性とは、思想性や政治性とは一切無関係で、簡潔に言うと「縛りに盲従しない」というひとことに尽きる。「私も共感しますが、それを書くとまずいのではないですか」という私の感想こそ、まさに文学的アウトローが対峙しなければならない悪、最悪なのである。繰り返す。検証も論考もなく、古びた価値体系の縛りに盲従すること、良いも悪いも初めから決まっていることのように思考を端折ること、それらに抜刀して挑む者こそが、ここで言うアウトローである。ああいう感想を書いた私は思想における詩性を、老いて失ってしまっていたのだ。(←習性となった自己批判)

もうすっかり忘れていたが、昔、文学を政治の手段とする左翼詩人たちに囲まれて、ある雑誌の座談会で孤軍奮闘したことがある。今朝目があいた時に突然思い出した。その雑誌は1972年創刊で、その号もまだホヤホヤで1972年以内のものだ。テーマは「今、詩に何が出来るか?」、つまり角材を持って闘争している学生たちに対して、詩人は自分の無力さに苦悩しないか?というテーマである。後で噂を聞くと私が時代を闊歩する左翼詩人にコテンパンにやっつけられたという人もいれば、短詩型詩人たちからは、認知度を高めたとしてかなりの支持も得た。文学的アウトローとして「価値体系の縛りに盲従する輩」を相手に孤軍奮闘する自分の姿をここに転記しようと朝から40年近い前の雑誌を探し始めたのだが、その号はどうしても見つからない。出版社の土曜美術社は、今日Netで調べると、かつては「活動家集団思想運動」機関誌『社会評論』の版元でもあった、と書いてあるではないか。私の記憶では詩に理解のある長野県の資産家がスポンサーだと聞いていたのだが。「詩学」よりも思想性が強かった?何も知らない私は、初めから標的だったのかもしれない。そういう感じは全く受けなかったが。私が知らなかったというより、相手が私を知らなかったのだろう。そう言えば、後に、書いていた連載を突然打ち切られたことがあった。私が場違いとわかったのかもしれない。雑誌は見つからなかったが、その座談会についてほんの少し触れた、私の後日記のDiaryがある。それにリンクを貼っておく。そこに若い私がいる。お目通しいただければ幸いである。
Avec Gribouille :そのほかの日々(1)
座談会の司会は村岡空氏であったのを思い出した。お坊さんなのだがお寺ではなく、都営団地に住んでいて、密教の研究家であるという情報をGribouilleから得ていた。数年ののに村岡氏から来阪するので会いたい、という連絡があった。其の辺に触れた日記も付け足しておく。
村岡空:そのほかの日々(2)

/////追記:2012年10月23日/////
参照:40年前、1972年の出来事
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参照:沖縄祖国復帰40年と沖縄の課題
一番最初の話題に注目!日中国交回復を期に「中国人の日本におけるスパイ活動を大目に見よ」という田中角栄の指示があったと!大変な発言だ、これは。

・・・・・追記:2012年10月29日・・・・・
今日書店で購入した別冊「正論」EXTRA18は発売から40日近くも経っていた。立ち読みして興味をもって購入したのだが、帰宅して読んで、吃驚した。近年読んだすべての雑誌のどの記事よりも驚嘆した。上の記事は「詩と思想」の座談会の年1972年、40周年関連でたまたま日中国交正常化を思い出し、何故日米が突然共産中国に叩頭したのか不思議に思って上の二枚の写真を掲載してみたのだが、この「叩頭」という直感は当たっていたようだ。日中国交正常化はマスコミが挙って大絶賛してきたが、これこそが売国のクライマックスだということがわかった。
(割り込み追記:2012年11月1日 別冊正論Extra18,江崎道朗氏の文章「東アジア冷戦の真実 最大の標的は日本」には、日中米それぞれのこの時期の唐突に思える国交回復の背景と思惑が詳しく解説されている。これは説得力のある総括的なひとつの意味づけであった。これもご一読をお薦めしたい)

上にも「日中国交回復を期に中国人の日本におけるスパイ活動を大目に見よという田中角栄の指示」を書いているがこれが実に詳しく書かれている。注目の記事はP.74~P.92までの座談会で、長くてとても引用できないが、その部分だけをとりあえず引用する。

大平は田中内閣の外相当時、田中角栄と協力して外務省、内調、公調、警察庁、防衛庁の全ての情報担当機関の責任者に「中国を刺激するような情報活動を禁ずる」と指示している。警察庁はその指示を受けて、中国共産党が日本に対して長年続けてきた革命工作やスパイ活動の調査を停止している。内調、外務省なども同様である。(P.86)

また以下はP.80の一部要約である。

満州国総理・張景恵の一人息子張紹紀は日本にいる間、東条英機首相が身元保証人になっていたので、憲兵も外事も特高も手を出せなかったが共産党の秘密党員だった。戦後は撫順の戦犯管理所の責任者になって、かつて戦友だったはずの「戦犯」である日本人に、自分はかなり前から共産党の秘密党員だったことをカミングアウトしている。この張紹紀の満州時代の学友が孫平化で、この男が戦後の日中友好活動の中国側の代表的人物で、田中角栄の訪中の実務を共産中国側で担当した。20歳そこそこで満州国の国民として日本に留学し、日本でマルクス主義の文献を読み共産党の秘密党員になっていた。日本経済新聞「私の履歴書」に自分で書いている戦前から孫平化は一貫して対日地下活動をしている。ところが東工大は彼に名誉卒業証書を与え、宮澤内閣も平成五年に勲一等瑞宝章を与えている。(注:こういう具体的な内容が延々と続く。できれば実際の記事を読まれることをお薦めしたい。)

田中角栄に関してはもう一点、P.84&P.85から日中借款のリベートについて要約。

中国の対日工作資金がどのように日本人に渡されるか。例えば鄧小平から三百億円が田中角栄に三千億円借款の上乗せリベートとして渡される場合、の方法が具体的に説明されている。このような日中借款のリベートは大規模な国際汚職である。(注:これが日中国交回復の正体である。田中角栄が国内政治工作に派閥の部下たちにポンポンと多額の金銭を「よっしゃ、よっしゃ」と渡した話は有名だが、その出処がやっとわかった。土建屋だけでそれだけ儲かる訳がない。ロッキード事件は明らかに不正の感覚が麻痺した結果だろう)

・・・・・追記:2012年10月30日・・・・・
田中角栄に関してP.89よりもうひとつ要約追記

日中国交樹立に際して周恩来は「朝日新聞と結託して自民党の中で一番腐敗した、一番汚い政治家をトップに座らせる...外交音痴の田中角栄に大平をくっつけて大平に外交問題を全部コントロールさせる。その田中・大平コンビを、朝日新聞の広岡和夫社長と周恩来が支援することで田中角栄内閣を誕生させる」と構想していた...朝日新聞に関しては、西園寺公一の息子一晃が入社した年に(1971年)、本多勝一の「中国の旅」の連載が始まっている。ちなみに父親の西園寺公一はゾルゲ事件に連座し、戦後は北京に住み日中国交正常化を推し進めた人物である。(これだけでも日中国交正常化とはなんだったのかが、よく分かるはずだ。)

