TEL QUEL JAPON

リビドーの音階が砂漠に死んだヤギの乳をしぼっていく

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Mr.Matsuoka's Speech in Geneva in 1932

Geneva1932-2.jpg

Here is Mr.Matsuoka's speech in Geneva December 8, 1932.
緑色の部分をクリックしてください。Media Voice Japanに飛びます

Mr.Matsuoka's Speech 日本語全文にリンクしました

" I ask you to use a little imagination. How would you have acted if you had been Japan? " (Mr.Matsuoka)

" In a word, Japan is today faced with an appalling situation throughout Eastern Asia, and fighting single-handed to save the Far East-not to start war in the Far East." (Mr.Matsuoka)

"Can you not at least suspect-unless you presume that we all went mad-that there must have been some good reason for the sixty-five million poeple to unite as one man in backing up these actions? (Mr.Matsuoka)

"A few years afterwards came the Russo-Japanese War. The greatest cause of this war was the secret alliance treaty concluded between China and Russia. We learned of it at the Washington Conference, to our great surprise. As we all know now, they very skilfully hid it from us and we didn't know that secret alliance treaty against Japan, under the terms of which Russia was offered every facility to make her way down to the southern extremity of Manchuria. Again, I am afraid, there would have been no Manchuria, perhaps no China, today, if Japan had not had the courage and strength to fight Russia." (Mr.Matsuoka)

演説が終わると、一斉に拍手が起こった...
まず、フランス代表ボンクール陸相が握手を求め、ついで、英国代表サイモン外相が、そして多数の人々が次々に握手を求め、松岡の演説を”ワンダフル”と激賞してくれた。なかでも、英国陸相ヘールシャム卿は、松岡に抱きつき
「ワンダフル!30年間の私の外交生活の中で、これほど感動的な演説を聞いたのは初めてだ」と大声で叫んだ。
すると、ボンクールも負けじと
「ミスター・マツオカの今日の演説はベルサイユ会議におけるクレマンソー首相の”猛虎演説”にも比すべき、歴史的大雄弁である」と激賞した。
(「松岡洋右 悲劇の外交官(上)」豊田穣著 P.319-320)
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Also I will let you listen to another speech of Mr. Matsuoka.
The SAYONARA speech made in San Francisco, April 12, 1933.
Please click here
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You started your relations with my country eighty years ago-when Commodore Perry came to Japan and summoned us to open the doors of our hermit kingdom-with good will for and faith and vision in Japan.
Will you still persist in that?
Has Japan done anything to disappoint you?(Mr.Matsuoka)

Compared with China, my country is a small one. Compared with the United States, it is not rich. But I am proud to say it is not poor in a spiritual sense.
In spite of our limited resources, we are going ahead with courage and confidence in this period of world-wide depression.(Mr.Matsuoka)

Let the banner of the Rising Sun and that of the Stars and Stripes be forever the emblems of peace on the Pacific, with the nations under them marching in confidence and friendship towards the common goal of peace and human happiness. (Mr.Matsuoka)

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以上は2006年8月26日
以下は追記:2011年10月3日
Special League Assembly Session 8 december 1932
この本を全部読んだわけではないが、この時代の日本の戦争と外交について英米人が読める唯一の資料らしい。日本人にしてもそうだろう。1932年の「十字架上のイエス」の演説と1933年の国際連盟脱退演説とされる(洗脳されないでいただきたい、これは満州国非承認に対する抗議演説である)ものと、1933年サンフランシスコにおける「Sayonara演説」との混乱・不整理が昭和史の中に敢えて埋め込まれている。また唯一繰り返し報道される国際連盟会場退場シーンは田中氏のおっしゃるOSS「日本占領計画」のひとつのクライマックスで、東京裁判において大きなポイントとなってきている。重要であるからこそ松岡の演説は曲解・隠蔽されてきたのである松岡の演説は前にも書いたが硫黄島の市丸少将の見解に引き継がれた視点である。1951年のマッカーサーの発言に20年近く先んずる視点である。
War and Diplomacy in the Japanese Empire by Tatsuji Takeuchi No.1 & No.2 :
Manchuria 1931-1932 Chronology:
A Japanese Film on the Lytton Commission in 1932 65分無声 価値あり 必見
Special Session of the Assembly Convened in Virtue of Article 15 of the Covenant at the Request of the Chinese Government :Geneva, March 3 - December 9, 1932

