TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Rudolf Hess: Churchill悪玉論(1)

まず紹介から始めた方がいいかもしれない。非常に奇奇怪怪の話なのだ。諸説が入り乱れている。
参照1:Rudolf Hess - Casualty Of Conscience
参照2:Rudolf Hess 24分12秒 スペイン語
参照3:Rudolf Hess : ドイツ語(8分の1) :No.2
参照4:Rudolf Hess Flight
参照5:Nuremberg に於けるHessの資料のあるペイジ
参照6:こういうややこしい資料もある。(Hessの飛来・拘束を最大限に有効利用しようと言うRooseveltからChurchillへの電報!) & その元サイト
参照71991年6月8日のThe New York Timesの記事。一番新しい資料に基づく。ここまで整理されると非常にわかりやすい。イギリスによるHessに関する完全な資料の公開は2017年まで待たねばならない。イギリスもソ連も公開したくない情報がまだまだあるらしい。
参照8:参照7に登場する、こちらもまた優秀なソ連のスパイKim Philby。Kim Philbyに関する資料を昨日偶然に発見したのでここに追加しておく。Sorge同様こちらも切手になっている。
参照9:Rudolf Hess Tribute:YouTube
参照10:Rudolf Hess In Memoriam :You Tube
参照11:Rudolf Hess:You Tube
参照12:息子Wolf Rudiger Hessによる詳しい資料父の無念を訴える息子
参照13:The mystery of Hess
参照14:The Legacy of Rudolf Hess
参照15:Tel Quel Japon 過去記事:
参照16:ルドルフ・ヘス 日本語解説:
替え玉説は今では否定されている。暗殺説はほぼ間違いないと判断していいだろう。46年も刑務所に拘束され続けた93歳の老人を、今更暗殺する必要は無かろうと思われるかもしれないが世界情勢も変り、実はやっと出獄が決定されていたのだ。
1941年5月10日、Messerschmitt Bf110(写真は同型機)の操縦桿を握り単独で英国との和平交渉に飛び立ったRudolf Hessが、どんな約束に基づいて何を夢見ていたかを語れば、不都合を生じる国々があったと言うことだ。私はRudolf Hessの勇気とPilotとしての技量に敬意を表したい。Rudolf Hessに罠を仕掛け、国内の反戦論者をあぶり出し追い詰めた作戦の背後にChurchillの姿が見える。Rooseveltの、Stalinの姿が見える(参照6、参照7、参照8)。一切の武器を持たず和平の書を携えただけの使者を、直ちに拘束し犯罪者として46年間も自由を奪いつづけ、挙句に暗殺してしまう連合国側の(もしあればその)良心に質問の矢を放ちたい。2017年になれば、すべてが明らかになる筈だ。故に今はこれ以上の感情的発言は慎み控えなければなるまい。

2009年12月10日:追記
資料になりそうなものをとりあえずリンクしておきます。
Rudolf Hess 1:Rudolf Hess 2:Rudolf Hess 3:
Rudolf Hess 4:Rudolf Hess 5:Rudolf Hess6:

以上の記事の入稿は2009年3月19日
以下の文の追記は2011年7月23日
昨日の夕刊でみたが、こんなことをしているようでは、ドイツ人もいつまでたっても、先入観というカビの生えたワンパターン思考しかできないだろうと、うんざりした記事
Rudolf Hessはドイツがまだ牙をむいていない時代に、和平の書を携えて単身自ら飛行機を操縦して、英国と話し合おうとした、勇気ある平和の使者なのだ。ニュースにはルドルフ・ヘスの実態はなく、ヒットラーの腹心としか書かれていない。ルドルフ・ヘスは二人いるので、しっかり書かないと、何者なのかすらもわからない。ルドルフ・ヘスの常識を逸脱した長期間の拘留の解明をすることは、ドイツにとっては名誉回復の一つの切り札になるかもしれないのに。墓を撤去とは、名誉回復をしなければならない人の墓を撤去するとは。なんたること!
参照:Meta Cafe: News

追記:2011年7月30日
Did Hitler Give the Ok for Hess' Mission to England?

追記:2012年7月5日
このペイジ長くなってしまったが、追記することにした。
Rudolf Hess: His Last Words
Hessは頭がおかしくなっていたとか、替え玉だとか言われるが、これを聞けば、信念の強さに感動する。これは間違いなくHessだ。

KarlHaushofer_RudolfHess.jpg
Karl Haushoferを調べていて、このHessの行動の裏の概要が鮮明になってきた。Ken Ishiguroの「日の名残り」ではないが、対独に関して柔軟な姿勢を持つ英独協調派の人物が何人もいて、チャーチルを通さなければ、戦争を回避できる勢力が英国に存在したことがわかる。Hessの単独飛行にはHaushofer及びその息子が関与していて、かなりな人脈が動いて、決してそれがHessの狂気を伴う単独行動ではなかったことがわかる。Hessの行動がここまで解明されていることを知らなかった。Karl Haushofer : Rudolf Hess 
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テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

フランスの歴史教科書 その後

       
Tel Quel Japon 過去記事-1
Tel Quel Japon 過去記事-2
Tel Quel Japon 過去記事-3
調査の結果上のイラストはイタリア人GINO BOCCASILE作のイタリアのPropaganda Posterで、絵葉書として残っている、というところまで突き止めた。ただ証拠となる絵葉書(アメリカの兵士が母国に出したもの)のタイミングが問題で、作者もそしてイタリアのプロパガンダ・ポスターだということも、私はまだ納得していない。シチリア戦を詳しく調べようと思っている。今日は教科書に掲載された歌詞に関して、新しい事実がわかったので、その経緯をとりあえず中間報告しておきたい。
・・・・・・・・・・・・・・
Bruxelles
地の果て、星が輝き 木の下でライオンが吼える、遠い砂漠に、
我々の血で染め上げた日の丸を打ち立てよう。
ヒマラヤの麓に流れるガンジス川のワニをつかみ出そう。
ロンドンの空高く、鯉のぼりをたなびかせよう。
明日モスクワと雪に覆われたシベリヤは、我々のものになるだろう。
孫たちは私たちのために、ギャングたちを追い払ったシカゴに記念碑を建てるだろう。
私たちが死に赴く日が来たとき、死への不安と戦おう。
学校および軍隊で歌われた歌詞(1942年)として、上の歌詞が現在のフランスの教科書にもでているらしいのですが、どんなメロディーがついていたのか、もしわかれば教えていただきたいのですが。そもそも日本人はこんな歌を学校や軍隊でうたっていたのでしょうか?
メイルで教えを乞うた先は西洋軍歌蒐集館の辻田真佐憲氏。
辻田 真佐憲氏から
はじめまして。辻田と申します。ご質問の件ですが、「八紘一宇」という戯れ歌のことかと思われます。以下に歌詞があります
歌詞をご覧いただければお分かりのとおり、これは陸軍の学生が戯れに作ったものです。一部では歌われていたのかも知れませんが、一般の軍歌や国民歌のように、全国の学校や部隊で歌われたという性質のものではありません。こういう特殊な歌ですので、その歌詞から日本の国策や国民意識を読み取るのは無理があるかと思われます。フランスの教科書も、随分と面白い素材を持ってきたものですね。なお、リンク先の画像にある、武士が軍艦を斬ろうとしている画像ですが、これは日本製ではなく、当時の盟邦イタリアで製作されたものです。以上、参考になれば幸いです。