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西村幸祐氏 Talk-Show

14日の日曜日からTel Quel Japonにもブロともができた。velvet moonのchouchouさんからブロとも申請があり、FC2BLOGにはそう言う機能があることを初めて知った。

10月13日午后10時をとうに過ぎていた。13日は目を休めるためにもなんとなく時間の余裕があったのだが、気づくのが遅かった。その日大阪ではじめての西村幸祐氏のトークショーがあったのだ。ゲストの顔ぶれも大変豪華。今日は時間があったので行けたのに、残念、それで主催者のchouchouさんに吃驚・残念のメイルを出した。吃驚はなぜかというと、velvet moonは本来レコード・CDの通販ショップで、chouchouさんは映画や音楽に関するサイトやブログをたくさんされている。私Bruxellesも、初めてinternetでシャンソン歌手Barbaraのサイトを立ち上げた丸8年以上前から相互リンクをしていただき、コメントのやり取りも何度かしている。その前からchansonの関係でVelvet Moonは知っていたのだが。ただそのVelvet Moonがこう言うイヴェントを企画するとは、本当に驚きであった。
salondevelvet.jpg
切符は完売、salonは大盛況で、本当に良かった。Velvet Moonにとっても冒険だったに違いない。一癖も二癖もある平均的ではない音楽ファン映画ファンがたくさん詰めかけたことだろう。豪華ゲストの方々とどんなTalkが展開したのか、想像するだけで楽しい。異文化交流の感じ?さえする。参加された方の中にTel Quel Japonの読者がいるとは考えられないが、もしいらっしゃれば感想などのコメントで雰囲気を知らせていただけたら大変嬉しい。

私は西村幸祐氏をほとんど存じ上げないが、三田文学の編集をされていたとか。時代が合わないかもしれないが私には三田文学と三島由紀夫に深く関わりのある昔の友人がいる。狩野晃一という名前なのだが、ご存知ないだろうか?在学中の若き日に、三島の推薦で「新潮」で小説家デビューを果たしている。何年も前からそして多分現在もジュネーブ大学で日本文学を教えているはずだ。


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その関連というわけでもないが昨夜これを見た。
西尾幹二の世界 第三回 /西村幸祐放送局
西尾先生の普段見えない別の面がたくさん見えてきた。

今日現代詩手帖の年鑑詩人名簿作成のための住所確認通知が届いた。そこに「近況」という欄があって、返信を投函する前にその欄に「思考における詩性、論考における文化認知について興味がある」と無意識に書き込んでいた。今思うに、この「近況」は西村幸祐放送局の上の対談の影響をもろに受けている。単純にも番組を見て受けた印象そのままである。
番組は後ろに行けば行くほど具体的でわかりやすく、西尾氏の現在のテーマ、ご発言の根拠、興味をお持ちの課題、淡々とした対談なのに多くのことが明らかになる。ただ今回も私は主題とも本質とも全く関係のない些細なことに一番興味を覚えた。それは哲学と文学を論じておられる西尾氏の口から、音楽と美術における破壊が語られたことだ。五線譜や楽器を過去のものとした現代音楽や絵画から形や色による表現を捨象した抽象表現主義、軽く触れられただけであったが、非常に興味を覚えた。西尾先生の中でそれが歴史解釈おいて具体的にどう言う意味を持つと考えておられるのか、もう少し突っ込んで聞きたかったが、そうすると完全に話が明後日に行ってしまう危険があったかもしれない。(注:抽象表現主義にはこういう噂がある。簡単に言うとポロックやデ・クーニング等も文化的対ソ冷戦用にCIAが大金をかけて用意した「駒」に過ぎないという驚くべき話である。(追記)そう言えば戦後Artの中心はParisからNew Yorkに完全に移った。現代音楽・現代美術の名のもとにアメリカの独壇場となっている。それがCIAの戦略的投機の結果であるとしても強ち全否定はできない。ヨーロッパ文化はゆっくりと非現代、即ち過去に閉じられつつある。)

第一次世界大戦は従来の芸術を荒廃させその価値観の秩序を破壊した。第二次世界大戦は従来の芸術の精神性や生命力を虐待死させた。付け加えるならばその間、言語哲学もまた言葉から意味を切り離し従来の言語機能(伝達性)を奪い、その有用性における尊厳を葬り去った。人々の生活は便利さのみを強調することによって回復、前進し続けているが、芸術や言語はさらなる荒廃、あるいは初源に戻ろうとするかのように地下掘りし、地球の反対側にまで飛び出そうとしているかのようだ。ほかのひとはどうかわからないが私にとってはこれは快感である。価値があろうとなかろうと、私はこの方向性を強く肯定したい。音楽から音符や五線譜を、絵画から形や色の復元を、そして言葉から意味とその伝達性を奪い捨象し崖っぷっちのギリギリまで行かせること、それを肯定したい。それはすでに科学が何度も乗り越えてきた行程である。あらゆる戦争が現代から見れば歴史の必然であるように、芸術や言語の正気と存在をかけたこの自爆の直前にまで至る過程もまた、歴史の必然と信じるからである。

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/////短詩集 「太古という未来」1987年刊 より/////
//////////実作年度 1966 年~ 1971 年////////////

〇 非武装の民崖を這う 意志の操に墜落する涼眼 (「殺人」より)
〇 ジャングルに臭う死闘民族の皮骨 列島の断層は 夏 (〃)
〇 アネクメーネ拡大した逆走者の実験 神の子はひとり (〃)

〇 不死鳥の伝説を飛ぶ北方領土の鳥たち 熱い振動で古書の岬を濾過していく (「あの風の墓地」より)

〇 地獄のマグマが発汗する時刻 腰振るくじらの大群がアリューシャン列島の虹を曲芸していく (「呼吸する塩」より)

〇 知るか? 環太平洋造山帯 駆け巡る湿風ルーレットに痙攣しつづけた巨大な一輪のひまわりを 風よ (「古代から吹く風」より)

〇 歩を加える白きハーモニーに大陸棚上の寺院が再生する 原子炉のある町 (「太古という未来」より)

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/詩集「2N世代」より「負けた国の子」又は「一行ニュース」/
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放置した二つの謎 その後