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Why We Fight : OWI プロパガンダ映画 1942
・・・・・追記:2011年12月11日・・・・・
Why We Fight : 大東亜聖戦の歌:
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The most famous & impressive scene

1933,February, in Geneva
Mr. Matsuoka

このFILMの部分の日本語訳を以下に付す。
「日本の政策がその根本において、極東平和の確立と、全世界の平和の招来に貢献せんとの純正なる希望によって設定されたるものなることは、先に周知のところである。しかしながら、日本は総会によって採択せられたる報告書を受諾することは不可能であることを発見した」(It is a matter of common knowledge that Japan's policy is fundamentally inspired by the genuine desire to guarantee peace in the Far East and to contribute to the maintenance of peace throughout the world. Japan, however, finds it impossible to accept the report adopted by the assembly,...)
NEWSはここで終わっているが実際はあまり知られていない以下の発言が続いている。

日本政府が人類の福祉に貢献し世界平和に寄与する事業のために誠意を持ってこれから諸国と提携しー不幸なる報告書採択の結果による諸事情の許す範囲内において、可能なる限り、諸国との提携を採る政策を今後ともに固執するであろうことは、余がこれを付言するまでもない所である("The Japanese government will, however, make their utmost efforts for the establishment of peace in the Far East and the maintenance and strengthening of cordial relations with other powers.I need hardly add that the Japanese government will persist in their desire to contribute to human welfare, and will continue their policy of co-operating in all sincerity in the work dedicated to world peace,")」
赤字をよくお読みいただきたい。席を蹴って喧嘩腰に退出したわけでは決してないのだ。
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浅間丸が横浜に入港する直前、松岡は船上から日本国民に対して次のようなメッセージを送っている。(抜粋)

日本各地から帰朝に対する熱烈なる歓迎電報を受けて感謝しているが、実はかかる熱烈なる歓迎を受くる資格なく、かかる歓迎を受ければ受けるほど、自分の微力を痛感するのみである。...
余は微力、国民の期待に十分副わざりしを恥ずるのみならず、せんずるところ、日本国民として、陛下および国家に負うその本文を最善を尽くして、果たそうとしたのにすぎず、別に国民の感謝に値することでもないと思う。余を歓迎する趣旨は感謝に堪えぬが、非常時日本には、ただその分を尽くさんとした余を歓迎する余裕はない筈と思う。...
(非常時に直面している国を思い、熱狂的歓迎に恥じ入っている。心を引き締めなければならない。こんなに浮かれた状態では、連盟脱退の資格があったのかどうかさへ、疑わざるを得ない、と自宅の歓迎会の席上言っている。言うまでもなく連盟脱退は心の進むところでなく、やむを得ない切羽詰った国家の選択であったのだ)
参照:
「松岡洋右 悲劇の外交官(下)」(豊田穣著)P.77-79
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この演説を資料では「さよならスピーチ」と言われているが、それは先に載せたサンフランシスコでラジオ向けにした演説で最後に言ったことば「SAYONARA」が、混同された結果、そのまま今日に至ったものと思われる。
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///2009年7月23日///
松岡擁護論にトラックバックさせていただきました。

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以上は2006年8月26日
以下追記:2011年10月3日 国際連盟
資料1 & 資料2 
List of Assembly Delegates and Substitutes - (M)
Chronology 1933
Chronology 1932:
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Tel Quel Japon過去記事
1931年9月19日朝
The Mukden Incident:柳条湖事件
New York City,March,1933:
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三国同盟
Ina.Fr Films
三国同盟祝賀:万歳といっているのは駐日ドイツ大使オットー、奥さんをゾルゲに寝取られていた男だ。  
三国同盟締結:サインしているのは来栖、後に野村大使の助っ人として渡米し、当時日本はダブル大使だった。来栖がアメリカで敵対視されたのは、この条約の調印者だったからだと言われている。
追記:2011年10月7日 You Tube
日独枢軸・松岡洋右外相の訪独を大歓迎するベルリン市民

テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

Hitlerの遺書

Landscape9
Hitlerの残した遺書

It is untrue that I or anyone else in Germany wanted the war in 1939.