タイトルがわかったので、音源がないか調べてみた。紅羅坊名丸というBlogを発見。歌詞に関する情報はあったが、残念ながら音はでなかった。参照:なんだこりゃブログ: 参照:八紘一宇の塔
数え歌風の非常に短い歌で、歌詞の入れ替え自在、陸軍の学生の遊び、ただしコンセプトは八紘一宇。フランスの教科書にあるように広く学校などで歌われたものではない、ことはわかった。但しこの歌のタイトルは厄介だ。歌われたというのは虚偽の記述でも、コンセプトの八紘一宇は、特にあの絵とセットで捲し立てられれば、なかなか打ち消し難い。
Bruxelles
お返事有難うございます。お礼が遅れてすみません。イタリア製だというあの挿絵ですがいろいろ調べた結果GINO BOCCASILE の作品だとされているということをアメリカのプロパガンダ研究家から教えてもらいましたが、どうも納得できません。証拠としては、米兵がイタリアから出した絵葉書があるのみのようですが、なにしろインパクトが強いのでさかんに使われているようです。陸軍の学生の戯れ歌の件ですがこれは、この中に、一番から5番ぐらいまでがはいっているのかこれだけで、一番なのか、どうなんでしょう。私が思うに、数え歌風に、大体2行くらいで歌は終わるのではないかと、だからいくらでも重ねていくことができる。本来は、短歌のようなもので(勝手に書き換えて)それに各人が同じ節をつけて歌ったのではないかと。これでも、全く田中上奏文を肯定するもので日本の侵略国家論の証拠にも使われていてフランスの教科書に使われて本当に厄介なことになっています。武士が軍艦を切ろうとしている絵ですが辻田さまは、これは日本に対する悪意と思われませんか?何故、同盟国がこんなポスターを描いたのかそして記録としてそれが日本製などと歴史教科書で扱われているのか、納得できません。歌に関しては、節まではわかりませんよね。曲の長さは、わかるでしょうか?どなたか、歌える人物が今の日本にいらっしゃるでしょうか?歌詞の内容は似ているけれど違う。ということは、似ている歌詞がたくさんあるのでしょうか?なんだか馴れ馴れしく長いメイルになってしまいました。歌詞の出所を教えていただけて随分進展しました。これからもよろしくお願いいたします。
辻田 真佐憲氏から
返信が参考になったようで良かったです。戯れ歌「八紘一宇」ですが、これは同じ節回しで延々と歌う形式のものです。以下のCDに戦後録音ながら収録があります。なにしろ戯れ歌なので、歌詞のバージョンは他にもあったものと思われますが、詳細は不明です。「田中上奏文」も日本語で読めば、形式として在り得ないということがわかりますが、翻訳されてしまうとそのニュアンスが消滅して内容だけが独り歩きしてしまいます。同様に、「八紘一宇」も日本語で読めばただの戯れ歌に過ぎないとわかるのですが、翻訳だと世界征服の歌と取られてしまうのでしょう。この誤解を解くためには、解説文などで補完する他ありません。ジャック・ドリオやブラジヤックがヴィシー時代のフランス人を代表していないように、「田中上奏文」や「八紘一宇」が当時の日本人の感性を代表しているわけではない、ということは、説明すればある程度の人には理解されるものと思います。武士の挿絵ですが、米国によるプロパガンダポスターにはもっと醜悪に日本を描いたものもありますので、このようなものだと思います。西欧人にしては、甲冑も比較的まともに書かれておりますし。
Bruxelles
今すぐ結論が出せない、というところで、とりあえず、メイルのやり取りをほぼそのまま抜粋して、新しい情報として追記しようと思います。辻田さまの了解を得られれば、実行したいと思っています。ご了解いただけますか?専門の本にイタリア人の絵だと出ているのですがフランスの教科書には下に「Houhoubu 報道部」のサインがあると言うことなので本当のことを言ってポスターに関しては日本製かイタリア製かアメリカ製かわからず、その意図も日本側のプロパガンダと認めることが出来ていません。刀で軍艦を切ろうとする絵柄は頭に脳みそのある国民とは描かれていません。嘲笑が読み取れます。それはそうと、あのポスターがイタリア人の作だとどこでわかったのですか?わたしは、ここへたどり着くまで随分時間がかかりました。証拠の絵葉書はシチリア戦に参加した米兵が母国におくったものでした。その時、イタリアが、まだ戦っていたのか、降伏し、絵葉書もアメリカ製のものだったのか、その辺が、今呻吟しているところです。
辻田 真佐憲氏から
私のメールは自由に使っていただいて構いません。また、イタリアの挿絵ですが、柘植久慶『ヒトラー時代のデザイン』という本にその旨の記載があります。柘植氏がミラノで見つけた絵葉書の現物が掲載されています。同書には、他にも三国同盟を題材にしたイタリアの絵葉書が載っております。
Bruxelles
記事を書いたら連絡さしあげます。ちょっと遅れますが。この柘植久慶氏を知らなかったので検索すると、かなり評判の悪い方ですね。落合信彦と言う人も、「ほんまかいな」ということを書いていましたが、以前には無いスタイルでした。柘植久慶氏はさすがに迫力あるお顔ですね。
Bruxelles
来週の末くらいにそろそろ書こうと思っています。その際本名でもかまいませんか?あれに関しては、まだ新しい情報はありませんが、八紘一宇と言うタイトルであったこと、これは考えてみると、考える人によっては大きな問題を含んでいると思い、先に進めません。ズバリ言うと八紘一宇というのは考えようによれば、田中上奏文よりもずっと露骨な、侵略概念そのものだととられる可能性があり、その場合あの教科書に反撃出来ません。八紘一宇というのは、あれですね、竹内文書を思い出しました。慎重に行きたいと思っています。
辻田 真佐憲氏から
私の名前は本名で大丈夫です。ご存知のとおり、「八紘一宇」は神武紀から直接取られたものではなく、大正に田中智学が造語したものなので、どうしても近代日本の歩みと関わらざるを得ない概念ですね。ご指摘の「竹内文書」と同時代の言葉でもあります。宜しくお願い致します。
・・・・・・・・・・・・

参照:八紘一宇:Wikipedia & 八紘一宇 切手
参照:田中上奏文:藤井一行 :
参照:田中上奏文:Tel Quel Japon 過去記事
参照:竹内文書:不思議の古代史
参照:竹内文書 詩集「2N世代」:

追記:2012年6月3日
   
    hakkouitiu.jpg

こんな歌を日本人が歌ったということ、そしてこの歌詞そのものも、悪意ある捏造だと思っていたので、陸軍の戯れ歌だと知ったときは、かなりなボディー・ブローだった。八紘一宇は表面からは消えたが、今もかなりの数の日本人がそれを基本理念として日々暮らしている。その層は多種多様でしかも厚く、全く検証されることも無いくらいに、深く根を張っているのも事実である。従ってそれがこの歌のタイトルであると知った時は、かつて青木勝利がエデル・ジョフレにくらったレバー一発のように、私にとっては膝を折る必殺パンチだった。もはや安易にこの歌を否定できない。呻きながらカウントエイトを聞いているような気分だ。フランスの出版社に抗議を続けるには、仮にこの歌詞を国歌にしても他国に四の五の言わせないだけの強面の論理を構築できるに充分な神経が必要だ。田中上奏文を諸外国を相手に打ち消せたのは、松岡洋右だけであった。松岡洋右でなく、また松岡洋右のpositionも取れない私は、「八紘一宇」のタイトルを前に、惨めにタオルの投入を待つばかりだ。

・・・・・2012年6月8日・・・・・
役に立つとも思えないが、いつかついでの時にでも出典図書に当たってみることに決めた。
所蔵場所のリスト1所蔵場所リスト2Jean Lequillerの著作

・・・・・2012年6月14日・・・・・
出演者|著者・辻田真佐憲さん、編集者・濱崎誉史朗さん
日 時|2012年6月8日(金)19:00~
場 所|紀伊國屋書店新宿南店3階 ふらっとすぽっと
世界軍歌全集【super wakuwaku live talk】You Tube

知られざる降伏条件 関連(5) 未完

昭和天皇・マッカーサー元帥第一回会見:
カマヤンの燻る日記 & ぼやきくっくり :
右側のものは「昭和天皇が海外記者と会見 宮内庁で文書控え見つかる(朝日新聞)」というタイトルで、色んなことに触れているが、焦点がぼやけないようにタイトルに関連する部分だけ(簡単にしか触れていないが)でも目を通されてはいかがでしょうか。ニューヨーク・タイムズの記事を持っているので、必要があれば出そうと思っていたが、日本語で見つけたのでとりあえず先に出すことにしました。
・・・・・
豊下楢彦、『昭和天皇・マッカーサー会見』、岩波現代文庫
No.1  &  No.2 & No.3   :  参照 No.1  &  No.2

知られざる降伏条件 関連(4) 

さらに、昭和天皇と元老西園寺公望は、つねに善玉なんです。いつでも、どんな局面でも昭和天皇擁護です。昭和天皇は平和を祈っていた。ところが逆臣共がそれを妨げて戦争に引きずり込んだんだという話に仕立てている。歴史はそんな単純に動いていたか。昭和天皇を守るつもりで、軟弱な天皇像を描いて、それでかえって無礼を働いていないか。天皇を自分好みの平和主義のために政治利用していないか。(P.17)
そのいい例が、天皇の戦争責任という大きな、深刻な問題についての積年の議論です...その11条の不備を悪用して天皇以外のもの、つまり陸軍が天皇の統帥権を利用して、最後には海軍も利用して、言わば軍部が政治を支配して独走した、というのが左翼の、統帥権の干渉に天皇の戦争責任をからめただいたいの議論です...
しかし、それに対して保守の側が言うのは、軍部が天皇を利用したことについては多少は非難気味に語る一方、天皇は平和主義者であらせられ、立憲君主の制限の枠の中で立場をお守りになっておられたので、天皇には戦争責任はないという弁明であり、擁護論なんです...
でも、私はおかしいと思ってるんです。そういう考え方はアメリカ占領軍の政策的言い回しに似ていて、むしろ昭和天皇を侮辱する考え方だと私は思いますね。なぜならば、昭和天皇はご自分の名で開戦されているからです。東條に無理強いされてハンコを押したわけではない。誰が見ても、天皇には戦争責任がありますよ...(P.110&111)
悲劇的敗北に終わったから悪ということになったけれども、あの戦争そのものが悪だったんでしょうか。負けたことは国民に災いをもたらしたかもしれないけれど、戦争が悪だったとは言えないんですよね。戦争は悪であるという前提ですべてを議論するのは間違いです...(P.111)
それを保守の知識人や言論人がごまかして「一人、平和主義者であらせられた」などと天皇を軟弱文士のように描くのは、かえってご無礼だと私は思います...(P.111)
つまり、悪だからと否定し、陸軍をスケープゴートに仕立て責任を追及するような女々しい精神ではなく、たとえ悪であろうとなかろうと、過去から逃れるすべはないのであり、過去をことごとく肯定する強靭な精神を持つことが、今の日本人に求められている最大の心の試練だと申し上げざるを得ないんです。なぜかというと、天皇はあの時代において全的存在であって、天皇の戦争責任を否定することは国民が自分を否定すること、自分の歴史を否定することと同じになってしまうからです...(P.111&112)
自国の悪を言い立てるのは基本的に戦後日本の平和主義の大きな間違いで、アジアに対する犯罪だとかとばかり言って、アジアに対する大きな貢献を何故言わないんですか。日本の戦争がなかったら、中国の領土の三分の一と朝鮮半島はロシア領になっていたでしょう...(P.113)
私は左翼の議論も、いわゆる保守の議論も、どちらも容認できない。自分の動機の善をひけらかす言動は、生命力の衰退の現れです。これを乗り切るには、自分たちの歴史を知るということ、自分たちの歴史を肯定し、決して悪びれないということ、これが肝心だと、私は思っております。(P.113)