最近の記事で深く考えずに放置した二つの疑問がある。
1)Tel Quel japon過去記事
 OSS & William Donovan 未完:記事の後半に追記している中西輝政氏の「民族の栄光」としての戦争、に関して、「昭和18年からの2年間を「日本の最良のとき(ファイネスト・アワーズ)」と断言するのはあまりにも嗜好の独善的陶酔に浸りすぎてはいないか」「後に生まれた後続の者が体験しないあの2年間を「日本の最良の時」などと、どうして言えるのだろうか?」
2)Tel Quel Japon過去記事
  World War 2 Manchuria Battle :ここで「どうして、この重要発言が聞き流され、大反響を呼ばないのか、不思議である。」と疑問を呈している。さらに
  Tel Quel japon過去記事
  大東亜共栄圏今昔:「やはり身体には転向者の血栓が張り付いていて、大東亜戦争と表裏一体の大東亜共栄圏構想を、恥じておられてどうしても肯定できずに、ソ連や中国共産党のスパイ大作戦のバックボーン思想にくっ付けて挙句に癌のように右派として祖国から切り取ってごみ箱行きとされた。何でもない問題のように見えて、これは大きな根本的問題である」と追い討ちをかけて問題を提議している。こちらは伊藤隆教授のご発言に関して。
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1)の正論2012年新年号の中西輝政氏の記事に関して共感する真正保守からの声は聞いたが、net上で話題になったことはない。ところが偶然とんでもないタイトルに出会った。
a)侵略国家ロシアの工作員・中西輝政京大教授
元記事はこちらのようだ。
A)「中西輝政」論文の本当の執筆者はロシアKGB(SVR)である:

これは、大東亜戦争1937年から1945年,を最大限に美化して、反米民族派を生み出し強化していくことを狙う、KGB(SVR)と中西氏による思想工作、情報戦である(とあるから、私の方向とはまるで違う。) 『正論』12月号、1月号の前記「中西論文」は、既に公けになっているゾルゲや尾崎秀実や、このグループの一員である西園寺公一らを批判するが、最大の大物・近衛文麿の正体を隠したのである(と書いてあるが、前から言うように中西氏は数年前までは近衛スパイ説を取られていたから、この筆者の推量はお門違いだ。ただ、日本人が地獄を見た昭和18年からの2年間をファイネスト・アワーズなどという発言は、即ち戦争の本質を叙情で解説しようとすることは、入院を必要とするほどの末期的な狂信ぶりだ、と言わざるを得ない。この幼稚さ、正気の欠損がどれだけ日本人の覚醒を妨げてきたか、妨げているか、少なくとも一度は思考を振り当てていただきたい。文芸評論ではないのだ。1)の謎に関してはこれをもってTel Quelの結論としたい。)


2)の伊藤隆教授のご発言に関して。ここで大森勝久氏の文章に話を戻す。もう少し読み進むと、「左の左翼」と「右の左翼」という言葉が登場する。さらに進むと「革新勢力が唱えた「反共」は、祖国と天皇制をめぐっての対立からであり、それ以外では、既にみたごとく、革新勢力自身も(民族)共産主義であったのだ」に出くわす。そして「大東亜戦争を主導したのは、スターリンと密通していた近衛文麿を筆頭とする左の左翼であった」と、これは新しくもない。さらに進む。「日本が「ハル・ノート」を拒絶したのは、日本が左右の左翼によって侵略支配されて、「天皇制」社会主義国という「左翼反日国家」に革命されてしまっていたからだ。自由主義国家・資本主義国家である敵国の米国の要求だから、拒絶しただけである」これは新しい。そして最後の部分ではあっと驚く。「それは、鈴木首相が「構成員会議」で意見の一致をみたとして、「ソ連に貢ぐものとして挙げた領土」を見れば明らかだろう。さらに近衛文麿は「特使」として、「白紙」状態でモスクワへ行って、スターリンと交渉することになっていた。近衛が、種村大佐が『今後の対「ソ」施策に対する意見』で述べていた、南樺太、台湾、琉球、北千島、朝鮮、もちろん満州、内蒙古、支那、仏領インドシナ、蘭領インドシナなど全てをソ連に貢ぐつもりでいたことは明白である」!!!途中がもたついて複雑怪奇だったが、要約すると2)の伊藤隆氏のご発言とぴったりと重なる、ではないか。
さてこの、大森勝久氏であるが、死刑確定囚なのだそうだ。そして伊藤隆氏と同じく現在は転向者、愛国右派である。終戦に関する伊藤氏の説も開戦に関する大森氏の説も、もし万一事実認定あるいは証拠提出があれば、歴史は大きく書き換えられるだろう。しかしその方向では誰も望むまいからその可能性はほとんどない。見直しに十分な証拠自体もないだろう。その上いまや東京裁判が国体を支えている構図さえうすら見えるからなおさらである。結果が同じ東京裁判を2度繰り返しても意味がない。
・・・・・・・
私見を述べると、ハルノートをみて青天の霹靂だと驚いてみせ、開戦やむ無しとしたことに関して私は前からそれをその人物の演技だと考えている。それから一年半以上も終戦の仲介を本気でロシアに委ねていた事実に関して、日毎に疑問が膨れ上がっていたが、彼らの説を取ると、面白いほどにすんなり納得できる。そろそろ前から伏せていると公言している「トンデモ説」を公開してもいい時期かもしれない。また蛇足であるがTel Quel Japon過去記事にも出てくる佐藤尚武駐ソ大使のこともついでに思い出した。個人攻撃をするつもりはないが実に奇妙だ。その奇妙さは伊藤・大森説をふりかけると、手品のようにたちまちに疑問は氷解する。
最後に転向者大森勝久氏の転向記を出しておこう。

国民の一部分が、左翼思想に洗脳されていくのを防止するための思想的、理論的な活動はほとんどされてきていない。保守派自身がそういう思想と理論をちゃんと持ち得ていないのである。左翼思想を明確に否定しえないということは、保守思想自身の未熟さの現われである。


血栓のある転向者にこう言われるのは情けない。次回はその保守思想の未熟さについて、行きがかり上、多少検証してみることにする。
(追記:ほかの記事が割り込みそうなので、次回というわけにはいかなくなった。そのうちに、と訂正しておこう)
・・・・・重要緊急追記:2012年8月22日↓・・・・・
保守としての体をなしていなかった戦後日本の保守論壇by聯合艦隊


・・・・・追記:2012年8月5日・・・・・
対ソ終戦工作に関して、面白いblog pageを見つけた。字が小さく文が長いので、読むのに大変苦労した。しかし実は何度も繰り返して読んだのは、ここで話題にしている対ソ終戦工作に於ける、日本がソ連に申し出た条件の異様さが(伊藤氏大森氏とほぼ同様)繰り返されていたからだ。対ソ終戦交渉は想像を絶する異様さだったことは、間違いないだろう。他にこれ以外の説がないのだから。ただこのKNブログには、伊藤氏のような日本に巣食ったコミンテルンのスパイたちや、大森氏の「日本が左右の左翼によって既に侵略・革命されていた」というような、興味深い説は、どちらも誕生遥か前の状態で、欠損している。繰り返して読んでもう一つ気になったのは、噛み砕いて優しくバランスよく書かれているが、視点が小説家の所謂神の視点であり、天皇やスターリンやルーズベルトの気持ちや考えまで独善的に余すところなく書ききってあり、創作臭、作家臭が強く立ち昇ったことだ。推論大いに結構だが、歴史上の主人公の心や頭の中にまで立ち入ってそれらを勝手に操っては、もはや小説と成り果ててしまい、興味が削がれる。クリックされる方はその点をお忘れなく。