Three days before the outbreak of the German-Polish war I again proposed to the British ambassador in Berlin a solution to the German-Polish problem—similar to that in the case of the Saar district, under international control. This offer also cannot be denied. It was only rejected because the leading circles in English politics wanted the war,


Tel Quel Japon過去記事
上の記事の中に出てくる3時間を越える放送の中で、最も私の耳を刺激したのと、上のHitlerの遺書からの引用と、内容が同じである。つまりHitlerは何度も繰り返し和平を提案したが、チャーチルがそれを無下に断ったという事実である。当時全く知らなかったので、その部分を繰り返し何度も聞いたのを憶えている。その勢いのまま、
Tel Quel Japon過去記事:コヴェントリーの空爆
Tel Quel Japon過去記事:メルセルケビール海戦
Tel Quel Japon過去記事:Rudolf Hess:
の記事を書いた。日本の歴史家はどの程度これらの事実を国民に知らしめているのだろうか?コヴェントリーの空爆について多少なりとも知識があれば「真珠湾攻撃を予め知っていたなら、避難させて被害を回避できたはずだ」などと、寝ぼけたことを言う人物は歴史家として存在できない筈だ。またメルセルケビール海戦について多少なりとも知識があれば、狂気を持って戦争を仕掛ける極悪非道な人物を敗戦国の中にのみ捏造するのは間違いであることを知るだろう。戦争の女神は、より多く道徳を踏み外した方に、より多く人の心を捨てた方に、そして要所要所において、精神に赤信号がともった(=異常をきたした:どの国が原爆を落としたのだ!)方に、どちらかというと微笑むものだ、ということを学ぶだろう。
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上の絵画は「風景9」と題するまだ自分の運命を全く知らない若きHitlerの作である。偶然に出会った。絵画作品としてもめったに出会わないものなので、ここに掲載することにした。他意はない。

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Charles Lindbergh vs Franklin Roosevelt 

two couples
珍しい写真ではないだろうか。上の写真はChiang Kai Shek夫婦とCharles Lindbergh夫婦in Nanking, September 1931。毛沢東と並んで映っているOwen Lattimoreの場合のような、政治的意味を考えない方がいいだろう。Charles Lindbergh夫婦は世界中を飛びまわり世界中の首脳に歓迎されている、そのうちの単なる一枚と見たほうがいい(雑誌TIME Lifeの創刊者ヘンリー・ルースあたりの紹介があったかもしれないが、せいぜいその程度だろう)。珍しいので掲載しただけ。Charles Lindberghの場合、迂闊に写真を掲載すると、明後日の方向に意味を誘導しかねない。
たとえばこの写真:Hermann Goering gives Charles Lindbergh a Nazi medal.後々まで疑惑を呼んだ。
Lindberghと言えばどうしても欠かせないのがまずこちら。
Charles Lindbergh and Spirit of Saint Louis:貴重なfilm