「天皇と原爆」西尾幹二著、新潮社 2012年1月30日刊 より引用させていただきました。私見的蛇足ながら、この場合の戦争責任は、東條が東京裁判で言ったように国内的な結果責任であり、対外的に国際法で裁かれたり、非難されたりする類の戦争責任を論じるものではありません。
これは論壇におけるアポロ11号の月面着陸に匹敵するほど画期的な論説で、定着するには時間がかかるかもしれませんが、東京裁判史観の拘束からの解放、自虐史観の粉砕、OSSの罠からの脱出、そのすべてに向けての67年目の漸くの大きな第一歩となると思います。

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知られざる降伏条件 関連(3) 

国際極東軍事裁判「東京裁判」(1)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(2)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(3)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(4)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(5)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(6)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(7)
国際極東軍事裁判「東京裁判」(8)
プライド~運命の瞬間~ 特報・予告編
「プライドー運命の瞬間」Tel Quel Japon過去記事
アメリカ側も日本側も、こうして東京裁判を切り抜けたと認識したのである。そして判決を事実だと捏造した。戦後の日本はそうして国体を守るために戦勝国に阿ったのである。日本人の魂と肉体にとりつくもののけとなった東京裁判史観は、日本人と日本国家を食い散らし、荒廃させ続けている。侵略と虐殺を繰り返す血に飢えた軍国主義国家と共同謀議で世界征服を企む、悪魔の軍閥たち、ありもしないイメージが膨らむたびにこの国は武力の放棄を誓い謝罪を繰り返した。大義のために命さえ捨てる美学を讃えてきた国家が、手段を選ばぬ自己保身を国是とする悍ましい寝返りを見せたのだ。

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戦勝国の正義のみを盲信し、自国の戦争の正義を全く信じることが出来なかったのは、何故なのだろう。降伏条件も異常ならば、東京裁判における日本側の口車あわせも異常である。OSSの占領政策に擦り寄って売国に猛進した一味の骨折りぶりは滑稽なほどである。その一味及びその周辺は、力の前に叩頭して「何事も仰せのままに」という発想だけが膨れあがっていた。民間の知りえぬところで、それほどの悪事を働いていたのだろうか。そうでなければ何故これほどみっともなくビビらなければならないのだろう。戦争行為に関しては、勝った側にも負けた側にも人道も普遍的正義もない。その行為が溢れるばかりの愛国心に裏打ちされていたか、猛き武士のごとく戦い、また相手側をも誇りある軍人として扱ったかどうか、感動の歴史として人道や普遍的正義が問われるのはその2点のみである。

参照:Tel Quel Japon過去記事:以前マクナマラに言ってもらって喜んでいる場合ではないと書いた。同じことが言える。日本人のパール判事は何故存在しなかったのだろう。何故存在させなかったのだろう。
参照:Tel Quel Japon過去記事:日本人が誰一人こういえなかったのは何故なんだ?例の一味が圧力をかけていたのか。口封じをしていたのか。
参照:MacArthurの証言:その1その2 & その3
証言はありがたい。しかし歴史書に日本人自らの強力な肉声証言が欲しい。身の潔白まで、いつまでも敵国頼みなのは情けない。

参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Tel Quel japon過去記事
参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Tel Quel Japon過去記事
参照:Tel Quel Japon過去記事
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東京裁判やこの記事追記:注ー1)などを読んで、世界の人々が日本に抱くイメージは、尊重される地位も国家意思を決定する権力も軍閥に剥奪されて、その武力に怯えるweakな平和主義者天皇の姿と、軍閥が支配する卑怯な血に飢えた侵略国家と固定される大日本帝国のおぞましいほどの悪辣イメージである。(知られざる降伏条件ー関連(1)より引用)そして下のイメージこそ第二次世界大戦を戦う捏造定着された日本軍人のイメージである。外国人が南京虐殺や従軍慰安婦を無批判に盲信するのは、あらかじめこういったイメージや文章が頭に入っているからだ。この誘導は強力である。↓

20051210005409.jpg
枢軸国との同盟と1941年の真珠湾攻撃を祝して、1943年報道部が作成。(とされている)↑

 地の果て、星が輝き 木の下でライオンが吼える、遠い砂漠に、
 我々の血で染め上げた日の丸を打ち立てよう。
 ヒマラヤの麓に流れるガンジス川のワニをつかみ出そう。
 ロンドンの空高く、鯉のぼりをたなびかせよう。
 明日モスクワと雪に覆われたシベリヤは、我々のものになるだろう。
 孫たちは私たちのために、ギャングたちを追い払ったシカゴに記念碑を建てるだろう。
 私たちが死に赴く日が来たとき、死への不安と戦おう。
Nous planterons le drapeau du soleil levant teint de notre proper sang aux coins les plus éloignés de la terre, dans le désertlointain où les étoiles scintillent et où le lion rugit sous les arbres. Nous arracherons les crocodiles du Gange qui coule aux pieds de l'Himalaya. La carpe de papier flottera haut sur la ville de Londres. Demain,Moscou et la Sib6rie neigeuse seront à nous. Nos petits-enfants nous
élèveront un monument dans un Chicago purgé de ses gangsters. Et lorsque notre tour viendra d'aller au séjour des morts, nous lutterons avec Ies ombres elles-memes.
学校および軍隊で歌われた歌詞(1942年)として、上の歌詞がこのイラストとセットになって、現在のフランスの教科書にもでている。
(参照:フランスの教科書

イメージ的にこのイラストは、こういう歌詞を喚起するということだ。だからセットで登場している。問題なのは、この歌が日本人が喜んで軍隊や学校で歌ったとされるていること、上のイラストが日本の報道部が日本軍の宣伝のために制作した日本製だとされていることだ。
もしかりに意図的に本当に歌もイラストも日本製であるなら、そしてそれに気づいても日本政府がなんら取り消しの要求をしていないとしたら、これは日本国自身がばら撒いている、東京裁判史観の定着のための売国行為に他ならない。学校や軍隊で戦意高揚のために歌われたとされる歌の、歌詞の酷さを見てほしい。フランスの教科書である。たまたま、私がネット上で見つけたが、他の国の教科書にも似たような、捏造があるかもしれない。戦後の東京裁判史観を考えると、日本国の自虐史観、謝罪外交を考えると、これは敢えて、日本がしている売国行為なのかもしれない。あるいは日本を敵とする国の日本に対する教育的地雷なのかもしれない。この歌詞は田中上奏文に匹敵する。否その数十倍の効果を持つ。(イラストに関してはさらに後日追記予定)

南京大虐殺は捏造記事で成り立っている、従軍慰安婦は脅迫や強制によるSex-Slavesではない、といくら証拠を突きつけてもいくら原告の矛盾を並べ立てても、海外の新聞に抗議の意見広告をだしても、このイラストを見、この歌詞を一度学び信じた人間が、はたしてどちらの言い分に真ありと判断するかは、明らかである。


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(追記・注ー1)に関して
このfileの最後に、日本の敗戦直前にやっとロシアは実は日本から、前々から仲介の依頼を受けていたことを英米に伝えたとある。6月の中頃にロシアを仲介とする日本の降伏の申し出と、スターリン宛の天皇陛下の個人的手紙が届いたこと。その申し出と天皇陛下からスターリンへの手紙が、英米に報告された。確かにマクナマラも日本はロシアを仲介として敗戦を決定する意思も伝えてきていたとも、言っていた。但し、天皇陛下からスターリンへの個人的手紙、これは初耳だ。何故ロシアなのかと前々から謎であったが、日本の中枢にはあくまでもロシアは仲介にふさわしい中立国だという幻想が、信頼があった、かあるいは、そう確信し推奨する人材がいたということだ。加えるに、ドイツ降伏後の国際政治の地政学の読みが幼児ほども出来なかった。ということか?