・・・・・追記:2012年8月6日・・・・・
このペイジ、大変入り組んでいてあちこちに飛んでみたりしていますが、後への繋がりを考え、現時点でまとめると、対ソ終戦交渉に関しては、伊藤説大森説などが内容的には一番有力だということに行き着くと思います。日本国側交渉者たちは、ソ連シンパ、天皇制社会主義者たちで満ち満ちていて、「スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想を持っていた。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加えるつもりだった」ということになると思います。何のために、ここまで譲歩するのか。終戦交渉に関して日本が頑なに譲らなかったことは、一つしかありません。

大東亜共栄圏今昔

完全な雑談をお許しいただきたい。2,3年前のお正月、体操の仲間たちと六社参りをしたときのこと。中に書き初めをさせてくれる神社があった。「家内安全」「立身出世」などの作品が見える。何を書いてもいいと言うので私も挑戦することにした。七曜会時代から思いつく理念は一つしかない。筆を執って書き始めた。「大東亜  」。人が周りに集まってきたので気づいたのだが、余白が一文字分足りない。何を書くのかと周りが緊張している。共栄圏が小さく貧相になっては困る。しばらく考えて「興隆」と付け加えた。神主さんが記名せよという。住所と実名を書いた後で、ふと思い出した。学生の頃右翼と見なされ脅迫されたことを。まして地元である。作品は神社で即展示される。剃刀の入った封筒が何通届くだろうか、などとぼんやり考える。「道路の角を曲がるときは気をつけよ」という忠告のような脅しを思い出す。あの暴力に満ちた時代が頭の中に蘇えってきた。今はもうそんな時代ではない。言論に於いては逆転している筈だ。そう思ってそう言い聞かせて次の神社に向かう。
家に帰る最後の角を曲がって直線に入ったころふと気づいた。「大東亜共栄圏」ではなく「大東亜興隆」と書いたことを。「大東亜興隆」は理念としては現在では「東アジア共同体」に直結する。しかも現実に於いては中国主導の共同体であり、その理論実態は中華大アジア主義ではなかったか。時代が変わり主役が入れ替わっているのだ。だとしたら、右翼から左翼と見なされ、日本刀でバッサリ。一瞬頭から血を流して倒れている自分の映像が見えた(想像力が有りすぎるのも困りものだ)ここで笑い出すあなた、あなたは脅迫の恐ろしさの体験がないから、そのようにこんな時に微笑んでいられるのですよ。一人で大多数を相手に、命を懸けた発言を、今まで一度もしてこなかったからですよ。長いものに巻かれ付和雷同し「和をもって貴しとなす」と唱えながら常に安全を確保出来る側についてきたから。「和」は「群」となり道義や論理を吹っ飛ばし問答無用に「弧」の抹殺に向かう、奔流化したベクトルとなるという物理をご存知ないからですよ。ごめんなさい。別に喧嘩を売っているつもりはありません。
実はある文章を読んで、数年前の六社参りの書き初めを思い出したのです。それはTel Quel Japon過去記事に2012年6月28日追記として引用している部分の、すぐ後の文章です。

彼らは戦後に進歩的、革新と言われるようになりますが、戦前は新体制派で「東亜新秩序」を叫んでいました。後にそれが大東亜共栄圏になるわけですが、アジアからアメリカを排除するという核心は現在の東アジア共同体構想にも通じます。非常に危険なことだと思いますね。( 伊藤隆東京大学名誉教授ご発言の続き P.89)

大東亜共栄圏と東アジア共同体を論しておられるわけですが、これでは両者が通じてしまいます。前者にはアメリカの排除がその核心としてはありません。これでは、大東亜共栄圏と言う理念は、軍指導部に潜り込んで日本の赤化を企図したソ連・中国共産党のエージェント、シンパの成果だという、おかしなことになってしまいます。(追記:7月16日:それとも大日本帝国にも現代の民主党同様pinkoたちがうじゃうじゃいたという説明としてここに大東亜共栄圏を付加されたのでしょうか?)東アジア共同体とリンクして現代の視点で考えればそうつながるかもしれませんが、あの戦前・戦時の理念は赤化を目的としたエージェントやシンパの構築しようとした理念とは全く別の流れ(たとえば玄洋社・黒龍会)を汲むものだと考えます。学問的認定として伊藤先生に反論する気は毛頭ありませんが、それでは大東亜共栄圏は否定すべきものとなり、それは同時に日本の戦争を過ちとみる論理に繋がってしまいます。学問的認定としては、それで問題がない、その通りなのかもしれませんが、手品のトリックに嵌ったように話が複雑になりました。伊藤先生の言に従ってわかりやすく言うと、書き初めに「大東亜共栄圏」ともし書いたとして、私を街角でナイフを持って待ち伏せる刺客は(単なる喩えですよ)左翼ではなくて右翼だということになりますね

・・・・・追記:2012年7月16日・・・・・
このwikipediaアジア主義に伊藤先生と同じ意見がでている。大東亜共栄圏が伊藤先生の様な認識に行き着くには、大日本帝国がソ連や中国共産党のエージェントによって、真っ赤に染まっていて「スターリンの仲介でアメリカと講和した後、ソ連と同盟関係を結んで満州や占領中の中国の利権を譲渡し、ソ連の南方進出を援助して、米英と対抗していくという構想が描かれています。その新同盟には中国、しかも国民党ではなく中国共産党も加える構想もありました」というのが大日本帝国の実態であるという驚愕前提が、必要だと思うのですが。そうでもなくて当たり前に、大東亜共栄圏は侵略主義の根本理念のように断定されているのでしょうか?いったいいつから?東京裁判の直後からですか?右派の伊藤先生が大東亜共栄圏は東アジア共同体に繋がる、とすんなりと発言されることが、信じられません。いやその、少なくとも大東亜共栄圏今昔、と区別する必要があるのではないかと?正論7月号のこの対談のテーマは「日本自衛戦争論」、つまりそのためには大東亜共栄圏は赤のエージェントの側の押入れに終い込まなければなければならない、と言うことなのでしょうか?
参照:「正論」7月号でこの辺の確認をお願いします。少なくともTel Quel Japon過去記事のクリックと今回の引用の参照をお願いします。
参照:You Tube 拡大する勢力圏と大東亜共栄の夢 :
(勝っている間だけの理念と言うこと?でしょうか)
参照:興亜論の歴史
参照:Bookreview-1:素晴らしいbookreviewなのだが、おかしな一行がある。

そのアジア主義という理念を理解できない軍部、官僚によって大東亜共栄圏構想とアジア主義は混同され、帝国主義者、国家主義者としてアジア主義者は歴史の彼方に葬り去られてしまった。