Charles Lindbergh: Wikipedia:
On Lindbergh : Q&A
America First:
America First:Charles Augustus Lindbergh:
上のWikipediaを読めばよく分かるがLindberghは飛行機乗りとしてだけでなく多方面で話題を提供している人物だ。政治的にもどの角度で焦点を当てるかによって結果としてそれぞれ全く異なった判定が下されることになる。一般的な紹介としてこの辺りが妥当と思われるものをひとつだけ目に負担をかけないために音声でリンクしておく。
Author A. Scott Berg talks with Terry Gross, Fresh Air, about the Lindbergh and his American First activities-
Lindberghの主張を検討すると、世界を飛び回り多くの国の首脳と言葉を交わし、その国の人々と多少なりとも触れあってきている、当時としては数少ない人物なので、後の世の視点で見ても、洞察は鋭く正しい。しかも判断j力の基礎となるバランス感覚が殊のほか優れていると思われる。
今回Lindberghをとり上げたのは、「翼よ!あれが巴里の灯だ」に触れるためではない。太洋を超えての戦争に意欲満々なRooseveltに,非戦論者としてのLindberghを対峙してみせることによって、Rooseveltのおぞましいほどの特に対日悪意を、明確に浮かび上がらせようと思ったからだ。
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Roosevelt音声資料
1.1940年10月4日大統領執務室における合衆国大統領Rooseveltと国務長官Cordell Hullの電話による会話。録音はRooseveltの声のみ。内容は予測を超えている(主語が入れ替わっている?)のでなんともいえない。聞かれた方々各自の解釈をお聞かせ願えたら幸いである。
!!!思いもかけない録音が出てきたので、裏付けに難航している。「おぞましいほどの対日悪意」もさも有りなむ、と思えるほどの日本側からのハルノートを思わせる存在の発覚である。Roy Howardに近い日本のプレス関係者の誰かが捏造して悪意で流したのもなのだろうか。RooseveltとHullが誰の口から出た何を議論しているのか、突き止めなければならない。尾崎秀実が関連しているのだろうか。それとも?!!!
追記1.会話に登場するRoy Howardは資料によると日本の天皇にインタビューした最初のアメリカ人ジャーナリストらしい。Roy Howardはまた1936年にはStalinとのInterviewにも成功している。1936年、これがなかなかスリリングでvividなInterviewだ。その内容も見つけた。読んでいるとStalinの声が聞こえてきそうな気がする。 Interview Between J. Stalin and Roy Howard
2. FDR's speech to Congress asking to declare war on Japan, December 8, 1941 : Text a lire
追記 2: Roosevelt元ペイジ:Site: Audio: Speech

テーマ:戦争 - ジャンル:政治・経済

Berlin Paris Vichy 1940 フランスの敗北

○You Tube : 対仏勝利を祝うベルリン市民: この熱狂をどう解するか?
1940- wehrmacht parade celebrating the fall of france
○You Tube : ドイツ軍のパリ入城 :あなたがフランス人ならどう思うだろう。
Les Allemands défilent à Paris (juin 1940) :
○You Tube : 休戦という選択の意味と意義: Régime de Vichyを検証する要あり。
Maréchal Pétain - Discours du 17 juin 1940
Armistice avec l'Allemagne Nazie
Régime de Vichy: Wikipedia:仏人にとってのMaréchal Pétain
仏領インドシナ):ヴィシー政権による日本の南部仏印進駐承認
Wikipediaに参考文献として出ている渡辺和行著『ナチ占領下のフランス 沈黙・抵抗・協力』(講談社選書メチエ、1994年)を偶然だけれども今手にしている。
Marechal Nous Voila
Maréchal,nous voilà ! par André Dassary
「Marechal Nous Voila」がVichy Franceの国歌とは知らなかった。一瞬冗談だと思った。Marechalとは言うまでもなくMaréchal Pétainのことである。それほどに圧倒的人気があったのだ。このヴェルダンの英雄は。
Jacques Isorniの口頭弁論:Marechal Pétain 単純に感動してしまう。
Marechal Pétainのsite:フランスを売ったのか、フランスを守ったのか。国家のために最善をつくしたのではないだろうか。しかし紛れもない対独協力者なのだ。
欧州情勢と日本(1938-1940): (1940):日本太平洋戦争へ (1940-1941): 新しいナレーションが五月蝿いけれど

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Take a rest :ちょっと一休み
Gottingenを聞く 作詞・作曲・歌唱:Barbara :ドイツ語で聞く
ドイツによるフランス占領時代を生きたユダヤ系フランス人歌手Barbaraに対して1986年この曲を通してドイツ連邦から国家間友好功労勲章が贈られた。
参照 : Gottingenの成立過程 by Bruxelles