知られざる降伏条件 関連(2) 未完

24.jpg
Colonel Bernard Thielen, presenting President Truman with the Japanese surrender document (that Thielen brought from Japan). From left to right are Secretary of the Navy James Forrestal, Thielen, Secretary of War Henry Stimson, General George C. Marshall, Truman, Fleet Admiral Ernest J. King, Acting Secretary of State Dean Acheson, General A. A. Vandegrift, USMC, Fleet Admiral William D. Leahy, and Lieutenant General Ira C. Eaker.
馴染の顔が並ぶ。写真としても珍しいし人名もすべて判明しているので掲載した。表情から判断して、ミズリー号の降伏文書ではなく、降伏交渉文書でもなく、2度の原爆投下後、交渉が正式成立した後に、日本から届けられた公式降伏文書を受け取るその瞬間だと思われる。この大きな平べったい黒いものの中には何がどのように書かれていたのだろうか。
・・・・・2012年4月24日:訂正・他・・・・・
上記の写真は1945年9月7日に行われた日本の降伏文書受理の合衆国における正式セレモニーの一幕であることが分かった。
参照:ミズリー号の調印:Tel Quel Japon過去記事 
トルーマンの演説をfileにしている。ここからくみ取れることは無数にある。勝者の正義と文明を讃え、敗者(軍閥)の極悪非道ぶりを強調し、日本国民の尊い生命の喪失はあたかも初めから無価値であったかのように、その頭をかすりもしない。敗戦国日本にとっては屈辱的なストーリーをお仕着せられた、看過できない演説である。勝者が敗者を裁く東京裁判捏造ストーリーのまるで種本のようだ。
・・・・・・・・・・
話が変わるがこのfilmの主役はどういう人物か、お分かりになるだろうか?Jonathan M. Wainwrightと言う。Corregidor敗退の将である。その後およそ40ヵ月間日本軍の捕虜であった。解放されミズリー号艦上に現れその後帰国したWainwrightを合衆国は英雄としてこのように迎えたのである。哀れに痩せ細ったWainwrightをみれば、40ヶ月をどのような思いで過ごしたか(しかし決して精神的には寝返らなかった!)の想像はつく。英雄として迎える米人たちの温かい心に感動する。
戦勝国と敗戦国の違いはあるが、未だに無知丸出しに所謂A級戦犯の誰がどうの彼がどうのと名指しで悪しざまに罵る日本人の多さには、口で言い表せないほどの幻滅を感じる。保守でいながらA級戦犯の分祀を主張する、捏造加担者も多い。保守とは、小林よしのりのように「国防とは(天皇をお守りするために)国民自らが生命・財産を犠牲にする行為だ」と信じるものを指すのだろうか?だとすると堂々と天皇陛下に靖国参拝を上奏できる者など現れる筈がない。声が上がる筈がない。英霊たちはこの先も永遠の待ちぼうけだ。

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参照:Tel Quel Japon過去記事:Bonner Fellers:
Bonner Fellers & Yuri Watanabe
The PsyOps Quaker Who Helped Reinvent Hirohito :

知られざる降伏条件ー関連 (1) 追記

専門的にPropaganda資料を収集されている研究家にHerbert A. Friedman という方がおられる。紹介ついでにHerbert A. Friedman氏の、日本が制作し使用したPropaganda情報提供ペイジにリンクします。
JAPANESE PSYOP DURING WWII
今回Walter Trohanの記名記事を見て、日本人としては驚きの極限なのだが、以前Herbert A. Friedman氏と文通した時に、Herbert A. Friedman氏からきた、mailの思いがけない一文を思い出した。えぇ!Friedman氏までがこんなことを考えているのか!という驚きであった。反論への予防線のためなのか米軍のPropaganda作戦はすべからく、日本に早く終戦を決意させ、さらなる被害を抑えるために、見込みのない戦争続行をやめさせる目的だったということも、付け加えられていた。
さて、以下がmail boxから探し出してきた、Herbert Friedman氏の私を驚かせたmailからの一部引用である。

There were many Americans that believed since the Emperor ruled Japan he should be tried as a criminal and murderer. They did not understand that although the Emperor held the title, he did not actually rule...just made suggestions. I have watched many Japanese newsreels from the war and have some Japanese music from the war. When the times were good and Japan was winning, the people were behind the army and navy. It was only when things turned bad that the people wanted peace. In fact, as you probably know, even after the Emperor accepted the surrender, there were some Japanese militants that wanted to kidnap him and continue on with the war.


最初の部分は、所謂日本の東京裁判肯定派に属する保守のよく使う理論である。驚くこともない。真ん中は日本国民批判である。「勝っているときは国民は陸海軍(軍閥と言いたいのだろうか)を応援し、戦況が怪しくなると国民は平和を求める」と。日本国民批判に驚いたのだが、日本国民は軍閥側と言いたいらしい。そして最後の一文である。「天皇が降伏を受け入れた後でさへ、軍閥は天皇を誘拐してでも戦争を続行することを欲した」と。私が驚いたのは、太字にしたkidnap himである。Herbert Friedman氏はニュースをみたり、資料を調べたり、太平洋戦争における日本に関する情報をある種ではあるが、専門的に持っておられる方である。だからkidnap himに衝撃を受けた。Walter Trohan記者の「天皇暗殺」やHerbert Friedman氏の「天皇誘拐」、そう言えばほかに「天皇軟禁」(具体的に秩父宮の軟禁、というのもあった)など、あちらの記事を読んでいるとよく出会う。日本人ならば、いくらボンクラでも、いくら東京裁判肯定派でも、そもそもこういう発想はありえないだろう。(注:後に非難を浴びる1947年12月31日、東京裁判における東条英機の発言「日本国の臣民が陛下のご意思に反して、彼是するという事は有り得ぬ事であります」は深いところで普遍化すれば、連合国側が押し付ける裁判所の圧力的空気に対して、驚きを持ってそれを跳ね除けるために思わず本心から飛び出た言葉だろう。日本人なら、そこだけ-逆賊などとんでもない-は明確にせねば、という気持ちは誰にでもわかる筈だ。そこに他意はない)ところが米人の研究家やジャーナリストにはトンデモ発想の思い込みがかなり深い人物が多い。(追記:注1-米人がそう信じるのも無理はない)おそらく、日本側が多量にそういう資料を振りまいたか、交渉時にあちら側の報道機関に徹底的に吹き込んだかのどちらかだろう。ここに東京裁判の筋書きを捏造し、先取りをした日本人一味がいる。

当時の当人たちの気持ちがわからないでもない。全国民が処刑されようと、日本全土が占領され植民地化されようと、天皇陛下だけはお守りしたい、それが、国体を守ることだと、それが自分たちができる最後のご奉公だと、そうやって天皇免罪の伏線を米軍に時間をかけて埋め込んだのだろう。がビビり過ぎである。戦争に負けたからと言って、法廷で自国民を犯罪者と差し出さなければならない理由など、どこにもない。(注:前ペイジのfile、1月の降伏条件6には気が早いことに既に、日本側戦争犯罪者はアメリカ様ご指名のままに、何人なりとも突き出しますでごじゃりまする、というあきれた果てた記載がある 6. Turning over of any Japanese the United States might designate as war criminals.)
国体を守るとは、国民を守り領土を保持し、国が掲げた理念のために命を差し出して戦った帝国軍人の名誉を守る、すなわち、国家と民族の誇りを後世のためにも汚さないことである。国土と国民と、国家の名誉を軽んじなかんずく犠牲にしてまで守らなければならない国体などあり得ない。この一味の作戦、東條に証言の訂正を無理強いした、この降伏条件にのっとった作戦こそ、最悪の結果を招いた。強いられて東條が死ぬ思いで吐き出した言葉、あきれたことに東條に感激する保守は、ここで感涙する。それが天皇の免責を確定させたと正気で信じているのだろうか。(追記:天皇を利用するための天皇免責は東條の失言の前から決定していた。だからこそその発言が問題になったのだ。そのことを知らぬわけではあるまい)
確かに「運命の瞬間」であった。苦渋に満ちたあの強制された偽証は、天皇陛下と自国を信じ戦争の大義を信じ神軍官民一体となって聖戦を戦った哀しくも誇り高い日本史・日本人精神史の数ペイジを墨で犯しまくる戦後史の始まりとなった、覚醒してこの事実に気づくべきだ。国民は天皇の神性を信じて戦ったのであり、平和を愛する天皇が成り上がりの平民に説得されて「しぶしぶ」開戦をお認めになったのなら、一体誰が私心を折って「万歳」を叫んで、家族を戦場に送り出しただろうか。(第一「しぶしぶ」では最近盛んに言われている「アジア解放の大使命」が霧散してしまうではないか。そこが米側の狙いなのだ。天皇と軍部に楔を打ち込み平和反戦天皇と、血に飢えた心で共同謀議を謀り武力による世界征服を企む軍閥を仮創し徹底対立させること。権力は軍閥にあり天皇は怯えてその支配下にあるとして、位を逆転させ、日本を悪魔のような軍閥が支配する極悪国家にしたて、大日本帝国から一切の正義とレゾンデートルを剥奪することが、OSSが描いた「日本計画」の筋書きであり、東京裁判の目的なのだ。)
東京裁判に仕組まれたのは、神軍官民の相互非難、相互不信による国家的気力剥奪そして再起不能なまでの国体の解体であった。

「知られざる降伏条件」はTel Quel Japonが何度も取り上げている、OSSの「日本計画」そのままである。「(アメリカ肯定のための)天皇の利用」に対して日本側は「天皇陛下は米軍の傀儡として動きます」と応じている。この降伏交渉一味は、OSSの罠にドスンと気づかないままに嵌ったのか、あるいは保身のために国を見限り自ら進んでOSS(OSSにもGHQの民生局にもFrankfurterたちがうじゃうじゃいた。媚びて擦り寄ったのだろうか)との共同謀議に加わったのか、どちらかだろう。繰り返すが日本人であるかぎり、まさか軍閥(白々しい空虚な言葉だ)による「天皇暗殺」「天皇誘拐」「天皇軟禁」などという発想や妄想ストーリは絶対に思いつかないと信じたい。軍部をスケープゴートにして絞首刑に追いやる嘘を捏造するにも、軍部に向けての国民の怒りを煽るにしても、大日本帝国軍人を侮辱するにしても、裏切るにしても、同胞として超えてはいけない限度というものがある筈だし、日本人ならば限度を知る良心というものも持ち合わせている筈だと信じたいからだ。
(2012年5月16日:追記:参照:殉国七士廟