混同され?とあるが、同一視されてきたのではなかったか?いつの間に分けられて、いつの間に大東亜共栄圏は、ロシアや中国共産党のスパイの用意した理念だとすり替えられたのだろうか?そしていつから大東亜共栄圏は東アジア共同体と根底でリンクするとみなされるようになったのだろうか?よく考えるとわかってきた。無自覚のまま自虐史観に絡み取られた保守の99.99%の逃げの一手、お決まりの松岡(東條、近衛文麿)極悪人説で、なんとか東京裁判を乗り切ろうというワンパターン思考が未だに論壇の核をなしているのだ。彼らは大東亜共栄圏を松岡にリンクさせている。罪悪のすべてを押し付けて松岡を葬るには、大東亜共栄圏も(日本の侵略主義理念として)帝国政府とは隔離し遠くへ押しやらなければならない。この推論が正しいかどうかは伊藤先生にお聞きすればすぐにわかるだろう。先の戦争と敗戦に関して、誰が一番絞首刑に値しますか?と問えば、99.99%の従来の保守と同様に「三国同盟の松岡」とおっしゃるだろう。
・・・・・追記:2012年7月17日・・・・・
You Tubeで渡辺昇一氏と伊藤隆氏の対談を見た。すると予想通り「マッカッカに染まった数年がある」「宗教と同じで、そこから抜け出るのは簡単なことではなかった」と発言されていた。どうして抜け出ることができたかに関しては「多くの資料、文献にあったって、ようやくおかしいと気づいた」と。染まる、という宗教次元の洗脳は主婦の敦子カロー氏であろうと、東京大学の伊藤隆先生であろうと、そう簡単に解けるものではない。お二人とも溶解困難さを口にしておられる。伊藤先生は、今まで軍閥云々で日本の軍部に戦争責任を押し付けていたものを、帝国中枢の中の、赤いエージェントやシンパに置き換えられた、資料を読んでそういう風に転向された、と思って間違いないだろう。pinkoたちがうじゃうじゃしていたことは間違いないと思う。半分以上が尾崎秀美もどきだった、というご意見なのだろう。VENONA資料公開が進んで、悪の根源が移行したのだ。数年前までごく普通の記事で戦争の悪は「軍閥」だと定説化していた。保守に於いてでもである。ただそういうコンセンサスがあるだけで、軍閥とは誰と誰をさすのか、そもそも軍閥の実態など日本にはない。それと同じで赤のスパイは誰を指すのか、その指摘も具体的にはされていない。東京裁判があった以上悪人を出さなければ、捏造しなければ、あるいは天皇を差し出さなければ、西洋の神が日本を許さない、そういう血栓が保守の日本人にはあるのだろう。靖国分祀や原爆容認や、謝罪外交が真右の時代から延々と続いているのを見てもそれは明らかである。
結論を言おう。WGIPを脱却出来さえすれば、大東亜共栄圏は昔のままの神聖さを伴って理念として復活できるだろうということだ。ただ伊藤先生は名誉だけでなく実質的にも素晴らしい学問的研究をされ実績も積み上げられてきた東京大学名誉教授である。だからもし、伊藤先生が具体的に、そのエージェントたちの名前を証拠と共にあげられたら、そこで一気に歴史は明らかになり、その時は私も真っ赤に染まった「大東亜共栄圏」の理念を足蹴にしどぶ川に捨てる覚悟はある。そこに松岡の、近衛の、東條の名前があろうとなかろうとである。
(やはり同じように左翼体験を通過され後に転向された中西輝政氏が初めてVenona文書に触れられたころ、悪の根源を「軍閥」から「コミンテルンのエージェント」に移行された時期があった。その際pinkoと指摘されたのは、近衛であり、松岡であった。勿論今はそういった保守の足枷からは当然のごとく脱出しておられる。)

・・・・・2012年7月18日・・・・・
上に引用している浦辺 登氏のbookreview,素晴らしいのだけれど、引用部はやはりおかしい。「アジア主義者は帝国主義者、国家主義者として歴史の彼方に葬り去られてしまった」の部分は正しいがそれは「そのアジア主義という理念を理解できない軍部、官僚によって」ではないしまして「大東亜共栄圏構想とアジア主義は混同され」たのでもない。アジア主義は大日本帝国国家理念の「大東亜共栄圏」構想の影の生みの親と目され、大日本帝国国家理念の「大東亜共栄圏」構想処刑の際、徹底したアジア主義狩りが行われた、というのが正しいと思う。
伊藤隆先生のご発言を再度読んで、長年の私の大東亜共栄圏認識が間違っていたのではないかと、ふと自信が揺らいだ。wikipediaで大東亜戦争を調べてみた。ここに私の認識通りの大東亜共栄圏が書いてあったのでほっとした。

「大東亜戦争」の呼称に否定的な立場からは、「大東亜戦争」の使用を主張する側が右派勢力を中心に大東亜戦争の思想背景でもある大東亜共栄圏の理念を揚げ、「戦争は解放戦争だった」「良い面もあった」といった見解を示す者が多いこと、またこのことから「大東亜戦争」の使用が「戦争賛美」「復古的国粋主義を煽る」「中韓を初めとしたアジア諸国への侵略に対する反省が乏しい」ことを表しているとして、使用に反対する意見も根強い。


「右派の伊藤先生が大東亜共栄圏は東アジア共同体に繋がる、とすんなりと発言されることが、信じられません」という先の私の大疑問もおわかりいただけると思う。はっきり言うと伊藤先生は大東亜共栄圏をその辺の帝国主義思想と同一視され、やはり身体には転向者の血栓が張り付いていて、大東亜戦争と表裏一体の大東亜共栄圏構想を、恥じておられてどうしても肯定できずに、ソ連や中国共産党のスパイ大作戦のバックボーン思想にくっ付けて挙句に癌のように右派として祖国から切り取ってごみ箱行きとされた。何でもない問題のように見えて、これは大きな根本的問題である。大東亜共栄圏を両手で高々と胴上げできない以上、右派であろうと極右であろうと右翼テロリストであろうと、自虐史観の拘束から自らを解き放つことはできないということだ。ついでに言っておくと右派同士が呼称にこだわり、やれ大東亜戦争だ、やれ太平洋戦争だとやりあうのは、(大東亜共栄圏を肯定出来ない)臆病者が肝心の議論の次元をずらして、明後日の土俵で睨み合っているようにしか見えない。

Food for Thought (1)