テーマ:国家防衛 - ジャンル:政治・経済

Looking Backward, you can say anthing

History Hitler and WHY

第一次大戦後のヴェルサイユ条約、あれはイギリス首相がパリ講和会議で「レモンの種が泣くまでドイツを絞れ!」と公言したことに象徴されるように露骨なドイツへの復讐でした。
ドイツはすべての植民地を放棄した上に、1320億金マルクという払えるわけのない天文学的賠償を課せられました。ドイツ経済は一挙に破綻、1914年には1ドルが4.22マルクだったものが1923年末には1ドルが4兆2000億マルク、卵一個が3200億マルクという破局的なインフレになり紙幣は紙屑と化しました。
(「小学館2007年7月15日刊「平成攘夷論」小林よしのり著P.249)

映画「日の名残り」の中で、ヨーロッパ貴族が集まって、このことを論じる場面がある。ヨーロッパにも反省する良心もあったのだということがわかる。風に吹かれて消し飛ばされる程度の良心ではあったにしても。
(ちなみにこの「日の名残り」の原作は日本人Kazuo Ishiguro氏)

上のFilmの中のドイツ人たちの歓喜の表情を見て取っていただきたい。Hitlerというさえない男に歓喜しているのではない。Hitlerの存在が象徴するものにドイツ人たちはこれだけ歓喜しているのだということが、わかるだろう。


Pearl Harbor. 65th Anniversary

Pearl Harbor. 65th Aniversary

過去に扱ったテーマ

カンボジア(国際政治)
Cambodge phnom penh 1991 News
Cambodge 1985年の認識

ルワンダ(国際政治)
Rwanda 1990 News : Corneilles (歌手)

ニカラグア(国際政治) Alexis Arguello (Boxer)

しばらく時間が取れないので、他のサイトに書いた国際政治関連の記事をここに掲載します。(Bruxelles 記)

Churchill: We Shall Fight On

Churchill: We Shall Fight On

In May, 1940, after the outbreak of the Second World War, Winston Churchill became Prime Minister and Minister of Defense and remained in office until 1945. During this time, he worked to develop a military strategy that would ensure Hitler's defeat



歴史をさかのぼって説明責任を果たさなくては。

張作霖爆死事件の如き、満蒙の当時の事情を知っている人には、故田中総理大臣初め当時の内閣諸公が何ら感知したことではない、と言うことは、これは申すまでも無く明白であるにかかわらず、民政党のある者はあたかもこれについて、何か故き田中首相が、関係でもあるかのごとき宣伝を敢えてしたのである。(「東亜全局の動揺ー我が国是と日支露の関係、満蒙の現状」松岡洋右著 P.76& P.77)

世論がおかしいと、松岡は気づいていたし、そんなこと(日本の関与は無い)は当たり前だと考えている人たちも多かったように思える。事件はでっち上げだとでっち上げられたのだ。流説の流布のまま、教科書は書かれてきた。いったいどこから?誰から?

仮に東方諸民族に限ってこれを言えば、現に満蒙における20万の大和民族が移民であるなら、2千数百万の漢民族もまた同じく移民である。清朝時代の漢民族に対する満州移住の禁令は、やっと26年前初めて全部の撤回を見たのである。一体ある特定の小地域を割し又は時を限っての除外例はあろうが、およそ一般的に原則的に、自国民の居住往来を許さない自国の領土と言うものの存在を想像し得るか。(P.136 &P.137)

この後松岡は5民族の満蒙における自由、平等を説いている。溥儀は、後に傀儡と言っているが、皇帝の地位を与えられている。領土奪還をしてもらい、インフラ整備をしてもらい、治安維持をしてもらい、産業興隆のための良質な労働力を提供してもらい、教育をしてもらい、独立まで与えられて、傀儡も何よりも、そもそも真の皇帝ではどう考えてもありえない。傀儡以外の何者でもありえなかったのは、自らの実力の結果、事実の結果以外の何物でもない。日本が植民地主義を肯定する国家であったならば、もっとすっきりしたやり方があった筈だ。(大東亜共栄圏にしても、共栄と言うのがVisionであって、領土拡大主義、植民地主義が根底にあるのではない、ことを証明していかねばならない。西洋の列強には考えの及ばぬところ、理解の届かぬところなので、証明に時間はかかるが、ここは一番大事なところだと思う。)