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文中(追記:注1-米人がそう信じるのも無理はない)について
参照:The New York Times 1990年11月15日 DAVID E. SANGER氏の特別記名記事:
In a Memoir, Hirohito Talks of Pearl Harbor

if he had tried to stop the attack on Pearl Harbor in 1941, "it would have led to a coup d'etat" in which he likely would have been assassinated(...)even if he had been killed, he said, "eventually a very violent war would have developed" in which "Japan could have perished." (...)"If, at that time, I suppressed opinions in favor of war, public opinion would have certainly surged, with people asking questions about why Japan should surrender so easily when it had a highly efficient army and navy, well trained over the years."It would have led to a coup d'etat," Hirohito concluded.(...)In the interviews, Emperor Hirohito described his own powers as weak, constrained by the Meiji Constitution that then governed Japan just as his ancestors were constrained by powerful shoguns."It was unavoidable for me as a constitutional monarch under the constitutional polity to do anything but give approval to the Tojo Cabinet on the decision to start the war," he said, referring to Gen. Hideki Tojo, the wartime Prime Minister(...)
取材源:文藝春秋 1990年12月号
和訳・内容などに関して  (参照1)(参照2) ←東京裁判史観強化目的


Herbert A. Friedman氏はこのような米国メディアに届いた記事をいくつか読み、そのまま真に受けられたのだろう。その結果が上に引用した氏から私に届いたe-mailの主張となって現れた。この記事やこの記事をなどを読んで、結果米人が抱くイメージは、尊重される地位も国家意思を決定する権力も軍閥に剥奪されて、その武力に怯えるweakな平和主義者天皇の姿と、軍閥が支配する卑怯な血に飢えた侵略国家と固定される大日本帝国のおぞましいほどの悪辣イメージである。日本国、報道部がみずから制作したとされる、そう、まさにこのイメージ(Tel Quel Japon過去記事)なのである。

この文章の初めにHerbert A. Friedman氏とe-mailを交換したことに触れているが、意見交換の内容は日本製とされるこのイラストレーションである。Herbert A. Friedman氏の説明にさえ納得しない私の態度に「あなたは専門家の僕を疑うつもりか」というお叱りを受けた。それでも、これが連合国側に発したまともな日本国側からのPropagandaだと、そう簡単に納得するつもりはない。OSSが創造し非難する大日本帝国の悪辣要素がここかしこにサブリミナルのように埋め込まれている。この件に関しては後日、追記したい。

知られざる降伏条件 日本提示1945年1月!

For those who just can't seem to grasp the truth.
Listen up, eye rollers! Deanna Spingola
mp3 Part1 & Part2 ↑ Article Part1 & Part2:
非常に重要な興味ある内容だが、今回はPart1のほんの一部だけに集中する。 Article Part1:

To give the right spin on America in the aftermath of the World War I, a CPI press team, including Bernays, attended the Paris Peace Conference in 1918. George Creel wrote a book in 1920 entitled How We Advertised America in which he defined how "he and his committee used the principles of advertising to convince Americans to go to war with Germany." [13] Edward Bernays(7)を書こうと思って読んでいたのだけれど、その意思を吹き飛ばせる文章に行き当たった。

Those non- military-target bombings took place after the Potsdam Conference and several months after the Japanese offered to surrender. [22] 今回は長いPart1 & Part2からこのたったの一行に集中する。

[22] Chicago Tribune History by Michael A. Hoffman II
Chicago Tribune, August 19,1945 by Walter Trohan

Due to wartime censorship, he was forced to withhold for seven months the biggest story of America’s war in the Pacific. It was finally published on the Sunday following VJ-Day, August 19,1945, on the front pages of both the Tribune and the Washington Times-Herald.  和訳→ この記事は1945年8月19日(日)2紙のTOP記事として掲載された。太平洋戦争に関するアメリカ最大のビッグ・ニュースは戦時報道規制により7か月間さし止められていた。

Former President Herbert Hoover personally queried General MacArthur on the Tribune's story and the general acknowledged its accuracy in every detail.  和訳 →この記事に関してHoover前大統領から取次ぎ者とされるMacArthurに照会があり、それに対し細部に至るまで相違ありませんとMacArthurがこの記事の事実承認をした。


Chicago Tribune, August 19,1945の記事
この記事はあまりに重要なので新たに記事のfileをつくった。
全部が引用であると思っていただきたい。
二番目の引用のたった一行の重みがご理解いただけると思う。
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Deanna Spingolaのmp3とtranscriptを置くことから記事を始めたが、今回の重要点はタイトルにあるように(タイトルは変更しました)Chicago Tribune、1945年8月19日のWalter Trohan 記者の記名記事である。それはDeanna SpingolaのTranscript1の22番目の出典記載からひっぱり出した。Deannaは必ずこうして資料根拠を記載する。今回重要なので上にfileにして置いたのは典拠22番目のなかの、Walter Trohanの記名記事そのものである。
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敢えて意見誘導をするつもりはないが、今回の記事は
「The fog of war」どころの衝撃ではない
多くの意見が私の中で噴出しているが、書くのはひかえる。
だが、一見無関係なあらぬ方向からの感想だけ書いておこう。
交渉に於いて先に条件を出す方は、よほど考えなければならない。
定価のない値段の交渉を例にとる。たとえば一枚の絵、50万円、の指値ではこちらの切実な気持ちが伝わらない。そこで、500万を提示する。ところが、交渉になれない人間はいきなり500億の指値をする。それがたたき台になり800億あるいは1000億と回答が来て交渉が始まる。先に条件を提示するほうは足元を読まれるのである。
「ハル・ノート」をリードしたのは、甲案、乙案であると思う。
私は甲案、乙案を初めて見たとき、腰を抜かすほど驚いた。これでは交渉を成立させる気持ちの無い側から「ハル・ノート」がかえってくるのは、充分予測できる。甲案、乙案の前提があるからだ。いきなり「ハル・ノート」が来たわけではない。「ハル・ノート」をみて、腰が砕けるほど驚いたという発言にはしたがって真実を見出すのは難しい。わかるのは甲案、乙案に見る日本側の切羽詰まった戦争回避への気持ちだけだ。
ファイルにしたものはルーズベルトがヤルタ会談に向かう2日前に(1945年1月)、マッカーサーを介して日本から届けられた終戦提案に関する記事である。条件が非常に具体的である。ポツダム宣言そのもの( identical)のような内容である。結果として「ハル・ノート」の下書きを書いたように、「ポツダム宣言」のヒントを丸丸日本側が、敗戦確定の7か月前に与えているのである。いきなりの最終提示であり、交渉とは言い難い。(そしてルーズベルトは、それを完全に無視した。そう言えばマクナマラが「敗戦を申し出ている日本を空爆し、原爆を2発も落とした」と言っていた。)時期を考えると7つの条件は驚きである。そして8月19日の記事の地の文にはもっと驚くべきことが書かれていた。

The suggestion was advanced from the Japanese quarters making the offer that the Emperor become a puppet in the hands of American forces.  和訳→日本から持ちかけた提案には「天皇陛下は米軍の傀儡になります」とあった。

No negotiations were begun on the basis of the bid, it was said, because it was feared that if any were undertaken the Jap war lords, who were presumed to be ignorant of the feelers, would visit swift punishment on those making the offer.  和訳→この申し出に関していかなる交渉も始まらなかった。というのは、この降伏提案に当時気づいていなかった軍閥が、米軍からの何らかの交渉リアクションがあった場合、交渉内容に気づく心配があったからだと言われている。その場合、これは仮定だが、軍閥はその降伏交渉者たちを即処罰するだろうという危惧があった。
It was held possible that the war lords might even assassinate the Emperor and announce the son of heaven had fled the earth in a fury of indignation over the peace bid.  和訳→うっかりすると軍閥たちは天皇を暗殺さえしかねない。そしてこう発表する可能性がある、現人神であられる天皇陛下はこの和平交渉をお知りになり激憤に駆られてこの地上から立ち去ってしまわれたと言い繕うのだ。


交渉の過程でこういうことを口にし、そういう印象を相手に与えたとしたら、その終戦交渉人こそが後の東京裁判とアメリカによる日本永久属国化シナリオライターである。1942年に既にあったという「日本占領計画」のOSSと通じていた者たちが日本の中枢に数名いた確率が高くなった、と言えないだろうか。

追記:2012年4月17日
この記事全体をネットの自動翻訳(翻訳というより、混乱に近い結果しかでない)にかけている方の存在を知ったので、重要引用部のみBruxelles自身による詳細和訳を付しました。