長くなるので前回の記事と切り離した。表面を見て責任を騒ぐのではなく、根底にある勘違いの原因を考えてみた。できるだけ簡潔に書きたい。
どの国にもある戦時報道部の危険な仕事を理解しなければならない。大日本帝国陸海軍の戦争を記録するにあたって、後世それが国家を辱めるような記録はまず絶対に残さない。だから日本の戦争filmが登場するからと言ってそこに「悪行を尽くす軍隊」や「後世の日本人をいたたまれなくする恥ずべき姿」が現れる筈はない。学校の先生(日教組ではない)が推薦した第二次世界大戦のfilmだからと言って、この筆者はみる前から緊張し怯えすぎている。それはこの人の血液の中で自虐史観が血栓のようにどうしようもなく存在しているから、大日本帝国の戦争のすべてを何から何まで心の中で拒否し否定し隠したいという気持ちがあるからだろう。それと、中韓に騒がれ続けてきたので繰り返された「日本国民虐待」への恐怖が強く意識下にへばりついているのだろう。くわえるならば、NHK売国放送局への潜在的敵意だ。NHKが関与した恐るべき「黙示録」、というタイトル、そして役者に演じさせてまで虚構をつくる再現filmだという決めつけ、が何よりそれを説明している。今回の正論の筆者をはじめ、驚くほど多くの日本人がfilmも見ないで、自分の感想も述べないで、即ち一切の検証を省略して強く共鳴し、いきなり拡散したり引用したり自説に利用したりしている。これは敦子さんだけの問題ではなく、多くの保守系日本人、特に年を重ねた後の転向者の実態だと看破すべきだ。
先にも書いたが、旭日旗や軍服騎乗の昭和天皇、皇居の前の土下座、子供に対する武士道精神の奨励、これらが、恐るべき黙示録の「恐るべき」に真っ先に含まれている、この原因は何なんだろう。結局は第二次世界大戦を戦った大日本帝国を誇りを持って振り返ることが全くできていないのだ。「悪魔の軍閥」「悪の軍国主義」「侵略国家日本」が心の中で苔むして、国内外からのそれに対する非難には、ようやく反発は出来るようになったが、本心はそんなものを目の前に突き付けられたくはない、見たくない怯えで一杯なのだ。
もう一度これを見ていただきたい。「この番組は、在仏邦人の名誉と尊厳を緩慢に殺傷する力すら持っている」と書かれている。文章の中で、優しく言葉をかけてくるフランス人は登場するが、放送の後にらまれたとか、因縁をつけられたとかの実被害は、一切発生していない。妄想による不安だけだ。したがってこの一行は完全に文章から浮き上がってしまっている。はっきり言うとこの一行こそが捏造なのだ。このあたりは映画を見なくても、フランス語がわからなくても、少し冷静に文章を読めば誰にでもわかる筈だ。私が編集者なら、ここで「ちょっと待てよ」となって、6時間番組の企画・構成・担当者・内容などに当然チェックを入れる。編集者の資質云々をするつもりはない。編集者も、日教組教育の深い刷り込みの亡霊に取りつかれた犠牲者だと了解しよう。保守を任ずる人々の大部分が亡霊の恐怖から解放されてはいない。これでは第二次世界大戦を戦った日本人精神には、理解はおろか、近づくことさえできない。偽りのない実写filmを見て「卑劣な日本人の残虐非道な映像」と感じることしかできないのが自称保守の実態である。「倒れた捕虜を日本兵が刀で脅す描写があった。日本兵の形相は安直な映画に出てくる未開の人食い人種さながらであった」というのはこの筆者の恐るべくしぶとい反日私感に基づく印象に過ぎない。刀を抜き大砲を撃ち、領土を拡大し「バンザイ」を三唱する映像を見てその場面にその兵隊たちに感謝と感激を感じることのできない日本人を、愛国者とは呼べない。彼らは戦争をしているのだ。兵隊でありサービス業従事者ではない。この文章の根本的奇怪さに、全く気付かず、拡散に飛びついた多くのブロガー達には、再考を求めたい。
ナレーションに関して、自己判断をできるようになってから聞くようにと私は書いているが、まずいなと思ったのは、南京虐殺とアジア侵略の部分だ。不快を感じたが、これとてこのfilmで初めてinputされた解釈ではない。もういやほど聞かされている。日本の教科書にも書いてあるし、日本政府はそれに関して謝罪までしている。日本自身の昔からの捏造である。filmのナレーションに苦情を入れても「日本の歴史を知らない日本人」扱いされるのが落ちだ。自虐史観は字のごとく自らを虐げる歴史観である。外部に抗議し説得できるものではない。全体的に言えばこの放送は映像編集と言い、ナレーションといい、日本の学校教育が日本の近現代史になすりつけたヘドロをかなりすっきりそぎ落としてくれている。それは番組を見ればわかる。だからこそ学校の先生が「いい番組だ」と推薦してくれたのだ。フランスに於いては日本国はアメリカ国ほど嫌われてはいない。「連合国側に住んでいながら、人種的に卑屈になることなく暮らしてゆけるのは、昔の日本の兵隊さんが真面目に任務を遂行してくれたおかげなのだ。

保守とはなにか (3) 未完

German victory parade in Paris (Jun 1940)
フランス敗れたり 12時間の再現放送:
Berlin Paris Vichy 1940 フランスの敗北:
・・・The Japanese Surrender Proceedings ・・・

Liberation of Paris 1944
LIBERATION OF PARIS 1944 :You Tube

Jacques Helian : Fleur de Paris:
Fleur de Paris , 1944 歌: You Tube
Fleur de Paris" 1944 解説:


ここから、何がどうしたら「保守とはなにか?」に繋がるかは、お楽しみに。

(続)保守とはなにか? 保守本流の正体

「正論」6月号の中西輝政氏の文章を引用させていただく。

日本を空想的平和主義に縛り付けている何よりの元凶である東京裁判史観とそれに沿った従来の「昭和史」は、根底から再検証すべきであると悟ったのである...
左翼、たとえば社会党党首だった土井たか子のような声高な護憲論は正面からは唱えず、しかし内面的には強固な護憲の信念と使命感を確固として持つ保守政治家が、実は左の護憲派を内側から支え、護憲勢力全体の中核にいるという大きな構図に気づいた...


悟った、気付いたと書かれている。そこから新しいどういう主張に繋がっていくか。

彼ら曰く「健全なナショナリズムはいいが、偏狭なナショナリズムは問題だ」「強制はいけない (注1)」・・・。北岡氏のような戦後的現実主義者、いわゆる「保守本流派」も、何かにつけて「偏狭なナショナリズム」「復古調」といった言葉を否定的なレッテルとしてしばしば用いる...
実は自民党の「保守本流」の政治家たちと共に、戦後の日本で憲法改正を阻んできたのは、彼ら「霞が関官僚」なのである。左翼や知識人といった一般的に言われる護憲勢力とはレベルの違う大きな改憲阻止勢力がここに控えていたのである...
彼らに支配的な憲法観は、実質的な「日本国憲法改正不能論」である”八月十五日革命”説を唱えた宮沢俊義・東大法学部教授に遡る学閥・学会支配構造に起因していることも指摘しておきたい...
そこで、アメリカが重視したのは残る「中間派」勢力、いわゆる進歩的な親英米派、リベラル派であった。吉田茂や幣原喜重郎らである...
このGHQの占領永続化政策の影響を受けた中間派こそ、かつて「保守本流」と呼ばれた自民党リベラル派のルーツだったのである...