:(西洋人にはどうしても理解できないこの、お人よしぶりはどこから来たのか、考えてみた。薩長連合は新幕府を造らなかった。維新は革命ではないのだ。日本には転覆し支配し植民地化する西洋的あるいは古来以来の中国的意思はなかったのだ。だから易々と皇帝を迎えたのだ。この発想は維新の発想だ。列強に啄ばまれさらに”滅満興漢”の言わば完全死に体の清国を、再興しラストエンペラーに大政奉還しようとしたのではなかったか。そこにアジアの五族協和の、これ以上、民族間で争いあうことのない豊かな国を造ろうとしたのではなかったか。植民地支配とは根本的に異なる”共栄圏”をこれから建設しようとしたのだ。日本政府にあったのは、維新(薩長連合)の発想の延長だったのではないか。死に体の混乱の中国をアジアの仲間として救おうという誠の発露ではなかったか。):

満州が傀儡でしかなかったのは、日本の真に望むところではなかった。(領土奪還力、治安維持力、危機に際しての防衛力の無い独立国はありあえない、と言うこと、はいつの時代においても確固たる事実なのだから。日本に非があるとすれば、早々と独立を認めたところだろう。)

この「東亜全局の動揺」と言う本は岡山県総合文化センターからお借りした。今日が返却日。読む時間が無かったので、所々拾い読みした。円マーク.35と書いてあり、35円かと思ったら、定価35銭。出版は先進社。多くの方にお読みいただきたいので、やや乱丁がありますが、紹介しておきます。昭和6年9月25日発行。

満州国WIKIPEDIA

もうひとつ、中国人、たとえば、蒋介石、孫文、はたまたロシア革命のときのスターリンに資金協力をした、理念に燃えた、純粋な日本人も何人かは存在したし、彼らもまた日本の知と財力と人情に縋った。日本人は策に欠けるが太っ腹で理想に燃えていたのだ。
最近「三国緩衝地帯論(朝鮮・東シベリア・満州を合わせた地域をまとめて、武力を持たない緩衝地帯とし、紛争を未然に防ごうと言う東アジア広域圏構想)」をもって、実際スターリンに直談判をした日本の政治家の存在 (追記:2012年7月7日:『惑星が行く 久原房之助伝』に詳しく書いてある。私はこの本を久原房之介氏の孫、シャンソン歌手の石井好子さんから贈呈していただいた)を知った。機会があれば、紹介したいと思っている。
日本は西洋列強のような、獰猛な、東洋人を人とも思わないような、帝国主義者、植民地主義者ではなかった、ことのひとつの証明になればと願っている


桜魂の同趣旨の記事にTRACKBACK
させていただきました

The United Nations

途方もない資料の山に圧倒されて、視力と体力の限界が来て、一休みしたいと思ったのだけれど、例のTOP SECRETを見つけて引き返してしまった。
Pearl Harbor こちらにそのTOP SECRETとRadio Address Delivered by President Roosevelt を並べてみた。Rooseveltのこの2重人格さはどこから来るのだろう。アメリカの普通の人はどういう歴史を学んでいるのだろう。と思い、本棚から少し古いSAT用の「American History and Social Stadies」(Barron's出版)を取り出して、ヤルタ会談を開けてみた。