フランスの歴史教科書

フランスの歴史教科書:クリックお願いします。

直前の記事に書いていることだが、再度ペイジを新に取上げることにした。
Blogの筆者は日本人なのだが、全体的にこの教科書を絶賛している。そういう教育を受けてきたのだから、この筆者だけが例外ではないかもしれない。けれど、日本の歴史を真摯にかつ独自に勉強してきた日本人なら、これが田中上奏文に類する悪影響を少なくともフランスの子供達に植え付けることは間違いないと、理解できる筈だ。単なる悪影響ではない、悪意あるイメージ操作であることも容易にわかる筈だ。
この教科書にある歌詞は、日仏学館館長として日本に7年ほど滞在したことのあるJean Lequiller なる人物が後年つまり、1966年に書いた「Le Japon、l'histoire du xxeme siecle 20世紀の歴史:日本」(出版社はParisのSirey社)という本からの引用であるらしい。何頁からの引用かは不明だ。
Chant diffuse dans les écoles et les troupes japonaises(1942) 1942年日本の学校や軍隊で歌われた歌として、この世界征服の歌が、教科書に転載されている。どうやら引用元のJean Lequiller は独自に調査したのではなく米国の資料を丸写ししたようだ。1942年に日本人が歌ったとされた資料を、1966年にどこからか拾ってきて調査もせずに掲載した。内容から見て、これは明らかに米国製の対日プロパガンダ作品であると断言できるものである。ここに大きな過ちがひとつ。そしてそれをParisのBelin社が丸々鵜呑みにして2003年にこともあろうに教科書にその間違いのまま、掲載した。輪をかけたあるまじき過ちである。(あるまじき、と感じるのは日本人だけだろうが)
一方クリックすると目の前に現れる、日本製の国威発揚のポスターとされているのは、1943年製で(枢軸国との同盟と1941年の真珠湾攻撃を祝して、1943年報道部が作成。このポスターは、1940年9月に結ばれた日独伊同盟の調印を画いている。二本の刀を持つことを許され、信義を掟として命を捧げる侍の伝統的なイメージは、この国が大儀とする思想を表している。)という解説が教科書に付されている。ポスターにはT. Hoodobuという署名があるらしい。1943年に1940年の三国同盟や1941年の真珠湾攻撃のイラストを描いて、国威発揚しなければならないのは米国であって日本国ではない。甲冑を着たサムライのおどろおどろしいイメージと言いその威嚇的構図といい、これもまた明らかに米国製の対日プロパガンダ作品であると判断して間違いは無いだろう。制作年月と署名以外、出所は一切不明である。もし米国製の対日プロパガンダ用のポスターでないとしたら、制作は1943年などではなく、歴史に無知な(徳川と昭和の時代と、その日本人メンタリティと、両方の違いを全く理解できない)フランス人のイラストレイターが面白おかしく創作した、戦後かなりたってからの、ひょっとしたら2000年前後のポスターかもしれない。教科書なのでまさか、そこまでいい加減な脚色はしないとは思うが、筆使いといい、色使いといい、構図と言い、テレビ・ゲーム感性なのが少し気になる。

教科書の出版社に連絡を試みたが、届いたのか届かなかったのか、反応は無い。それに直談判で抗議するにも、今のところ証拠が無い。Jean Lequiller がどこから歌詞を拾ってきたのか、そしてポスターの出所にしても、こちらが突き止めない限り、分からないが当方が信ずるに足りると判断したから掲載した、と言われれば、それまでだ。もはやJean Lequillerに問うことも出来ない。ポスターに関しては、制作者を探し出すか、米国の対日プロパガンダ資料の宝庫をあさり同一のものを突きとめるかしかない。どちらも簡単なことではない。一日も早くこういう記事はフランスの教科書から抹消しなくてはいけない。イメージ操作がどういう結果を引き起こすかは、田中上奏文を思い出せば、良く分かる。恐ろしいことだ。ここ数日間憂鬱で仕方が無い。この教科書を手にし、この教科書で学んだ在仏日本人も既に数多い筈だが、そこから何一つ怒りの声が湧きあがらない事実こそ、この問題の持つ日本人に対する破壊力とその根深さを物語っている。

以上は2010年3月4日の過去記事。 追記:2011年11月22日
今日偶然、このフランスの歴史教科書数冊に日本製だとして掲載されている問題のイラストが、イタリアの絵葉書だということを知った。
参照:郵便学者・内藤陽介のブログ

この絵葉書は、ムッソリーニ時代のイタリアの独裁与党、ファシスタ党が作成した軍事郵便用のもので、日独伊三国の旗を背景に、日本を象徴する鎧武者が軍艦を叩ききっている場面が描かれています。軍艦を良く見てみると、ユニオンジャックと星条旗が掲げられており、三国同盟をバックにした日本が太平洋で“鬼畜米英”をやっつけるというイメージが表現されています。(一体どういうつもりで同盟国イタリアがこんな切手を制作したのだろう。どう見ても日本を悪人に見せかけるための心理誘導を感じる。Bruxelles記)

20051210005409.jpg
参照:フランスの歴史教科書

次に国威発揚のポスターについては次のような解説がしてあります。(写真参照)
枢軸国との同盟と1941年の真珠湾攻撃を祝して、1943年報道部が作成。このポスターは、1940年9月に結ばれた日独伊同盟の調印を画いている。二本の刀を持つことを許され、信義を掟として命を捧げる侍の伝統的なイメージは、この国が大儀とする思想を表している。(日本製でないとわかった以上、日本はフランス政府に国家として教科書の破棄とイメージの訂正、及び賠償を求めてもいいだろう。非戦時における、戦時プロパガンダである、しかも教科書である。外務省とマスコミに国益のためにここはひとついつになく頑張ってもらいたい。Bruxelles記)

参照:Tel Quel Japon過去記事

・・・・・2011年12月22日・・・・・
この項目大変長くなってしまった。今回追記でさらに長くなるが、ようやくArtistの名前を突き止めた。私的に確認した訳ではないがPropagandaの専門家から以下のような文章が存在することを教えられた。興味深い解説も追記されている。フランスの教科書に日本の軍国主義をいみじくも表す1943年製の日本の情報部のポスターとされて掲載されているものは、本当はイタリア人GINO BOCCASILE作のイタリアのPropaganda Posterで、後に絵はがきとなったものであることがわかった。Propagandaの専門家の協力に感謝したい。
FASCIST PROPAGANDA POSTCARD WITH SAMURAI ILLUSTRATION OF PEARL HARBOR BY GINO BOCCASILE
This fantastic World War II postcard was produced for the Italian Armed Forces. It features a color illustration by Gino Boccasile depicting a gigantic Japanese Samurai sinking the American fleet at Pearl Harbor - also reflecting the intent of the Axis powers with respect to the Allied forces in general. Behind the Samurai are the flags of Germany and Japan, along with the Italian naval ensign flag. Two ships in the foreground have been attacked by the Samurai warrior and are sinking. Two other sinking ships are visible in the distance between the Samurai's legs. In the bottom right corner of the illustration is the artist's signature. This illustration was taken from a wartime poster designed by the artist. The card measures 10.5 x 15 cm., larger than the usual size for postcards.

Boccasile (1901-1952) was an extremely popular Italian illustrator whose support of Benito Mussolini led him to produce startling images for the use of the government as propaganda material.
On the reverse of this card, written in pencil, are the words "Souvenir Pantelleria 5/10/43." Quite evidently, this card was a souvenir brought home by a member of the U. S. military.
Pantelleria is an island near Sicily, and its capture in 1943 was crucial to the subsequent Allied invasion of Sicily, paving the way to the invasion of central Europe. The island was the site of vital Axis military installations, and the Allied victory at Pantellaria represented the first time in history that a land force was compelled to surrender in the absence of ground invasion. The Allied attack on Pantellaria, using Air Force and naval forces, included the first major action by the African-American fighter pilots of the 99th Fighter Squadron, later known as the Tuskegee Airmen. The primary leadership of the Air Force component of the attack was Maj. Gen. Jimmy Doolittle.

テーマ:憂国 - ジャンル:政治・経済

アメリカを操ったひとりの中国女

cairo.jpg

Madame Chiang Kai Shek in the US
First lady of China, Madame Chiang Kai Shek addresses the House of Representatives in Washington, discussing the American involvement during the war
America Hails Chinas Madame Chiang Kai-shek
これだけ政治力のある日本女性がいたならば、アメリカを味方に付けていたら、楽勝だったかもしれない。Madame Chiang Kai Shekの役割がさほど注目されないのも、近現代日本史の盲点だといえる。
○Hannah Pakula presents her work
The Last Empress: Madame Chiang Kai-shek.