これは「日本に保守は存在しない」というTel Quel Japonの過去記事にもろに繋がっていく。「保守とは何か」の正体を西尾氏も中西氏も徹底的に見直さなければ、おかしなことになっていると、同時に声を上げられたことを意味する。
過去記事に私はこう書いている。

いつの間にか「保守」は単なる安全地帯確保のための言葉になっていたのだろう。そして連帯感獲得の実態のないキーワードになっていた。左翼ではない、体制派である、という連帯感だ。


気になるのは、「保守だから正しい」とまるで正義を獲得したかのように、議論を抑え込む排他的特徴を持つことだ。つまり保守と言う言葉は「錦の御旗」と化していて、「じゃないですか」同様、真剣な検証の端折りに利用されているのが現状である。

自民党リベラル派や「戦後的現実主義者」の抵抗を乗り越えて、憲法改正を実現し真の独立国家となる道を歩まなければならない、中西氏の結論部はこのようになっている。文章の結論としてこう書く以外にないのはわかるが、この抵抗をどう乗り越えていくか、の方法論の考察が必要であり、さらにその前に[自民党リベラル派や「戦後的現実主義者」の抵抗]は何故に存在するのか、何故に誕生したのか、何故に頑強なのか、徹底的にゼロから解明する必要がある。「長い間日本の憲法改正を阻んできた真の勢力の尾っぽ」を掴むだけでなく、解剖解体しなければ、抵抗を乗り越えることは不可能だからだ。しかも現状では、その抵抗には「日本国憲法改正不能」の仕組みが組み込まれているように私には思える。(つづく)

・・・・・・・・・・
注1)「彼ら」の側にも自分たちが正しい保守だという認識があるのだろう。「強制はいけない」という表現、意外な保守がよく発言するのを聞く。つまりは、錦の御旗、我にありの心境ゆえにか。この発言、以下の出来事の影響もあるのだろうか。
参照:News鳥越過去の出来事

即ち、御発言を大々的に報道することで、保守系が多い国旗・国歌推進論者に「天皇陛下ですら国旗・国歌の強制を批判しておられる」と示し、推進論者の切り崩しを狙ったのではないか。


・・・・・以上は2012年5月7日・・・・・
・・・・・以下は2012年5月8日・・・・・
中西氏の「憲法改正の敵」に関して、親英米派、リベラル派ではなく吉田茂や幣原喜重郎等、名前が具体的に出てきたので、Tel Quel Japonの過去記事を思い出した。それぞれリンクを一つに絞った。
Tel Quel Japon過去記事このリンクは非常に面白い

幣原は「この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えたわけである。……その考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心した」と述べ、憲法の内容が自らの考えであったとしている。
憲法9 条の起源については諸説ある。しかし幣原の発言からも分かる通り、たとえある程度アメリカ側からの圧力の下に行われたものであるとしても、平和憲法の成立に一定以上日本側からのコンセントがあったことは間違いない。


Tel Quel Japon過去記事このリンクも非常に面白い。
こちらは引用と言うより全文の熟読をお勧めしたい。このリンクについては新たなペイジを設けてさらなる検証・追記を重ねていく必要があるかもしれない。知られざる降伏交渉の必要を最初に着想するのは1945年1月ではなく、実は1944年1月である。ドイツの降伏云々が前提条件ではあるが、すでにロシアを仲介として構想している。最近再度入手した木戸幸一日記下巻1月6日に記されていた。なぜ今ここにそれを書くかと言えば、連載している早期休戦交渉一味は、即ち平和主義者であり、GHQに積極的にコラボするものであり、東京裁判肯定派であり、原爆容認派であり、当然平和憲法護憲派である。つまりそれぞれの和集合がほぼ重なるのである。全部が全部すっきりと同じ方向と言うわけではないが、力を合わせて舟を漕ぐ者たちの顔は、どの場所に於いてもどの時間に於いても、さほど変わることはなく、川の流れのベクトル同様ほぼ一定である。手漕ぎボートを漕ぐ速度でゆっくりとそれを実証していくつもりでいる。中西氏にとっては、直近の引用だけでも厄介な壁に見えるだろう。何故なら引用部分には保守本流ではなく「日本側からのコンセント」と書かれている、似ているようで似ていない。

・・・・・追記:2012年5月9日・・・・・
1)視力負担を考えて一度は手放した木戸日記を再度検証したのはTel Quel Japon(テル・ケル・ジャポン)の過去記事に寄せられたコメントを見てからだ。

「笹川君!こんな嘘吐き野郎はいないよ。我々軍人が悪く言われる事は、別に腹は立たんが、『戦時中、国民の戦意を破砕する事に努力してきました』とは、なんという事をいう奴だ。この大馬鹿野郎が」
と吐き捨て、・・・、木戸幸一もこの時ばかりは、顔を真っ赤にして俯きながら手持ちの新聞紙で顔を覆い隠したという。


さんざん言われている木戸の戦争責任説及び自己保身説であるが、内大臣ともあろうものがこれほどあからさまな譫言をこの法廷で言うには、単なる「嘘吐き野郎」とみるよりはそれなりの大きな背景と口車あわせの筋書きに沿っている、と見た方が妥当だろう。顔を赤らめるということは、白々しいとんでもない捏造であることを、百も承知の上で、おそらく職務として自分を卑しめての立場上の発言である。全存在を賭けた職務の全うという大義に支えられていなければ、これほど全国民を侮辱するような発言は不可能だ。「新聞で顔を隠す」のではなく、恥を知る日本人ならば即切腹の場面である。ただ本人の立場を考えると「なりふり構わぬ行き過ぎた自己犠牲程度の失言」と認識したのだろう。この私見とは直接の関係はないが、木戸に関して面白い論文を見つけたので、参照としてリンクを貼ることにした。
参照:木戸幸一の認知構造の把握
(つづく)
・・・・・以上2012年5月9日・・・・・
・・・・日付変更2012年5月31日・・・・

日本に保守は存在しない

西尾幹二のインターネット日録,2012/3/27 火曜日「日本に保守は存在しない」を読んで、その内容に唸ってしまった。その昔保守には悪いイメージがあって「自分は保守です」という人などいなかった。今では「自分たちを真正保守と思い込んで、そのように名づけて振る舞っている一群の人々がいる」そう言えばいつ頃から何のために「真正保守」という言葉が登場したのだろう。「保守」の輪郭が希薄になりすぎて、何が保守か、そもそも理解不能になったあたりからだろう。そして「保守などという積極概念は、もともとわが国にはなかった」ことに確かに思い至る。昔は「保守」と言われるくらいなら「右翼」と言われ着ているものを引き裂かれる(そういうヒステリックな時代があった)方がまだよかった、記憶はある。いつの間にか「保守」は単なる安全地帯確保のための言葉になっていたのだろう。そして連帯感獲得の実態のないキーワードになっていた。左翼ではない、体制派である、という連帯感だ。体制派とは親米反共で、つまりはありがたいアメリカ様に原爆の抗議はしません、東京裁判もこちらの望みどおりの結果にしてくださり有難うございました、一等国になろうなどとは2度と考えずに国民一同身を犠牲にしても世界に貢献する国家になるようアメリカさまに国家再建をしていただいたことを感謝し、またお金をつぎ込んでご指導までいただいた日本政府を、貴ご意思に従い復興させ守り育て、少しでも恩返しのできる国にいたします、というのは西尾先生のおっしゃる政治的「疑似保守」だろう。いつの間にか「保守」は歴史認識に横滑りして、左翼に対抗するための連帯感醸成語になった。連帯感醸成語であるがゆえに、考え方に於いて非常に排他的でもある。考え方や読む本、称賛すべき論壇人、全部共通でなければ、その保守から排除される。実体のない語なのに、排除作用だけはある。最近いろんな問題で共通項が揺らいできた、そこでさらに少数の連帯感をまた排他性を強めるために「真性保守」という語が登場したのだろう。実態はバラバラである。言葉自体に輪郭がないのだからバラバラで当然である。
西尾先生は「格差社会はますます激しくなり、反体制政治運動が愛国の名においてはじまるだろう。」と書かれている。鋭い指摘だと思う。保守が何の定義もなく緩慢に使われているのは、すでにその傾向があるからだろう。またこうも書かれている。「遅れた国や地域から先進国が安い資源を買い上げて、付加価値をつけて高く売るということで成り立ってきた五百年来の資本主義の支配構造が、いまや危機に瀕しているのである。」右か左か、保守か革新か、立場的判断が混沌としてきたように見えるのは、ひとえに資本主義の行き詰まりが見えてきたからなおさらなのである。今の世界的金融危機がすなわち資本主義の末路を予感させる。それは自然の流れの結果なのか、最近俄然真実味を帯びてきた金融支配者の超国家的陰謀なのかはわからない。(つづく)