1945(February)-The Yalta Conference in the Crimea found Roosevelt, Churchill,and Stalin considering plans to attempt a quick end to the war they were obviously winning. Russia promised to set up a front against Japan, a pledge which Roosevelt thought, by having Russia share the burden of attack, would save a great many American lives. The three powers agreed to see that the liberated states had representative governments chosen by free elections. The date was set for the San Francisco Conference on April 25.1945.
The Yalta Conference has long been a controversial issue in America. The Russians did set up a front in Manchuria and occupy northern Korea as agreed at Yalta, but the atomic bomb made the presence of Russian forces unnecessary for victory. Stalin broke his promise to promote, or at least allow, free elections and representative government in the nations adjacent to the Soviet Union. At the time, Roosevelt was especially pleased with the Yalta meeting because he had a definite pledge of help against Japan and definite assurance that Russia would attend the San Francisco meeting to help form the United Nations.
ヤルタ会談はアメリカでも問題あり。やっぱり勝手な分け前相談に気が引けるのかと、思ったら違った。振り返ると原爆を落とせたのだから、ソ連などの力を借りる必要はなかったのだと悔やんでいるらしい。原爆投下の人道に関する罪など、欠片もない。なにこれ。ソ連の参戦の最後に書いた言葉を思い出していただきたい。続いて
1945(April to June)- The San Francisco Conference, which drew up the United Nations charter, was attended by delegates from 50 nations. The main organs of the United Nations were(...)
San Franciscoで国際連合憲章が調印された。軍事参謀委員会があり、共同制裁行動のために武力の行使が認められている。こんな状況でできた国際連合、初めから国際連盟ほどの理念が理想がどうも感じられない。
そこへ「正論」10月号の以下の記事が目に入った。

国連に巣食った共産主義/ 日本外交よ,この危険組織を重視するな/国際問題研究家 瀧澤一郎

なになにあのHarry Dexter Whiteが国際連合成立に深く関わっていると!「Pearl Harbor」の記事の中で「ハルノートはハルが書いたものではなく、アメリカ軍に籍を置くソ連のスパイが書いたもの」と私は書いたがこのハルノートを致命的に改竄したソ連のスパイとはこのHarry Dexter Whiteのことなのだ。
日本を戦争に追い詰めた人物その人が国際連合の成立者の一人とは!

国際連合がどうもおかしいと思うことは最近体験した。9月14日になっているがこれは5月22日に私の別のサイトのDiaryにかいたものだ。「田舎の信用組合、に失礼」とは産経新聞の記事のタイトルで、国際連合を田舎の信用組合にたとえた人がいたらしい。しかしそれでは「田舎の信用組合、に失礼」と言うことだ。
公正な判断のできる人物なら決していわないようなことを日本に来て言っていた。瀧澤一郎氏の文章でアナン氏のオバカな発言の謎も解消した。しかしこれは、”国際連合”をいま少し検証してみる価値はありそうだ。
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UNのWEBTVを見る限りはさすがの組織なのだけれど。UNのWEBTVは勉強になりそう

After 13 years of exile in Tanzania, Alphonse’s family came back home, in other words, where they had a house once upon time, in Burundi.
Alphonse left his native country when he was one year old. Burundi was an imaginary country, a country of dream.
ALPHONSE RETURNS
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ソ連の参戦

Please Read, ** Difficulties in accepting these definitions
:FROM Thanks to this page
・・・・・・・・・・
We must remember that the USSR and the Netherlands are some of the prosecuting nations in this case and both declared war against Japan first. So far as the USSR is concerned, even if self-defense be taken as admitting of initiation of war under certain conditions, the circumstances in which that state declared war against Japan would hardly justify it as war necessitated by any consideration of defense. It would perhaps be difficult to read "an instant and overwhelming necessity for self-defense, leaving no choice of means, and no moment of deliberation" in a war against already defeated Japan.

1945年8月6日 日本は米軍による人類史上初の原子爆弾投下により、すでに疲弊の極みにあった。
戦闘行為が侵略のそしりを免れるのは、そこに防衛の必要が認められる場合のみであるが、すでに死に体の日本は何の脅威にもならない。したがってソ連の参戦は明らかに侵略に当てはまる。

The USSR declared war against Japan on 8th August 1945. The Potsdam Declaration demanding unconditional surrender of Japan was issued on July 26, 1945. Japan had requested the Soviet Union to mediate in the early part of June 1945, and ultimately offered to surrender on August 10, 1945.