対日戦に関してMadame Chiang Kai Shek のリクエストに充分以上に応えた米国、なのに、対中国共産党に対して、Madame Chiang Kai Shek に与しなかった米国、米国内での意志の統一がなされていなかった、または、状況により変化せざるを得なかった、と解していたが、頭を振って考え直してみると、コミンテルンの指示通りに米国が動いていたという証に過ぎないことがわかる筈だ。そしてマッカーシーの登場まで、そのことに誰も気づかなかった、あるいは気づいても気づいてはいけなかった、ほどに、米国中枢は感染頭脳の集合だったと言えるのではないか。
あからさまな疑問にさえ、疑問の声が上がらない、このあたりの米国史から不審人物を炙り出す再検証が、このあたりの日本史同様に必要だ。正しいとか間違いとか、正義とか、悪とかというより、むしろ洗脳、マインドコントロールに近いものを感じる。

参照リンク:UK & China

姉妹であるので美齢、慶齢の区別は顔だけではわかりにくい、また私の目が悪いからかもしれないが、Eleanor RooseveltとAgnes Smedleyも雰囲気が似ているように思う。まして内面でどのように区別するべきかとなると、線引きの線が引けるのかどうかも分からない。線引きの線は時代の風で流れているように見えるからだ。

追記:2011年8月6日
chinalady2.jpg
30,000 CROWD OUTDOOR MEETING IN HOLLYWOOD BOWL TO HONOR CHINA'S FIRST LADY. この凄さは大スターも顔負け。

追記:2011年11月14日 参照 詩集「2N世代」
Eleanor Roosevelt & Madame Chiang Kai-shek & Pearl Buck

Maquis(レジスタンス) & フランスに於けるOSS

Maquisについて:wikipedia
アメリカ軍もSOEと協力して、戦略諜報局(OSS)を介して大量の人員をフランスに派遣した。
マキザールの政治的傾向は様々であり、右派的なナショナリストから左派的な共産主義者までを含んでいた。

OSSとはドイツ占領下のフランスに於けるOSS : 活動地図
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An American Airman's Experience in the Maquis During WWII (音声付)
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Maquisをたたえるシャンソン:愛国戦士Maquis:
Maquisとはどんなひとたちか
The French Resistance--The Maquis(ミスタイプが酷いが)
Le Chant des Partisans : You Tube :
Barbara 歌: Il me revient 解説: Il me revient 歌詞&和訳
・・・・・・
The resistance spanned a wide ideological spectrum, including Catholics, liberals, and nationalists, the most active partisans were young Communists and other left-wingers. Their mission was supported in many cases by the British Special Operations Executive (SOE) and the US Office of Strategic Services (OSS).
→ 典拠(動画つき) コラボとレジスタンス←
Parisで地下に潜って工作活動したのがレジスタンス、地方で山中に逃げ込んでナチスに対して抵抗戦士となって活動したのがMaquis、しかしレジスタンスの一形態と見たほうが分かりやすいだろう。前者は市民生活をおくりながら、後者は生活すべてが、支配に対する反逆であった。一番上に書いたように、政治的傾向は様々で、共通なものは愛国心のみ。それをOSSが支援していた、ということを書きたかった。OSSがソ連のスパイの巣であったのも頷けるし、フランスで、自由を愛する職業の人たちの人気が圧倒的に社会党、共産党に集中するのも、理解できる筈だ。冷戦前は政治思想的敵対は表面化しておらず、連合国の敵は枢軸国、まだ単純な敵味方の図があるだけだ。
後年スパイの巣窟と言われたOSSには、アレン・ダレスもグルーもいたし、なかでも中心的な役割を担っていた。OSSは特に終戦工作(原爆を落とすかどうか、天皇制存置をポツダム宣言に明記するかどうかの綱引き)及び戦後日本のシナリオ作り(東京裁判、日本国憲法=平和主義及び天皇の位置付け,など)に大きく関与した。
保守の人たちの中には、たとえばラティモアなどの極論を跳ね除け天皇制存置のために奔走した知日派のグルーの活躍に多大な好感情を抱きつづけておられる方が多いが、グルーが日本をどう見ていたかは、西尾幹二先生がTel Quel Japonをご自身のBlogに紹介してくださった時のあのOWIの動画でグルーが初めに何を言っていたかでわかる筈だ。グルーが味方のスパイでない限り、敵の中に好意的理解者や味方を探そうなど、甘ったれた考えは持たない方がいい。いちいち考えるのも疎ましいが、彼らが知恵を絞ったシナリオは完璧で、たとえば1-フランスを解放したように日本を解放したと感謝させよう、2-忠誠を尽くした軍人を極悪人に仕立て軍隊に嫌悪感を植え付ける、3-天皇を平和主義者の人間とし、国民に平和こそ最高の価値だと思い込ませる、4-原爆投下は日本人を戦争から救い出すための必要悪だったとむしろ感謝させ、それに等しい反省を強いて、原爆被害の原因は自国の過ちにあると、罪悪感を永遠に持たせる。5-永遠にアメリカに縋りつく惨めな女のように、隷属的状況をつぎつぎとつくっては従わせる、6-政治的にも経済的にも文化的にも、世界の中央に踊り出ようとしたり、アジアのリーダーに二度となろうとしないように、近隣国に頭を下げさせて、恥をぬぐえないように内部から教育的に仕組む、7-軍人や政治家を祀ることを控えさせ、国家のために命を投げ出すのは愚の骨頂だと認識させ、公的価値を認識できない国民にする、8-国家としての責任の所在を曖昧にさせ、民意を結集させないように仕組む、9-父をなくし夫をなくし兄弟を亡くした人々に、国や天皇のために、命を預けるなどという日本人の発想が狂気に他ならなかったのだと、自分で気づくように誘導する,10-国としてのイメージを演出し、永遠に脆弱な国家像・国民像を植え付けアメリカのなすがままの地位に押さえ込むための装置を仕組んでおく。「日本計画」の水面下に潜む目的は誰でも簡単にそのいくつかは列挙できるだろう。因果関係ともども、各自考えられたし。

/////////////本の紹介//////////
最近、有馬哲夫アレン・ダレス──原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、2009年)、を読んだ。有馬氏もCIA(OSS)等の公開資料を手にし、その内容を忠実に記述されているのだと思う。ただ視点や新しい切り口が無いので、読後の刺激感が無いのは残念だ。
参照:世界史を動かした40日
今手元に有馬哲夫著平凡社新書刊の『CIAと戦後日本』と『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』の2冊がある。後ろに書かれた引用・参考文献も含めて、日本人ならとりあえず目を通しておくべき書籍であると思う。眠いからと言って素通りするわけには行かない。探せば,糸口だけなら空恐ろしいほど無数に見つかる。そこから何が立ち上がってくるかはまた別の話だ。

////////// Allen Dulles 3 : His talk /////////
Tel Quel Japon 過去記事
日本にはなぜCIAのような組織がないのだろうか?
国家や国益が大切なものだと言う認識がないためか?あるいはそれより大切なものが他にあると誤認しているからか?

話がそれるが最近のテレ朝の捏造映像、旭日旗に関して
何のために日本の放送局がこういう捏造をするの?テレ朝、取り壊し処分でしょう、常識として。第一韓国選手の発言に対しても抗議すべきでしょう、えぇ?必要じゃない?どうして?

テーマ:ヨーロッパ - ジャンル:政治・経済

Walt Disney (2)

Walt Disney をどちらの方向から見るのも自由だが、労働運動との戦いに苦杯を舐めた経営者だというポジションをまず知っておくべきだろう。労働運動弾圧者?それとも、神経質になりすぎた被害者か?
Secret Lives_Walt Disney (1 of 6).flv
Secret Lives_Walt Disney (2 of 6).flv
Secret Lives_Walt Disney (3 of 6).flv
Secret Lives_Walt Disney (4 of 6).flv
Secret Lives_Walt Disney (5 of 6).flv
Secret Lives_Walt Disney (6 of 6).flv
ヒステリックなハリウッドの赤狩りに関して、無関係なMacCarthyの名ばかりが記憶され、火付け役のDisneyの名が完全に忘れられているのはどうしたわけだろう。絵を描けなくてもArtistとして名を残したように、漫画というカルチャーを作り出したイメージの魔術師は、自己のImage Launderingを完璧に遂行した。どの筋の協力があったのだろう。以下はヒント?
Top 10 Things You Didn't Know About Walt Disney

Walt Disney became a domestic spy for the Federal Bureau of Investigation starting in the early 1940s and helped usher in the infamous Hollywood Blacklist.


参照:Tel Quel Japon過去記事

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Communism in U.S.A.

Communism in U.S.A. :

追記:2009年9月2日
今、御茶ノ水書房刊、石垣綾子著「海を渡った愛の画家ー石垣栄太郎の生涯」を読んでいる。Smedleyとの親密な接触など、最早驚きにも価しないが、片山潜との親密さにはやはり驚いた。ジョン・リード・クラブもそうなのだが、コミンテルンに繋がる共産主義運動の、市民レベルでのほとんど中心的人物である。サンガー夫人との交友の関係からか石本静枝(加藤シズエ)や市川房江なども向こうから訪ねてくる。これとは別の本で読んだことだが、スメドレーに尾崎の処刑をしらせたのは、石垣綾子だったらしい。「あんな素敵な人を...あの人は私の夫だった...」とスメドレーは泣き崩れる。いやはや。
だからどうだと今、言うつもりは無い。石垣綾子よりも、片山潜よりも、野坂参三が、日、米、英、中、ソのどの資料にも、その中心の背後に、姿なくしかも君臨するようにチラチラと目につくのだ。検証を急がねばならないとしたら、むしろこちらだ。

追記:2009年9月4日
Communism in U.S.A.: James Cannon:


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The Coventry Blitz: Churchill 悪玉論(3)

参照:「諜報ー第2次世界大戦秘史(上) フジ出版社刊
第一部 2.「コヴェントリー市壊滅の陰に」 P.50~P.66
約554名の市民が死亡し、そのうち150名は誰であるか識別が困難であったために共同墓地に埋葬された。重傷を負ったものは865名であった。市民のうち約4000人が傷を負ったり、火傷したりした。そして、彼らの街は破壊し尽くされた。これがウルトラの為に支払われた代価であった。(上記本P.66より)
Bruxelles注:ウルトラ Ultraとはドイツのエニグマによる暗号無線通信文を解読して得た情報の秘匿名称のこと。つまり「ウルトラのために支払われた代価」というのは、エニグマ解読を悟られないためにウルトラを敢えて無視し、コヴェントリーの街を、恰も真珠湾の米国艦隊のようにむざむざと爆撃させた(見殺し)ということだ。
Ultra: ドイツのエニグマによる暗号無線通信文を解読して得た情報の秘匿名称。
Enigma: ドイツの国防軍全般および国防軍情報部、枢軸国において広く用いられた暗号機械の名称。

The Coventry Blitz(読む):
資料Ⅰ : 資料2 資料3 :Wikipedia Coventry
In his 1974 book The Ultra Secret, Group Captain F. W. Winterbotham asserted that the British government had advance warning of the attack from Ultra: intercepted German radio messages encrypted with the Enigma cipher machine and decoded by British cryptanalysts at Bletchley Park. He further claimed that Winston Churchill ordered that no defensive measures should be taken to protect Coventry, lest the Germans suspect that their cipher had been broken.[8] Winterbotham was a key figure for Ultra; he supervised the "Special Liaison Officers" who delivered Ultra material to field commanders.