・・・・・以上は2012年4月3日・・・・・
・・・・日付変更2012年5月31日・・・・

説明責任 重要 コメントに関して

この記事のコメント欄に関して、説明させていただきたいと思います。
「素晴らしい」と言って入ってこられた「たつや」氏を、まるでアラシを追い出すようなやり方で、テルケル城の大手門脇でさらし者にした、ように受け止められる方がひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。たつや氏も不快でしょうし、私の本意でもありません。「わかりませんか?」と言っても、わからないものは、わからない。つまりは私の説明不足、手抜き、ブチ切れ過ぎ、をまずは心よりお詫びいたします。

たつや氏から、あなたと同じような意見を言っているアメリカ在住の方がいる、と知恵袋のこのアドレスを教えていただきました。クリックしてご覧ください。私の意見とほとんど同じですが、一か所異なっています。「核兵器禁止運動の掛け声は冷水を浴びて事実消え去りました」私はこんなことは一言も言っていません。大方の方がこういう発想をされているのだと思いますが、根本的に間違っています。「核兵器禁止の掛け声」を何故、邪悪な空爆や2発の原爆非難にリンクさせなければいけないのですか?日本人は日本政府は左右を問わず、季節を問わず、年月を問わず、徹底的に空爆や原爆に対して、怒りの声を発しなければいけないのです。どうしても「核兵器禁止」にリンクさせたいのなら、日本人の怒りの声にアメリカが耐えかねてアメリカ人に「二度と過ちを犯しませぬ」と言わせて「核兵器廃絶運動」でもやらせるくらいでないと筋がとおりません。アメリカ人をその気にさせるためには、日本人は左右を問わずことあるごとに、直接被害を受けられたかたがたの分もわが身に引き受けて、怒りの声を発する義務があるのです。原爆非難の声がなかなか右側から聞こえてこないのは、この二つの主語や行為を取り違えているからです。あの石碑に知らずに暗示にかかっているのです。日本人が惨たらしいめにあったのは、日本が間違った侵略戦争をしたからだ、ごめんなさい、二度と過ちは犯しませぬ。これが左側の暗示だとしたら、右側は、(過去実際にあった被害事実にもかかわらず)原爆投下への抗議を続けたら、立場として念願の核武装が今後できない。抑止力としての核、の立場をとりながら頭の中では、現実にもなっていないのに投下加害者と自己認識するから、頭が混乱して過去の事実としての原爆投下への激しい抗議ができないのです。もっとわかりやすく申しましょう。広島の石碑に「必ず仇をとります」と当たり前のことが刻んであったらどうでしょう。原爆抗議も激しくできますし、(抑止力の意味が深く広く理解された上で政治上の駆け引きとしての)核武装もできるのです。単なる仮定的説明ですが、少なくとも右側がつまらない暗示にかかることはないでしょう。日本人にとっては、むざむざとやられ、そのまま邪悪をへらへらと黙認・容認していることこそ、取り返しのつかない国家的致命的過ちなのです
・・・・・
ついでながら福島の原発事故に関して、脱原発の立場に立った識者に対して、保守側からやはり非難が集中しました。今までは核武装派ではなかったのかと。それぞれ考え検証した上でのご意見に違いない。意見が多勢と異なるからと言って個人攻撃に終始する非難はいただけない。根っこにあるのは、上記と同じ、核武装と、原発の混同です。反論は当然かまいませんが、耳を傾けて内容を理解した上での論理的討論であってほしい。原発が稼働しているからと言って、それが即、核武装に有利につながるわけでもない。それに脱原発の右側の方のご意見には傾聴に値する内容が詰まっています(注・下記)。また原発事故によるあからさまな被害が今ないからと言って、先のことは未知です。しかし原発事故を利用しての反核・即刻降伏・植民地化歓迎運動(反核即平和だと思っているとこうなる)はどさくさに紛れた子供の勘違いにすぎません。いずれにせよ反核と反原発とは別の話ですし、広島・長崎への原爆投下に対して激しく抗議することは、それらとはまた完全に次元が違うということを、これでご理解いただけたら幸せです。
たつや氏はご自分でも素晴らしいBlogをお書きで、真正保守の代表のようなお方です。たつや様のみならず「タチャンの散歩」の愛読者の皆様並びに考えを同じくされている非常に多くの方々に対して、この文章をもって私の説明責任に代えさせていただきます。結果としてそのようになってしまいましたが、たつや様個人にむけて書いているつもりはありません。口に両手を当てて、左右の区別なく、より多くの方々に聞こえるように、強風の中、岩山の天辺で「咆哮」している心境です。(つづく)

・・・・・以上は2012年2月22日・・・・・
・・・・・追記:2012年2月24日・・・・・
参照:Why Hiroshima Was Destroyed The Detailed History Of An Infamous Era By Eustace C. Mullins
同じものが二つあるので、二つともリンクしてみます。
No.1 & No.2:
・・・A Tribute :Eustace C. Mullins・・・
参照:マリンズ「広島はなぜ破壊されたのか」
akazukinのブログ:日本語
12の記事を逆に読んでいくことになりますが。右下の次へをクリック。

・・・・・追記:(注)2012年3月3日・・・・・
原発事故の健康被害、基準値云々に関しては、真に実力のある科学者の真実の声に委ねたいと思っています。ただ原発に関しては福島事故の以前から原発の川上から川下に至るまでの仕組みにどうも連合国によって組み込まれた日本搾取のペテンの匂いを感じています。感覚でしかないので議論には至りませんが。ちょうど地球温暖化のペテンで、CO2排出をいつの間にか債権化した国連金融詐欺との類似性を見てしまうのです。今回の事故対応・管理能力をみても、日本が原発を商売化できる国ではないことは明白です。それと費用効果という観点もふまえて徹底的に議論すれば「鴨的立場」が明らかになるのではないでしょうか。これは主張というより「呟き」と受け止めてもらって結構です。
(2012年3月4日ー少し追記しますと、まだまだ検証中で小さな呟きでしかありえませんが、数十年後(早ければ十数年後)、日本だけがババを掴み身動きが取れなくなっている可能性が想定されます。)

テーマ:憂国 - ジャンル:政治・経済

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