広島に原子爆弾が投下された翌々日の8月8日、ソ連は日本に宣戦布告した。3方面6ヵ所から「満州国」とソ連国境をこえた。関東軍将校及び民間人も含めて57万人が(64万人とも言われる)が、シベリアに抑留された。一方27万人ともいわれる満州開拓団は、ソ連進行と同時に着の身着のままで南を目指して逃避行を余儀なくされた。
(図解「太平洋戦争」太平洋戦争研究会著 河出書房新社刊 P.134)

日本が藁をもすがる思いでソ連に和平仲介をたのもうとしていたときに、スターリンはポツダム会談をしていた。メンバーはスターリン、トルーマン、(チャーチル後)アトリーである。

ヤルタ協定:(松山大学のHPにリンクさせていただきました)
ヤルタ協定こそ共同謀議以外の何者でもない。この写真が歴史の表面に堂々と現れることこそおかしい。強盗たちのひそひそとすべき山分けの話し合いとしか思えない

Macarthurの証言

最高司令官マッカーサーは解任されてアメリカに戻り、昭和26年5月3日米上院軍事外交委員会で証言を行った。

STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR TWO

Senator Hickenlooper. Question No.5:
Isn't your proposal for sea and air blockade of Red China the same strategy by which Americans achieved victory over the Japanese in the Pacific?

General Macarthur:
Yes,sir. In the Pacific we bypassed them. We closed in. You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands. It was about half a farm population. The other half was engaged in industry.
Potentially the labor pool in Japan , both in quantity and quality ,is as good as anthing that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling.
This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on. They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials.
There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton,they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 20 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要から出たのであります。

上の文は矢崎好夫著「大東亜戦争の大義」P.279,P.281からの引用である。これは小堀桂一郎氏の「東京裁判・日本の弁明」からの要約らしい。(小堀桂一郎氏は『富田メモ』に関しても、最近『正論』上に素晴らしい文章を書かれている)

上の引用文の真の意味は下の引用によって明らかにされる。
Please Read, Self-defense is the only justification of war & The right of self-defense
:FROM Thanks to this page
・・・・・・・・・・
To deprive a nation of those necessary commodities which enable its citizens and subjects exist is surely a method of warfare not dissimilar to the violent taking of lives through explosives and force because it reduces opposition by delayed action resulting in defeat just as surely as through other means of conventional hostilities. It can even be said to be of a more drastic nature than the blasting to life by physical force, for it aims at the slow depletion of the morale and well being of the entire civilian population through the medium of slow starvation.
国家及び国民が生存するに必要な物資の流通を阻止することは、武力を持って戦闘行為に及ぶことに等しい、いやむしろより惨いと言うべきだ。
ABCD包囲網に対してあるいはハルノートに対して日本の選び取った行動は、侵略行為ではなく、生存権の防衛と解釈されうる。言われてみると、そうだ、自明のことだ。
自明のことを自明のこととして解釈できるのが真の国際法学者なのだ。日本にとって、列強が突きつけたものは、単なるいわゆる経済制裁などというやわいものではなく、まさに生存権の剥奪と解釈されるに充分な、息の根を止めるに等しいものだった。事実息の根を止めようとしたのだ。譲歩に譲歩を重ね、どれだけ戦争を回避する努力を日本はしたことか。思い出していただきたい。

STALIN VIDEO

貴重だと思うのですが。動くStalin
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Fifty Years After His Death

Bolsheviks vs Mensheviks

Study Room: Let's Watch

CULTURAL REVOLUTION TV in China

CLICK:CULTURAL REVOLUTION TV

Then click「WATCH TV」、and Click 1,2,3,4,5,6,
You will be able to see the outline of The Cultural Revolution

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Click here. And Click 「Smash The Old World」
You will be able to see a lot of photos of 「The Cultural Revolution」

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I am happy to introduce you; An Article by Yosuke Naito
30 years after Mao'death: a post stamp

国民党VS共産党 MAO

I will show you a part of THE HISTORY of CHINA.
I believe that you will find it very interesting.
MAO's China, growing quickly

World War Two: The last day approaches

Look at this
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Paris レジスタンス

Combats dans le centre de Paris
FILMS DOCUMENTAIRES
AF - 01/09/1944 - 00h05m02s
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