The Coventry Blitz(見る)資料
You Tube 1 : You Tube 2 :

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Joseph R. McCarthy (2) 資料整理

LONGINES CHRONOSCOPE WITH SEN. JOSEPH R. MC CARTHY
時間がないが、とりあえず後に検証するためにおいておく。
Public Resource Org  & Longines Chronoscope
National Archives 2 & National Archives 1:You Tube

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Mers-el-Kebir : Churchill悪玉論(2)

Oran
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Wikipedia
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Article
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Article
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Article
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : Photos

MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 :Film
MERS EL KEBIR 3 juillet 1940 : film
MERS EL KEBIR 1940 : Film
MERS EL KEBIR 1940 : Site : Blog :

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Joseph R. McCarthy (1) (資料)


新聞を読むJoseph R. McCarthy。 McCarthyの歴史に於いて果たした役割について検証したいと思っている。360度から見なければならない。まだまだ資料集めの前段階だ。客観的評価もできるだけ考慮してみたい。(これは、単なる予告で、小さな記事にするまでどれくらいかかるかもまだわからない)
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US Anti-Communism (3:06): Documents the US response to the Soviet detonation of an atomic bomb in 1949, complete with anti-communist music, scenes from Congressional Trials during the Joseph McCarthy period, and an FBI film on how to combat communism. (Source: PBS People's Century Series Brave New World episode).
I have found a very interesting film to show you. Le voila
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参照:The Hollywood Ten - McCarthyism Communist HuntsーMacCarthyismとMacCarthyを混同してはならない。
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参照:Committee On Un-American Activities 1962 43分52秒 ;Words :(MacCarthyは上院なのでHUACとは直接の関係は無いが、MacCarthyismと一括されるのでよく混同される。)(The House Un-American Activities Committeeに関する資料の宝庫に出会ったのは、私のArt Blog「Ceci n'est pas une pipe」でDavid Behrmanの記事を書いている時だった。今年の1月22日のことだ。文学、音楽を含めてArt全般にわたって深く広くMacCarthyismを乗り越えて赤い血液が浸透していた時代があったことを知った。宝庫の扉を開いて歴史を検証するのはまだこれからだ。)
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参照:American Propaganda Films -Anti Communism 1952
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参照:The Investigation of William Mandel by Sen. Joseph McCarthy : WordsWilliam Mandel
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参照:MacCarthyのSite
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Timeの表紙になったMacCarthy:1951-10-22 : Cover Story:
この記事とは何の関係も無いが1940年代前半に、Time Magazineの表紙を飾った日本人を調べてみた。 アメリカ人が注目しアメリカ人が描いた日本人の顔、顔、顔、、
Prince Konoye - July 22, 1940 :Cover Story:
Yosuke Matsuoka - July 7, 1941 :Cover Story:
Kichisaburo Nomura - Sep. 22, 1941 :
Admiral Yamamoto - Dec. 22, 1941 :Cover Story:
General Yamashita - Mar. 2, 1942 :
General Itagaki - Aug. 3, 1942 :
Osami Nagano - Feb. 15, 1943 :Cover Story:
Admiral Mineichi Koga - Nov. 8, 1943 :Cover Story:
Admiral Shimada - July 3, 1944 :
Emperor Hirohito - May 21, 1945 :Cover Story:
Fall of Japan - Aug. 20, 1945 :
とここまで書いてCover Storyを読みたくなった。読むだけでなく、ここに取り出すとなると時間がかかるので、半分だけにしておく。今から右側に追加していこうと思っている。
画面から直接読もうとするとかなり目に負担がかかる。それでもBack Numberを全部読みたい気がする。新しい視点をそれぞれに獲得できるからだ。Timeはやはり調査力の凄い一流誌だと改めて思う。

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2010年2月9日:追記:重要
Jack Anderson's role in the destruction of Joe McCarthy
Drew Pearson
Douglas MacArthur:(Bonus Marchers):

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The Bretton Woods conference in June 1944

Bretton Woods
Harry Dexter White, of the US Treasury (left), and the British economist John Maynard Keynes at the Bretton Woods conference in June 1944
経済学の2大巨匠。よーく御覧あれ、左が話題のHarry Dexter White氏、右が紹介するまでも無いあのJohn Maynard Keynes氏。1944年6月すでに戦後の世界経済システムの構築をにこやかに語り合っておられるの図。
John Maynard Keynes氏のご紹介。 Harry Dexter White氏のご紹介。今までここかしこで読み調べてきたHarry Dexter White氏に関して、思わず「ウッッ」と声を漏らしてしまうほど、完璧に最新の資料の統合がなされている、見事な紹介文だ。

参照: ブレトン・ウッズ体制: Electronic Journal:

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Walt Disney & The Flying Tigers (1)

Disney The Flying Tigers
Flight leader and fighter ace Robert "R.T." Smith stands next to his P-40 fighter at Kunming, China. The “Flying Tiger” insignia was created by the Walt Disney Company.
他のことで調べ物をしていたらWalt Disneyがthe House Un-American Activities Committee(下院非米活動調査委員会)で証言していることを発見した。スパイ告発側である。反共思想の持ち主でFBI協力者だったととらえるほうがわかりやすいのではないだろうか。
Marc Eliotの筆になる「Walt Disney」本を見つけた。
頑張ったら「WALT DISNEY FBI FILES」もみつけた。
今日は朝からWalt DisneyがHUACで一体どういう証言をしたのか、気になっていたのだが、そのものズバリを発見した。こういうFileはリンクしても何時の間にか消される場合が多いので、対抗策としてFileにしてみた。
the House Un-American Activities Committeeの証言台に立ったWalt Disney。(ここに登場するHerbert Sorrellについて。)強い臨場感を感じた分すっきりと明らかになった。

Potsdam Conference

Potsdam Conference

1.ポツダム宣言 POTSDAM PROCLAMATION
2.ポツダム宣言 Wikipedia
3.Potsdam Conference convenes:
4.European History/Europe: 1918 to 1945
5.Conferences of the Allied Grand Strategy:
6.The Potsdam Conference:
7.Harry Truman and the Potsdam Conference :
7.は教材として提示されている非常に興味深いサイト。以下はそこからの一部引用。
Their song was that France would go Communistic, so would Germany, Italy and the Scandinavians, and there was grave doubt about England staying sane." The Potsdam Conference, a meeting of the victorious leaders of the Allies in Europe, attempted to confront the delicate balance of power of the opposing governmental structures, democracy and communism.

各国の中枢に深く入り込んでいた”正義だと信じたスパイ達の幻想力”がこの場にスターリンを登場させた。体力も権力も充実し一人だけまるで降臨したように堂々としているスターリン。砕氷船理論の第一段階が達成された瞬間だ。
「Will」2月号で秦郁彦氏が「田母神氏がコミンテルンの陰謀なるものをずらずらと並びたてたのは感心しない」とし、別表を作成して「コミンテルンの陰謀諸説」をずらずらと独自の視点で否定されている。秦氏は自ら「陰謀大好き」と表明され「陰謀史観」などという語をタイトルに用い、自らの目に鱗をはめてしまっておられる。コミンテルンが成果を上げ結果を出していなければ、この図(写真)はありえないだろう。陰謀史観でも陰謀説でも既になく、戦略であり、各国を代表する出席者達はその成果を、脅威を”事実”を、少なくとも雰囲気としてうすうす認識しているからこその図である。この場を支配しているのは今まで言われてきたようにこれから先の共産主義に対する脅威と言うよりもむしろ、過去の事実に対するぼんやりと見逃してきた自国内恐怖なのである。

参照:Tel Quel Japon Politique過去記事:ソ連の参戦
参照:Tel Quel Japon Politique:過去記事:大東亜戦争とスターリンの謀略:
参照:Tel Quel Japon Politique過去記事:Macarthurの証言
参照:大東亜戦争とアメリカの失敗
参照:「侵略」か「圧制からの解放」か日本のアジア進出
参照:真珠湾攻撃に関する議会の調査報告書
参照:An Interview with Admiral Kimmel
参照:日米交渉ー開戦への経緯
・・・・
参照:Hull note Wikipediaハルノート全文
United States Note to Japan November 26, 1941

Kellogg-Briand Pact

Kellogg-Briand Pact

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